FC2ブログ
FC2Blog | RSS1.0 | ログイン | 投稿 

ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内など・・・

1901-2.jpg

 もう来年の告知です。
 みなさま、今年一年、TRIO'およびドラマー市原康を、またYuji Ohno & Lupintic Six 並びに大野雄二トリオ、又そのほか長年培ってきた一つ一つのライブを応援してくださり、誠にありがとうございました。
 新しい年も、みなさまと共有する時間が、共に喜べる時間となるように、精一杯力を尽くして臨みたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 怒濤の12月を終えて、1〜2月は少し息抜きが出来そうです。年が明けても大野雄二関連が大半を占めます。まずはそちらからのご案内。

● 大野雄二関連
 1/14(月・祝) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 1/17(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 1/24(木) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 2/2(土) 大野雄二トリオ 埼玉県県民活動総合センター・小ホール
 2/5(火) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 2/9(土) 大野雄二トリオ 東京・新宿区立角筈区民ホール 
 2/15(金) Yuji Ohno & Lupintic Six 高知県民文化ホール
 2/21(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 2/27(水) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 
● その他のライブ
 1/18(金) 金城寛文クインテット 東京・菊川 な〜じゅ
 1/20(日) 直居隆雄トリオ 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部

 以上、新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

------------------------------------------

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・バックナンバーのご案内です。
  その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
  その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」2018/9.18
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2

------------------------------------------
2018.12.03.Mon 01:09 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
1811-12の2

 前回、このインフォメーションでは「猛烈に暑い夏」ということばを使った記憶があるのですが、どうも最近は穏やかな四季の変化というものを味わうことが出来なくなってきた・・「地球」が悲鳴を上げているようにも感じます。前回と同じことばをもう一度書きますが、自然のバランスが絶妙に保たれていることの恵みを改めて思わされます。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。今年度最後のライブ予定のご案内をお送りします。
 11月はまずはTRIO’のツアーと久々の「ウォン・ウィンツァン・ジャズトリオ」。こちらからご案内いたします。とにかくルパン関連のように黙っていても満杯になるというような私たちではございませんで、みなさまの応援を乞い願い奉ります・・というモードに入らざるを得ません。どうぞ覚えて、15年目のTRIO’、そして久々のウォン・ウィンツァン・ジャズトリオをよろしくお願い申し上げます。ご予約はお早めに・・。

 先日のご案内と重複いたしますが、詳細は以下の通りでございます。そのあとに大野雄二関連その他のご案内を載せていますので、どうぞ最後までご覧になってください。

● TRIO’/トリオッ (pf,福田重男、bass,森泰人、drums,市原康) 秋のツアー

 11/17(土) 東京・浜松町/サンミケーレ 開成ライブ ゲスト・市原ひかりtp 
      同窓会ライブとして開成同期の仲間が主に集まりますが、
      一般の方も大歓迎です。
       ご予約は、090-4668-3213/上久保まで
            または ichihara@i-produce.net 市原までご連絡ください。
       ¥8,000 1ドリンク+食事 
       6:30 p.m に開場ですが、開場間もなく開演となります。
       開演 6:50 p.m ・・途中食事タイムを挟んで2セットです。
       終演予定9:00 p.m
       アクセス: 浜松町・サンミケーレ 
       http://www.sanmichele.jp
       最寄り駅 地下鉄 大門 よりB1出口より徒歩2分
       JR 浜松町 北口より徒歩3分
       東京都港区浜松町1-17-10 tel.050-5594-5548
       汐留健診クリニックの5階です。
       入り口はクリニック入り口とは反対側/裏手にお回りください。
       クリニックのエレベーターで5階です。
 
 11/18(日) 東京・南青山/Body & Soul ゲストはありません。TRIO’のみのライブです。
      TRIO’をたっぷりご堪能ください。
      日曜日ですので、通常の開始時間より一時間早い、午後7時となります。
      ご予約はBody & Soulへ直接、電話03-5466-3348でのご予約
          またはBody & Soulのサイトより直接ご予約が可能です。
          http://www.bodyandsoul.co.jp
      最寄り駅 地下鉄(銀座線、半蔵門線、千代田線)表参道駅より、徒歩約15分
       (地下鉄出口はB1をご利用ください) 骨董通りに入って4番目の信号のある
       大通り(まで少し距離があります)を右に折れ、すぐ先、右側です。
      東京都港区南青山6-13-9 階段を降りて入り口です。

 11/22(木) 安城/花むすび TRIO’のみのライブです。安城ジャズクラブ主催
      こちらも、TRIO’をたっぷりご堪能ください。
      チケット ¥3,500 
      開場 6:00 p.m 開演 7:00 p.m
      チケット取り扱い
       日新堂書店(安城市御幸本町)Tel 0566-75-2028
       ろくえん市民会館店(安城市桜町) Tel 0566-75-0777
       花むすび(安城市朝日町)Tel 0566-76-3005
      お問い合せ
        安城ジャズクラブ事務局 細井(三恵不動産内)Tel 0566-76-6656
      前売り・予約の状況よっては、当日券がない場合もあります。ご容赦ください。
      会場「花むすび」より
       駐車場台数に限りがありますので、乗合せ等のご配慮をお願いします。
       お弁当の販売(数量限定)をします。事前に電話いただければ確保いたします。
       花むすび Tel.0566-76-3005
       安城市朝日町 24-15
      主催・安城ジャズクラブ http://anjo-jazz.com

 11/23(金) 浜松/田町サロン ゲストボーカル・鈴木麻美 
      開場 2:00 p.m、開演 3:00 p.m 時間が早くなっております。
      ゴールド会員(丸八不動産グループお得意様) ¥2,000 
      一般 ¥3,000
      お問い合わせ・ご予約 053-424-5311 または
      予約サイト・ポルテシアターよりご予約ください。
       https://theater.porte.cc/reserve_info/
       https://theater.porte.cc/item/5390/
      会場の田町サロンは「ポルテシアター」とは別の場所です。ご注意ください。
       〒430-0944 静岡県浜松市中区田町326−28
       http://08artforme.com/thirdplace/third_place/tamachi/

 11/24(土) 横浜/Jazz Spot DOLPHY TRIO’のみのライブです。
      開場 6:30 p.m、開演 7:30 p.m
      ライブチャージ 前売り¥3,500 当日¥3,800
      ご予約・お店に直接電話またはサイトからご予約ください。
       電話 045-261-4542
       サイト https://www.dolphy-jazzspot.com/index.html
        「ライブ予約」からお入りください。
      横浜市中区宮川町2-17-4第一西村ビル2F
      最寄り駅
       徒横浜市中区宮川町2-17-4第一西村ビル2F歩6分
       京急「日の出町駅」徒歩3分
       みなとみらい線「馬車道駅」下車 出口3「博物館口」徒歩11分
      「みなとみらい駅」より桜木町駅経由徒歩20分

—————————————————————
      
● WIM/ウィム (W=ウォン・ウィンツァンpf、I=市原康ds、M=森泰人bass)
    1999年〜2006年に主な活動をしていたピアニスト ウォン・ウィンツァンの
    ジャズトリオです。久々の再演です。

 11/19(月) 市川/クールジョジョ(cooljojo jazz+art)
    ¥3,500 (+order) 開場 7:00 pm / 開演 (1) 7:30 pm (2) 9:00 pm
    お申込先: クールジョジョ 080-2624-0879  
    アクセス
     市川市八幡2-16-16 クレール本八幡B1F(Gパン サカイ 地下)
     電話 080-2624-0879
     JR/都営新宿線「本八幡駅」A1出口 1分 / 京成「八幡駅」歩5分
     https://www.cooljojo.tokyo

 11/20(火) 東京・原宿/Hall 60 (ホールソワサント)
    ¥4,000(当日精算)(飲食はありません)
    開場 6:00 pm / 開演 6:30 pm / 終演 8 :00 pm
    チケット予約申込
     メール ichihara@i-produce.net または電話: アイプロデュース 090-8560-0016
     ※会場となるhall60では、チケット申込受付は行っておりせん。 
    アクセス
     原宿表参道ビル 地下2F(1階は、赤いテントの MIZUcafé)
     渋谷区神宮前6-34-14  03-5467-7051
     地下鉄千代田線・副都心線「明治神宮前<原宿>駅」歩1分
     http://hall60.com

—————————————————————
 以下、そのほかのご案内ですが、まずは市原のリーダーライブを二つご案内します。すでにご案内いたしました10月の「市原康スペシャルカルテット」そして、石神井公園野外ステージの「森のジャズ祭2018」。
 こちらだけもう一度ご案内セさていただきます。

● 市原康スペシャルカルテット with tp市原ひかり、pf松本峰明、b上村信
 10/26(金) 町田まほろ座 http://www.mahoroza.jp

● 市原康トリオ pf,納谷嘉彦、bass,金森もとい
 11/3(土) 石神井公園野外ステージ 観覧無料 雨天中止 
  4つのグループが出演します。
  市原トリオは14:00-14:45 で、15時にてすべてのプログラムは終了いたします。 
  https://www.facebook.com/morijazz/

 その他は以下の通りです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

● 大野雄二関連
 11/1(木) 大野雄二トリオ 鎌倉ダフネ
 11/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 長崎・波佐見町総合文化会館
 11/11(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 長崎・佐々町文化会館
 11/15(木) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 11/25(日) 大野雄二トリオ 横浜・モーションブルー
 11/29(木) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ 
 12/1(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 越谷・市民ホール
 12/8(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 鹿児島・宝山ホール
 12/15(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 十日町市・越後妻有文化ホール
 12/18(火) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 12/20(木) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 12/23(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 香川・三木町文化交流プラザ
 12/24(月・祝) Yuji Ohno & Lupintic Six 岡山・CRAZYMAMA KINGDOM
 12/26(水) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 大阪・新歌舞伎座
 12/28(金) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 12/30(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 名古屋・ブルーノート 
 
● その他のライブ
 12/11(火) 塚山エリコ/バースデーライブ 東京・沼袋 Organ Jazz 倶楽部
 12/21(金) 萩谷組 東京・キーストンクラブ東京

 以上、11月 12月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

—————————————————————

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・更新いたしました。
 その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-date-20181019.html
 バックナンバーはこちら
 その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-date-20180918.html
 その12「キリストは絵に描いた餅?」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-270.html
 その11「聖書の目的」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-264.html
 その10「聖書を読むと何がわかるのか」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-262.html
 その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-260.html
 その8「クリスマス・・それは」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-258.html
 その7「助けを求める心」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-256.html
 その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-253.html
 その4「信じることでしか出会えない神」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-247.html
 その3「罪人だと言われると、どうも・・」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-245.html
 その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-242.html
 
 
2018.10.20.Sat 23:43 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
1810談義


 皆さんはクリスチャンが「救われた」という言葉を使うのを聞いたことがありますか?
 それは、人の魂は滅びにへ定められているところを、そこから救い出されたという意味です。神は愛です・・とクリスチャンたちは叫んでいるのに、なぜ人は滅びに定められているわけ? 神のどこが愛なの? ・・と、当然そのような疑問がわいてきます。そのことをこんな視点で捉えていただけたら理解が得られるかなと思うのです。例えばこんな父親がいたとします。


⚫︎ 父に背を向ける子
 父親は息子が道を外し、欲のままに生きる破滅的な生活をするようになったのを見て、怒り、その子を叱り、懲らしめて、なんとかまっとうな道に戻らないかとあれこれと手を尽くします。それでも息子は全く耳を貸そうとしない。父親は怒りと悲しみで一杯になります。息子には将来において平安で幸せで明るい家庭生活を送ってほしい。自信に満ちて世と人とに仕えるという悔いのない生き方をする人になってほしい。しかしそんな希望も今の息子を見ていると絶望的に思える。やむなく父は息子に「勘当だ」と言って家から追い出してしまいします。そんな生活を続けるなら、その結末を見て、自らの選んだ道がどういうものだったのかを身をもって知るが良い。それで目が覚めるならいつでも帰ってきなさい。私は喜んでお前を迎えよう。私がおまえの父親なんだから。しかしお前が今の生活を続けるなら、お前はもう私の子ではない・・と。
 この父の姿勢の本質は言うまでもありません。子への愛です。「神は愛です」とは、父に背を向け耳を貸そうとしない自分の子に対しての愛なのです。聖書はすべての人が罪びとなのだと言い切っています。神が本当に人を造られて、その人がご自分のもとに帰るのを愛をもって待っておられるのなら、そのまことの父を拒めば、その人の上にある神の想いは「愛ゆえの怒り」「涙を流す怒り」なのです。何度も何度も声をかけているのに・・。神は愛なのに、神がいのちなのに人の方でそれを拒んでいる・・。それが聖書が示す神と人との基本的な関係の構図です。

 新約聖書にこんなことばがあります。

 "さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。
 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"
 エペソ人への手紙 2章1~5節

 私たちは生まれながら御怒りを受けるべき子らだと言うのです。魂は滅びへと定められているというのでしょうか。このエペソ人への手紙には、私たちのことを「背きの中に死んでいた」者だと言っています。背きとは神に対する背きです。そしてその状態は「死んでいる」と表現されています。ところが「神のあわれみと愛のゆえに、キリストとともに生かされた」者へと変えられたと、この手紙の筆者パウロは言っています。
 神の前に出る資格のない者が、あわれみと愛のゆえに神の御怒りから救い出されたというのです。その救いのためにキリストの十字架と復活がそこに至るためのたったひとつの狭き門として与えられた、というのがよく聞くところの「福音」のメッセージです。ただ恵みとして与えられた父の家へのこのパスポートによって、人は「救われる」のだと。その文脈から言えば救いとは神の御怒りからの救いであるわけです。キリストの十字架、あれは私たちが受けるべき御怒りを、キリストが受けてくださったその姿に他なりません。だからキリストが救いなんです。「神の子なる神」であるはずのキリストが十字架の上で叫んだことばが、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」です。それは私たちの身代わりに御怒りを受けられたことを示す叫びです。神の御子が私たちの身代わりになったのです。・・あり得ない話です。でも神が、神の側からこのようにして、人をご自身のみもとに帰るための道を備えてくださったのです。神は愛ですとはこのことです。キリストご自身が身代わりの犠牲であり、キリストご自身が復活のいのちなのです。このキリストを信じて自分の内に迎えるという心の行為、そのこのとで神は、私たちがその「救い」を受け取ることができるようにしてくださった。これが神から人に提示された唯一の「救い」であって、ほかにそのようなものはありません。

 でも実はこのことが世間の人にとっては一番受け入れがたいことなんです。いわゆる「それじゃあ虫が良すぎるでしょう」というやつです。その感覚の中には、神に対して何も差し出してもいないのに、そんな全面的な赦しを受け取れるなんてけしからん、不公平だ。それじゃあ悪いことした者勝ちじゃないか・・となる。これに対して「あなたは何か神の前に差し出すことのできるような、聖いもののかけらでもあると思ってるんですか?」と問いかけてくるのが聖書です。


⚫︎ 普段は決して考えることのないこと

 イエス様の話の中に、こんな話があります。

 "すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の現場で捕らえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするよう私たちに命じています。あなたは何と言われますか。」
 彼らはイエスを告発する理由を得ようと、イエスを試みてこう言ったのであった。だが、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
 しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」そしてイエスは、再び身をかがめて、地面に何かを書き続けられた。
 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、真ん中にいた女とともに、イエスだけが残された。イエスは身を起こして、彼女に言われた。「女の人よ、彼らはどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。」
 彼女は言った。「はい、主よ。だれも。」イエスは言われた。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」"
 ヨハネの福音書 8章3~11節

 姦淫の現場で捕まえられた者を石打ちにして殺すことは、当時律法では「正当なこと」でした。ところがイエスの「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」との言葉で、律法学者やパリサイ人たちはハッとするわけです。この人たちは神のことに関しては教える立場にある人たちでした。世間的には、自分たちは神との関係に関しては健全であることが大前提であること・・彼等はその大前提の上にあぐらをかいていて、実はそれに相応しい内実などどこにもないことが、イエス様のことばによって瞬時に示されたわけです。それで彼らは、石を投げてこの女を死刑に定める資格など、自分にはどこにもないことに気がつくのです。最初に気がついたのは年長者でした。それだけ自分の罪の性質を示されたことの多い人たちなのだと思います。
 自らの罪に目を向けることをしようとせずに人を断罪する。これは聖書に言うところの「罪びと」の基本的な立ち位置のひとつです。罪びとを目の前にしたときに、その人の思いの中に浮かぶ光景はもっぱらその人の罪であって、自分の罪からは見事に目をそらす。これが罪人の罪人たるゆえんです。そしてこれが「生まれながらみ怒りを受けるべき子」の姿です。
 幸いこの女に石を投げる人は結局ひとりもいなかった。彼等は神の選びの民であり、神の偉大なみわざを通してエジプトから導き出された特別な民族であるにもかかわらず、神の前に自分は正しいと認めることが出来る人は、そこにはひとりもいなかったんです。それは今の私たちが、そのまま受け取るべき話でもあるわけです。私たちは他人の罪はよく見えて、それを断罪するのは大得意です。それは自分が神の座に座ろうとする罪人の基本的な性質です。イエス様はそういう私たちを罪人だとし、さらにこれを赦されるために来られた・・。それはイエス様の女に対する姿勢そのままです。イエス様は女に「あなたに罪はない」とは言われませんでした。彼女が罪人であることを認め、その上で「わたしもあなたに裁きを下さない」と言われたのです。
 彼らはその場からいなくなりました。それは神に受け入れられることでした。自らの罪に気がつくこと・・それが神の御怒りから救われるための第一歩なのです。あの出来事は人と神の関係において、とても重要な瞬間を表しています。クリスチャンとは、自らの罪を認めイエス・キリストを救い主として信じる信仰によって救われる、という道を選んだ人たちです。何から救われた? 神の御怒りからであり、その結果である魂の滅びから救われ、まことのいのちである神のみもとに帰ることが許された者たちです。イエス・キリストは私たちに赦しを与えるために、人の子として来られ、その体を罪人の私たちの代わりに釘付けにされることによって、これが神の赦しの姿なのだと、十字架の上で示されたのです。


● そもそもの話

 ここで大前提の話をします。もし神が私たちを造られたというのが文字通りの現実でなければ、聖書の言う神はかなり信用できないものになります。自分を神だと言い、自分がおまえを造ったのだと言い、宇宙とこの世を造ったと言い、この世の終わりについても明言し、そのあとに来る神の国のこともはっきり言っている。これが単なる想像の産物だったら聖書ほど人騒がせな書物はありません。だってあり得ないことばっかり書いてあるんですから。モーセが紅海を渡るのに海が割れた? モーセが神から直接十戒を受けた? 天からの食物であるマナが荒野で「40年間」降った? キリストが天地創造の前から父なる神と一緒におられた? キリストが処女から生まれた? キリストが十字架にかかって死んでよみがえった? 世の終わりが来る? その時には大艱難がある? 最後にはキリストはもう一度来られて生きている者と死んだ者すべてを裁かれる? サタンがいる?・・神を信じないで聖書を読もうとしたら、聖書の90%は無視しなければ、読めるものではありません。聖書は神の存在を認めたときに初めて、そこに隠れている「真理」を見させてくれるのです。神を認めずに聖書の研究をしたって、そこから得られるものなど何もありません。
 あの分厚い聖書が始めから終わりまで一貫して、これでもかというほど言い続けていること。それは「わたしが神である」という神からの主張です。「わたし」とは、聖書を通してご自身を現されている全知全能の神のことですが、宇宙を含めその中にあるすべてのものがこの神による被造物だと、神ご自身が宣言しています。だから当然のこと、人も神の手によって造られた存在です。
 神にとってアダムはご自分が創造された最初の人、それは神の家の長子のような存在です。ところがその長子がこのお父さんをお父さんと認めない。即ち、自分を造られた神を神として認めなくなってしまった事件・・それがあの創世記のアダムが禁断の木の実を食べてしまった話です。聖書全体の主題「罪人の歴史とその上にある神の愛」の話はここから始まっているわけです。アダムが犯した罪はいのちそのものである神に対する反逆。滅びの選択でした。神はちゃんとアダムに告げていたのです。「その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と。園の中央にはもう一本の大切な木がありました。それが「いのちの木」です。ですから、エデンの園からアダムが追放されたという話は、まことのいのちから切り離されたということを表しているわけです。あなたは死ぬ・・ということは、そうでなかったら死ななかったのにという意味です。そうです。死はなかったのです。この時からアダムは汗水流して働き、最後には土に返る者となったと聖書は記しています。ここから魂の深いところでの充足から切り離され、死を恐れながら行く先もわからずに歩む「罪びと」の歴史が始まります。その罪人の歴史は悲惨なものでした。簡単に暴虐で満ちる世界へと突き進むんです。自分を守るために・・。しかしこれで神の計画が頓挫したのではなくて、実はここから始まるんです。それは神を無視し自分中心に生きる人類の世界「この世」への、神の愛と哀れみをもっての介入です。


● 未来のことも書いてある聖書

 聖書にはこの世の初めから終わりまでのことが書かれています。ですから当然、私たちにとって過去のことも書いてあれば、これから起こることも書いてあるわけです。イエス・キリスト降誕の700年前、イザヤという預言者は、キリストの十字架の様子を克明に記しています。当時その世界に生きていた人にとって、キリスト降誕ははるか未来のことだったわけです。そしてその700年後、イエス・キリストが来られた時代でも、ユダヤ人たちはこの預言書のことには精通していました。ところがあろうことか、彼らは自分たちの手であのイザヤ書の預言通りに、イエス様を十字架にかけて殺してしまうのです。預言書を警告とは受け止めずに、キリストを殺す方の役を果たしてしまったのです。
 今の私たちにとって、キリスト降誕は過去のことですが、もうひとつ書かれているのがキリストの再臨です。それに関する聖書の記事の代表的なものは、キリスト降誕よりも550年も前の、ダニエルとかエゼキエルその他の預言者が記しています。と同時にイエス様ご自身も、世の終わりのことについて、何度も語っておられます。そして弟子たちの手紙の中にも書かれており、その総まとめのようなものが黙示録です。そこにはこの世の終わりの時に、キリストが再び来られるということが書いてあるのです。
 具体的に語られていたことが今目の前で起こったとしても、それが大昔から言われていたことの成就だということを、信じるのは難しいことかもしれません。しかし預言の通りのことが、将来的に起こるということを聖書は言っているのです。ならばそれは私たちに語られている警告です。キリストは再臨される。すなわち再びやって来られる。復活したキリストが、弟子の見ている前で天に上られた、その同じ有様で再び来られるというのです。そして神に背を向け続ける者と、キリストとともに神のみもとに帰る者とを振り分け、神に立ち帰らない者を永遠の火の中の苦しみに入れ、キリストと共に父なる神のみもとに帰る者には、永遠のいのちとその住まいが用意される。具体的にはもっと細かく書かれていますが、大雑把に言えば聖書にはそういうことが書いてあるのです。

 「さばき」・・そのことを否定することは、神の存在を信じていないということです。神が存在しないなら、さばきなどはあるはずもないですから。「救われる」という言葉も、神がおられて初めて意味を持つわけです。
 「御怒り」ということばは旧約聖書の中には55回出てきます。それはイスラエルの民が、神の御怒りとゆるしの繰り返しの中を、歩んで来たことを物語っています。そしてイエス・キリスト以降の新約聖書には14回出てきます。そのほとんどすべて、厳密には13回が「終わりの時の御怒り」についてのことばです。聖書は1400年間で執筆された66巻の書物の集合体であるにもかかわらず、世の初めから終わりまで、そのタイムテーブルにブレはないのです。それによれば「神の御怒りの時」、その時に生きている者と今までに死んだすべての者も、神のみ前によみがえり、さばきを受ける・・それは今の世には終わりがあって、その時の話だというのです。ここからわかることは、この御怒りでさばかれた人は、まだいないということです。さばきについては、すべてこれからのことだと聖書は言っているのです。そして、救われて神の国の民とされるという約束も、実際に訪れるのはこの終わりの時だと、聖書は言っています。神の計画のクライマックスはまだやって来ていないのです。


● 忘れてはならないのが・・

 神のみもとに帰った、救われたという言葉には以上のような意味があるわけです。罪びとの状態のまま神のもとに行こうとしたところで、神の聖さと罪びとの高慢な性質はまったく相容れません。本当の光と喜びと納得は、神の聖さの中にあるのです。愛なる神のもとに帰ったという時に、忘れてはならないのが、本当は帰る資格のない者に、その救いの扉が開かれたということです。信じるだけで救われるというのなら、それは「ただ=無償」です。しかし、その信じることの中身は、神の御子がわざわざ天から下り、肉体をもって「人の子」となり、その人の子が私たちの罪の身代わりとして十字架にかかるという、「いのちの代償」なのです。そこには激しい痛みと苦しみの果ての死と、そして愛があるのです。神の愛の形とは痛みであり、言いようのないうめきと苦しみに重なるものなのです。私たちが救われるために、ちゃんと代償が支払われたのです。神の御子キリストが、そのために「人の子」の形で地上に来られ、それを釘付けにしたその事実と、死の後によみがえられたその存在とが、私たちの「救い」の実体として与えられているのです。あなたが無償でいいのは、神が代価を支払ってくださったからなのです。どうして?・・。それはあなたに代価を支払う資格も能力もないからです。なぜそんなことしてくれるの?・・。それは、あなたは父なる神の実の子なのだから。
 神がなさったことを信じる者には、主ご自身が聖霊という形をもって、入ってきてくださいます。それによって、人は神の子として、父なる神と話を交わす者となり、すべての罪が赦され、永遠の神の御国の子とされるということを、確信し喜ぶ者となるのです。それは、死というポイントを超えた希望です。救われた者にとって死は、その意味が完全に変わります。死は恐れや絶望ではなく、単なる通過点であり、「終わり」ではなく「永遠のいのち入り口」へと、その意味が完全に変換する希望のポイントとなるのです。私たちの罪のために十字架にかかり、よみがえられたイエス・キリストを信じる者には、今から後にある「終わりの時の神のみ怒りによるさばき」から救われ、永遠の天の御国の民となるという、本番が待っているのです。

 "これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。"
 新約聖書ヘブル人への手紙 11章13節


------------------------------------------

 【バックナンバー】
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
2018.10.19.Fri 11:28 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 いつもTRIO’、ドラマー市原を応援いただき、心より御礼申し上げます。
 さて今年二回目になりますが、11月のツアーとしてご案内している「TRIO’ 秋のツアー」そして、久々のライブとなります「WIM/ウォン・ウィンツァン・ジャズトリオ」のライブの詳細をお知らせします。
 最下段でチラシをご覧になれます。

------------------------------------------

● TRIO'/トリオッ (pf,福田重男、bass,森泰人、drums,市原康) 秋のツアー

 11/17(土) 東京・浜松町/サンミケーレ 開成ライブ ゲスト・市原ひかりtp 
      同窓会ライブとして開成同期の仲間が主に集まりますが、
      一般の方も大歓迎です。
       ご予約は、090-4668-3213/上久保
            または ichihara@i-produce.net 市原までご連絡ください。
       ¥8,000 1ドリンク+食事 
       6:30 p.m に開場ですが、開場間もなく開演となります。
       開演 6:50 p.m ・・途中食事タイムを挟んで2セットです。
       終演予定9:00 p.m
       アクセス: 浜松町・サンミケーレ → ご案内サイト
       最寄り駅 地下鉄 大門 よりB1出口より徒歩2分
       JR 浜松町 北口より徒歩3分
       東京都港区浜松町1-17-10 tel.050-5594-5548
       汐留健診クリニックの5階です。
       入り口はクリニック入り口とは反対側/裏手にお回りください。
       クリニックのエレベーターで5階です。
 
 11/18(日) 東京・南青山/Body & Soul ゲストはありません。TRIO’のみのライブです。
      ミュージックチャージ ¥4,000
      日曜日ですので、通常の開始時間より一時間早い、午後7時となります。
      ご予約はBody & Soulへ直接、電話03-5466-3348でのご予約
          またはBody & Soulのサイトより直接ご予約が可能です。
          http://www.bodyandsoul.co.jp
      最寄り駅 地下鉄(銀座線、半蔵門線、千代田線)表参道駅より、徒歩約15分
       (地下鉄出口はB1をご利用ください) 骨董通りに入って4番目の信号のある
       大通り(まで少し距離があります)を右に折れ、すぐ先、右側です。
      東京都港区南青山6-13-9 階段を降りて入り口です。

 11/22(木) 安城/花むすび TRIO’のみのライブです。 安城ジャズクラブ主催
      チケット ¥3,500 
      開場 6:00 p.m 開演 7:00 p.m
      チケット取り扱い
       日新堂書店(安城市御幸本町)Tel 0566-75-2028
       ろくえん市民会館店(安城市桜町) Tel 0566-75-0777
       花むすび(安城市朝日町)Tel 0566-76-3005
      お問い合せ
        安城ジャズクラブ事務局 細井(三恵不動産内)Tel 0566-76-6656
      前売り・予約の状況よっては、当日券がない場合もあります。ご容赦ください。
      会場「花むすび」より
       駐車場台数に限りがありますので、乗合せ等のご配慮をお願いします。
       お弁当の販売(数量限定)をします。事前に電話いただければ確保いたします。
       花むすび Tel.0566-76-3005
       安城市朝日町 24-15
      主催・安城ジャズクラブ http://anjo-jazz.com

 11/23(金) 浜松/田町サロン ゲストボーカル・鈴木麻美 
      開場 2:00 p.m、開演 3:00 p.m 時間が早くなっております。
      ゴールド会員(丸八不動産グループお得意様) ¥2,000 
      一般 ¥3,000
      お問い合わせ・ご予約 053-424-5311 または
      予約サイト・ポルテシアターよりご予約ください。
       https://theater.porte.cc/reserve_info/
       https://theater.porte.cc/item/5390/
      会場の田町サロンは「ポルテシアター」とは別の場所になります。ご注意ください。
       〒430-0944 静岡県浜松市中区田町326−28
       http://08artforme.com/thirdplace/third_place/tamachi/

 11/24(土) 横浜/Jazz Spot DOLPHY TRIO’のみのライブです。
      開場 6:30 p.m、開演 7:30 p.m
      ライブチャージ 前売り¥3,500 当日¥3,800
      ご予約・お店に直接電話またはサイトからご予約ください。
       電話 045-261-4542
       サイト https://www.dolphy-jazzspot.com/index.html
        「ライブ予約」からお入りください。
      横浜市中区宮川町2-17-4第一西村ビル2F
      最寄り駅
       徒横浜市中区宮川町2-17-4第一西村ビル2F歩6分
       京急「日の出町駅」徒歩3分
       みなとみらい線「馬車道駅」下車 出口3「博物館口」徒歩11分
      「みなとみらい駅」より桜木町駅経由徒歩20分

------------------------------------------
      
● WIM /ウィム (W=ウォン・ウィンツァンpf、I=市原康ds、M=森泰人bass)
    ウォン・ウィンツァン ジャズトリオ 久々の再演です。

 11/19(月) 市川/クールジョジョ(cooljojo jazz+art)
    ¥3,500 (+order) 開場 7:00 pm / 開演 (1) 7:30 pm (2) 9:00 pm
    お申込先: クールジョジョ 080-2624-0879  
    アクセス
     市川市八幡2-16-16 クレール本八幡B1F(Gパン サカイ 地下)
     電話 080-2624-0879
     JR/都営新宿線「本八幡駅」A1出口 1分 / 京成「八幡駅」歩5分
     https://www.cooljojo.tokyo

 11/20(火) 東京・原宿/Hall 60 (ホールソワサント)
    ¥4,000(当日精算)(飲食はありません)
    開場 6:00 pm / 開演 6:30 pm / 終演 8 :00 pm
    チケット予約申込
     メール ichihara@i-produce.net または電話: アイプロデュース 090-8560-0016
     ※会場となるhall60では、チケット申込受付は行っておりせん。 
    アクセス
     原宿表参道ビル 地下2F(1階は、赤いテントの MIZUcafé)
     渋谷区神宮前6-34-14  03-5467-7051
     地下鉄千代田線・副都心線「明治神宮前<原宿>駅」歩1分
     http://hall60.com

 ------------------------------------------
 
 多彩なツアーとなりそうです。
 みなさまのお越しを心よりお待ちしております。
 
 TRIO1811表hp用out
 
 TRIO1811裏hp用
 
 TRIOB51811表5開成web用

 181122安城チラシ小
 
 
 
2018.09.24.Mon 21:30 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
(これは第一回「あんなことした人がどうしてクリスチャンなの?」の改訂版です)

1809談義s

 世の中の人は、「クリスチャン」に対して、おおむね良い印象を持っているようです。中にはひどい人もいるけどね・・と。それは自分を犠牲にして貧しい人や弱い人のために生涯、時間を捧げて死んでいく人が歴史上も数多くいるからでしょうか。マザー・テレサのように知らない人はいないくらい有名な人から、人知れずそのような生涯を送り、人知れずこの世を去って行く人も数えきれないほど多くいるのではないかと思います。宮沢賢治の有名な「アメニモマケズ」という詩があります。
  
  雨にも負けず
  風にも負けず
  雪にも夏の暑さにも負けぬ
  丈夫なからだをもち
  慾はなく
  決して怒らず
  いつも静かに笑っている
  一日に玄米四合と
  味噌と少しの野菜を食べ
  あらゆることを
  自分を勘定に入れずに
  よく見聞きし分かり
  そして忘れず

   野原の松の林の陰の
  小さな萱ぶきの小屋にいて
  東に病気の子供あれば
  行って看病してやり
  西に疲れた母あれば
  行ってその稲の束を負い
  南に死にそうな人あれば
  行ってこわがらなくてもいいといい
  北に喧嘩や訴訟があれば
  つまらないからやめろといい
  日照りの時は涙を流し
  寒さの夏はおろおろ歩き
  みんなにでくのぼーと呼ばれ
  褒められもせず
  苦にもされず
  そういうものに
  わたしはなりたい 

 宮沢賢治がこういう人だったのではありません。宮沢賢治は「そういうものに、わたしはなりたい」と言ったのです。この「そういう者」には実在のモデルがあったと言われています。1887年に岩手県花巻でお寺の三男に産まれた斉藤宗次郎という人物。この人は内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになりクリスチャンになりました。ヤソ、国賊と言われ、石を投げられ、親にも勘当され、小さな愛娘がヤソの子と言われ、腹を蹴られたのが元で天に送り、小学校の教師も辞めさせられる。それでも彼は新聞配達をしながら配る一軒一軒のために足を止めて祈ったという。1926年に彼は内村鑑三に招かれて東京に引っ越すことになる。花巻の地を離れるその日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一 般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたという 。・・これがこの宮沢賢治の詩の中に登場する人物「こういうもの」です。現代の人からは名前すら知られていない人でも多くの偉業を成し遂げたクリスチャン・・。それは歴史の中で数えきれないほどいるようです。日本人で誰もが知っているような人物は他にもいないかなとちょっと調べただけで、野口英世、滝廉太郎、杉原千畝、賀川豊彦、、、おもしろそうな人がたくさんいそうです。

 さて、本題はここからです。世間一般の人はクリスチャンに対してあるイメージを持っているようです。「敬虔なクリスチャン」という言葉から思い起こされるイメージは「聖い」「汚れのない」「悪からは全く遠ざかっている」「この世の遊興などとは縁のない」・・といったイメージで、もしそのようなイメージと違っていると「クリスチャンのくせに」などという厳しいことばが飛んでくる。そして一方で、自分はそんな堅苦しい生活はまっぴらごめんだ・・あるいは、自分にはそんな風にはなりたいとも思わず、出来るとも思っていない。要するにクリスチャンになるにはとにかく敷居が高いという感覚を持っているようなのです。
 日本のクリスチャン人口は1%にも満たないと言われています。要するに99%以上の人がクリスチャンではないのです。これは欧米その他、イスラム圏以外の国では考えられないほどの低い数字です。そういうほとんどの人たちがクリスチャンという存在に対して、以上のような見方をしている。だから、あんな人がどうしてクリスチャンなの・・という見方になる。また、聖書に対して学者的な知識は持っているもののクリスチャンではないという人も大勢いる。しかしこの人たちには聖書のメッセージの本質、即ち神の愛の本質が全く届いていないと私は感じるのです。それをここに書きたいと思います。

 クリスチャンというのは・・・、自分の愚かさ、弱さ、無力さ、自己中心、横柄さ、高慢さ、陰険さ、悪辣さ・・書いていけば切りがない、世の一般の人がクリスチャンに対して持っているイメージとはおよそかけ離れた性質が自分の中にあることに気がついた人・・そういう人がなるものです。あるいは、クリスチャンになってから自分がそのような愚かな者であることを信仰生活を重ねるほどに思い知る。それがクリスチャンという人間の共通した特徴です。先に挙げた斉藤宗次郎ほかの人たちも例外ではないはずです。例外と言うよりも、あの人たちは自分の中にある「聖さとはおよそかけ離れた自分の心の実態」を知って愕然とするという経験の持ち主である筈です。要するに、神の前に出せるものなど何もないことを知り神の聖さの前に完全に降参した人たち、それがあの偉人たちの本当の姿なのです。だから神が用意された救いをそのままそっくり受け取った。その結果があの偉業なのです。あの偉業はあの偉人たちのわざではなく、神のわざなのです。絶え間ない努力や修行や強固な意志によって自分を高めてきたから出来たのではなく、何もない自分を愛なる神様に明け渡したからこそ神の力と愛と栄光を現す器とされたのです。だからそれができる。父なる神はこのどうしようもない人間=すなわちすべての人 をもう一度みもとに迎えるために、御子イエス・キリストを地上に送られ、そして十字架の死と復活という大きなしるしを示されたのです。それはすべての人が、キリストと共に死に、復活して新しく生まれ変わるためです。どうやって? それはキリストを信じて心にお迎えすることで実現します。ほかに方法はないのです。自分がどうしようもない人間だとわかったからそれができる。人の強さや能力はこのこととは無関係なのです。これは神の恵みを受け取る必要条件なのです。
・・ここにクリスチャンの本質があるのです。
人に大きな偉業をなさしめる力、それは人の努力や精進によるのではなくて、ただ自分がどうしようもないヤツだと思い知って、神にすべてを明け渡した者の上に働く生ける神の力なのです。キリストの死と復活があなたの内で重なるのです。

 これが、世の中の人たちが全く知らない、想像もしていないポイントです。あの偉人たちも間違いなくそのような歩みをしてきた人たちです。だから、彼らは誰に対しても高ぶる思いで接することはしない、、いや、、出来ないんです。全てが恵みによって与えられていることを知っているから。自分に何か褒められることがあって神に認められているのではないことを心底知っているのです。
 さらにクリスチャンになった人は即座に「聖人」になるわけではなく、そのような自分の古い性質と戦いながら「キリストの形」に徐々に変えられていくというステップを踏みつつ信仰生活を続けます。だから当然、あれでもクリスチャンなの?と言われることはいくらでもある。けれどその人は正真正銘のクリスチャン、それは神の赦しの中で新しいいのちに導かれて生きる者であるわけです。本当はそんな大きな恵みを受けるのにはまったく相応しくない者なのです。そんな者に与えられた・・その恵みを驚き、喜び、感謝しつつ歩む者・・それがクリスチャンなのです。

「あんな人が、どうしてクリスチャンなの?」・・それは、神が「罪人のためにみ子をつかわされた」からです。それが神の愛であるということの意味です。

“イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。
これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」”
マタイの福音書 9章10~13節

------------------------------------------
ドラマー市原康ライブインフォメーション 過去の記録
  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
 
 
2018.09.18.Tue 00:04 | 日記・エッセイ | trackback(0) | comment(0)
11月17-24 TRIO' 秋のツアーです。その間、久々の再演・・WIM「pf,ウォン・ウィンツァン、b,森泰人、ds市原康」も二箇所で行います。それから、初日には市原ひかりを交えての開成ライブ。浜松では歌姫/鈴木麻美さんをお迎えします。
★ 11/20のお問い合わせ先が変更になっています。ご注意ください。


TRIO1811表hp用out


TRIO1811裏hp用
 
 
 
2018.09.12.Wed 00:49 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
   1809-10.jpg


 猛烈に暑い夏、天候が過酷になってきている感があります。暑さが脅威になるんだと、自然のバランスが絶妙に保たれていることの恵みを改めて思わされます。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。4月に角川映画シネマ・コンサート本番直前に患った虚血性腸炎のことを今も覚えていてくださり、久しぶりにお会いする方からはみなさんから身体の方はいかがですかと、ご心配いただいています。幸い腸の方は全く回復してなんともありませんが、何しろ回復力が落ちていることを感じさせられているこの頃です。少しずつ、様子を見ながら、でも結構なスケジュール・・なんとか乗り切らせていただきたいと思っています。
 さて、告知が遅くなりましたことをお詫びいたします。9.10月のライブスケジュールのご案内です。10月には久しぶりのひかりとの共演があります。項目別にまとめますと・・
 ★ ジャズオーケストラ金城組は9/14です。9/30は大野雄二トリオです。お詫びして訂正いたします ★

● 市原康スペシャルカルテット with tp市原ひかり、pf松本峰明、b上村信
 10/26 町田まほろ座

● 大野雄二関連
 9/8(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 花巻市宮沢賢治童話村 
     ゲストボーカル・杏子
 9/15(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 白山市松任文化会館
 9/16(日) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ大阪
 9/22(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 塩尻市文化会館レザンホール
 9/25(火) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 9/30(日) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 10/6(土) 大野雄二トリオ 鎌倉ダフネ 
 10/13(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 10/15-16(月-火) Yuji Ohno & Lupintic Six 六本木 ビルボードライブ東京 2days
 10/18(木) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 10/29(月) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 11/1(木) 大野雄二トリオ 鎌倉ダフネ
 
● その他のライブ
 9/1(土) 突撃おたま倶楽部主催 「Adult Toy Box 1」発売2周年記念ライブ Soul Elegant X-project 豊橋コティー
      ・・記載が漏れていました。お詫びいたします。
 9/14(金) ジャズオーケストラ金城組 赤坂Bフラット ゲストボーカル/まきみちる
 9/20(木) 塚山エリコ オルガンカルテット 東京・沼袋 Organ Jazz 倶楽部
 9/28(金) JCAA ジャジーナイトvol.7 タイムファイブ/まきみちる 六本木クラップス
 9/29(土) JCAA ジャジーナイトvol.7 タイムファイブ/まきみちる 六本木クラップス
 9/30(日) 直居隆雄トリオとなっていましたが、大野雄二トリオの誤りです。
 10/9(火) 出口誠「Ave Maria」発売記念ライブ 銀座Swing
 10/12(金) 金城寛文クインテット 東京・菊川 な〜じゅ

 以上、9月 10月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

—————————————————————

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・今回も更新はしていません。
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11 当ブログ内です。
   
2018.08.21.Tue 20:06 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1807-8.jpg


 昔は梅雨というと、ずっとジメジメして、早く梅雨が明けるのが待ち遠しいという記憶があるのですが、今は何かが変わっちゃったのでしょうか。それとも自分が気にしなくなっちゃったのでしょうか。まさかこれって。。。(汗)
 市原、みなさまにご心配をおかけしましたが、体調もほぼ普段通りに戻ってきました。しかしながら体力が回復するのに、というか・・腸が回復するのにこんなに時間がかかるのかと、驚きです。年齢のせいか、それとも腸という器官自体がそれほどにナイーブなのかわかりませんが、腸がこれほどまでに体調を言い表してくれるものだということを初めて知りました。どちらにしろ、大事にしなければね。。。
 5月のTRIO’のツアー、無事全行程終了いたしました。みなさまの応援、ありがとうございました。TRIO’・・かなり変わってきたようにも思います。それぞれの場所でいろいろな思い出をいただきました。これが膨らませていけるといいんですけどね。。
 さて、7-8月のスケジュールは以下の通りです。今からカレンダー、、チェック!

● 大野雄二関連
 7/7〜8(土・日) 大野雄二トリオ 名古屋ラブリー2days
 7/13(金) 大野雄二トリオ 東京・お茶の水 NARU
 7/15(日) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 7/20(金) 伊勢丹×ルパン三世/ルパンの夏祭り Yuji Ohno & Lupintic Six 東京・新宿 伊勢丹屋上
 7/27(金) 大野雄二トリオ 東京・新宿 ジャズスポットJ
 8/17(金) 大野雄二トリオ 東京・お茶の水 NARU 
 8/25(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 8/31(金) 大野雄二トリオ 東京・新宿 ジャズスポットJ
     
● ライブ
 7/16(月) Michiru Maki Live 東京・六本木 アビーロード (SOLD OUT)
 8/23(木) 直居隆雄トリオ 東京・沼袋 Organ Jazz 倶楽部

● その他
 7/24(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
      今回が暫定的に最終回となります。
 8/18(土) JAZZ & Gospel コンサート 東京・国分寺 ジーザスコミュニティー
      入場無料

 以上、7月 8月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

------------------------------------------
 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・今回も更新はしていません。
 当ブログ その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
 
2018.06.11.Mon 21:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

20180421214406227.jpeg


すでに一週間以上になりますが・・

角川映画シネマコンサート、二日間を無事終えることができました。

ご来場の皆さま、誠にありがとうございました。映像と生フルオーケストラ共演というあまりないパターンのこのコンサート。その大迫力は、来ていただいたたくさんの方々の感想から、私の想像を超えたものであったらしいということがうかがい知れます。ぼくも観てみた〜いっ!

私の生まれ故郷のようなこの三作品。42年前、26歳の時に一年間の米国滞在から帰国した翌年に犬神家の一族、そして人間の証明、野生の証明と、立て続けにドラマーとして参加させていただきました。あの頃恐れも知らずにやりたい放題にやらせていただいたドラマー市原康の文字通り原点に帰った。この二日間は私にとってそんな特別な時だったわけです。
これは私にとっては本当に不思議な出来事です。当時大野さんは市原をドラマーとして起用し、角川の三作品さらにルパン三世その他数々の作品に参加させました。初期のルパン三世に参加した後は大野さんのユー&エクスプロージョンバンドなどの活動をしますが、その後大野さんの作品に参加する機会は少なくなり、25年ほど経ったでしょうか。私はスタジオミュージシャンとして仕事を続けてきていましたが、正直なところ、いい気持ちになって帰ってきたことがありませんでした。結局馴染めなかったんですね。その後活動シーンはスタジオからジャズへと返り咲いています。もともと市原はジャズドラマーとしてスタートしていますから。
ところが4年ほど前、久しぶりに大野さんのレコーディングの仕事が入り、しかもそれはルパン三世のアルバムの最初のテーマと最後のエンディングテーマというもので、いきなりほっぺたをパシパシ叩かれるようにして、あの長年生きてきたスタジオの世界に再び放り込まれたようでした。それからほぼ一年後に現在のルパンティック6がスタートします。そしてこのルパンティック6も3年経とうとしている今、この「角川映画シネマコンサート」というタイミングです。この不思議感、おわかりいただけますでしょうか? (笑)
大野さんはもう一度市原をあの世界に引っ張り出したんです。現在はルパンティック6 に加え、大野雄二トリオというジャズピアノトリオにも参加させていただくようになって、大野さんと会う時間はひと月の中でも1/4くらいになるわけですが、この三年間、大野さんには随分叱られました。今も僕の顔を見ると叱らなければいけないと思っている節があるんですね(笑)。 ある時大野さんはこんなことを言いました。「市原は叱るとそんだけ良くなるんだよ。」
大野さんはピアノトリオを通して、主役であるピアノの気持ちの中で音楽を作り上げながらも自分も解放させていくこと、またルパンティック6を通して、もっと大胆に権威あるドラマーとしての立ち位置に立つべきことを私に教え続けました。でも普通ですとそういうことを意識すると権威を振りかざし、段々乱暴になってきたりするものですが、不思議とその逆の立ち位置の中にそれを見出すという、この歳でさらに新しい境地に立つこととなりました。こんなこと神様から与えられたのでなければあり得ない、分かり得ない、そんな境地なんですけどね。まあそれはともかく、大野さんという人は市原をもう一度引っ張り出して荒いノミを使ってドラマー市原という作品を再び削り出そうとしている。僕にとって大野雄二という人はそんな、生涯の中で他には恐らく会うことのできない存在なんですね。
そしてこの角川コンサート。特に二日目はこの新しい彫刻作品の最新作の発表のようでした。二日目の朝にも大野さんは僕にこう言われました。昨日のだと劇伴をやっている人のようだ。音楽だけの演奏もあるのだから、劇伴ではなく音楽として演奏しろ」と。その言葉は僕自身にも実にストンと落ちて、譜面に書かれていることの120%くらいで、怖いもの知らずだった20代の頃のように演奏をしていました。しかもあの頃には思いつきもしなかった立ち位置でね。
この角川コンサートは、このような意味においてドラマー市原の再スタートとなる記念碑のようなコンサートだった・・これが私の実感です。こんな時が訪れるとは夢にも思っていませんでした。なにか聖書に出てくるパターンのようなものを思い出すんです。それは荒野に追いやられているその間に神の取り扱いと導きがあり、本人が思いもしなかった歩みの中に導かれるというパターン・・そんな不思議な感覚を覚えるのです。

そしてこのコンサートに不思議な出来事が起こります。コンサート本番の週の始めの二日間がリハーサルでした。私は二日目のリハーサルの最中に急に具合が悪くなり、トイレに駆け込み30分ほど出てこれない状態になってしまいました。でも普通だったらある程度お腹のものが出てしまえば楽になって、少し休めば元に戻るのですが、この日は出ても一向に楽にならず、それでもなんとか最後までやって、後は大野車で自宅まで送り届けてもらわなければなりませんでした。夜中に救急病院に飛び込むも、整腸剤を渡されただけで帰ってきました。そして翌日、わずかに出る便だと思っていたものが鮮血であることに気がつきます。下血です。午後に近くの総合病院の救急に飛び込みそのまま入院。診断は虚血性腸炎。入院期間は7〜14日。コンサートは入院の4日目ということになります。先に書いたようにこのコンサートを外すということはあり得ないけれど物理的に無理な状況もあり得るのでこの仕事をこなせそうなドラマーを探してもらったのですが、かろうじて初日だけできるという方がおられるのみ。大野事務所としては市原を待つということで腹をくくります。この病気は下血が止まれば退院というのが基本らしいですが、退院といってもその後は大事にして身体の回復を待つわけで、3時間半のコンサートを二日続けるというのは医師としても保証はできませんという状態で「なにが起きても全て私の責任です」との念書を書いて一泊二日の外泊ということになりました。幸い本番当日には下血は無くなっていました。不思議と不安や恐れはほとんどなく、静かな空気が私を包んでいました。そしてみなさんがご覧になったのがあの一日目と二日目です。知り合いのドクターが言っていました。一日ずれたらアウトでしたねと。

これを書いているのが翌週の月曜日。そろそろ退院できそうです。自分ではコントロールの効かない神の絶妙な時間の采配を見た思いです。

絶妙な時間の采配といえば、本番前日、いつも髪を切ってもらっている美容師さんに病院まで来ていただき、色を付けると言って聞かない彼をなだめてカットをしていただいたという時間のポケットもあったんですよ。余談でした。

* 写真はfacebookお友達のものも拝借しております。悪しからずご了承の程、お願い申し上げます。

2018.04.21.Sat 21:47 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
  1805-6.jpg


ドラマー市原康・インフォメーション 

 ・・・このメールはライブ案内をご希望の方、市原のライブにご来場いただいた方、名刺交換させていただいた方など、複数の方々にBCCにてお送りしています・・・


   ■□■ いちはらやすし・こんなことしてますNEWS ■□■

           □□ 2018 / 5〜6 月号 □□

 すっかり春めいて参りました。3月の誕生日を過ぎたと思ったら、もう梅雨にさしかかる時期までのご案内をすることに・・。4月に開催された角川映画シネマ・コンサートのために、大野雄二トリオなど、活動を控えていたところが復活。それに加えてTRIO’のツアーがあり、市原としてはかなりの忙しさとなります。といっても、毎日ジャズライブをこなしているジャズメンたちの足下にも及びませんが・・。
 東京、横浜、浜松、豊田、大阪、鳥取、万座、上越、加茂、高崎・・はTRIO'。そして大野雄二トリオ、Yuji Ohno & Lupintic Six 関連は、鎌倉、札幌、幕別町、中標津、相模原、神戸、大阪・・。これらの地域の方はメモのご用意を。

● TRIO’のツアーはその準備もほぼ整い、あとは中身のプロデュースということになります。前回よりも少し遠出ができます。大阪や鳥取、そして新潟方面は上越と加茂という初めての所。初めてといえば豊田も初めてです。新しい出会いを楽しみにしています。
 5/13(日) 東京・南青山 Body & Soul・・7時開演です。
 5/14(月) 浜松 ポルテギャラリーバンケット
 5/15(火) 豊田 KEYBOARD
 5/16(水) 大阪 梅田ALWAYS
 5/17(木) 鳥取 アフターアワーズ
 5/18(金) この日はお休みですが、万座日進舘のフロアーショーに出没 20時〜無料です。
      温泉で骨休めさせていただきます。
 5/19(土) 上越 ラ・ソネ菓寮
 5/20(日) 加茂 桐子モダン
 5/21(月) 高崎 ケイノート
 5/22(火) 横浜 ドルフィー〈TRIO’としてのライブはこの日が最終です〉
 5/24(木) 東京・六本木 キーストンクラブ東京 
      このライブはボーカルのマミコ・バードさんのバースデーライブ。
      TRIO’がそのバックを務めます。

● 大野雄二関連
 5/5(土) 大野雄二トリオ 横浜 モーションブルー
 5/11(金) 大野雄二トリオ 東京・お茶の水 NARU
 5/12(土) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 5/25(金) 大野雄二トリオ 東京・新宿 ジャズスポットJ
 5/26(土) Yuji Ohno & Lupintic Six/Fujikochans 東京・鶯谷 キネマ倶楽部
 6/1(金) Yuji Ohno & Lupintic Six/Fujikochans 札幌わくわくホリデーホール 
 6/2(土) Yuji Ohno & Lupintic Six/Fujikochans 幕別町百年記念ホール
 6/3(日) Yuji Ohno & Lupintic Six/Fujikochans 中標津総合文化会館
 6/10(日) 大野雄二トリオ 相模原メイプルホール
 6/15(金) Yuji Ohno & Lupintic Six 神戸・大倉山 神戸市文化ホール
 6/19(火) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 6/21(木) 大野雄二トリオ 東京・お茶の水 NARU
 6/22(金)〜23(土)  大野雄二トリオ 大阪 ケリーズ 2days
 6/30(土) 大野雄二トリオ 東京・新宿 ジャズスポットJ
 翌7月7(土)〜8(日) は大野トリオで名古屋ラブリー2days があります。 

・・・お知らせ
 5月9日 ルパン三世 PART5 オリジナル・サウンドトラック
     「LUPIN THE THIRD PART Ⅴ〜SI BON ! SI BON !」発売 
     ルパンPART V~SIBON ! SIBON !小

     それともう一丁
     「LUPIN THE THIRD PART Ⅴ FRENCH」も。
     ルパンPART V~FRENCH小

● その他
 6/8(金) 金城寛文クインテット 菊川 な〜じゅ
 6/26(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
     市原はドラムの演奏ではなく司会と賛美リードです。

 以上、5月 6月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

—————————————————————

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・更新はしていません。
 以下は過去にアップしたものの一覧です、ご覧ください。

  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
  
2018.03.27.Tue 13:14 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1803-4-2.jpg


 ところで、、3,4月を飛ばしていきなりですが、TRIO’ツアー。5月にやります。
 5/13(日)〜24(木)、この間11カ所。日程が固まり次第ご案内させていただきます。なかなか遠出ができませんが、今回は東海地方からなんとか大阪、鳥取まで足を伸ばせそうです。後は新潟方面の新しいところでできそうです。どうぞお楽しみに。
 そろそろ毎回が貴重になってきました。意味、、わかりますよね。(笑) 一回々々を大切にしていきたいと思っています。みなさんとの出会いやお交わりも、悔いのない時間となるように心がけて行けたらいいかなと、、そんな風に思っております。TRIO’・・またまた変わってきています。どうぞご期待ください。

 以前にもご紹介しましたが、いよいよ角川映画シネマ・コンサートが、4月の13(金)と14(土)の二日間にわたって東京国際フォーラム ホールAにて開催されます。大野雄二と“SUKE-KIYO”オーケストラという特別編成のオーケストラ。Yuji Ohno & Lupintic SixとFujikochansを核に、スタジオミュージシャンの管とストリングスの猛者たちを加え、石坂浩二、松崎しげる、ダイヤモンド☆ユカイをゲストに招いてのコンサート。市原が本当にスタジオで活動を始めたばかりに立て続けに三本やらせいただいた映画、「犬神家の一族」「人間の証明」「野生の証明」の音楽を映像と共に再現。勿論音だけを聴いていただく部分もあります。チケットは「角川映画シネマ・コンサート」で検索ください。みなさまのお越しをお待ちしています。

 さて、3〜4月のライブ。。。

● 大野雄二関連
3/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 常陸太田市民交流センター
   3/13(火) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ大阪
   3/15(木) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ東京
   4/13(金),14(土) 角川映画 シネマ・コンサート/2days 東京国際フォーラム/ホールA
       大野雄二と“SUKE-KIYO”オーケストラ
   4/19(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
   4/27(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   4/28(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ       

● その他
3/9(金) 金城寛文クインテット 菊川 な〜じゅ
3/16(金) 直居隆雄トリオ 東京沼袋 Organ Jazz 倶楽部
3/20(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
4/17(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

  ということで、3月 4月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

—————————————————————

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・更新はされておりません。
 以下は当ブログで過去にアップしたものの一覧です、どうぞご覧ください。

  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
2018.02.16.Fri 22:48 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
1801-2.jpg


 2017年も一年、応援をありがとうございました。この年は惠美の母を天に送り、新年のご挨拶は控えさせていただいていますが、新しい年も多くの方々の応援や叱咤激励をいただきながら走り続けて行ければと思っております。演奏の場で、教える場で、芝居の世界で、また惠美関連でつながる多くの方々、ご近所のみなさん、家族、そして教会で。今年はさらに積極的に人との交わりを深めていくことができたらと、密かに思っております。だから、やっぱり、楽しみです、今年一年も。
 あっという間の2017年。特に10月から年末にかけては、私が若く忙しい時期に比べても引けを取らないくらいに多忙な時となりました。それにしても神様は時を支配されるのだなあと、つくづく思わされます。こうして忙しく演奏活動するのと、私が演奏者としての新しいスタンスを思いもかけないところに見いだす・・そのタイミングが見事に一致しているから、これは運命というような言葉では片付けられないなあと・・。しかしながら、今年の3月には68才。いよいよ「アラセブ?」です。充実した時を過ごしたいと思っております。

 さて、新年、1.2月のライブはTRIO’で始まります。が、あとはほぼ休息状態。その理由の一つに、4月の13.14日に東京国際フォーラム・ホールAにて開催される「角川映画シネマ・コンサート」というのがあります。http://kadokawaeiga-concert.com/about.html これもまた不思議な巡り合い。角川映画第一作目にしてミステリー映画の金字塔、横溝正史原作「犬神家の一族」。そして森村誠一原作の「人間の証明」と「野生の証明」。そのサウンドトラックを手がけたのが大野雄二。そしてこのすべてのサウンドトラックとアルバムのドラムを私市原が担当させていただいているんです。こんなことってあるのかしら・・というくらい、私にもドンピシャの催しなのです。この映像を見ながら、50人編成の「大野雄二と”SUKE-KIYO”オーケストラ」・・核になるのはYuji Ohno & Lupintic Six。タイトルの通りの「シネマ・コンサート」。勿論編曲はすべて大野雄二・・ということで、50人編成を一曲書くのにどのくらい時間がかかるのか見当もつきませんが、それを一曲ではなくて、20曲として・・。はい、もうすでにライブやってる場合じゃない状態。それで市原はちょっとお休みをいただけるという。自動的に毎月の大野雄二トリオも一部を除いてお休みです。ということで羽伸ばしの1.2月とさせていただきたいと思っております。

 1.2月のライブは・・TRIO’ 昨年暮れからのツアーの後半から始まります。こちらはお見逃しのないように・・。

● TRIO’ 2017.12〜2018.1 ライブツアー 後半 pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康
1/12(金) 前橋 まちなか音楽館
1/13(土) 熊谷 Jazz & Cafe Space1497
1/14(日) 東京・南青山 Body & Soul 日曜日ですのでスタートが7時となります。

● 大野雄二関連
1/28(日) 大野雄二トリオ 鎌倉・ダフネ
   2/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 東久留米生涯学習センター

● その他
1/23(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
2/19(月) ザ・萩谷組 六本木 キーストーンクラブ
2/20(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

 この間に東京音楽大学の入学試験があります。またライブなども追加になる可能性があります。ということで、新年1月 2月。どうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

—————————————————————

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・昨年11月に久々に出ました。
 興味がおありでしたら、目次を記しておきますので、ご覧ください。

  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
2017.12.29.Fri 14:12 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 1711談義

 
  【キリストは絵に描いた餅?】

 クリスチャンと言っても人によって、言うこともやることもずいぶん違うようです。いろいろなタイプのクリスチャンとの交流の中で、私は次のことに思い当たりました。

 クリスチャンというのはイエス・キリストという存在が自分の中に実現したとき以来、言うことややること、考えることが変わってきます。
 世の人々は、イエス・キリストが生きておられると言うと、結構すんなり理解してくれます。そう・・心の中にね・・みたいな感じで。イースターというのは「復活祭」であって、キリストがよみがえったことを覚え、祝うときなのですが、それもすんなり受け入れる。そしてもっと以前にクリスマスも・・という話になる。でもそれは亡くなったあの人が今もわたしの中に生きている、といったような受け止め方のように思います。しかし、キリストが生きておられるというのは、そのような観念的なこととは根本的に違うことなのです。

 私たちが「イエス・キリストという存在」という話しをするとき、それは絵空事でも、架空の人物でもなく、十字架にかかって死が確認され、墓に納められ、そして三日の後によみがえって、弟子たちに現れて、そして弟子たちの見ている前で天に昇られたイエス・キリスト。そして「わたし自身の代わりに助け手として聖霊を送る」と言われたイエス・キリスト。見よ、わたしは世の終わりまであなた方と共にいると言われたイエス・キリスト・・要するに「実存としてのキリスト」が人の内側に入るという出来事を通して、そこからいろいろな形で「実」を結び始める。それがクリスチャンです。

 ですから、伝えるべき一番大切なことは、イエス・キリストは絵に描いた餅ではなく「実存」であるという、その事実なのだと、そのように思うわけです。
 だから、たとえ何も知らなくても、主の御名「イエス・キリスト」を呼び求める者は実存のキリストに確実に近づいている者なのだということです。なぜなら、実存だから・・。実存するその存在は、呼び求めるその声を聞いているということです。すると「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる」という聖書・ローマ人への手紙10:13 のことばが突然リアルに響いてきます。

 キリストという存在が実存だからこそ、人には新しいことが起こる。敵を愛する者になるなど・・あり得ないことが起こる。全く信仰心のかけらもなかった者が神を信じるなどという・・これもあり得ないことが起こる。そこに本当のいのちがあるという、あり得ない認識に立つ者になる。これは思想や考えや努力などとはおよそ次元の違う出来事です。

 
 だから・・
 僕はいろいろなことをこのキリスト教談義で書こうとして来たけれどそれは、イエス・キリストは本当によみがえって生きておられる存在なのだと・・この一言に尽きるのだなと思いました。

 内におられるいのちなるキリストによって、神がおられると知り、自分が罪人であると知り、そのために神子を遣わして十字架につけられた父なる神のされたことこそが愛であると知り、さらには自分が無力な人間であることを知り、心の内にある闇も知ることになる。そして癒やし、憎しみからの解放、恐れからの解放、安息を実体験するわけです。さらに、こういう話がわかってしまうという・・それは奇跡だと思います。それはキリストが実在だからこそ起こることだというわけです。

 キリストは実存です。


付記・キリスト教談義は「その11」を書いて、ずいぶん時間が経ってしまいました。「出エジプト記」について長々と書くという流れになっていたのですが、なぜかストップ。でも、今回のようなことを書くと、そのストップの意味がなんとなくわかったような気がします。予告とは全然違う今回のキリスト教談義。これも実存のキリストがなせるわざなのだと思います。
 
<バックナンバー>
11.聖書の目的 2017.5.11
10聖書を読むと何がわかるのか 2017.4.24
9.クリスチャンはどういう風な仕組みの人間か 2017.1.20
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
 
2017.11.21.Tue 09:43 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
      1711.jpg
 
 もう年末であります。今年はなんだか馬車馬のように、ライブ、コンサートを続けて参りました。そして来年の4月にある角川シネマコンサート。当時の角川の作品群は私にとっても記念碑的な作品でもあります。それを大野雄二オーケストラ、即ちルパンティック6を核として、ホーンセクションとストリングスの考えられる限りの豪華な編成でやるというのです。要は私も参加するわけで、こんなことって・・あるんですね。私は現在67歳です。20代の頃、ミュージシャンの先輩で40歳と言えば、もうベテラン中のベテランで、その上はなかった(笑)。でも今は私より10も上で、まだバリバリ活躍しておられる方もたくさん。大野さんもその一人です。いつまでもお元気で活躍していただきたいものです。

 さて、久々の本家 TRIO’・・。年内にもう一度できることになりました。そして年が明けて一月にも。しかし今回も遠出ができず、年末三回、翌年1月に三回の計6回です。関東周辺のみとなりますが、やっていなくても進化しているTRIO’・・確かめに足をお運びいただけたら嬉しい限りです。大野バンド関連で演奏回数が増えることによって、市原は今頃になってもまだまだ新しい気付きが与えられています。それがTRIO’にどのように反映するか・・私自身もちょっと楽しみです。皆様のお越しをお待ちしております。

● TRIO’ 2017.12〜2018.1 ライブツアー pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康
12/7(木) 横浜 KAMOME live matters
12/9(土) 市川・本八幡 cooljojo jazz+art
12/12(火) 東京・代官山 LEZARD(レザール)
  2018年
1/12(金) 前橋 まちなか音楽館
1/13(土) 熊谷 Jazz & Cafe Space1497
1/14(日) 東京・南青山 Body & Soul

● 大野雄二関連
11/11(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 倉敷市民会館
11/13(月) 大野雄二トリオ/Let’s Fall In Jazz リリース記念 横浜 モーションブルー
11/16(木) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
11/17(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   11/19(日) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 坂東市民音楽ホール
   11/23(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
   12/3(日) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
   12/21(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
12/22(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   12/26(火) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 大阪 新歌舞伎座
12/27(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 名古屋 ブルーノート

● その他
11/3(金) 市原康トリオ 森のジャズ祭 石神井松の風文化公園 出演時間は15:40-16:10
11/4(土) 古野光昭トリオ 蕨 アワーデライト
11/10(金) 直居隆雄トリオ 沼袋 オルガンジャズ倶楽部
11/12(日) 白根真理子ライブ 横浜 カモメ
11/24(金) 金城組 六本木 サテンドール(場所をご確認ください)
12/8(金) 金城寛文5 菊川 な〜じゅ
12/14(木) 萩谷組 六本木 キーストーンクラブ
12/23(土) 国分寺・ジーザスコミュニティー ジャズ&ゴスペルコンサート

● 歌声ペトラ関連
11/21(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
12/5(火) 歌声ペトラ20周年記念 お茶の水クリスチャンセンター 8F チャペル

 ということで、11月12月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・まだ次が出ません。
 このキリスト教談義は今まで11回書きました。もし興味がおありでしたら、ここにその目次を記しておきますので、ご覧ください。
 その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
 その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
 その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
 その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
 その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
 その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
 その7「助けを求める心」2016/11
 その8「クリスマス・・それは」2016/12
 その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
 その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
 その11「聖書の目的」2017/5
 ・・これらは当ブログにて、年月の検索で出てきます。
 
 
 
 
2017.10.22.Sun 00:26 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
大久保明カルテット 9/15(金) 東京・自由が丘 マルディグラ

g,大久保明、ts,小池修、bass,伊藤昌明、ds,市原康 という、スタジオミュージシャン系のメンバーというのでしょうか。もちろん小池修はスタジオ以外でも実力ナンバーワンの天才バカボン的・・何と言ったらいいのか。来場者にミュージシャンたちが異常に多いのが特徴。一度お立ち寄りいただけましたらこの上ない喜び・・。
2017.08.26.Sat 11:22 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
1709-10.jpg
 
 9-10月というと、もう秋ですが、今はまだとんでもない異常気象の中、暑さと雨に翻弄されている毎日です。昔はこんな異常な雨が局地的に降ることが「日常的」にあったなどという記憶は全くないのですが、それが気象予報の精度が以前よりも増したからなのか、本当にこんなに局所的に異常な雨が降ることが今起こり始めたのか・・。そうだとしたら何か地球規模の大きな変化の予兆で、そんなことをぼ〜っと見ていながら、あれよあれよという間にとんでもなく荒れ狂った地球の中で生き延びなければならなくなっているということも、あり得ないことではないような気がします。
 「この天地は滅び去ります」「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだ」「洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。」(マタイの福音書24章 35-38の中からの抜粋) ・・こんな聖書のことばが10年前より遥かにリアルに感じるのは私だけでしょうか。
 それでも尚、私たちは毎日をしっかり、誠実に生きることが求められています。でも何に対して誠実なの?と問われたとき・・ちょっとしたことで揺れ動くような人の意思や良心や単なる思想とかに対する誠実かと問えば、それは大概空しい結果になることは透けて見えてくる。誠実という言葉を思うのであれば、それは不動のものに対してでなかったら、たぶん言葉自体に意味がなくなるのではないでしょうか。わたくし的には、天地万物を造られ、最初から最後までの計画をしっかり聖書に表し、ご自身の愛を人に知らしめた神という存在しか不動の存在などというものは思い当たりません。では答えが神に対する誠実なのだとして・・、果たして私たちにはそんなことをする力があるのだろうかと考えると、そんな力はどこにもないよ・・となる。じゃあダメじゃん! ・・ところがそれには答えがあった。これって、すごいパズルだなといつも思うんです。聖書はそのことを明確に書いている。私はそれを見たもんで、こんな一介のドラマーでありながらも、神だのキリストだの聖書だのと、、うるさがられるのはわかっていながら、いろいろな形で皆さんにことばを投げ続けているわけです。

 さて、9-10月のライブですが・・、大野雄二関連が多くを占めます。

大野雄二関連
  9/9(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 飯能市市民会館
  9/17(日) 大野雄二トリオ 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」
  9/21(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水「NARU」
  9/23(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans
    富士急ハイランド コニファーフォレスト オーガスタキャンプ2017 スペシャルゲスト
  9/29(金) 大野雄二トリオ 東京新宿「ジャズスポット”J”」
  9/30(土) 大野雄二トリオ 前橋市民会館
  10/4(水) 大野雄二トリオ 名古屋 jazz in LOVELY 2days
  10/5(木) 大野雄二トリオ 名古屋 jazz in LOVELY 2days
  10/7(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 浦安市文化会館
  10/8(日) 大野雄二トリオ 東京お茶の水「NARU」
  10/9(月) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 室蘭市文化センター
  10/12(木) 大野雄二トリオ 大阪 Mr.Kelly’s 2days
  10/13(金) 大野雄二トリオ 大阪 Mr.Kelly’s 2days
  10/15(日) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
  10/19(木) 大野雄二トリオ 東京新宿「ジャズスポット”J”」
  10/22(日) Yuji Ohno & Lupintic Six なかのゼロ大ホール
  10/28(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 佐賀市立東与賀文化ホール
  10/29(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 佐賀県鹿島市民会館

岩渕まこと デビュー40周年記念ライブ 9/8(金) 東京新宿・曙橋 BACK IN TOWN

大久保明カルテット 9/15(金) 東京・自由が丘 マルディグラ 9/15(金)

菊池ひみこ/DOUBLE QUARTET ALVE 9/28(木) 東京・目黒 ブルースアレイジャパン

歌声ペトラ関連
  9/2(土) 歌声ペトラ in 古河 10周年スペシャル 茨城県・古河キリスト教会
  9/26(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
  10/24(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

 そして、10/18(水)〜22(日) の5日間、市原がはじめから参加させていただいている黒鯛プロデュースの芝居の第15回公演があるのですが、無念なことに、スケジュールが合わなくて欠席。ただ、10/20(金)だけ「ちょい出」します。そのためだけでもかまいません(笑)。。来てください。毎年のごとくライトコメディー。今回は黒鯛版「恋の骨折り損」・・なんかおもしろそう。東京池袋 シアターグリーンです。

 ということで、9月10月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・続きを書きますと意気込んでおりましたが、何も出てこない(笑)。 こればっかりは、知識をまとめたから出てくるというたぐいのものではないので、しばらく忘れててください。第1回から11回までを読み直していただいてもおもしろいかもしれません。次回、いつになるかわかりませんが、お楽しみに。
 
 
 
  
2017.08.09.Wed 14:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
告知当初の情報に、8/30(水) 東京六本木・ビルボードライブ東京・・Yuji Ohno & Lupintic Six が抜けていました。不手際をお詫びいたします。

 1707-1.jpg

 6月のTRIO’、2017ライブツアーvol.1と銘打って全行程を終えることができましたが、今年はどうもvol.2は無理のようです。また来年・・。お目にかかりましょう。今年は聴きに来てくださった方々の声から、今までとはまたひと味違うTRIO’を感じ取っていただけたという感触を得ました。三人それぞれの音楽性が変わったと言うことよりも、その関係が変わったと言うことなのだと思います。そういう意味ではドラムは要のところにいる楽器です。簡単に言ってしまえば、音楽を壊すのも建て上げるのもドラム次第だという・・。他の二人がどんなに優れた演奏家でも、ドラムがその邪魔をすればその音楽が崩壊する。そういう意味では、この13年間のTRIO’の変遷は市原の変遷と言っても良いのかもしれません。試行錯誤の中でドラムのいるべき位置を今も探し続けて、その都度、ああここまで来れたと思う・・。でもいつもまだ先があることを知らさせる。自分に与えられているものが本当に生かされるためには、それを神に捧げてしまうことが必須なのだなと思わされています。神に捧げるなど、大それた表現ですが、それは自分と神と、どちらに期待をかけているのかという単純な話であって、常識ではあり得ないことですが、「神に期待する」・・それが市原が立とうとしている位置です。

 話はルパンになりますが・・、6/21にYuji Ohno & Lupintic Sixの3枚目のアルバムが発売になりました。Lupintic Six に加えて、Fujikochansや豪華な管弦打のフレンズを迎えての「RED ROSES FOR THE KILLER」。ご期待を。。。市原もライブなどで持って歩いていますので、お求めください。

 RRFK LP6-ss

 リリースインタビューはこちら。
 http://realsound.jp/2017/06/post-85016.html


 同時に先日ルパン40周年のライブの模様を使用してのプロモーションビデオが YouTube で公開されています。こちらからどうぞ・・
 https://youtu.be/MrkJUy381wE


7-8月も市原にしては結構忙しいです。ジャンル別にご紹介しますと・・。

● TRIO’ 関連・・今年はこれにて打ち止めとなりそうです。

● 大野雄二 & LUPINTIC SIX / 大野雄二トリオ
  7/6(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 札幌・わくわくホリデーホール
  7/7(金) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 旭川・市民文化会館
  7/8(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 北見・市民会館
  7/16(日) 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」・・トリオ
  7/20(木) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  7/27(木) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  8/3(木) 大阪・ビルボードライブ大阪・・Lupintic Six
  8/11(金) 足利・市民プラザホール・・トリオ
  8/12(土) 桶川・市民ホール・・トリオ
  8/16(水) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  8/25(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  8/26(土) 東京柴崎「さくらんぼ」・・トリオ
  8/27(日) 福島・棚倉町文化センター・・Lupintic Six
  8/30(水) 東京六本木・ビルボードライブ東京・・Lupintic Six
  8/31(木) 名古屋・金山/日本特殊陶業市民会館フォレストホール・・Lupintic Six

● 菊池ひみこトリオ 7/4(火) 中目黒・樂屋(ラクヤ)
● 直居隆雄トリオ 7/14(金) 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部
● まきみちる & タイムファイブ 2days
  7/21(金) 東京・芝 ザ・プリンスタワー東京 メロディーライン
  7/22(土) 東京・芝 ザ・プリンスタワー東京 メロディーライン
● 歌声ペトラ 7/25(火),8/22(火) 普段着の賛美歌を歌う会。市原は司会とソングリードで、ドラムの演奏はありません。
● 金城寬文5 8/4(金) 東京・菊川 な〜じゅ
● 塚山エリコ オルガン4 8/17(木) 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部
● JAZZ & Gospel コンサート 8/19(土) ジーザスコミュニティ国分寺

 ということで、7月8月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」第11回【 聖書の目的 】を5/11付けでアップしています。一般的に受け止められている聖書のイメージとは、かなり違うと思います。
 
 
2017.06.24.Sat 11:13 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
   1705談義2-1
 
 これを読まれる方は、キリスト教談義10「聖書を読むと何が分かるのか・・」を先ず読まれることをおすすめします。今回の「聖書の目的」は、その付記です。
 
聖書は色々な読まれ方、取り扱い方をされてきました。道徳の書だったり、歴史の書だったり、また世界一のベストセラーということで博識、教養のために読まれたり、、。
私は前回、聖書に馴染みのない方々のためにと、少し長い文章を書きました。この文章には、私には当たり前のことですが、読まれる皆さんには必ずしもそうではないひとつのポイントがあります。それは神を認めるという基本的な立場です。聖書の全体を見渡せばわかることですが、聖書とは天地創造の初めから終わりまでの、神の計画が記されている書物です。ですから、神を認めるというところに立たなければ、聖書のことばはほとんど意味を持たなくなってしまいます。私は、聖書の本質は「神のことば」だと言って良いと思っています。勿論聖書は人が書いたものですから、その中には人の思いで書かれている部分もありますが、全体を見れば、それは圧倒的に神のことばです。
 
いくら熱心に聖書を読んでも、ことばがまったく頭に入ってこないということが往々にしてあります。あなたがもし、聖書のことばを神のことばとして認めていなかったら、聖書とは何の接点も持てないと思います。そのような場合におすすめしたいことがあります。それは聖書のはじめのことば、「初めに、神が天と地を創造した。」を、先ずはそのまま受け止めて読み始めるということです。神「が」、天と地を「創造した」・・と。そのとき、神の天地創造という壮大な空間と時間の流れの中で、「神の言葉」を聞くということの意味を垣間見ることができるかもしれません。
 
聖書にはその全体を通して示しているひとつの存在があります。それはイエス・キリストです。旧約聖書の中には、やがて来たるべき王=メシヤ(救い主)に関する預言が星のように散りばめられています。そのメシヤが実はイエス・キリストだったのだというところに立った瞬間に、聖書が創世記から黙示録まで一本の太い線でつながります。聖書は「神のみ子イエス・キリスト」について書かれた書物なのです。そこを外すと不毛な論争や議論になったり、聖書が単なる道徳や歴史の本といった、多くの書籍の中の一冊にしか過ぎない、ありふれた存在になってしまいます。
 
聖書は神の霊感を受けて書かれたものだと、聖書の中に書かれています。(新約聖書 テモテへの手紙 第二 3章15-17節 参照) それは、聖書は神が書かせたものである、という意味に他なりません。そしてその目的は何かと言えば、神が人々にご自分のみ子「イエス・キリスト」を知らしめ、そのみ子を通して人々をご自身のもとに帰らせることです。そのために聖書がこの世に置かれているのです。それが達成されれば聖書はその役割を果たしたことになります。また達成されていないのなら、その目的のために今も聖書は人の前に置かれているわけです。これが聖書の目的であり、それは即ち「神の目的」だということになります。
 
次回の「キリスト教談義/その12」は出エジプト。映画でも海が開けるシーンでおなじみだと思います。奴隷となってしまったイスラエルの民をエジプトからの解放に導くモーセの話・・。ここに実は、世の初めから終わりまでの、神の計画の全体を凝縮したひな形があります。結局次回も「その10/聖書を読むと何がわかるのか・・」の続きとなりそうです。
  
  
<バックナンバー>
10聖書を読むと何がわかるのか 2017.4.24
9.クリスチャンはどういう風な仕組みの人間か 2017.1.20
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
2017.05.11.Thu 23:57 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
     1705-2.jpg

 
 あっという間に5月。5〜6月は市原としては超多忙な演奏月間となっています。2ヶ月で26箇所というのはどうなんでしょう。ひとつひとつをしっかり丁寧にこなしていけたらと思っております。こんなに多いのは、大野雄二/ルパンに加えて、いよいよ始まります。TRIO’ 2017 ライブツアーvo.1。11回公演。その他も含め、二日に一回に近いペースでやることになります。忙しいジャズミュージシャンは月の内ほとんど毎日やっている人もいますが、私などは、からだのことを考えますと、ちょっとあり得ない・・。取り敢えず、この二ヶ月を元気いっぱい乗り越えたいと思っています。TRIO’は久しぶりで、今回は又々どんな音になりますか、、私自身が楽しみにしています。どうぞみなさまも期待してお越しいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 グループ別にライブをご紹介します。

● TRIO’ 2017 ライブツアー vo.1
  5/30(火) 名古屋・ミスターケニーズ 
  5/31(水) 浜松・ポルテシアター 
  6/1(木) 安城・花むすび 
  6/2(金) 静岡・ライフタイム 
  6/3(土) 東京浜松町・サンミケーレ 開成ライブ/ゲスト・市原ひかり 
  6/6(火) 横浜・KAMOME 
  6/8(木) 長岡・クックテールくぼた 
  6/9(金) 軽井沢・ならの木 
  6/10(土) 東京・LEZARD
  6/15(木) 高崎・ケイノート 
  6/17(土) 足利・Soba & Cafe 手打ちそば 伊とう
 合間の6/16(金)には、堀内実智代さんvo.のCD発売記念ライブを富岡ブルーベリーで行います。ピアノが山口泰一郎、ベースが森泰人です。市原康はスペシャルゲストだそうです。穴があったら入っちゃうかも知れません。(笑)

● 大野雄二トリオ/YUJI OHNO & LUPINTIC SIX
  5/6(土) 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」・・トリオ
  5/14(日) 東京鶯谷「キネマ倶楽部」ルパン三世のテーマ・誕生40周年記念 コンサート
       ・・Lupintic Six 完売
  5/20(土) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  5/25(木) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  5/27(土) 豊中市文化芸術センター・・Lupintic Six
  6/4(日) 長野市芸術館・・Lupintic Six
  6/18(日) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  6/24(土) 八王子市芸術文化会館・・Lupintic Six
  6/25(日) 東京柴崎「さくらんぼ」
  6/30(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ

● 金城寛文クインテット 5/12(金) 東京菊川「な〜じゅ」
● 突撃おたま苦楽部 CDリリース1周年記念ライブ 5/21(日) 穂の国とよはし芸術劇場
● 歌声ペトラ 5/23(火),6/20(火) 普段着の賛美歌を歌う会。市原は司会とソングリードで、ドラムの演奏はありません。 

 ということで、5月6月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」第10回【 聖書を読むと何が分かるのか・・】を4月24日付で当ブログにアップしました。あなたの想像している聖書とは、かなり違うと思います。
 
 
2017.04.29.Sat 17:21 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
1704談義1


 聖書に関する知識は、みなさん多少ともおありになるのではないかと思います。私は40年近く聖書を読み続けていますが、ここに書かれている神について、人について、神の愛について、神のご計画というものについて、読めば読むほどその概要がしっかりはっきり見えてくるようになりました。1600年にもわたって書かれた66巻の聖書の著者は、師弟関係でもないのに、そこに貫かれている一本の太い線は、1ミリたりともぶれることはないということが、ますます見えるようになってきました。そんなことがあり得るのは、この聖書を書かせたのが人の伝承や知恵によるのではなく、ただおひとりの神というプロデューサーが書かせたからに他ならないということを思わされます。「神を信じるなんて、あり得ない!」というあなたにこれを贈りたいと思います。


■ 聖書には何が書かれているのか 

1. 世の初めから終わりまでのストーリー
 聖書の冒頭、創世記1章1節には私たちの「当たり前」を根底からひっくり返すことばが書かれています。それは・・「神が天地万物を創られた」、ということです。しかも「初めに」です。そして天地創造の始めから終わりまで、そこには神の計画があるというのです。始めるのも終わらせるのも神ということです。「終わりの時」には地も天もあとかたもなくなり、死んだすべての者を神はよみがえらせて、いのちの書に従ってその行いに応じてさばかれる。そしてご自身のもとに帰った者たちのために、「彼らの目の涙をすっかぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。何故なら以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」・・という新天新地を実現されるというのです。「始め」から「終わり」まで、聖書にはかなり具体的なストーリーが書き記されています。

2. 旧約聖書のメシヤ預言
 旧約聖書には、メシヤ(救世主)のことが、創世記から最後の預言書までの中に絶えず出てきます。預言は後半にある16の預言書の中だけではなく、最初の五つのモーセ五書や詩篇やそのほかの書物の中にも記されています。預言とは未来を言い当てる「予言」のことではなく、神から預かって民に伝えられることば「預言」です。ですから預言にはその当時のこと、主に民の悔い改めを促す預言や、そのために起こるであろう近未来の出来事、それからイスラエル民族の将来の歩み・・民族の崩壊、離散のことなど、そして来るべきメシヤ=救世主のことなど、様々な預言があります。それらはみな、神と民との関係を健全なものへと導くためでした。メシヤに関しては、誕生、また受難(十字架)、その後の復活、そして世の終わりが近づいた時の大艱難、裁き、メシヤが再び来られる時、新天新地のことなどが旧約聖書全体に散りばめるようにして出てきます。しかし厄介なことに、これらのことが時間軸に沿って書かれていれば良いのですが、イスラエル滅亡の時代の事と終わりの時のこととが入り混じって出てきたり、ひとつの記事がその両方を意味していたりするのです。だから解説なしにいきなり旧約聖書を読んでも、分かりにくいところが多いと思います。

3. 今の時のために与えられている預言
 そしてこのメシヤこそイエス・キリストであると証言しているのが新約聖書です。イエス・キリストの降臨は、旧約聖書のモーセ五書や預言書に書かれている通りに実現しました。たとえば十字架の様子が克明に記されているイザヤ書 (53章など)はイエス・キリスト降誕の700年も前に書かれたものです。鎌倉時代に今のことを書いた書物があって、それが目の前で起こったという状況です。ところがイエス様が公生涯を送られた当時のユダヤ人、またその教職者たちの多くは、目の前に現れたイエス様が預言書に書かれているメシヤだとは思いませんでした。こんなにはっきり書いてあるのに・・です。そして聖書には「終わりの時」のこともはっきり書かれています。しかも今より2000年前に、あるいは3000年前に・・。私たちはそれをどのように受け止めるのでしょうか。

4. 特別な民イスラエル
 この全体のストーリーのために神は一つの民族を立て、特別な配慮の中で守られ導かれてきました。しかしそれにもかかわらず、彼らは神に背を向けて自分たちの手で作った偶像を拝むようになり、神の怒りを招き、そこで初めて悔い改めて神の赦しを頂く。そしてようやく平安と繁栄を回復したと思ったら、また背信の罪を犯す。これを何度も何度も・・どうしてそこまで繰り返せるのかというほど繰り返し、最後にはとうとう世界中にちりぢりばらばらに散らされてしまうのです。これが今も世界が注目するイスラエルの民です。本来12部族あったのですが、10部族は失われ、ユダ族・ベニヤミン族の末裔がユダヤ人として残ったのです。しかしこのことも神のご計画には織り込み済みで、しかもそれが地上のすべての民族を救うために与えられている一つのステップであると、聖書には記されているのです。


■ 神と人との関係を聖書はどのように説明しているのか

1. エデンの園の出来事 
 聖書はまず最初に、天地万物は神が造られたと宣言し、「神にあって歩む」という特別な存在として人を造られたことが記されています。ところが人の歴史が始まった途端、最初の人は神の言葉を疑うように悪魔にそそのかされ、その言葉を真に受け、神から離れて自分の考えで歩もうとするようになります。人は食べることを禁じられていた「善悪の知識の実」を食べた・・即ち善悪の知識を自分の管轄下に置くことに決めて、神に背いたのです。そしてその結果どうなったかというのが、あのエデンの園を追放されたアダムの話です。それ以来、人は善悪の判断を自分の感覚で行ない、神という存在を自分の外に置くようになってしまった・・。言い換えると「神が言われることを聞きたくない人。自分を造られた神を認めたくない人」になってしまったのです。それがエデンの園を追放されたアダムとその子孫、すなわちすべての人の姿です。エデンの園は、神にあって生きる者のために備えられたところなのに、人はそこで生きる資格を失ってしまったというわけです。さらにそこから人に「死」が入ったのだと書かれています。これも驚くべきことです。本来死はなかったの?という話です。確かにこの出来事の後に「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。」と、ここで初めて土に帰る者となったことが書かれています。すなわち、死が人に入ったのだと聖書は言っているわけです。
ということは、あのエデンの園で神にあって歩んでいたそのことは、実はいのちそのものなのだということを暗示しているとも言えるわけです。

2. 神のあわれみ
人はエデンの園から追放されてしまいました。そして人と神との関係が前とは変わってしまいました。それ以来人は、生きてはいるけど「まことのいのち」からは離れてしまった・・。ところがそんなアダムと妻エバのために、神は皮の衣を作って着せて下さったと書かれています。神は、アダムとエバをエデンの園から追放したものの、彼らをお見捨てになったわけではありませんでした。結局人と神との関係はどういう風になったかというと、人は神を認めずに自分の考えで歩みたいという性質を帯びながらも、神のあわれみの中で生かされる者としてその歩みを始めたということになります。これが神と人との関係の基本的な「型」で、これが神の決められたストーリーの始まりだというわけです。

3. 罪びと
 こうして人は神に背を向けてしまう罪びと、そして死を背負って歩む者として、その歩みを始めるのです。神が人を造られたのなら、神を認めようとしないのは神に対する一番の大きな罪です。そしてそこには、神の御心ではなく、感情を土台とした自分の考えに従う行動があります。人は罪を犯したから罪びとと言われるのではなくて、神から離れ、自分の考えに従って歩む罪びとだから、結局罪を犯すのです。これを証明するような出来事が次から次へと起こってきたことを聖書は記しています。アダムは罪びとの元祖というわけです。早速アダムの子カインは、弟アベルを殺します。しかも嫉妬というささいな理由で・・。これが、自分の感情の方を人の命よりも上に置いてしまうという、罪びとのあわれな姿です。 

 あの有名なバベルの塔の話は、人が天に届く塔を作って名をあげてやろうという、自分の栄光をどこまでも求める人間の話です。そこにある神不在の高慢。その高慢の極みのゆえに神の怒りを買い、互いのことばが分からなくなり、人々が地の全面に散らされてしまったという出来事です。現在サウジアラビア・ジェッダで1km超えの高層ビルの建設が始まっています。それと競うようにしてドバイでは、完成するまで高さを発表しないというビルが建設される予定だそうです。人が神から離れて求めるものは、今もバベルの塔の時代もなんら変わらない、自分の栄光です。これも罪びとの本質を象徴している出来事なのではないでしょうか。互いに話していることが通じなくなる時代・・。なんだか他人事のようには思えません。
 神がおられるなら栄光は神に帰すべきもので、崇められるべきは人ではなく、神なのです。「神」と「人」との関係・・それを一言で言えば「まことの神」と「罪びと」です。しかも、神のあわれみと愛と導きの中で生かされている「罪びと」です。


■ 神の最終目的は何なのか

1. 救出
 創世記の6章にはあの有名なノアの箱舟の話が出て来ます。神は人々の余りの悪さのゆえに、主の心にかなっていたノアとその家族だけを選び、箱舟を造らせ、ひとつがいの動物たちと共に箱舟の中に避難させます。そして神は地球規模の洪水を起こし、箱舟に入っているノアとその家族だけを救い出し、新しい歩みをはじめさせたという出来事です。ここを読むと、当時の人の世界はそれほどに、神の聖さからはほど遠い社会になっていたということが推察出来ます。罪にまみれた世界の、神によるリセットです。そこは堕落と暴虐の満ちた世界だったと書いてあります。そしてそこに生きる人々の中から、神に目を向ける者を救い出されるという・・、これは「終わりの時」を表すひとつの型です。

 聖書は人を「自分の罪の中に死んでいる者」と表現しています。またこの世についても、サタンが空中の権威を持つ支配者として存在することを神は許しておられると。そしてその霊的な力の流れの中で人々は歩んでいて、そのことにまったく気付いていないのだと言っています。そしてそこからの救いの計画・・それが聖書の大きなテーマです。(聖書・エペソ人への手紙 6章 11-12節参照) 

 黙示録には、終わりの時のことが書かれています。そしてそれは旧約聖書のエゼキエル書、ダニエル書、ゼカリヤ書その他にも書かれており、またイエス様も実に多くの箇所でそのことに言及しています。イエス様が語られた「神の国」のくだりは、ほとんどがこの事と関連しています。そして驚くべき事に、この話が各書物それぞれ、書かれた時代が異なっているのに一貫しているのです。

2. サタンの正体
 さて、なぜ神はサタンという存在を許しておられるのか・・という疑問が出てきます。エデンの園にサタンがいなければ、人は神の楽園の中で永遠に喜びの中で生きられたのに・・。神は何故、悲しみと苦しみの時代を作られ、何千年もサタンという存在が関与するこの世の歴史を用意され、そして最後にふるいにかけて、選ばれた人に新天新地を用意されるというようなことをなさるのでしょうか。
今の世はサタンの思惑通りに、人は神から離れ、罪の中で苦しみ、そしてついには死という報酬が定められている・・。そんな状態が人の歴史を通してず~っと続いているわけです。

神に仕える「天使」とか「御使い」とか言われる存在が聖書には出てきます。イエス様をみごもるはずのマリヤに現れて祝福を告げる御使いガブリエルはその代表です。聖書は天使の存在を随所で語っています。そしてもうひとつ。神に仕え、神をほめたたえるのがその大きな役割であるはずの天使が、神の栄光ではなく自らの栄光を求める者へと姿を変えてしまった存在。即ち、神が崇められることをきらい、人が神と共にあって神を喜び、神を崇め、まことのいのちの中に生きるようになることを最もいやがる存在。そして人の世を支配し、人の心の目をくらまし、神が見えないように策の限りを尽くし、罪と死と恐れの中に人を閉じ込め、互いに憎み合い殺し合うようにし、さらには人々が自分を崇めるようにする・・、これが究極の目的であるという霊的な存在。そのような存在が実際にあって、聖書ではそれをサタンとか悪魔とかいう言葉で表現しています。そしてこのサタンはこの世の最後の時まであがき続け、そして最後には火の池に投げ込まれて永遠に苦しみを受けると書かれています。

3. 人の尊厳
 どうして神はこんなストーリーを作られたのか・・。その答えは聖書には書いてありません。神はこういう状態の中から人々を救い出し、まことのいのちである神のところに帰らせる・・というところまでしか書かれていないのです。
 そこで私の頭に浮かぶのはこんなことです。もしサタンがいなくて、人がエデンの園で増え広がったとしたら・・。神は人に、ひとつだけ生きるための条件を教えました。人は善悪の知識の木の実さえ食べなければ神と共に生きる者でいられたのです。平安の中で、永遠に・・です。私は、犬のあの表情を変えない幸せ感というか・・あれが大好きです。自分が与えられた環境を素直に受け入れ、とにかく主人を喜ぶ。人がいつもこのようでいられたら、かなり幸せなんじゃないかと思います。エデンの園のことを思い浮かべると、私はそんなアダムの幸せな姿が目に浮かんできてしまいます。
 ところで、神はそういう幸せの中に人を置くことだけを目的としてアダムを作られたのでしょうか。聖書には、神は人を「ご自身のかたちとして創造された」と書いてあります。動物とは基本的に違うもの、神のかたちに作られたと書かれています。神は人を、ただ素直に喜びすべてを受け入れる生活を続ける者というだけでなく・・実はそれも難しいことなのですが、さらにそれ以上の、意志と尊厳を持ち、創造的な活動をする存在として、そして何よりも神を知るべき者として人を作られたのではないでしょうか。

4. 神のご計画の骨子
ここでもう一度、神のご計画の始めから終わりまでをざっと見てみますと・・。神が天地万物を造り、人にエデンの園という、神と共に生きる理想郷を与えたあと、アダムはエデンから追放され、皮の衣を与えられた。後に人は増え広がり、神は「わたしが神である」と、アブラハムに始まりイスラエルの民に、ずっと言い続けて来られました。それにもかかわらず、彼らは神を受け入れきれず、結局警告されていた通りの呪いを受け取り、外国に攻め込まれて捕囚の身となり、最後には世界中にちりぢりばらばらになるという道を選択してしまいます。それと重なるようにして、神はメシヤ=御子イエス・キリストを世に送られ、「選民」イスラエルだけではなく「すべての国民、民族」の救いの用意をされた・・。それからイエス・キリストによる救いが全世界に宣べ伝えられ、現在に至っている・・。ただし、キリストによる救いの知らせが世界中に宣べ伝えられたと言っても、この世がサタンの支配から解放されたということではありません。救いとは、罪と死とこの世を支配するサタンからの個人的な解放、そして帰れなくなっていた父なる神のみもとに戻ることです。それはイエス・キリストによって実現しました。しかし、神のご計画にはまだこのあと、後半があります。
 1948年、突然イスラエルが国として復活しました。そしてこのイスラエルに位置するハルマゲドンが、悪魔が捕らえられ底知れぬところに投げ込まれるという出来事の舞台になると、黙示録にあります。(20:2-3) 神は最後の段取りまで、特に終わりの時の様子を克明に示されています。その舞台である「イスラエル」が1948年に突然現れたわけです。が、まだ神殿が現れていません。あのエルサレムの神殿跡の金色の岩のドームと言われているところが本来の神殿があるべき場所です。現在のドームはイスラムの礼拝場です。ここに神殿が再建されること、そこに「荒らす憎むべき者」が立ち、自らの偶像をそこに据え、神殿を汚すという出来事が起こると書いてあります。またその前後に起こる大艱難のこと、またイエス様を信じる者が空中に引き上げられること、過去の死者がよみがえること、最後の天地の滅びの前に出現する千年王国のことなど・・。目まぐるしいほどの出来事が預言を通して語られています。この一見とりとめもないことが、過去の預言書や新約聖書のイエス様のことば、そして黙示録に出てくるのですが、そのすべてが矛盾なく読めるというのです。そしてこの最後の舞台に再びやって来られるのがイエス・キリストです。最終的には選ばれた民のために、今の天と地とは消え失せ、天のエルサレムが用意される・・というのです。

5. 神の恵み
 こうして見てくると、神は尊厳を持つ者として造られた「人」を、サタンが支配する過酷なこの世に置き、その中から神の国にふさわしい者を選び出すという流れが見えてきます。
神の国にふさわしい者?・・私なんかは絶対ダメだ、というのが普通の反応かも知れません。でもイエス・キリストは、そのふさわしくない者が神の国に入るために来られたというのです。大体ふさわしい者など、初めからひとりもいないと聖書は言っています。そのような私たちがただイエス・キリストを救い主と信じるということだけで、ふさわしくない者がふさわしい者になるというのです。神のなさることは人知をはるかに超えています。ふさわしくない者がふさわしい者として取り扱われるのです。そんなこと、この世の社会ではあり得ないことです。でも実は、神の恵みと愛を理解するポイントが、そして「愛し、許す者」と変えられるポイントがここにあるのです。

6. 狭い門
 イエス・キリストを救い主として信じる・・また、神を神として認める・・。これは、罪びとが最も不得意とするところです。では、この世の人々が神を認めるとしたら、それはどういう時なのでしょうか。聖書にこんなことばがあります。
 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。・・詩篇51篇17節 
 心砕かれた者・・。これが神の側に立ち返る者となるための「私たちの側の条件」のようです。イエス様は次のように言われました。
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。・・マタイによる福音書 7章13節

狭い門から入りなさいと言われています。狭いというのは入りにくいという意味です。神を認めるというのは、罪びとにとってはとてもやりにくいことです。求められているのはいとも簡単なことで、ただ鍵をそのまま受け取るということだけです。ところがそれだけは絶対にやりたくないと思う・・。その裏には、自分が神の前になにか差し出すことのできるものを持っているという思いがあるわけです。実態は何物も持ち得ない者であって、全てをただ神の恵みによっていただいている者であることに全く気づいていない・・これが罪びとの姿です。
プライドという言葉が思い浮かびます。「プライド」には何の根拠もないのです。このところ、「日本人としてのプライド」という言葉を頻繁に聞くようになりました。「あの時代」に持っていた日本人のプライドを取り戻そうという動きです。そして世界は戦争へと向かっている。プライド・・、それは自尊心であり、それにつながることばに国益という言葉があります。それは最終的に自分が生き残るという道を選択させるものです。自尊心とはもともと悪い言葉ではないと思います。本当の自尊心は「神に愛されている者」として自分を理解するところに健全な自尊心があると思うのです。神に愛されているという認識から来る自尊心ならば、他の人もすべて神に愛されている者であるというところに立つことができるからです。しかしプライドというものは自己を支えるものではあっても、他者が喜ぶようなものではないということは、少し冷静になればわかるのではないでしょうか。
 広い門とはこのプライドを残した門であって、その行く先は「戦い」であって、イエス様はそれを「滅びに至る門」だと言われているわけです。しかも、そこから入る者が多いとイエス様は言われました。プライドとはすなわち、神を認めない心なのです。

 上記の詩篇では、砕かれた、悔いた心こそ、神が認めてくださるものだと言っています。悔いるということは、自分に何か残念なことがあったということです。自分に残念なことがあって、そして心が、プライドが、自尊心が砕かれる・・。ああオレは完全にダメだと思うようなことがあったら、それは光の門への入り口かもしれません。
 もともと罪の支配の中に生きている者は、自分を堅い殻で守り、自分を外から攻め入られないように自分の力で守っているというのが、その姿勢の基本です。ですから勿論、それを自分で打ち破るなどという発想は出てきません。また何かの出来事を通して一度二度、それが砕かれるようなことがあっても、罪びとの殻というのはすぐに蘇生してしまうのです。
 その硬い殻にくさびを打ち込み、ついには完全に打ち砕いてしまったのが、あのイエス・キリストの十字架の姿です。あれは私たち罪びとのためになされたところの、私たちの代わりに完全に砕かれた・・その姿です。そして神は、私たちがそれを自分のものとして受け取ることが出来るようにしてくださったのです。

 狭い門・・、それは神が用意して下さったこの「完全に砕かれた肉と、死からよみがえったいのち」を無償で受け取る勇気を持つこと、と言えるのではないでしょうか。私たちにはそれ以外にこの門を通る資格はどのようにしても得られないのです。それを聖書では「信仰による義」と表現されています。すなわち、行いの報酬としてではなく、ただ信じて、この救いを信仰によって受け取ることによってのみ、義(神の前に正しい者)とされる、と言っているのです。何かやったから正しいということもないし、悪いことをしたから資格がないというのでもありません。これはもともと資格のない者を「正しい」とされる神の驚くべき方法であり、私たちはそれでしか正しいとされるチャンスなど、他にはないということです。それに対して支払われた代価は、神の御子のいのちなのであって、私たちが支払うにはあまりに高価すぎて、なんとかできるようなシロモノではないのです。

7. 神の最終目的
 それは、罪の殻の中でどうにも動きが取れなかった罪びとが、神が遣わされた御子による私たちの身代わりとしてのあがない・・すなわち、十字架の死とよみがえりのいのちそのものを受け取る事で、罪と死から解放されて、まことの父である神の元に帰ること。それがまことのいのちの意味であり、そのいのちにあって、父なる神を霊とまことを持って礼拝し、崇め、喜び、そのいのちに浸り、なんの陰りもない光と喜びの中に生きる人となる・・。これこそが、天の父なる神がお造りになりたい神の国の国民の姿であり、そこから引きずり下ろそうとする悪の力が働く余地の全くない神の国、新しい天と新しい地・・そのことの実現こそが神の最終目的ということになりそうです。そう考えるとこの始めから終わりまでのストーリーは、人がそういう者に変えられるために用意された舞台だったということになるのかも知れません。

イエス様は言われました。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。・・ヨハネの福音書 10章 7節
イエス・キリストご自身がまことの門だと、イエス様がご自分で語られたのです。もう一度書きますが、イエス・キリストという存在自体が「門」で、ここが神のもとへの唯一の入口だということです。
 羊・・それはどこが自分の本当の家なのかが分からなく、暗闇をさまよっている「迷える小羊」のことです。この迷える小羊のために、神がひとり子のいのちを与えてくださった・・。
これが神の愛のストーリーです。そしてこれが聖書全体を通して語られていることなのです。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの福音書 3章16節

それにしても、聖書は霊の目をもって読まなければ何も開けてこない、何も見えてこない、これはやはり神のことばなのだなあと思わされます。そしてもしあなたがそれを読み始めたのなら、そのこと自体が既に神の奇跡の始まりなのだと思います。なぜなら、すべての人は、神のことばを絶対に受け取ろうとしない罪びとなのですから。


<バックナンバー>
9.クリスチャンはどういう風な仕組みの人間か 2017.1.20
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
2017.04.24.Mon 01:35 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1703.jpg

 
 皆様いかがお過ごしでしょうか。市原、がんばってます。。。音楽環境が約40年逆戻りして、目を白黒させながら、やっと少〜し、落ち着いて参りました。現在の演奏活動は以前とがらりと変わりまして、レコーディングなども含めて半分ほどがルパン/大野雄二さん関連の活動となっています。ということは仕事量が以前の2倍になったということになります。この歳にしてはハードなスケジュールかなと思いますが、10才年上の大野さんを前にしては、口が裂けてもそんなこと言えません状態・・。これからはどれだけ力を抜いてやるかにかかっている・・ということになりますか。

 さて、TRIO’の方は春のツアーのスケジュールが出揃いました。5/30〜6/17の間の11公演となっています。メンバーの都合で、途中が空いてしまい、遠出が出来ない状況。それでもなんとか続けていきたいと思っておりますので、どうぞよろしく応援のほど、お願いいたします。ざっとご紹介しますと、
  5/30(火) 名古屋・ミスターケニーズ 
  5/31(水) 浜松・ポルテシアター 
  6/1(木) 安城・花むすび 
  6/2(金) 静岡・ライフタイム 
  6/3(土) 東京/浜松町・サンミケーレ 開成ライブ/ゲスト・市原ひかり 
  6/6(火) 横浜・KAMOME 
  6/8(木) 長岡・クックテールくぼた 
  6/9(金) 軽井沢・ならの木 
  6/10(土) 東京・LEZARD
  6/15(木) 高崎・ケイノート 
  6/17(土) 足利/織姫山荘・Soba & Cafe 手打ちそば 伊とう
 となっています。今からご予定に入れていただけましたら幸いです。
 尚、合間の6/16(金)には、堀内実智代さんvo.のCD発売記念ライブを富岡ブルーベリーで行います。ピアノが山口泰一郎、ベースが森泰人です。

 今回のインフォメーションは3月4月と二ヶ月分です。
 グループ別にまとめてみました。
● 大野雄二トリオ
  3/16(木)東京お茶の水「NARU」
  3/24(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」
  3/26(日) 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」
  4/8(土) 東京柴崎「さくらんぼ」
  4/20(木) 東京お茶の水「NARU」
  4/28(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」
● まきみちる「バースデーライブ」 3/5(日) 東京六本木・アビーロード。告知が遅くて申し訳ありません。チケットは完売です。
● 金城寛文クインテット 3/10(金) 東京菊川「な〜じゅ」今回ピアノが重久義明です。
● 萩谷清gt「SLB=スーパーラテンブラザース」3/27(月) 東京六本木「キーストンクラブ東京」2/28に続き、今年二回目です。今回、ベースは現在ルパンティック6で一緒のミッチー長岡です。
● 直居隆雄トリオ 3/31(金) 東京沼袋「オルガンジャズ倶楽部」河合代介君の足鍵盤付きのハモンドと直居さんのギター、そしてドラムというトリオです。
● 菊池ひみこトリオ 4/2(日) 東京中目黒「楽屋」今回ベースは斉藤クジラ誠です。好評だった2/3に続き、今年二回目です。
● 歌声ペトラ 3/28(日)/4/25(火) 普段着の賛美歌を歌う会。市原は司会とソングリードで、ドラムの演奏はありません。 

 ということで、3月4月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・1月に9回目を出しました。「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」です。面白いと思います。(笑)
 
2017.02.24.Fri 13:09 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
  1701談義
 
 
 私が信仰を持ったのは20代の終わり。自分は明らかに変わったのですが、それをどう説明して良いのかもわからず、トラクトと言われる小さな伝道用の印刷物や、印象に残った本などを買って、片っ端からミュージシャンたちに配ったりしていました。おそらく300人以上の人に配ったのではないかと思います。タバコもいつの間にかやめ、酒もあまり飲まなくなっていました。そんな時に演奏旅行などで何日かを仲間と一緒に過ごすと、市原が何をして何をしないかがわかってくるわけです。そして、することとしないこととが自分たちとは違うということがわかって来ます。それで良く言われたものです。「市原は酒も女もやらないで、一体何が楽しいんだ?」と。でも私はうまく説明することができませんでした。<(注)現在、お酒を飲むことはあります。>
  
 
 私が信仰を持つ前と後で、何が変わったのかを改めて考えますと、あの頃はひどく苦い思いにさいなまれていましたから、そこから解放されたということが先ず言えます。イエス・キリストを自分の救い主として心に迎え入れた時から、それまでの自分を支配していた何かが消え、平安と光という言葉にふさわしい「いのち」のようなものをいただいたという感覚です。それ以来私の内にはずっとそのいのちが宿り、そのいのちは常に私に対し、神が喜ばれる思いの方向へと私を導き続けて来ました。その思いとは、愛とそれに伴う喜び、平安、寛容といった、聖書の中に記されている聖霊による思いと一致するものです。
ところが・・です。自分が神の喜ばれる方向にそのまま変わって行けば良いのですが、なかなかそれが苦戦をしておりまして・・。そこで私が最近になって見えるようになって来たこと。それをここに書いてみようと思いました。
 
 
 40年にわたる信仰生活の間、「わたしは決してあなたを見捨てず、見離さない」と言われる主は、私がイエス・キリストを主として自分の心に迎え入れて以来、一日たりとも私を離れて行かれることはありませんでした。途中十年間、私は主から逃げていたことがありますが、その時でさえ主は私から離れて行かれたことはありませんでした。主を悲しませているこんな者を、こんなにも長い期間・・約束通り・・忍耐と愛をもって寄り添っていてくださる主。それはそれは驚くべき存在でした。主という言葉を使うということは、私はこの方に仕えます、あるいは従いますということであり、その究極の関係は、「主よ、あなたを愛します」と言える関係であることが聖書の中では示されています。そして主なるイエス・キリストは、私が主を愛するその愛をはるかに超えた愛をもって私を.そしてあなたを愛してくださっている。そのイエス・キリストこそまことのいのちであって、そのことが地の果てにまで伝わるように示されたのが、あの十字架に掛けられ、死んでよみがえられたイエス様の姿だというわけです。それは、神を認めず基本が自分中心である私、何をしても自分の栄光を求めることしかしない、そんな私が死んで、そのような哀れな性質を釘づけにしてしまい、神の子として与えられる新たないのち、永遠のいのちをいただいて立つ者と変えられるために、キリストが救いそのもの、すなわち十字架の死とよみがえりのいのちそのものとなってくださったというわけです。私の罪を負い、病を担い、苦しみを負い、人の嘲りや不当な扱いを受けながら死んで、3日の後によみがえられた主。この主が自分の中に新しいいのちとして、また一点の暗いところもない神の御心を指し示し続けていてくださる存在として、私の中に生きておられる・・そういう者に変えられた。これが私の中身であるわけです。全てを言い尽くすことはとてもできませんが・・。
 
 ところが、自分が今書いたようなクリスチャンであると同時に、自分の中にそのことに逆らおうとする性質・・正確に言うとキリストに出会う前の自分という、まことに自分中心で、恐れたり怒ったり苦い思いで一杯になったり、常に自分を弁護し、自分に栄光を帰するような考えばかりがグルグルと頭の中でいっぱいになっていたり・・そういう性質が自分の中に未だに基本的に存在していることがわかって来たんですね。それじゃあ、救われたとか言いながらキリストが共にいてくださる者というイメージとは程遠い、ただの人じゃないですかと言われたら、うんその通りと言わざるを得ない自分がいる。じゃあキリストの救いとはなんなのと問われた時に、そんな者であるにもかかわらず、神の大きな恵みによって永遠のいのちが与えられているんです。・・と、それはその通りなのですが、それでは今生かされているこの世においては昔と変わるところのない自分中心の生き方を続けるのか・・という話になるわけです。
 
 でもそこで、もうひとつ見えてきたことがあるんです。それはそんな自分の中にキリストが厳然と生きていてくださり、私という「土の器」を通してご自身を現そうとしておられるということ。その通りなのだとしたら、これほど栄光に富んだことがほかにあるでしょうか。なのに、あろうことか、古い自分の性質みたいなものが、一生懸命になって自分の内におられるキリストに覆いをかけてしまい、相変わらず自分中心のモードで歩んでしまうんです。そんな私のままだったら、宝を土の中に隠して、そこから何も産まない生涯を送ることになってしまいます。宝が宝としての意味をなさない状態です。まさに「宝の持ち腐れ」というやつです。
 
 
 クリスチャンとは、主が内にとどまっていて、いつも主が語りかけてくださっている。そういう状態にある者です。優しく語りかけられることもあれば、強く語られることもある。またある時にはガツ~んとやられることもあるようです。でもそれは常に、先ほど書いた堅固な城壁のように残っている古い自分の性質が少しずつ砕かれるという方向への促しであるようです。私は今、「静まりなさい」ということをいつも主から語られているような気がしています。城壁のような堅固な古い性質はいくら砕かれても、やはりまだまだ残っている。勿論自分で自分を砕くことなど出来ないことです。静まること・・それは暴れ回る古い性質のギヤーをストンとニュートラルに入れてしまうことに似ているかもしれません。古い性質に振り回されて走っていた車のギアーが、突然ニュートラル状態になってしまうんです。そのとき車は暴走するエンジンの影響から解放されるんですね。エンジン=古い自分がいくら回転を上げても、車の動きとは関係がなくなるんです。これが「静まる」という言葉のイメージです。そしてその時、気がつくとその車にはイエス様が乗っているんです。うまく表現出来ませんが、そこでイエス様にギヤーを入れ替えるのかというと、そうではなく、ギヤーはすでに入っているんです。イエス・キリストというモードに・・。私はそのことに気付かされました。私が静まる時、共におられる主が私の主としてそこに立たれるのだということに・・。みなさん、考えてみてください。あの新約聖書の時代のように、そこにイエス様が立たれたら。そりゃもう、自分の中にこもったりしている場合ではないでしょう。私が見えて来たことというのは、私たちクリスチャンはイエス様にそこに立っていただくためにこの地上に生かされているのだということなんですね。でも誤解しないでください。このことを没個性だと言って批判の材料にする向きもありますが、とんでもない。イエス様は、あの古い性質から解放された、神によって作られた本来の100人100色のひとりひとりが、喜びはばたき、愛をおし流していくことを通してその御姿を現されるのです。
 
 騒いだり恐れたり、相変わらず人を計り見たりと、心と頭がグルグル回っている私に主はいつも「静まりなさい」と語られます。「あなたの本当のいのちはわたしなのだ」と。あなたは先ず、騒いだり恐れたりして、いつもわたしに覆いをかけていることを知りなさい・・と。あなたはあなたというひとりの人としてわたしの栄光を輝かせ、わたしを世の人々に証しし、その栄光を神に帰するというのがあなたの、この地上での役割なのだ・・と。何というエキサイティングな話でしょうか。私たちクリスチャンは無力な自分の内にイエス・キリスト、すなわち「愛という名のいのち」をいただいているのです。自分というものはニュートラルにして、イエス・キリストに立っていただくとき、私たちは、世の光、地の塩、そして心の底から生ける水の川が流れ出る者として、しかもひとりひとりがそれぞれの形をもって輝くのではないでしょうか。あなたがどこにいても何をする人であっても、また何をした人であっても、富んでいても貧しくても、能力があってもなくても、また頑固であっても短気であっても・・。
 
 
 以下はこのことを想起させる聖書のことばです。
 
 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
・・新約聖書/ヨハネによる福音書 12章 24節
 
 「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と万軍の主は仰せられる。 ・・旧約聖書/ゼカリヤ書 4章 6節
 
 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。・・新約聖書/コリント人への手紙 第二 4章 7節
 
 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。・・新約聖書/コリント人への手紙 第二 12章 9節
 
 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
 ・・新約聖書/ガラテヤ人への手紙 2章 20節
 
 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
・・新約聖書/コリント人への手紙 第二 3章 17.18節
 
 土の器の中にいただいているこの宝を、暗黒が支配するこの世に輝かせるのは、私たちの能力によるのではない。資格の問題ではない。信仰の年数の問題ではない。ひとたびキリストを自分の中に迎えた人は、たとえそれを忘れても、キリストが「決してあなたを見離さず、見捨てない」と言われた通り、地上で見出すことのできる最高の宝であり永遠のいのちであるイエス・キリストを自分の中に入れている人となっているのです。イエス様は単純にこう言われました。「あなたがたは世の光です」と。もしその光に覆いをかけているなら、ただギアーをニュートラルに入れてみませんか。死の影の谷を歩く時も、谷底に転落した時も、希望を失った時も、落胆の中にある時も、問題に直面した時、重大な責任を負った時、喜ぶ時、また幸せを噛み締めている時も・・、ただ静まって共におられる主を喜び、主の御名をほめたたえようではありませんか。私たちが世の本当の光としての役割を果たす者となるために。
 
 
 ・・と、ここまで書いて、あれっ? テーマは「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間なのか」でしたね。クリスチャンとは、こんな姿で、無力な自分を覚えるにもかかわらず、世の中で光を輝かせるという、特別な使命を帯びた人。だからといって何か偉いところがあるかというと、そんなものは全くなく、ただ、神の愛とあわれみに気付かされ、「行いによってではなく、信仰によって」その役割を担う者とされた人。それは自分の罪を神の前に認めるという、罪人の本質=神を認めない の部分が砕かれ、神の御前にひざまずいた人。そして、キリストがそのために激しい苦しみを伴う十字架にかかられると言うことの中に、神の愛を見出しあ、神を愛し、人を愛する者に変えられた人・・。勿論言い尽くすことは出来ませんが、あなたが今までクリスチャンに対して持っておられたイメージは、これで少しなりとも変わったのではないでしょうか。
  
  

<バックナンバー>
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
 
2017.01.20.Fri 01:54 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
あけましておめでとうございます。
今年もがんがん行きたいなあと・・67になりますが・・がんばります。
どうぞよろしく応援のほど、お願い申し上げます。

 2017年賀PC
 
 
2017.01.02.Mon 17:39 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1612談義


 クリスマスが過ぎて一言。
 
 今世の中ではクリスマスというと、ほとんど恋人と過ごす夜みたいなイメージが定着しているようです。 本来クリスマスはイエス・キリストの降誕を覚え、その結果何が起こり、それが自分とどういう関係にあるのかを思い起こし、そこにある大きな大きな恵みを・・本当は一年中毎日クリスマスでなければならないのですが・・思い起こし、愛と恵みの神に感謝し、神の御名をほめたたえる。そのような日です。そうは言ってもクリスチャンでない方には何のことだか、皆目見当もつかないことであると思いますので、ここに簡単に書きたいと思います。

 イエス・キリストは、神の前に出るにはまったくふさわしくない者である私たちが、もともと帰るべきところであるところの父なる神のみもとに帰ることができるように、私たちのパスポートとなってくださったのです。パスポートは外国に渡航するのにその人の身分を証明し、そこにはお墨付きである日本国ならば外務大臣の言葉が書かれているわけです。この人を日本国民であることをここに証するので、貴国においてはよろしく扱ってほしいと・・。

 イエス・キリストというパスポートには、神の前に出るに際してこんな言葉が記されています。わたしがこの者の罪を負い、受けるべきすべての罰としての十字架の刑を受けた。この者がどんなにふさわしくない者であっても、わたしがこの者の罪の代償を、鞭打たれ、唾をかけられ、殴られ、ついには死体が落ちないほどの太い釘で手足を刺し通され、十字架の上で激しい苦しみの中で死んだことにより、完全にあがなったのだ。ただわたしの故にこの者は父なる神の前に立つことができる・・と。

 イエス・キリストは十字架上での務めを完了して死なれ、3日の後に弟子たちの前に、しかも500人以上の弟子たちに現れ、ご自身が復活されたことを示し、世の終わりまでいつまでも共にいると宣言され、天に上られた方。だからこの名が記されたパスポートは永久に父なる神の前に完全に有効なのです。有効期限もありません。このパスポートを持つ者は他のどんな資格によるのでもなく、そのパスポート「イエス・キリスト」によって神の国に入り、しかもこの御国にあるすべての富を相続する者とされるというのです。なんと大きな恵みでしょうか。

 イエス・キリストは、神が天地万物を創造され、そして世の終わりの先に新しい天地を用意されているという、この大きなご計画の中での最も重要な印であり、神の愛の形として天から啓示されたものです。
 ベツレヘムに生まれた赤子は、三十数年後に私たちの罪のあがないとなるために、人の子という形をとって地上に来られた救い主の姿なのです。
 この大いなる奇跡を思い、神の御名を怖れ、そこにある愛と恵みを覚える日、それがクリスマスを祝うことの本当の意味です。

 毎日がメリークリスマス!
 
 
<バックナンバー>
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
2016.12.30.Fri 16:15 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1701-2.jpg

 あっという間に今年一年が過ぎ去りました。中身を追っていけば、実にいろいろなことがあったのですが、感覚としては「あっという間」なんですね。今年は何と言っても大野雄二さん関連の仕事が加わって、ちょっとばかり忙しい人の気持ちを味わっております。市原としては、ルパン関連は勿論のこと、新しいステージに立った感がありまして、それはとてもうれしいことでした。この歳にしてこんなことがあるとは、夢にも思っていませんでしたから。今年は、何と言いますか、若い頃の感覚を呼び覚まされる年とでも言いましょうか。しかし同時にですね・・、実は目は遠くなる、耳も遠くて・・これが演奏にどれだけ影響を及ぼしているのか・・最近になって具体的に分かってきたんですね。歳をとりますと、皆が皆そういうわけではないと思いますが、聞こえる音がやさしくなってくるんですよ。要するにカチンカチンした音に布をかぶせたみたいに・・、世の中の音がみんな優しいんですよ。そういえば自分の車も高級車感が増している(笑)。要するに高音域の聴力が落ちているわけ。これは年寄りにはとても良いことだなと思うんです。静かに暮らせるんですから。ところが音楽とか、会話になると、静かが良いとばかり言ってられなくて、コミュニケーションが取りづらく、一人だけ静か・・なんてことになっちゃうわけです。これでは楽しい会話も、音楽も、、仲間に入れない・・。そんな状態にいつの間にかなっていた・・。そのことに、徐々に気がついてきたんですね。実は、かなり以前から耳は遠かったみたい。で・・、結局補聴器を・・実は二度目の挑戦なのですが・・使用することにしたんですね。初めはこんなデリカシーのない音を聴いていたら、耳がバカになってしまうでしょうと思っていたのですが、二回目の補聴器・・結構高いのを買って、自分でパソコンで調整して・・これがとても難しいのですが・・でもやっと、何となくこれでいいのかなと言うところで調整出来るようになってきたんですね。自分の耳は高音域の聴力が足りないので、ほんのわずかだけ、とても微妙なレベルでハイの音を補うというだけで良いのだということが分かってきたんです。普通補聴器をつけてドラムを叩いたら、耳が壊れちゃうという感じがしますよね。僕もそう思っていたのですが、この微妙な調整が実現して、ほとんど補聴器で音を補填しているという感覚が全くなしで、高いところの輪郭がほんの少しはっきりする・・そんな調整ができるようになったんですね。シンバルの音も、こんなきれいなんだ・・というくらいのレベル。こんなレベルで補聴器が使えるとは思ってもいませんでした。補聴器を使ってドラムが叩けるんです。そして先日、ヘッドホンもいけるんだということが分かりました。これ、音楽家としてどうなのかなというのがあるのですが、どうも私には必要なようで、そのことを素直に受け入れてやって行こうかな・・という境地までやっとたどり着きました。市原、新年は補聴器使用宣言をいたしたいと思います。来年3月には67才になります。だからまあ、多めに見てやって下さい。そして補聴器ドラマーがどんな演奏をするか・・ご自分の耳でお確かめいただけましたら幸いです。新しいステージに立ったドラマーの音をお聴き下さい。

 さて、新年1-2月のライブは1/15(日)からスタートです。ジュディ・オングのバースデーライブ。丸ノ内コットンクラブです。そして1/23(月)は大野雄二トリオ/お茶の水NARU、1/24(火) 月例歌声ペトラ/お茶の水OCC B1/アイリーンホール、1/26(木) 大野雄二トリオ/新宿”J”、1/28(土) Yuji Ohno & Lupintic Six/水戸/茨城県立県民文化センター、1/30(月) Yuji Ohno & Lupintic Six/東京六本木/ビルボードライブ東京、そして2月はなんと7回の大野雄二トリオがあります。2/4(土)〜5(日)/名古屋ラブリー2days、2/11(土) 調布/さくらんぼ、2/16(木) お茶の水NARU、2/19(日) 相模大野メイプルホール、2/24(金) 新宿”J”、2/26(日) 鎌倉/ダフネとなっています。そして前後しますが、2/3(金) 久々の菊池ひみこトリオを都内でやります。中目黒/ダイニングバー&ライブハウス「楽屋」(ラクヤ)。ベースは我らの次の世代、小牧良平君。初共演です。あとは2月の歌声ペトラ 21日(火)です。

 ということで、新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」8回目はいつになるか・・私にも分からない(笑)んですね。アップの際にはご案内をさせていただきます。過去のものはこちらからご覧下さい。 http://ichiharablog.blog83.fc2.com/
 
 ということで、新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
 God Bless You !
 
  
2016.12.13.Tue 00:45 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

           1611談義2

【 助けを求める心 】

 私はクリスチャンと言われる人間に属する者です。しかし28歳以前はその気のまったくない者でした。通りを歩いていても教会とか十字架とかにはなんの興味もなく、それらはただの自然の景色の一部でしかありませんでした。日本では神とか罪とか言われても、ほとんどの人が自分には99%関係ないという感覚なのだと思います。私もそのひとりで、そんな私が神という存在に目を向けさせられた・・そう、向けさせられたという表現が適切だと思います・・のは、あるとても辛い体験をし、そのことが自分の力では処理しきれず、ノイローゼ状態に陥ったことを通してでした。エリート進学校から大学ヘ進み、間も無くミュージシャンの道へと自ら脱線し、あっという間にミュージシャンの世界では自分の行きたいところに上り詰めました。そんな矢先のことです。それまでは自分が好きなようにしてそこまで来たので、自分自身がコントロール不能になることなど、考えてもみませんでした。自分が考えたり、息を吸ったり、決断したり・・それらを当たり前のこととして、なんの疑いも持たずに28歳まで来ました。
 
 そんな自分本位の座から引き剥がされるようにして、私は今までとは全く違う視点で物を見る者へと変えられたというわけです。私は自分を中心として外を見ることしかしていませんでした。そんな私の視点の土台がどうもあのノイローゼ事件で砕かれてしまったらしいのです。困難を乗り越えながら自分の努力とか才能に恵まれて成功を勝ち得て来た人間って、神を認めたりすることなどほとんど有り得ないのかもしれません。彼は宇宙を作られた創造者など信じようとしないだろうし、神の存在自体も自分の理解の中で完結させようとするのではないかと思うのです。要するに自信があり、自分の理解の中で全てが解決してしまっている人がその世界観から外へ出ることなどあり得ないし、その世界観というのは堅固な城壁のようにちょっとやそっとのことでは壊れ得ないものだと思うのです。そんな硬い壁は外から思い切りハンマーで叩き割らなければ、外へ出ることはまずないと思います。(それまでの私の話ですが)  大体自分が被造物などという感覚は全くない。これは重大なポイントです。被造物という言葉の通り、自分が何者かの手によって作られたのだとしたら、それを認めないということは、子が親に向かって「あんたなんて親じゃないよ。」と言っているのと同じ状態です。仮に被造物でも何でもなく、はっきりした意志もない自然の力によって生命が生まれたのだとしたら、そうやって奇跡的に出来上がった命は、滅びることのないように最善を尽して大切にするのが人類の責務となるでしょう。しかし神が人を造られたのだとしたら、命を守るのも滅ぼすのも神です。その時には、人は神と自分との関係に目を向けることが先ず第一の責務となるのではないでしょうか。神は、人とはまったく次元の異なる、まさしく人知のレベルを圧倒的に超えた全知全能の神であるという存在です。その神が人との関係を神の側から持とうとされてきた、その有様が聖書には綴られているんですね。それに対し私たちは、自分が完全に宇宙の中心となっていて、神のイメージについても勝手な見方をしている。結局「神」とか言いながら、自分の手で偶像の神を作り出すことさえしてしまう。これって逆なんですよと言っているのが聖書です。造り主なる神が愛をもって、祝福を得させようとして、忍耐をもって導いてきたんです。ところがまことの父なる神に対し、お前じゃなくて他の神がいいと言い続けて、後ろ足で砂をかけ続けた神の民。そして、最後にはご自分のひとり子を遣わしてすべての人に対する完全なる赦しと愛を表された父に対して「オレとは関係がない」と言ってしまう。これが聖書が言っている罪人のスタンスです。聖書はすべての人は罪人だと言っています。神との関係の中に本当のいのちがあるのに、神との交わりを絶ってしまっている状態。これが私たちの生まれつきの姿だというのです。必要なのは、本当の父と子の関係が回復することなのだと言っているのが聖書なのです。
 
 私はこういう自分の立ち位置から引き剥がされるようにして・・と書きました。ちょっとくらいのことでは引き剥がされるなんてことは起こりえない。自分に絶望してこれ以上考えたくもないような怒りや、ぐるぐる回る気持ちの悪い思いに支配されるという。今まで自分だと思っていたものが、どこかへ行ってしまうという生まれて初めての経験を通して、自分本位の視点が壊れてしまうという。自分の意思や努力や学びでは得ることのできないとても貴重な機会をいただいたというわけです。外からハンマーで叩き割られるなどということは、自分では選択できないです。そしてそこでいただいたもの・・、それは「助けを求める心」と言って良いかもしれません。イエス様のことばにこんなのがあります。
 
 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。新約聖書マタイによる福音書 11章28節
 
 
 私はうっすらと神を求めていました。私は自分の罪をうっすらと感じていて、今自分が立っている世界とは違う世界もあるのだということも何となく感じていました。私には帰るべきどこかがあるように感じていたのだと思います。私がその時、助けはここにあるのではないかと興味を持ったのが「呪術」と「聖書」でした。呪術はとても興味深いもので、直感的に「ある別の世界」を感じさせるものでした。一方聖書は難しくて訳が分からないところもたくさんありましたが、新約聖書のイエス・キリストのことばには何か引きつけられるものがありました。そのうちに、ある一つの直感が私のうちに「やってきた」んですね。それは、呪術は暗黒で、聖書は光だ・・というものでした。これは確信として私の中にはっきり与えられたもので、それ以来私は呪術に関する本はすべて捨てて、聖書の方を自分の意志ではっきり選択しました。そしてこの聖書に書いてあることに心を開いて、受け取ってみようと思ったわけです。それが始まりだったんですね。当時の自分がどんな状態で、聖書に出会って何が起こって、自分がどうなったのかということを、今ではほぼ理解することができるようになりましたが、その当時はそのことがはっきりとは分かっていませんでした。それはひと言で言えば「イエス・キリストに出会った」ということです。
 
 上記のマタイ11章のイエス様のことばを見ると、休ませるのは物事の理解や知識などではなく「わたし」なのだと書いてあります。わたし・・って、イエス・キリストではないですか。自分を休ませてくれる「実体」がイエス・キリストなのだということですよね。何かが分かったから休めるということではないのです。「イエス・キリスト」があなたを休ませるというのです。このイエス・キリストは2000年前に十字架に掛けられて死んでしまって墓に葬られた。でも、三日の後によみがえって弟子たちに会われ、わたしは世の終わりまでいつもあなた方と共にいると、、そう言われたわけです。新約聖書の多くの部分を占める手紙の筆者パウロは、他の何よりもイエス・キリストが復活されて、本当に弟子たちに現れ、そして自分にも現れて下さったこと・・そこが一番重要で外せない事実なのだと言っています。私を助けてくれるこの「実体」なるイエス・キリストは、本当に私たちを助けて下さる方として存在するのだというわけです。泥棒に入られたら、警察に通報しなければならない。通報してから初めて助け手が来るんですね。実際に助けるのは警察なんです。警察が来るまで待つしかない。私たちがやることは警察に連絡するということです。私たちがやることは「わたしのところに来なさい」と書いてある通り、キリストのところに行くこと。そして助けるのはキリストです。だから必要なのは「イエス・キリストのところに行く」決断と行動です。具体的には何かというと、先ず、イエス・キリストの存在を本当のことだとして心に受けとめ、語りかけるという行動です。「イエス様、私はあなたのことを知りませんが、わたしのところに来なさいと言われるあなたを呼び求めます。イエス様、私を助けて下さい。」と祈る。(これは祈りの一例です) これがイエス・キリストのところに行くということです。
 
 必要なのは、助け主なるイエス・キリストと繋がることです。そのためには電話するか、そこへ行かなければならないんです。元気な人にとってはそんなことはばかげたことでしかないかも知れません。しかし、疲れた人、重荷を負っている人、絶望している人、死のうとしている人、怒りで自分をコントロール出来なくなっている人・・は、このことをすれば良いのです。私たちに求められる決断と行動は、休ませてあげると言われるイエス・キリストの存在を信じ「祈り」という電話をイエス様にかけることです。あとはその後をケアしてくれるところ=教会に行かれると良いでしょう。ひとりでその道を歩むのは様々な障害や困難がありますからね。
 
 二千年前、十字架に掛けられ、死んでよみがえり、天に上り、世の終わりまでいつまでも共にいて下さるというイエス・キリストに出会う・・。それは今のあなたにもあり得ることなのですよと叫んでいるのが新約聖書であり、教会であり、牧師や伝道者、そしてイエス・キリストに出会って新しい歩みを始めたクリスチャンたちなのです。こうしてイエス・キリストを呼び求めた者は、イエス様の十字架の苦しみと死と復活がまさに、自分の罪のための死と新しいいのちのための復活であること、即ちイエスご自身がいのちであり、すべてのすべてであることを知り、この苦しみを伴った赦しこそが無条件であなたを受け入れて下さる父なる神の愛のかたちであることを知るのです。イエス・キリストこそまことの父なる神との親子関係を回復するカギなのです。このまことの父は、自分から家を出て、放蕩三昧をして、文無しになってから初めて我に返り、家に帰る資格などないことが分かっていながら帰ってきた息子を喜び勇んで駆け寄り抱きしめてくれる父なのです。

 
 
 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 新約聖書 ヨハネによる福音書 14章6節
 
 
2016.11.12.Sat 21:41 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
   1612-1.jpg


 今年は秋がなく、気がついたらもう12月。この一年を振り返りますと、我が「TRIO’」の活動が余り出来ませんでした。それでも春と秋にツアーをやっています。お陰様で年が明けて13年目が始まります。2004年の1月に初めて顔合わせというその日にライブをやり、ついでにライブレコーディングもし、そのままツアーをやるという無謀な始動でしたが、ここまで続けることが出来ました。当初、ピアノの福田とベースの森はある程度演奏家として固まっている人たちなので、内容が変わるとしたらドラムの市原がどのような変化を見せるかというところにかかっている・・とそんなことを言っておりました。市原はジャズプレーヤーとしては何となく据わりが悪いと申しますか、固まってはいなかったと自分では思っています。いえ、思っているとかではなくて、実際に今までのことを思うと、随分変化してきたなぁと思います。ある意味では固まってきているような部分もありますが、それだけではなくて相変わらず、暗中模索を続け、結局浅薄なはかりごとから解放されるに従って、本来与えられているところの「自分でコントロール出来ない自分」をもって演奏するという領域に入っていくといったような歩みでした。それが出来ればTRIO’に限らず、どんな演奏の場においても、結構面白くなりそうで、今も面白くなる方向を向いているかなと・・私だけかも知れませんが・・そんな風に思っています。また今年は大野雄二さんのグループ(Yuji Ohno & Lupintic Six)に35年以上ぶりに返り咲き、今年は倍くらい多忙になりました。私が20代の頃に怖い物知らずでやりたい放題にやっていたその頃に大野さんは市原を買って下さって、実にいろいろな仕事もさせて下さいました。それが今こうして再び演奏をさせていただく中で、こんな風に熱意をもって扱って下さる人がいたんだと、改めて驚いていると言いますか、感謝していると言いますか、、私にとっては若い頃にはやんちゃしていたのが、もう一度やっていいよと言われているようで、何とも恵まれたことだなあと思っております。身体の方は良くこれだけやってこれたなと思うくらいで、支えられてきました。今年一年、応援して下さった方、また新しく出会った方々に御礼申し上げます。ありがとうございました。来年も許されることなら、目一杯活動を続けていきたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 ちょっと前置きが長くなりました。ライブの詳細はホームページ http://i-produce.net からライブ〜12月をご覧下さい。簡単にご案内させていただきますと・・
12/1(木) 塚山エリコ・オルガン4 沼袋/Organ Jazz 俱楽部
12/2(金) 金城寛文5 東京・菊川/な〜じゅ
12/3(土) 白根真理子 横浜/KAMOME
12/9(金) まきみちる 東京/内幸町ホール
12/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 静岡県長泉町/文化センター ベルフォーレ
12/13(火) 歌声ペトラ 東京お茶の水/OCC8F チャペル
12/15(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水/NARU
12/18(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 越谷/サンシティーホール
12/22(木) Yuji Ohno & Lupintic Six 上越市/上越文化会館
12/23(金) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochan’s 長野県塩尻/レザンホール
12/24(土) カルバリーチャペル国分寺 クリスマスコンサート 国分寺/Jesus Community
12/26(月) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochan’s 大阪/新歌舞伎座
12/27(火) Yuji Ohno & Lupintic Six 名古屋/ブルーノート

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」7回目を近日中にこのブログにアップします。今回は「助けを求める心」というタイトルです。私が若い頃は助けを求めるなどということとは縁のない「鼻息の荒い」者だったようです。目を通していただけたらうれしいです。
 
 こちらも再々度のご案内。TRIO'のCDの他にYUJI OHNO & LUPINTIC SIXのファーストアルバム「YEAH!! YEAH!!」、そして企画もの「Adult Toy Box」(diskUNIONの紹介はhttp://diskunion.net/jazz/ct/detail/1007060020)、また、WIM/1.2.3(残り僅少)、松本峰明/All of You、菊池ひみこ/ダブルカルテットライブ、萩谷清トリオ/Magical Misty Love
 市原宛のメールでご注文いただけます。送料無料、振込手数料当方負担です。こんなの、他にありません。

 では、12月も、皆さまのお越しをお待ち申し上げております。

 God Bless You !
  
 
2016.11.12.Sat 12:46 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1610.jpg


 一夜にして晩秋がやってきたような気候ですが、皆様いかがお過ごしですか。市原は老体に鞭打ってがんばってます・・が、9月の頭にライブ情報を出さなければならないところが、あっという間に一月経ってしまい、10-11月号ということに相成りました。
 9月のTRIO’のツアーは全行程を無事終了いたしました。今までとはまたひと味違うTRIO’となったのではないかと思っております。ご来場、ありがとうございました。次回は来年6月を予定しています。どんなになっているか・・私自身楽しみです。
 さて、10,11月のライブですが、早速 Yuji Ohno & Lupintic Six が10/2(日) 伊丹・アイフォニックス(完売御礼)、10/7(金) 宇部市渡邊翁記念会館、10/8(土) はつかいち文化ホールと、三つ続きます。10/10は東京音楽大学のオープンキャンパス。全学科で実施されます。詳細は大学までお問い合わせ下さい。インストコースはgt,野呂一生、b,鳴瀬喜博と市原が担当いたします。10/14(金)は大野雄二SoulPeppers・・大野雄二トリオ+トランペットが入るジャズバージョン。横浜モーションブルーです。そして10/20(木)は大野雄二トリオ・・ウッドベースに上村信というジャズピアノトリオ。お茶の水ナルです。10/23(日)は再びYuji Ohno & Lupintic Six 兵庫県加東市・やしろ国際学習塾。そしてギャップ激しく、10/25(火)は普段着の賛美歌集会「歌声ペトラ」・・市原は司会と歌です。お茶の水クリスチャンセンター。
 11月に入りますと、11/5(土) 鳥たちの音楽祭「What is jazz ?!」ジャズってなあに?/レクチャーコンサートというのがあります。第一部はジャズ評論家の小川隆夫さんの講演、そして二部に地元鳥取出身の鉄筋彫刻家でお馴染みの徳持耕一郎さんをお迎えしてライブドローイングを交えたコンサートとなります。勿論お馴染み菊池ひみこpfを中心にギターの松本正嗣、東京からsax,近藤和彦、b,斉藤誠と市原が参加します。11/17(木)は昨年もやりました、ボジョレ・ヌーボーJazz & Dinner 東京浜松町のイタリアンレストラン「サンミケーレ」で行います。ゲストに久しぶりの市原ひかりtp、そしてpf,福田重男、b,金子健というメンバーです。11/18(金)は直居隆雄gtトリオ/東京沼袋・オルガンジャズ倶楽部 オルガンの河合代介を加えたトリオです。11/22(火)は歌声ペトラ、そして11/26(土)は新宿Jで「森の市松三重奏団」がゲストとして18:30-19:30の一時間だけやります。初めて公にするこの名前、、なんてことはない、森泰人bと市原dsと松本峰明pfのジャズのトリオ。初演となります。

 以上、詳細はホームページ http://i-produce.net からライブ〜10-11月をご覧下さい。

 このブログで今年の4月から始めて6回目になります「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・TRIO’のツアーの直前にアップしまして、何となく埋もれてしまった感がありますので、再度ご案内いたします。第6回は「イエス様のことばがまったく理解出来なかった人々」というタイトル。キリスト教に興味のない方とるれりりるクリスチャンの方の両方に向けて書いています。是非ご覧下さい。
 
 それからこちらも再度のご案内。TRIO'のCDの他にYUJI OHNO & LUPINTIC SIXのファーストアルバム「YEAH!! YEAH!!」、そして企画もの「Adult Toy Box」(diskUNIONの紹介はhttp://diskunion.net/jazz/ct/detail/1007060020)のCDは、市原宛のメールでご注文いただけます。送料無料、振込手数料当方負担というお得なシステムです。また、各種旧譜も在庫がございます。WIM/1.2.3(残り僅少)、松本峰明/All of You、菊池ひみこ/ダブルカルテットライブ、萩谷清トリオ/Magical Misty Loveのアルバム。すべて市原が参加しているものです。お問い合わせいただけましたら詳細をお知らせします。

 10-11月も、皆さまのお越しをお待ち申し上げております。

 God Bless You !
 
 
2016.09.24.Sat 21:28 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)


1609談義2


 聖書(マタイ9:10-13)の中に、こんな出来事が記されています。

イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人(つみびと)が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 
 人々はイエス様のことを預言者だとかメシア=救世主などと言っていました。ところが神に遣わされたそのような特別な人が、同胞から不正に税金を取り立てて搾取している連中とか、罪をおかしたために病や貧困の生活をする脱落組と思われていた人たちと一緒に食事をしていたのです。厳格に律法を守っていたパリサイ人と言われる人々は、あんな連中は神からは程遠い存在だと思っていたようです。ところがあのイエスという人は、神に近づいたり礼拝したりする資格など全くないような人たちと一緒に食事をしている・・。神の前に自分は正しいと思っていたパリサイ人にとってはまったく意味のわからない光景だったわけです。それは彼らにとって当たり前だと思っていた考え方とはおよそかけ離れた、全く違う次元の世界だと言っても良いものでした。
イエス様が私たちに示されるのはいつもそういった類の、思いもよらない世界です。その最たるものがあの十字架です。これはあるひとつの謎が解けない限り決してわかり得ない究極の異次元の世界です。しかもその謎は数学や論理的な解説によっては解けない種類のもののようです。上記のイエス様の「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」ということばの中に、その謎を解くカギが隠されているように思います。

 
 厳格に神の律法を守るパリサイ人が、自分の価値観では到底理解できない光景に出くわしたというのが冒頭の記事の出来事です。そのパリサイ人に対してイエス様は、医者を必要とするのは丈夫な者ではなく病人だと言われ、いけにえをささげればそれで良しとしてしまい、あわれみというものを忘れているあなたがたは自分をなんだと思っているのか。この人たちこそ助けが必要なのでしょう。顔を洗って出直していらっしゃいと戒められたわけです。そして「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」と言われました。丈夫な者と正しい人、病人と罪人・・、ふたつのことばが重なるようにして語られています。結局丈夫な者/正しい人とは、自分を正しい者として、助けも何も必要だとは思っていない人。病人/罪人とは、明らかに助けを求めている人。自分を罪人と認め、神のあわれみ赦しを必要としている人、ということになるのではないでしょうか。結局「正しい人」とはパリサイ人のことを強烈に皮肉って言われたことばであって、「あなたがたは自分を正しいと思っているが、実はあなたがたは今も神の赦しを必要としている罪人であることに全く気が付いていない」ということをイエス様は言われているのではないでしょうか。
 罪の本質は、自分を造られた神を認めていないところにあります。神を無視し、自分が神の位置に立とうする究極の傲慢の性質を帯びたその結果は、自己中心、敵意、憎しみ、怒り、殺人、不品行、無視、、数えればきりがありません。自分の中にそんなものはないと言うなら、それは自分を偽っているのだと聖書は断言しています。要するにすべての人が例外なく罪人だと言っているのです。ところがイエス様がこの時言われた「罪人」とは、すべての人=罪人という意味での罪人ではなくて、「自分が罪人であることを認識している人」のことを指しているようです。イエス様はすべての人のために神の愛のメッセージを届けに来られたのに、そんな必要はないと言う「丈夫な人」と、哀れな私を助けて下さいと救いを求める「病人」とがいて、イエス様が招かれるのは助けを求める病人/罪人の方だというのがこの話のようです。

 

 私が40年近く前、聖書を読み始めて最初に目が止まったところ。それは罪に関するところでした。

マタイによる福音書 7章:1~4節
さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

・・もうひとつ、似たような記述があります。前者はイエス様のことばですが、これは使徒パウロのことばです。

ローマ人への手紙 5章1~5節
 ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。
そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
 
 
 私は人を裁くことを日常的にやっていたことに気がつきました。「兄弟の目のちり」とは兄弟にある小さな問題点で、梁とはそれにこだわり、そのことに気を取られる・・、そのような自分の心の中にある動かしがたい偏見。この裁き見る心の方がはるかに大きな問題点であり、しかもそれが動かしがたい大きな柱として自分の中にあることが分かりました。そしてそれが「罪」なのだと気がついたのです。

 
 罪に気がついていない人、罪を認めない人・・それは、このような罪の中にいながら、罪だとはまったく思っていない人。勿論私もそのひとりでした。これが一般的な罪人の姿です。イエス様はすべての人に「わたしは罪人を招くために来たのです」と語られるのですが、彼らは自分を罪人だと認めていません。あのAmazing Grace の作者は奴隷商人をやっている間は自分のしていることを何とも思っていなかったのです。せっかくイエス様が招いて下さっていても、まさか自分と関係があるとは夢にも思わないわけで、その招きには全く気が付きません。しかし、一旦自分が罪人であることに目を向けると状況は一変します。罪人とは神に背を向けている人のことです。その人が罪人であることを認めるというのは、そこに神を認め、神の前に罪人としてひれ伏すということです。こうして人は初めて神と正しく向き合うということになります。そして、神の方に向きを変えたときに、予想を完全にひっくり返してしまうような神からの祝福のことばを聞くことになるのです。
 
 ・・「あなたの罪は赦されました。神はひとり子イエス・キリストを世に遣わし、十字架に掛け、それを罪人のあなたが神の前に受けるべき罰の代わりとしてくださったのです。キリストが十字架にかかられたのは、父なる神のみこころに従ってのことでした。キリストは十字架で苦しみを受け、死んで三日の後、よみがえられて天に昇られた『生ける神の子なる神』です。誰でもイエス・キリストを救い主として信じた者は、十字架にかかられたキリストとともに古い自分が死に、罪を聖められ、復活されたキリストとともに新しく生まれ、永遠のいのちを与えられ、聖なる神と共に生きる者、天のすべての霊的祝福と永遠の住まいを受け継ぐ『神の子』とされたことを知るのです。こうしてあなたは死と苦悩、恐れ、不安、怒り、傷つく生活から解放され、光の中で喜び、永遠への希望をもって歩む者へと変えられるのです。神はこのために、ご自分のひとり子に激しい苦しみと死を負わせられました。これが神の愛のかたち、そして大きさです。神のもとにひとりが帰れば、天では天使たちの大歓声がわき上がるのです。」
 
 私たちには帰るところがあるのです。それは私たちを造られ、私たちが戻るのを準備万端整えて待って下さっている父なる神のみもとです。この天の父のみもとこそが、神から離れてしまった「迷える子羊」が帰るべく用意されている永遠の住まいなのです。

 
 聖書にこのように書いてあります。・・聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。 (コリント人への手紙第二 12章3節)
 
 
 「三位一体の神」とは、父・子・聖霊という三つの「位格」=かたちを持ちながら、しかも唯一の神であるという意味です。そして神に関することは、神とのパイプが繋がった時点で注がれる聖霊によって初めて確信することが出来るというわけです。この聖霊によって私たちは自分の内に住まわれる主イエス・キリストを実感します。そして聖霊によって自分の罪の性質に光を当てられながら、愛なる神のかたちへと変えられて行く「クリスチャンの歩み」が始まるのです。しかしそのために通らなければいけない「神との関係の回復の入口」は、自分が神の前に罪人であることを認めることであって、他に入口はないのです。この入口こそがひとつしかない「狭き門」であるけれど、同時にすべての人に開かれている救いの門なのです。父なる神が御子イエス・キリストを地上に遣わされて実現された恵みの赦しである「十字架」の意味は、この門を通してしかわからないのです。
 
 
  
2016.09.08.Thu 01:21 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  TRIOB51609omotePC.jpg


 いよいよTRIO’秋のツアーが始まります。と言っても今回は5箇所のみとなっています。どうぞお見逃しなく。

 途中5日ほど間が空きます。三人のスケジュールの都合でこのようになりました。その合間、福田も森も個別に活動をしていますので、そちらもチェックしてみて下さい。

 9/8(木) 高崎ケイノート
 9/9(金) 新潟ジャズフラッシュ
 9/10(土) 越生山猫軒
 9/16(金) 軽井沢ならの木
 9/17(土) 代官山レザール

 となっています。先月は以下のようにご案内させていただきました。

・・私がルパンバンドで以前のスタジオミュージシャンモードを少し思い出したところで、TRIO’にも何かしら変化があるかも知れません。もともとTRIO’は三人の微妙な世界の違いの融合から出来上がる世界なので、そのような意味でも楽しみです。・・と。
 多くて年に二回の活動。その間メンバーはそれぞれの活動をしていますので、いろいろ心境の変化などもあるかも知れませんね。それは私にとっても未知数です。また私自身の変化に二人がどのように応じてくれるかも未知数でして、お客様には完全未知数状態で臨ませていただく所存でございます。どうぞお楽しみに。
 高崎、新潟、越生、軽井沢、そして東京の皆様。皆様とひとときの「静かで熱い時間」を共に過ごすことが出来たらと、楽しみにしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 本来ならばこの時期に9-10月ご案内をさせていただくのですが、先ずは差し迫ったTRIO’のツアーのご案内をさせていただきました。

 つき一回のベースでアップしています「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・間もなくアップ出来ると思います。どうぞお楽しみに。実は苦戦しておりました。

 ということで、TRIO’ 秋のツアー、皆さまのお越しをお待ち申し上げております。


 TRIO'のCDの他にYUJI OHNO & LUPINTIC SIXのファーストアルバム「YEAH!! YEAH!!」、そして企画もの「Adult Toy Box」(diskUNIONの紹介はhttp://diskunion.net/jazz/ct/detail/1007060020)のCDは、市原宛のメールでもご注文いただけます。送料無料、振込手数料当方負担となっています。また、各種旧譜も在庫がございます。WIM/1.2.3、松本峰明/All of You、菊池ひみこ/ダブルカルテットライブ、萩谷清トリオのアルバムで市原が参加しているものです。是非ご利用下さい。

 ライブ詳細はホームページ http://i-produce.net からライブ〜8-9月をご覧下さい。
2016.09.06.Tue 15:44 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  TRIO2016bpc.jpg
  
 黒鯛プロデュースの芝居「テラバン」は盛況のうちに終了いたしました。普段の演奏では一体感というものを感じることが必須となりますが、慣れない芝居ではそれがすんなりいくわけではありません。しかも芝居のプロではない方々もキャストとして一緒にやっています。私もその一人ではありますが、演技についての技量も様々なこの面子が集まり、そして本番に向けて芝居をかためていく・・。結構ギリギリの作業でした。しかし、本番直前になって一体感というかスピードというか、そんなものを感じられるようになりました。勿論課題はそれぞれにあります。しかし、ひとつの生き物の、一人ひとりが体の器官のような存在で、その生き物を生かしていくという作業・・これが本当に面白いのだなあと改めて思わされました。芝居にのめり込んでいく人たちはそこに捕まるんでしょうね。キャストの中には弁護士だったのが、十数年前から芝居をやるようになり、今も両方をやっている。それも両方とも中途半端ではなさそうで、いろいろな人がいるものだなあと改めて思わされたという次第。二週間ほどは完全にこの芝居のモードに入ってやるわけですが、それが終わって休む間もなく今度はYUJI OHNO & LUPINTIC SIXの大阪と東京のビルボードでのライブ。一日二回ですから、四回を二日間でやる計算。最初は切り替えが出来ずに叱られました。(笑) でもこのユニット、一体感というものを思いっきり楽しめるユニットなのでこれからこなれていくステップがとても楽しみです。8月の後半には、奈良/橿原、舞鶴をやったあと、北海道ツアーに入ります。8/23(火) 大空町、24(水) 帯広、25(木) 札幌、27(土) 函館です。
 さて、9月に入りますと、TRIO’のツアーがあります。今回は合計5箇所と少なめです。しかも途中5日ほど間が空きます。三人のスケジュールの都合でこのようになりました。その合間、福田も森も個別に活動をしていますので、そちらもチェックしてみて下さい。9/8(木) 高崎ケイノート。9/9(金) 新潟ジャズフラッシュ。9/10(土) 越生山猫軒。9/16(金) 軽井沢ならの木。9/17(土) 代官山レザール。となっています。私がルパンバンドで以前のスタジオミュージシャンモードを少し思い出したところで、TRIO’にも何かしら変化があるかも知れません。もともとTRIO’は三人の微妙な世界の違いの融合から出来上がる世界なので、そのような意味でも楽しみです。
 8月は先月ご案内したとおりです。そして9月はTRIO’のツアーの他には9/2(金)/金城寛文5、今回ピアノは重久義明になります。9/3(土)/大野雄二SoulPeppers。大野雄二のジャズトリオにtp松島啓之が入るというパターン。稲城市立 iプラザ。うちの近くです(笑)。9/4(日) 古野光昭スペシャルセッション/横浜ドルフィー。9/13日(火)は月例の歌声ペトラ。9/19(月)はYUJI OHNO & LUPINTIC SIX/滋賀県栗東芸術文化会館。9/26(月)には、何年ぶりでしょうか、ギターの萩谷清のSLB(スーパーラテンブラザーズ)を六本木の新しいライブハウス KEYSTONE CLUB TOKYO でやります。それから9月の最終日30日(金)は毎年一回きりの「金城組」赤坂B♭。だいぶこなれてきて、今回はどんなになるかとても楽しみです。

 ということで、8-9月、皆さまのお越しをお待ち申し上げております。
 7月の下旬でしたが、「ドラマー市原康のキリスト教談義」その5 「悪質メール撃退グッズ」というのをアップしています。どうぞご覧下さい。ttp://ichiharablog.blog83.fc2.com/
 
 それからもう一つ、TRIO'のCDの他にYUJI OHNO & LUPINTIC SIXのファーストアルバム「YEAH!! YEAH!!」、そして企画もの「Adult Toy Box」(diskUNIONの紹介はhttp://diskunion.net/jazz/ct/detail/1007060020)のCDは、市原宛のメールでもご注文いただけます。送料無料、振込手数料当方負担となっています。また、各種旧譜も在庫がございます。WIM/1.2.3、松本峰明/All of You、菊池ひみこ/ダブルカルテットライブ、萩谷清トリオのアルバムで市原が参加しているものですが、お問い合わせいただけましたら詳細をお知らせします。

 ライブ詳細はホームページ http://i-produce.net からライブ〜8-9月をご覧下さい。
 
 
2016.08.06.Sat 10:32 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1608談義

 気がつけば、パソコンによって本当に全てが支配される世の中になってしまいました。若い頃に、イギリスの産業革命の時代はどんなだっただろうと思ったことがありましたが、今自分はそんな時代のまっただ中に生きているわけで、そんなことは夢にも思いませんでしたね。先日新宿駅のプラットホームの端を歩いていたときに見たその光景は、歩いても歩いても並んで待っている人の実に8割ほどの人がスマホに目をやっているという、5年前ではあり得なかった光景でした。人との交流の密度が爆発的に高まり、それを寸暇を惜しんでやり続けているんです。あるいは、ゲームに夢中になっている。ゆっくり空を見る余裕、時間、ヒマなどは全くなさそうですね。
 そんなパソコン時代に私たちが悩まされるのは悪質メール、迷惑メールです。その多くはお金儲けや性的な欲求にエサをちらつかせ、入って行けば良い事などひとつもない泥沼、悪魔の巣窟という言葉がぴったりというような世界に引きずり込まれます。そんなメールが来るようになるきっかけは、私たちがその悪魔的な世界にチラッとでも足を踏み入れることによって始まるようです。コンピューター上で明らかにそのような世界とつながりを持てば勿論のこと、自分が気がつかないほどのところをかすっても敵はすかさずやってきます。コツコツ毎日働くアリの回りに無数の蟻地獄が穴を掘って待ち構えているような光景が目に浮かびます。
 わたしも過去に明らかにそのような世界に足を踏み入れてしまったことがあります。また今でも本当にアリ地獄はこんなところにもあるのかと思うほどに、気がつかないうちに足を取られそうになることがあります。明らかにそのような世界と関係を持てば、確実に無数の悪質メール、迷惑メールに悩まされることになります。家内のパソコンにもそのようなメールが来ますが、H系のメールはそれほど多くはないことを見ると、こちらから関係を持つ世界と深く関わっていることがよくわかります。今のわたしのパソコンにはほとんどそのようなメールが来なくなったのですが、それでも飽きもせずにせっせと送りつけてくるし、新しい筋のメールだなとわかるようなものもあります。だいぶ以前の話になりますが、このようなメールに対して、聖書のメッセージを返信し続けたことがあります。あるものは送信専用で、返信出来ないのですが、ものによっては明らかにこの返信が読まれいてるなという感触が得られる場合があります。要するに機械的にではなく、返信を読んでしまうようなやり方をしている発信者がいるということです。一時、この聖書のメッセージを返信し始めたとき、悪質メールが倍増したことが・・いや、倍増どころか一通の返信に対し気が狂ったようにメールが送られてくるようになったことがありました。わたしも負けずに、自分で書きためた聖書のメッセージを徹底的に送ったことがありました。そうしたらなんと、あるときぴたりとそれが止んだのです。神のことばは光です。悪い心に光が当たると、その薄汚さが明るみに出されてしまうので、もう耐えられなくなるのですね。ドラキュラが朝になると暗躍出来なくなるというあの西洋の話は、そのことを象徴的に現したものではないでしょうか。まあ、ドラキュラはどうでも良いとして、わたしはこのメールを受け取った人が、正面からそれを読んでくれることを心から願っています。いつしかこの返信メールが10パターン以上もたまってしまいました。今では、変なメールが来ると即、その中から選んで返信します。それはこれらの悪質な行為を撃退するというよりも、そのようなことに時間を費やしている人にまことの光というにふさわしい、神からのメッセージに心を開いてもらいたいという思いで、最近では、それ来たっ!・・といった感じですぐにこのいくつもあるパターンの中から見繕って返信をしています。もっと多くの悪質メール発信者にこれを読んでいただきたいのですが、最近ではめっきり静かになってしまいました。(笑)
 ここにその第一号をご紹介します。この文は明らかに自分が悪事をしていると認識している人に対して書いたものです。

———————————————————————

こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。・・聖書 マタイによる福音書 25:46

人のいのちは今の世だけのものではありません。神には一点の暗いところもありません。私たちはそこに帰るように招かれています。しかし私たちはあまりの罪の深さの故に神の怒りがその上にとどまり、滅び、苦しみの地獄に行くしかない哀れな者です。そのために神はみ子をこの地に遣わし、御子イエス・キリストは人のすべての罪を負って十字架に掛かるということをされました。そして死んでよみに下り、三日ののちによみがえり、天に上り、神の右の座について世の終わりまでいつまでも共にいてくださる。この方、イエス・キリストを救い主として信じる者はイエスと共に死んで、新しいいのちによみがえります。あの十字架は私たちの、あなたの罪のための刑罰なんです。私たちが悪いのに、神のみ子がその罪を負ってくださり、私たちの身代わりに罪の刑罰を負ってくださったと信じてイエス・キリストに従おうと心に決めた者は、すべての罪がゆるされ、新しいいのちを与えられ、光の中を歩むようになるのです。
私たちがどれだけ悪いか、それはあの十字架が語っています。あれが自分に相当な刑罰なんです。そのくらい悪い。あなただけではなく、すべての人が・・です。

今あなたは、悪の道から、すべてを赦し愛してくださる神のもとに帰りなさい。神はあなたをまったく新しく変えてくださいます。
十字架はあなたの罪の重さを表すと同時に、それを赦すためなので、私たちをゆるすためにあれだけの苦しみを受けてくださった・・その愛の大きさをも表しているものです。
今、目を開きなさい。我に帰りなさい。自分のことしか考えない姑息な道から、神の愛を人々に押し流して、光の道を人々に示す人へと変えられなさい。

 God Bless You !
 神の祝福があなたの上にありますように!

———————————————————————
 
 もし悪質メールでお悩みの方がおられましたら、これを使ってみて下さい。著作権フリーです。(笑) また、ご希望の方には、今までたまったものを全てプレゼントします。(笑)
 全てのことを通して、神の愛が押し流されていきますように願っています。
 
 
2016.07.25.Mon 11:49 | 未分類 | trackback(0) | comment(1)
今回は5箇所のみ。9/8〜17です。

   TRIOB51609omotePC.jpg
 
 
 
2016.07.07.Thu 00:13 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
    next2016_1s.jpg
 
  いよいよ始まります。黒鯛プロデュース、第14回公演「テラバン」。7月28(木)〜31(日)、7回公演です。稽古が始まりました。改めてご注意申し上げますと、市原は役者をやります。・・なのですが、今回は演奏行為と言える部分が結構ありまして、、この黒鯛プロデュースの芝居をやらせていただいた当初に申しておりました、ミュージシャンが役者をやるみたいな中途半端なことはやりたくない・・といったようなとんがった考えはいつしか丸くなり、なんでもやりまっせモード全開の今回の公演でございます。どうぞお楽しみ下さい。チケットは市原まで、メールでもなんでもお申込みいただけましたら当日精算とさせていただきますので、お気軽にお申し越し下さい。がんばります・・。はい。

 Yuji Ohno & Lupintic Six・・始動いたしました。大きなホールが満員になるようなコンサートで新メンバーとしての、そしてドラマーとしての責任は結構プレッシャーがあるものですが、幸いいろいろな困難に直面 (笑) しながらも楽しんでやらせていただいています。芝居が終わり、8月には大阪と東京のビルボードライブ、そして奈良県橿原、京都府舞鶴に続き、北海道ツアー/網走大空町、帯広、札幌、函館と・・北海道は本当に久しぶりですので、楽しみです。また、大野雄二ピアノトリオとして、都内のライブハウスでもやります。お茶の水ナルで7/14(木).8/18(木)にやります。ベースは上村信。どうぞお楽しみに。

 その他、先月ご案内した7月の分と、8月は8/11(木)に国分寺のジーザスコミュニティ国分寺にて、毎年恒例のJAZZ+ゴスペル/夏のコンサートがあります。国分寺駅前、今年はいつもの会場が使用出来ず、いつも礼拝をしているその場所でのコンサートとなります。開演は1時半。入場無料です。毎月の歌声ペトラは7/12(火)と8/16(火)です。
 先ずは7/7(木) まきみちる&タイムファイブ/品川プリンス・ステラボール。7/9(土) Yuji Ohno & Lupintic Six/北九州黒崎ひびしんホール。7/15(金) 直居隆雄トリオ/沼袋オルガンジャズ倶楽部。7/18は市原よしみの子どもたちの発表会・・といっても、普通の発表会ではありませんでして、ゲストにワンツー・どんの歌のお姉さんとして4年間活躍した稲村なおこさんをお迎えし、サポートミュージシャンには市原とベースの小井政都志が参加するという贅沢な発表会。入場無料。お近くの方にはフラッとお寄りいただけます。
 
 急に暑い季節の気配がしてきましたが、7、8月、どうぞよろしく応援のほど、お願い申し上げます。

 それから、本家「TRIO’」。9月に短いツアーが決定しております。9/8(木) 高崎ケイノート。9/9(金) 新潟ジャズフラッシュ。9/10(土) 越生山猫軒。9/16(金) 軽井沢ならの木。9/17(土) 代官山レザール。チラシができ次第ご案内させていただきます。

 もうひとつ。先日、ドラマー市原康のキリスト教談義その4「信じることでしか出会えない神」をブログにアップしました。チラッと興味がある方には、読み始めるととても面白いと思います。是非ご覧になって下さい。6月28日付です。
 
 
2016.07.01.Fri 20:14 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1607談義

 
【信じることでしか出会えない神】

 私の友人の科学者はこんなことをメールで書いてきました。前後は略してあります。
--------------------
 これは市原に何度も伝えたかもしれないけれど、神はいるかもしれないし、いないかもしれない。
 そして、市原が言うとおり、神はあるかないかどちらかだ。
 でも、仮に神があるとすると、神は偉大すぎて人間などからは推し量れないほど大きい存在だ。
 三位一体という教義があり、市原の信仰がそれかどうかは知らない。
 でも、僕はイエスが神と一体などとは思わない。
 僕は曲がりなりにも科学に携わってきた人間で、疑って、疑って、疑って、それでも否定できないものだけが真理だと考えている。
 ただし、科学で推し量れないようなことは無限にある。
 宗教を持っている人はそれでもいい。
 ただし、僕自身は、神がいることは、人から見れば不可知なことだと思っていて、神を信じたりしない。
--------------------

 彼は(僕の目から見ればの話ですが)とにかく人やその他すべてのいのちに対して限りなく忠実に生きようとしている人で、僕が知る多くの人の中でもその徹底ぶりは稀有とも言えるような人物です。彼は神を全く信じようとしていないのですが、私が投げかけることばには忠実に応えようとしてくれています。上記の文の最後の行が特に印象的です。
・・僕自身は、神がいることは、人から見れば不可知なことだと思っていて・・
彼がいう通り神は不可知なんですね。なぜなら、これも彼が言っている言葉ですが、
・・仮に神があるとすると、神は偉大すぎて人間などからは推し量れないほど大きい存在だ。・・

同感です。神が創造者で人は被造物だったら人は神のことを「把握」できるというような立場には立てないですね。人の能力はまだまだ科学でも解明できていないところもあり、その奥深さは計り知れないものがあるそうですが、神がその私たちを造られたとなれば当然のこと、例え人がその能力を100%発揮したとしても、人という被造物がそれを造った神を把握するなどということは到底できないことです。これが神が完全なる創造者で人は完全なる被造物であるということの意味です。
 神は研究あるいは探求によって認知できるような存在ではないのです。人間の能力の限りを尽くして理論的に説明できたとしても、それこそ「絵に描いた餅」程度にはわかるかもしれませんが、どうあがいても「わかる」ことはかなわない存在。これこそが天地万物をつくられた創造者なる神なんですね。

宇宙の大きさの話を聞くと、本当に目眩がしてきます。神が天地を作られたという記述からはどう見てもこの地を中心として宇宙があるというように受け取れますが、この地球の大きさと宇宙の大きさを比べたら、この地球のために宇宙が存在するなどとは到底ばかげた考えのようにしか思えません。そんなことを思うとき、僕はこんなことを考えるんですね。もし自分が神で、宇宙と地球、そして人をはじめとする全ての生き物を作る存在で、ある計画をもってこの天地の始めから終わりまでを計画したとしたら・・。人間の能力がどの程度まで宇宙の謎を解くことができるかも知っているわけで、それに合わせて宇宙の大きさはどのくらいにするかなと考えるでしょう。そして人間が探求して見出すであろう宇宙の実体よりもほんの少しだけ大きいものにするんじゃないかな・・と。現在宇宙に関する人間の知識は、その端までをも見ようとする勢いで解明が進んでいますね。でもまだ謎だらけ・・。人間を宇宙の中で生きる者とするにはこれほど大きな宇宙が必要なんだなと・・そんなことを時々思ったりします。これは全く私の考えで余談に過ぎませんが・・。
 宇宙をつくったのが神でその同じ神が地球の上のさらにちっぽけな、一緒に住んでいてさえ忘れてしまうようなひとりひとりの「人」の存在を顧みられているというのは、これは理解を超えた、想像を超えた、人の想像力からすれば「あり得ない」世界です。

 神の存在は私たちの想像力をはるかに超えています。そんな神を人が見出すことなどあり得ないことです。しかし聖書の中に面白いことばがあります。「人には出来ないことが、神には出来るのです。」ルカの福音書18章27節 
人は自分の知恵では神を知りえないですが、神は人にご自身を現し、その存在を知らせること・・神が宇宙、地球、人を造られたのなら、神の側から人間にご自身を現すことは言うまでもなく可能なわけです。
ここが「信仰」という言葉を理解する上で大いに助けになるところです。人の知恵では分かりようがないのに神がそれを人に知らせる・・。先ほどの論法だとそれでも人は理解できないことになります。そこで神は人が神を知ることができるひとつのシステムを作られました。それが「信仰」です。その入口は「信じる」という行為。これも人間の知恵にとっては「想定外」ですね。頭や理屈で考えても「絵に描いた餅」。しかし信じた時、神は霊というレベルで人にご自身を現される。神がされることには驚かされるばかりです。因みに、この霊の領域というのは科学がほとんど手をつけられないでいる領域ですね。なんと、神を信じた者はこの霊の領域において神との交流を始めるんですね。これが「祈り」です。神との交流を始めた人は、神から語られたり神に語ったりするようになります。
旧約聖書の時代から神は人に「わたしが神である」と言い続けてきました。それに対して人の側では、それを信じたり拒否したりしてきたわけです。それは今でも変わりません。神は人に直接語ったり、また預言者(神のことばを預かって私たちに知らせる者。未来を予告する予言者ではない)を通して語ったりしてきました。さらに御子イエス・キリストを地上に送り、霊であり目には見えない神が人となり、神がどのようなお方なのかを示され、御子が十字架につけられて死んで三日ののちによみがえり、天にのぼり神の右に座しておられるということの意味を聖霊によって人々に教え、それから全世界に神からのメッセージが宣べ伝えられていきました。そして現在の私たちにはそれらのことを記した書物「聖書」によって、あるいは神が選ばれた器(宣教師とか牧師)によって私たちに語られているわけです。こうして神を受け入れなければ神との接点を持つことはできないが、神を信じる者の内に神はご自身を現す・・。そういうシステムを作られたんですね。

話はちょっと飛びますが、パウロは「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって・・」ローマ人への手紙1章20節
と言っています。僕は随分以前にこの箇所を読んだとき、その意味が皆目分かりませんでした。神の永遠の力と神性は・・被造物によって・・はっきり認められる、というのです。ええっ?そこらへんのものを見ただけで神の存在を認める人なんかいないよ、と思っていました。でも今はまことにその通りだと思うようになりました。先日外を歩いていたらトンボが家の壁で行き場を失ってパタパタやっていました。それを横目に見ながら通り過ぎ様に頭に浮かんだことは。こんな透き通った2枚づつの羽根で空中を自由自在に飛べるものなど、どうして偶然の積み重ねでできるわけがあろうか・・。
よくこんな話をするのですが、目玉と視神経とそこから情報を受け取って映像の意味を把握する脳の機能。この三つのどの部位が最初に出来たと思いますか? よく考えるとこの三つはどの部位にしろ、単独で存在する理由などはどこにもないわけで、この三つが同時に立ち上がるのでなくて、ひとつひとつが長い年月をかけて進化によってできたとするなら、無意味なものが次の進化を待って何億年も存在するということになります。言うまでもありませんが、そんなことはあり得ないことです。進化論のばかばかしさに気がつかない方がおかしいでしょうと今では思うのです。この三つは同時に出来たとしか言いようのない存在です。すなわち、これを作った設計者が存在したという方が妥当だと考える方が僕は科学的だと思うのです。このことをパウロは「被造物によってはっきり認められる」と言っているわけです。余談ですが、神はデザインの天才ですね。花や虫や微生物ひとつをとっても、そのデザインたるや腰を抜かすほど驚異的です。しかもユーモアまであるというから「完全に参りました!」です。でもこの「科学的」な話でさえ、信仰を持って神を受け入れた人でなければ認めることが出来ないようです。

大体神が人を造っておいて、そのことを人に知らせないのなら創造の意味もピンと来ません。せっかく天地と人やあらゆる生き物をつくっておきながら、生き物、特に「ご自身の形に造られた人間」が自分を造られた神の存在もわからずに、なぜ生きているのかもわからずに、死の意味もわからずに、人類の運命がどうなるかもわからずに、それがいつしか滅びるのか、あるいは果てしなく続くのかもわからずにいるのをただ見ているだけで、その行く手に全く介入しないのだとしたら、神の「人格」というか「神格」を疑わなくてはなりません。神はただの気まぐれで天地万物と生き物を作ったのではない。創造には意味があるのです。
聖書はなんと言っているかというと、神が天地創造の初めから現在に至るまでの過去、そして未来の「世の終わり」とその後の新天新地に至るまで、神が人にご自身を現され、また現されるのみならず、この苦難の世を経て、最後の最後に生きている人と死んだ人との裁きを経て天の御国を作るというところまで、神の御手の中ですべてが進められるのだと宣言しています。

信じることでしか出会えない神というタイトルでこんな話になってしまいました。では「信じる」そして「神と出会う」ことに一体どんな意味があるのでしょう。そのことについてはキリスト教談義の3「罪人だと言われるとどうも・・」.をお読みになってみてください。私たちには帰るべき家があるのです。私たちはまことの父の家から出てしまった家出人=放蕩息子だという話です。

 
  
2016.06.28.Tue 23:52 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
   1606談義

しばらく文章の修正のためにこのページを閉じていました。
改めてアップさせていただきます。


「罪人だと言われるとどうも・・」

5月の二週間のTRIO'のライブツアーで「市原さんはクリスチャンですか?」と、何度か聞かれました。そういう方々とお話をして僕は、多くの人はキリスト教の「本当のところ」を聞きたいという気持ちが少なからずあるんだな感じました。このキリスト教談義もそういう思いから始めたわけです。
しかしキリスト教の話を聞こうとすると決まってあなたは罪人(つみびと)だと言われる。そしてその時点でもう何も聞きたくなくなってしまう。だから話す側もそれを恐れてか、あまりそういうことは言わないで「神はあなたを愛してますよ。」と言って、それ以上何も言えなかったりする。そうするとこれを受け取る側はかなり自分に都合の良いように受け取ることになるんですね。だいたい愛していると言われると、私のことが好きなんだと思う。確かに神は大好きなどというレベル以上に私たちすべての者を愛している。自分の子なのだから。ところがその子が家出をしてしまって、あんたなんか親じゃないよと言っているんですね。父なる神は愛する子を喜んでいるのではなくて、その子が遠くに行ってしまって悲しんでいるんです。「神はあなたを愛している」という言葉の中にはそういう意味が含まれているんですね。

 ここに「罪人」の意味を知る鍵があります。犯罪者は確かに罪人です。でも聖書にはすべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができず・・(ローマ人への手紙3:23) と、すべての人が神から称賛されるような存在ではないと、きっぱり言い切っています。例えばマザーテレサだって例外ではないわけです。正確に言うと「例外ではなかった」。先日TRIO’のライブが終了したあとに、クリスチャンですか・・と聞かれたのでいろいろ話を始めました。その時に罪の話をしていて、「犯罪者だったら分かりやすいのですが、普通の善良な市民だとそれが分かりにくいんですよ」・・と話したんです。そうしたら、そんなことはない、自分が良いなどとはまったく思っていないと言うのです。
 何か感動的な話を聞いたときに「心が洗われました」と言う人がいますよね。あれは紛れもなく、自分の心は洗われる必要があるのだということを告白しているわけです。これはいったいどういうことなんでしょうか。自分の心が明るい、聖い、喜びに満たされているわけではなくて、苦いもので満ちていることが日常のことだと暗に言っているようです。

 聖書の最初の方に、アダムと禁断の実の話が出てきます。聖書の基本的な立場はこうです。神と正常な関係にある者は祝福、平安、喜び、そして完全に悪からの守りの中に置かれる。ところがアダムはそれを返上してしまったというのがあのエデンの園での出来事です。神と共に生き、その祝福の中で神を喜びながら生きるために神がアダムに命じたことはひとつでした。それは園の中央にあるリンゴの木・・ではなくて「善悪の知識の実」だけは取って食べてはならない・・というものでした。これを食べるとき、あなたは死ぬ・・神はそう言われたのです。ところが妻エバは悪魔にそそのかされて食べてしまう。そしてアダムも、妻が食べるのを制することもしないで自分も食べてしまうんですね。「必ず死ぬ」とは重大な情報でした。にもかかわらず神に背いたアダム。この時アダムは自分が享受していた神と共に生きる喜びの価値をまったく分かっていなかったのかもしれません。神が必ず死ぬと言われたことばの通り、善悪の知識の実を食べた瞬間に死んだのはこの神との関係だったんですね。(私たちはそれを霊的な死と言います) それこそが真のいのちでした。そしてアダムとエバは肉体的には死なず、善と悪を認識するようになった。善と悪を知る前は、アダムはもっぱら善の中に生き、悪を意識することさえなかった。それなのに善悪の知識の実を食べたアダムは、善悪を知った自分が悪を選んでしまうような者になっていることを目の当たりにするんです。それは、自分が神のことばに背きながら、その責任をエバに転嫁し、挙げ句の果てに自分のそばにエバを置いた神にのせいにまでするんです。エバはと言えば、アダムからこの実を食べてはいけないことを教わっていたのだから責任は自分にあるのに、悪魔に責任転嫁をしている。アダムとエバは今まで全く必要のなかった自己保身をする人間になっていました。このときからアダムとエバは、神の守りの御手の中に平安に生きるという限りなく大きな恵みから、自分を守ろうとするがゆえにさらに罪を重ねる「罪人」として、恐れ、不安、戦いの中で生きる道を歩み始めることになるんです。
 エバは「善悪を知れば神のようになる」という悪魔の声を受け取ってしまった結果、それがいかにも好ましいことと思えて食べてしまう。悪魔のささやきの一番のツボは「神のようになる」というところだったのではないでしょうか。人を造られたまことの神を絶対に認めようとしないのが罪人です。そしてもともと神の管轄である善悪の領域に立ち入り、神の座から神を追い出し、そこに自分が着こうとする。これが罪人の深い所にある願望なのではないでしょうか。「オレが神だ」と言う人・・結構います。どういうつもりで言っているのか、自分でも分かっていないのではないかと思うのですが、それは罪人の本質を自ら語っている姿に他なりません。そしてこの罪人の基本の姿は「最初の人」アダムからず~っと私たちに至るまでそうなんだと聖書は言っているわけです。
 アダム以来、世界の歴史は善悪を知りながら悪を選んでしまう哀れな人間の歴史だと言って良いのではないでしょうか。アダムの子どもたちは、早速兄弟同士で血を流し、人殺しをします。しかも「嫉妬」「自分が認められない」とかいうことが原因で人を殺すんです。これは今の私たちの姿そのものではないでしょうか。

———————————————————————
 「神」ということばをずっと使っていますが、神と言ってもそこら辺の神ではなくて、天地万物を創って、自分をも造って、いのちはその方の手の中にある・・そういう存在であり、又世の始めから終わりまでを一つの計画のもとに、その半分はすでに実行し、そしてこのあとに来る終わりの時までをもその手の中に治めておられる存在・・そういう全知全能の神です。
 聖書は創造の初めからこの世の終わりまでのことが1500年あまりの間に神の霊感によって書かれた66の書物によって構成されています。これらの著者のほとんどは師弟関係などのつながりはありません。さらにこれらの著者は創造の有様もこの世の終わりも勿論自分の目では見たことがないのです。にもかかわらず神の立場と神に関して語られていることはとにかく始めから終わりまで一貫しています。 
———————————————————————

 結局罪人とは父なる神を神と認めず、神から遠く離れ、できれば神なしでやってみたいと思いつつ、自分の考えと自分の力で歩もうとしている人たちのことを言っているわけです。自分中心の尺度で歩む人間が罪を犯さないのはあり得ないことです。まして心の中の罪に至っては全員「アウト」ではないでしょうか。イエス・キリストは悪いことを思っただけでも罪だと言われました。あなたの心の中を映し出すモニター画面というのがあったとして、それを胸に掲げ、街に出ることができますか? 肉の思いは自分中心でそのためには人を殺すことまでするのです。パウロはそんな自分のことを・・

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ローマ人への手紙7:24-25

罪人とは哀れな私たちの姿そのままを言い表した言葉と言えるかもしれません。罪を犯す者は罪の奴隷となると書いてあります。ならば、罪人とは神から離れて自由にふるまおうとしながら、完全に不自由な罪の奴隷となってしまった存在だと言えます。
イエス・キリストとは救い主イエスという意味です。神はキリストを、この哀れな罪人が帰るべきまことの家である神のもとへと導くことのできる唯一の道、いのちとしてお遣わしになったというのです。だからパウロは自分のことを本当にみじめな者=罪人だと告白したその直後に「主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」と一足飛びに感謝する者へと変わるのです。クリスチャンはイエス・キリストによって神のもとに帰ることを「救われる」という言葉で表現しています。それは罪の中で滅び行くみじめな人間が、罪の奴隷から解放され、まことのいのちが与えられるということです。

では一体どうやってイエス・キリストによって救われるというのでしょうか。

イエス・キリストは「神のひとり子である神」と表現されています。聖書に記された神と神の計画については本当に私たちの理解をはるかに超えています。キリストはこの世が神によって創造される前から父なる神と共にいたと、ご自身で言っています。(これだけでも目眩がしてしまいます。) そして、神=まことのいのちから離れてしまった人々の救済のために、人のかたちをとって地上に来られたというのです。
人は誰でもイエス・キリストを救い主として信じれば、キリストご自身が私たちのいのちとなってくださるという奇跡に遭遇します。そしてそのいのちのうちには、あの十字架と復活があります。あの十字架は罪人である私たちのために肉の性質を釘付けにしたもので、そのキリストご自身を救い主として信じる者は十字架につけられたキリストと共に罪に死に、復活されたキリストと共に永遠のいのちに生きるようになるというのです。こうして初めて人は罪人という拘束状態から開放され、神が用意されているすべての祝福の中、神の家に帰る者とされるというのです。神はその際に「信じる」という行為だけを私たちを迎え入れるための条件としました。行いによってではなく、ただイエス・キリストを救い主として信じることだけが救いの道だというのです。罪人が行いを正して神の前に良しとされることなどあり得ません。無理な話です。そんな私たちに救いの道が開かれたというこのニュースを英語ではGood News、日本語では良きおとずれ=福音(ふくいん)と言います。それは、良い物を受けるのにまったくふさわしくない者であるにもかかわらず良い物を受けるという、大いなる恵みの話です。

聖書には全巻を通してこのことがはっきりと書いてあります。これは完全な作り話か真実かのどちらかであって、その中間というものはありません。聖書はただの道徳とか善意についての教えが書いてあるものではありません。お読みになれば、拾うか捨てるか、どちらかしかできない書物であることがおわかりになるでしょう。

 こういうわけで、罪人だという指摘は、あなたを責めるためではなく、あなたが今立っているところの意味と、それに対して与えられている救いとを見るためにどうしても外せない部分なのです。罪人であることを認めることが神のもとに帰るための、罪の奴隷からの解放の絶対必要条件なのです。
 あのキリストの激しい苦しみ、そしてひとり子を十字架につけることの父なる神の痛みと悲しみは「罪人=あなた」のためのものだった・・ここに愛がある。愛する者がいて喜んでいるのではなく、愛する者のためにいのちを差し出す・・。神はあなたを愛しているとは、このことだと聖書は言っています。これが聖書に書かれている最も重要なポイントなんですね。

 神は愛です。 ヨハネの手紙第一 4章16節
 
 
2016.05.31.Tue 09:07 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
1606LP6アー写s

 5月のTRIO’/春のライブツアー。無事全行程終了いたしました。ご来場の皆様、応援を下さった皆様。ありがとうございました。TRIO’熟成という声も聞かれ、とても良い感触で帰って参りました。次回は9月に短期間のツアーをいたします。東京を中心に横浜、高崎、新潟方面へと、ただ今準備中です。
 さて、6月7月・・市原、かなり忙しくなります。6月からは大野雄二「Yuji Ohno & Lupintic Six」が始動。そして、7月には黒鯛プロデュースの第14回公演。市原は役者をやります。この公演があると、不慣れな舞台稽古にかなり身も心も持って行かれます。その他にもいろいろなライブがありますので、さて、、どういうことになりますでしょうか。市原を温かい目で見守っていただけましたら幸いです。

 ざっとご紹介いたしますと。
 6/2(木)、自由が丘マルディグラ/大久保明ユニット。いろいろなミュージシャンに会えるライブです。
 6/3(金)、赤坂B♭/林研一郎・Unit 9 Jazz Ensemble。毎年恒例となっています,6本の管によるジャズアンサンブルのグループです。
 6/8(水)、大野雄二ニューバンド/Yuji Ohno & Lupintic Sixの1stアルバム「YEAH! YEAH!」発売。http://www.vap.co.jp/ohno/discography/vpcg-83511.html 市原からも購入出来ます。送料無料、振込手数料不要・・お得ですっ!
 6/9(木)、塚山エリコオルガン4/feat.直居隆雄gt./調布・さくらんぼ。
 6/10(金)、金城寛文5、お馴染み、菊川・な〜じゅです。
 6/12(日)、いよいよ大野雄二/Yuji Ohno & Lupintic Six。デビュー公演、東京はタワーホール船堀です。大変申し訳ありませんが、チケットは完売となりました。
 6/16(木)、先日TRIO’ライブをした浜松町・サンミケーレにて、市原が集めたユニットでのライブ。サックスの小池修を中心に、ピアノとベースは若手、松本茜と大塚義将を迎えて、誰もが聞いたことのあるジャズ特集をやりたいと思っています。
 6/17(金)、大野雄二/Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochan’s。松本市民芸術館。女性三人の強力chorus「Fujikochan’s」を加えてのルパンコンサートです。
 6/18(土)、同じく大野雄二/Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochan’s。上田市サントミューゼです。
 6/19(日)、古野光昭4、蕨アワーデライト。アルトサックスの纐纈歩美/コウケツアユミを迎えてあとはギターの道下和彦と市原、古野のおじさまたちがサポートします。
 6/21(火)、歌声ペトラ。毎月の新しい賛美歌を歌う会です。
 6/25(土)、大野雄二、ピアノトリオ編成で香川県ユープラザ宇多津。ベースは上村信です。
 6/26(日)、豊橋で、「突撃おたま苦楽部、CDリリース記念ライブ」。これが又面白いアルバムで、タイトル「Adult Toy Box」の通り、大人のおもちゃ箱状態。飽きの来ない選曲内容になっています。ピアノの納屋嘉彦を中心にリズムセクションが市原と岡沢章、岩瀬立飛と俵山昌之、そしてギターに伊丹雅博。パーカッションに仙道さおり、ボーカルが石塚まみ。さらにこれらが入り交じってのライブ。アルバムも是非お聴き下さい。市原へメールを頂ければお送り出来ます。TRIO’のCDと同じ要領で販売させていただいていますので、どうぞよろしくお願いいたします。このアルバムの評価をある方が書いて下さっています。こちらをご覧下さい。http://sakejazz.hamazo.tv/e6821518.html 
 7/7(木)、JCAA/日本作編曲家協会主催/タイムファイブ+まきみちる/品川ステラボール。これも毎年恒例となっています。
 7/9(土)、Yuji Ohno & Lupintic Six/福岡県黒崎ひびしんホール。
 7/12(火)、歌声ペトラ。
 7/15(金)、直居隆雄トリオ、オルガンの河合代介さんとのトリオです。沼袋オルガンジャズ倶楽部
 7/18(月,祝)、市原よしみのリトルミュージシャンコンサート。南大沢文化会館。
 そしていよいよ、
 7/28(木)〜31(日)、黒鯛プロデュース第14回公演。「テラバン」築地本願寺内プティストホール。こちら市原は役者です。チケット・・市原までお申し込み下さい。たくさん来てね。
  http://prestage.info/2016/05/14/6362 

 と、こんな調子で、急に忙しくなる市原です。体と気力がついていくのか・・。みなさん、やさしくしてね・・・。
 
 当ブログでの「ドラマー市原康のキリスト教談義」、第三回「罪人だと言われるとどうも・・」をアップいたしました。ご覧下さい。第一回は「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」。第二回は「熊本地震・・神は何をしているのか」です。

 ライブ詳細はホームページ http://i-produce.net からライブ〜6-7月をご覧下さい。

 ということで、6-7月も皆さまのお越しをお待ちしています。ドラマー市原康、Yuji Ohno & Lupintic Six、黒鯛プロデュース、そしてTRIO’。どうぞよろしくご贔屓のほど、よろしく御願い申し上げます。
 
 
2016.05.28.Sat 17:41 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
罪人だと言われるとどうも・・2016.6

文章を修正した物を5/31日付で別にアップしました。
ご覧下さい。
2016.05.28.Sat 16:39 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
    1604談義2-3

 自分はクリスチャンですと言うと、よくこんな質問を受けます。・・神が愛の神なら何故戦争があるのか飢饉があるのか・・など、神は人の不幸を見ていながらなぜ何もしないのか・・というのです。

 ちょっと話は逸れますが、今の世において戦争も飢饉もそれは人災だという話を聞いたことがあります。近代の戦争はとにかくふたつの国や民族が互いに緊張状態にあることを望む一団、すなわち両者に武器を売って緊張を煽り、戦争になればその儲けが倍増する軍産と言われる一団と、それを後押しして利益を分かち合おうという人々によって引き起こされているのだというのです。金儲けのために戦争を起こさせようとする人々が巨大資本とくっついているとしたら、戦争がなくなる日など、夢物語にすぎないということになります。難民、あの人々の姿は弱者の代表で、莫大な利益をむさぼるそのような人々の犠牲になっている姿そのものです。飢饉も、世界の食料を人口で割れば、食料は十分にあるという話を聞いたことがあります。食料が十分に回らない何らかの理由がいつも紛争だったり搾取だったりする。これらはみな、ある一部の人たちの利益追求の結果として起きている「無くても良いはずのわざわい」で、それが世界中至る所で見られるというのが現実のようです。今、世界はほんの数%の人が、それ以外の全ての人の財産と同じだけの富を握っているのだそうです。もしその人たちがその財産を貧しい人たちや平和のために用いようとするなら世界は激変するでしょうが、そうではなくて戦争をさせたりすることで、さらに富を貯め込もうとするなら、世界は真っ暗でしょう。いや、どうもそれが今の世界の現実であるようです。日本人はその辺のところには驚くほど無関心と言うか、報道もされないので「世界の流れ」などについてはおよそ興味がないかのようです。今の世界の状況は人間の強欲の形がますます目に見えるように現れてきていると言っても良いのではないでしょうか。聖書には人は生まれながらの罪人だと書いてあります。基本的に自分中心なのであって、その人間が思うままに世界を支配している。そしてその欲はとどまるところを知らない・・これが今の世界の姿です。(聖書は支配している人たちだけが罪人だと言っているわけではなく、すべての人は・・と言っています。世界情勢から家族の関係まで、この罪の性質の支配下にあるというわけです。)

 では、全ての悲惨な事象が人の罪から発しているのかというと、勿論そうではなく自然災害などもあるわけです。それらも含め、今世界中の悲惨な状況の上に神がいるというなら、神はどうしてそれを許しているのか・・というのが世の人々の受け止め方なのではないでしょうか。神が全能なら悪人を罰し、自然災害だって全能の力によってコントロールすれば良いではないかというわけです。
 ところで私たちクリスチャンは神が全能であることを信じています。だから、神は思いのままに悪人を罰することも出来るし、自然災害だって、コントロールすることが出来ると信じています。だいたい天地万物=宇宙とその中のすべてのものを創られたのだったら、災害が起こらないようにすることなど、朝飯前なわけです。だとすると・・。そうです。神はこれらのことが起こっているのを承知しているということになります。そんな神なら要らないよ・・という声が聞こえてきそうですね。
 もし私たちが要る要らない、又いるいないで、神のことを決められるのだとしたら、それはもはや「神」ではなく、人によって考え出された「人にとって都合の良い存在」でしかありません。人間の手によるのであれば、それはすでに神ではないはずなのですが、人々が持っている「神」のイメージはどうもそういうもののようです。要するに、私たちにはもともと全知全能の神を神として認めるという発想がない。だから世の中の人は「神」という言葉を使っていながら、本当に神だとは微塵も思っていないので、神の話をしても全く通じ合わなかったりするわけです。

 クリスチャンは神のことを「父なる神様」とか、もっと親しみをこめて「天のお父さん」と言ったりします。神が私たちを造られたのならば、神こそがまことの父であり、本来親子関係で、父の家に住むのが当然である存在です。だからクリスチャンは帰るべき家に帰ったという感覚を持っています。ところが世の中の人は神に向かって「お前なんか親でも何でもないし、知らないよ」と言って背を向けているわけです。神が私たちの本当の父だとしたら、それはそれは悲しまれるのではないでしょうか。このようにクリスチャンというのは、世の中の人とは根本的に違う神概念を持っています。というより、本当に神を神だと思っているのです。神は人と同等ではない。クリスチャンは創造者である神と被造物である人という関係を認めた人たちなのです。

 それに関連して、死についてもクリスチャンは世の中の人たちとは違う概念を持っています。簡単に言ってしまえば、肉体の死はあるひとつの通過点であり、そのあとに世の終わりの時があって、その時には永遠の滅びか永遠のいのちのどちらかがあるというのです。そうなってくると、この世における肉体の死に対しての見方は大幅に変わってきます。その死に方が病気だろうと、災害だろうと、老衰だろうと・・。そして、悪事を尽くしても長生きする人がいれば、善人でも悲惨な最期を遂げる人もいる。また幼いときにいのちを失う子どももいる。こういうことに対しての受け止め方も当然見方が変わってくるわけです。簡単に言ってしまうと、死に方やその人の地上での生涯の幸不幸という事がらは、その先にある永遠への行き先を決めるものではない・・。クリスチャンはそういうところに立っている人たちです。

  旧約聖書にはイエス・キリストがメシヤ=救い主として来られることが書いてあります。イエス・キリストは今から二千年前の新約聖書の時代に人の子として登場しますが、旧約聖書の中の書物はその時代に最も近いものでも紀元前400年に書かれています。キリストが人の子として生まれる400年前です。さらに旧約聖書の中でキリストの十字架の様子が最も克明に書かれているのがイザヤ書という預言書ですが、これなどは700年も前の書物です。そして聖書には世の終わりのことが旧約聖書にも新約聖書にも書かれていますが、これは言うまでもなく、私たちが生きている今の世よりも後の話です。世の終わりに際して起きることの順番は色々な見解の相違があるようなので細かいことには触れませんが、世の終わりの前兆として確実に起きることとして、偽キリストの登場、戦争、民族や国同士の対立、方々に起きる飢饉と地震。クリスチャンに対する迫害などがあるとキリストは言われました。私は今から30年前に、民族が民族に敵対すると言われてもまるでピンと来ませんでした。今は民族とかいう時代ではなく、国と国の時代なのだ。やはり昔に書かれた書物だなと思っていました。ところが1991年にソビエト連邦が崩壊してからというもの、民族同士の対立は日常茶飯事のようになっています。それは予想だにしなかったことです。今の世界の流れと、聖書にある「終わりのとき」の流れと食い違う点を探す方が難しいくらいです。飢饉も地震も戦争も、収まっているものなどひとつもありません。イエス・キリストは「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。・・マルコの福音書1:15」と言われました。悔い改めよとは、まことの神を本当に認めよ、そして神に立ち返れ、ということです。神は今までずっと、人々のしてきたことを見てこられた。そして神は御子イエス・キリストを遣わし、私たちの罪の身代わりの贖いとして十字架につけ、これを見よと言われたのです。それまでイスラエルという特定の民族と神との関係の中で、民は結局神に従うことが出来ず、神を忘れ、祝福ではなく呪いを招くことを繰り返し、最後にはエルサレムの神殿は破壊され、イスラエルは完全に崩壊してしまうのですが、その40年前にキリストはこの贖いの手続きを完成させたというのです。しかも、それはイスラエルという特定の民のためではなく、世界のすべての国民のためだと神は使徒たちに教えられました。神とイスラエルとの契約はイエス・キリストの十字架以降、全世界の民との契約とされたのです。キリストは十字架上での最後の言葉として「完了した」と言われました。これはもう、神の前にいけにえの動物のささげものをして神との関係を保つという古い契約を終わらせ、新しい契約が完了したことの宣言です。キリストご自身が神の前の永遠のなだめの供え物となられたのです。そして、キリストは頭をたれて、霊をお渡しになり、葬られ、三日の後によみがえり、天に上られた。これが新しい契約の時代の始まりです。この神こそ、まことの神であり、世界中のすべての民の罪の赦しのために御子イエス・キリストにあの激しい苦しみを十字架の上で負わせられた・・ここに神の愛が形をとって現されたのだと聖書は言い切っています。神は愛です。でも、その愛は私たちが想像するようなところにではなく、「ここ=十字架の贖い」に神の愛が現されたのだというのです。
 全知全能の神は世の初めからこの全てを見据え、終わりまでを計画された。それが余すところなく記されているのが聖書です。そんな大胆なことが書かれた書物がもし作り話ならうっちゃっておけば良いですが、そうでなかったらこれはとんでもない書物で、私たちに差し出された問題は二択・・「信じるか信じないか」ということになります。

 今、熊本で被災した方々は本当に辛い毎日を送っておられることと思います。東北の被災者の方々も未だに元の生活を取り戻してはいません。神は何をしているのか・・。神が世の初めから決められたことは、滅びゆく魂のために御子イエス・キリストの、死とよみがえりのいのちそのままを私たちに与え、人々に神との関係の回復という死を超えた永遠の祝福を与えることでした。この愛の神が、今苦しみの中にいる熊本の人たちを愛していないわけがありません。神は涙を流しつつ、この最後の時を迎えようとされている・・。熊本だけでなく、大震災はいくつもあったし、これからも世界中でありそうです。また飢饉もあるし、戦争も止みそうにありません。今世界中の人が理不尽な死を迎えて亡くなっています。そしてそれはとどまることを知りません。悔い改めよ、悔い改めよ、神は生きておられる。神のところに永遠の命があり、全ての地上の困難、悲惨、苦しみからの解放と永遠の祝福があるのだと聖書は教えています。クリスチャンは生ける神の働きのためのしもべとして全ての社会生活の中で生きる者とされています。そして主なる神がこれほどまでに愛しておられるすべての人々にイエス・キリストこそが救いであることを伝えたいと願っています。だからクリスチャンは被災した方々にも愛をもって具体的な支援をし、そこに今も生きて働かれるイエス・キリストに人々が目を向けることを願って、神と人に仕えるわけです。

 熊本地震、神は何をしているのか・・。神は天地万物を造られた当初からの人類救済のご計画を愛の中で確実に進められている・・。これが答なのだと思います。

  
2016.05.02.Mon 12:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
    1604-5.jpg

 TRIO’ 2016 春のライブツアー・・5月8日(日)〜21(土)。近づいて参りました。大まかなスケジュールは以下の通りですが、いろいろお問い合わせを頂き、やはりご予算が分からないと行きにくいですよね。そこでホームページにはそれぞれのミュージックチャージを載せました。一般のライブハウスでは大体そのサイトでご確認出来ますが、そうでないところも含めて、掲載しました。http://i-produce.net の「live」の4-5月をご覧下さい。
  8(日) 東京/南青山 Body & Soul
  9(月) 熊谷 スペース1497
 10(火) 鶴岡 三瀬ユースホステル 
 12(木) 山形 NOISY DUCK
 13(金) 仙台 Jazz Me Blues noLa
 14(土) 柏崎 うたげ堂
 15(日) 豊橋 Jazz & Dinning コティー
 16(月) 浜松 ポルテシアター
 17(火) 横浜 ドルフィー
 19(木) 高崎 ケイノート
 20(金) 東京/代官山 LEZARD 
 21(土) 東京/浜松町 サンミケーレ 開成ライブ ゲスト/市原ひかり

 そして、6月からは今まで10年続いた「大野雄二/ルパンティック5」がリニューアル。市原がこれに参加することになりました。今までのメンバー 大野雄二pf、松島啓之tp、鈴木央紹sax、和泉聡志gt に加え、エレキベースの長岡道夫、そしてドラムの市原、さらに超若手/ひかりとほぼ同期です、宮川純0rg/ベテランに負けない強力なプレーヤーです/という編成になっています。新しいグループの名は「Yuji Ohno & Lupintic Six」。6月から活動開始です。先日このグループのニューアルバムのレコーディングを終えました。それともうひとつ、このグループに三人の強力なボーカルが加わって「Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochan’s」というバージョンもあります。ボーカルに佐々木久美、Tiger、佐々木詩織が加わります。詳細は大野雄二サイトをご覧下さい。こちらでも来月にはご案内いたします。 http://www.vap.co.jp/ohno/info/index.html#160323 

 おっと、4-5月のその他のライブ、4/9(土)古野光昭カルテット/町田ニカス。4/16(土)岩渕まこと・Acoustic Bonbon/狭山ギンイロヒコーキコーヒーハウス。それと、毎月の賛美歌集会/歌声ペトラは4/19(火)、5/31(火)、となっています。

 お知らせ・・当ブログで「ドラマー市原康のキリスト教談義」という連載をしたいと考えました。このライブインフォメーションのお知らせのタイミングに合わせて書いていこうかなと考えております。まず第一回目は「あんなことしてる人が、どうしてクリスチャンなの?」というタイトル。おもしろそうでしょ? 覗いてみて下さい。この下です。

 4,5月のライブ、TRIO’ 春のライブツアー。皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。詳細はドラマー市原康のホームページ http://i-produce.net をご覧下さい。
 
 
2016.04.02.Sat 10:41 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
   1604.jpg


第一回 「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」 2016年4月

 世の中の人は、「クリスチャン」に対して、おおむね良い印象を持っているようです。中にはひどい人もいるけどね・・と。それは自分を犠牲にして貧しい人や弱い人のために生涯、時間を捧げて死んでいく人が歴史上も数多くいるからでしょうか。マザー・テレサのように知らない人はいないくらい有名な人から、人知れずそのような生涯を送り、人知れずこの世を去って行く人も数えきれないほど多くいるのではないかと思います。宮沢賢治の有名な「アメニモマケズ」という詩があります。
  
  雨にも負けず
  風にも負けず
  雪にも夏の暑さにも負けぬ
  丈夫なからだをもち
  慾はなく
  決して怒らず
  いつも静かに笑っている
  一日に玄米四合と
  味噌と少しの野菜を食べ
  あらゆることを
  自分を勘定に入れずに
  よく見聞きし分かり
  そして忘れず

   野原の松の林の陰の
  小さな萱ぶきの小屋にいて
  東に病気の子供あれば
  行って看病してやり
  西に疲れた母あれば
  行ってその稲の束を負い
  南に死にそうな人あれば
  行ってこわがらなくてもいいといい
  北に喧嘩や訴訟があれば
  つまらないからやめろといい
  日照りの時は涙を流し
  寒さの夏はおろおろ歩き
  みんなにでくのぼーと呼ばれ
  褒められもせず
  苦にもされず
  そういうものに
  わたしはなりたい 

 宮沢賢治は「そういうものに、わたしはなりたい」と言ったのです。この「そういう者」には実在のモデルがありました。1887年に岩手県花巻でお寺の三男に産まれた斉藤宗次郎という人物。この人は内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになりクリスチャンになりました。ヤソ、国賊と言われ、石を投げられ、親にも勘当された人物・・これがこの宮沢賢治の詩の中に登場する人物「こういうもの」です。このように現代の人からは名前すら知られていない人でも多くの人を感動させ、自らがキリストのように死んだ者となり、そこに大きな偉業を成し遂げた人物・・。それは歴史の中で数えきれないほどいるようです。日本人で誰もが知っているような人物は他にもいないかなとちょっと調べただけで、野口英世、滝廉太郎、杉原千畝、賀川豊彦、、、おもしろそうな人がたくさんいそうです。

 さて、本題はここからです。世間一般の人はクリスチャンに対してあるイメージを持っています。「敬虔なクリスチャン」という言葉から思い起こされるイメージは「聖い」「汚れのない」「悪からは全く遠ざかっている」「この世の遊興などとは縁のない」・・といったイメージで、もしそのようなイメージに合わなかったら途端に「クリスチャンのくせに」などと言う厳しいことばが飛んでくる。そして一方で、自分はそんな堅苦しい生活はまっぴらごめんだ・・あるいは、自分にはそんな風にはなりたいとも思わず、出来るとも思っていない。
 日本のクリスチャン人口は1%にも満たないと言われています。要するに99%以上の人がクリスチャンではないのです。これは欧米その他、イスラム圏以外の国では考えられないほどの低い数字です。そういうほとんどの人たちがクリスチャンという存在に対して、以上のような見方をしている。あるいは、あんなことをしているひとがどうしてクリスチャンなの・・と言った見方さえする。また、聖書に対して学者的な知識は持っているもののクリスチャンではないという人も大勢いる。この人たちが全く知らないこと・・それをここに書きたいと思います。

 クリスチャンというのは・・・、自分の愚かさ、弱さ、無力さ、自己中心、横柄さ、高慢さ、陰険さ、悪辣さ・・書いていけば切りがない、世の一般の人がクリスチャンに対して持っているイメージとはおよそかけ離れた自分の中にある本質を思い知った人、気がついた人・・そういう人がなるものです。あるいは、クリスチャンになってから自分がそのような愚かな者であることを信仰生活を重ねるほどに思い知る。それがクリスチャンという人間の共通した特徴です。およそ、世間一般の人がイメージするクリスチャン像とはかけ離れた者であることを自分の中に見ている・・そういう人です。そしてあの偉大な人たちも、例外ではないのです。例外と言うよりも、あの人たちは自分の中にある「聖さとはおよそかけ離れた心の実態」を人一倍知った人たちなのです。要するに、神の前に完全に降参した人たち・・。これがあの偉人たちの本当の姿なのです。自分に降参して、神に完全に明け渡した人、、だからこそあの偉大な業を行うことが出来た・・。それは絶え間ない努力や修行や行いによって自分を高めてきたのではなく、良いものが何ひとつないような自分のために与えられた「救い」を受け取ったから出来たのです。これがクリスチャンの本質です。この救いとはあの十字架にかかって激しい苦しみの中で死んで、そして三日の後によみがえったイエス・キリスト、その方ご自身のことです。「バカ、死ね!」と言われるどうしようもない人間。まさに自分がそれであると知ったときに、本当に死んでよみがえったイエス・キリストがそのまま救いとなる・・。これがクリスチャンのスタートラインです。この救いにこそ人に大きな偉業をなさしめる力があるのです。偉業と言ってもそれは歴史的な偉人であるか、全くの無名な存在であるかには関係ありません。刺青悶々の人が回心して牧師になるというケースは結構ありますが、これなどはとてもわかりやすい例です。

 世の中の人たちが全く知らないのは、実にこの点です。どうしようもない人間は、日々、神から与えられたまことの救い、十字架にかかられて死んでよみがえられたイエス・キリストを見上げ、そのような者に与えられた計り知れない神の恵みと愛とを思い知りつつ歩む。これが「クリスチャン」の歩みなのです。あの偉人たちも間違いなくそのような歩みをしてきた人たちです。だから、彼らは誰に対しても高ぶる思いで接することはしない、、いや、、出来ないんです。全てが恵みによって与えられていることを知っているから。自分に何か褒められることがあってそれが出来ているのでは全くないことを知っているから。でも勿論クリスチャンになった人が一辺に「聖人」になるわけではなく、自分のその古い性質と戦いながら「キリストの形」に変えられていくので、あれでクリスチャンなの?と言われることはいくらでもあります。

 十字架・・不思議です。世界中でこの十字架を見ることができるのですが、その意味を知っている人はあまりいないんですね。少なくとも日本には百人にひとりもいない・・ということになります。
 クリスチャン・・それは神の前に降参した人・・なんです。そもそも神とは人が作ったものでしょう・・と言っているのが世の人たちです。それが、神を神とした人・・これがクリスチャンなのです。神とは天地万物を創られ、人を創られ、その愛をもって永遠を計画しておられる、人の知恵、知識、理解力では到底カバーすることの出来ない全能者という存在です。この神を信じると言うこと・・これがまさに奇跡の始まりなんですね。

 God Bless You ! 
 
  
2016.04.02.Sat 10:07 | 日記・エッセイ | trackback(0) | comment(0)
大野雄二、活動再開 「Yuji Ohno & Lupintic Six」・・市原が参加します。かなりハードです。はい。

http://www.vap.co.jp/ohno/

http://www.vap.co.jp/ohno/info/index.html

http://www.vap.co.jp/ohno/live_event/index.html
 
2016.03.24.Thu 00:43 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
    1603.jpg

 花粉症の季節に突入。そしてあっという間に桜の季節がやってくるのでしょうか。我が「TRIO’」は今年で12年目を迎えました。当然私の歳もそれだけ取るわけで・・。でも私が若い頃にはこんなことは考えられませんでした。六十代のおじさんが現役で演奏していて、しかも車でツアーをしているなんて・・。私が高校生の頃、渡辺貞夫はあこがれのおじさまでした。おじさまだというのに大胆にGパンなどはいてて・・チョーかっこ良かった。・・といってもあの頃のおじさまの貞夫さんは三十代ですよ。完全に時が経つのを忘れていますね、私たちは・・。しかも、まだやる気でいるんですから・・(笑)。あっ、私、Gパンはいてます。
 ところで今回は3,4月号なのですが、まずはひと月飛び越えて5月にやります「TRIO’ 春のライブツアー」のご案内。やっとスケジュールが最終決定いたしました。ざっとご案内いたします。詳細はホームページ http://i-produce.net をご覧ください。

 TRIO’ 2016 春のライブツアー・・5月です。。お間違えのないように。
  8(日) 東京/南青山 Body & Soul
  9(月) 熊谷 スペース1497
 10(火) 鶴岡 つるおかユースホステル 
 12(木) 山形 NOISY DUCK
 13(金) 仙台 Jazz Me Blues noLa
 14(土) 柏崎 うたげ堂
 15(日) 豊橋 Jazz & Dinning コティー
 16(月) 浜松 ポルテシアター
 17(火) 横浜 ドルフィー
 19(木) 高崎 ケイノート
 20(金) 東京/代官山 LEZARD 
 21(土) 東京/浜松町 サンミケーレ 開成ライブ ゲスト/市原ひかり

 今年のTRIO’、どんなイメージになっていますか。新しいTRIO’との出会いをしていただけたらうれしいなと、、そんな風に思っております。今からどうぞスケジュールのチェックを・・。
 さて、本題の3-4月のスケジュールに戻ります。今回もかなり多彩です。(笑) 3/4(金)はお馴染み「金城寛文6」菊川・な〜じゅ。今回はトランペットの高瀬龍一さんをゲストに迎えます。3/18(金)は直居隆雄トリオ/沼袋オルガンジャズ倶楽部。オルガンの河合代介さんとギターの直居さんとのトリオです。3/21(月)は鳥取に行きます。秋の鳥取の芸術文化祭に向けてのイベントのひとつで、子どもたちにジャズを紹介するレクチャーシリーズ第一回。「What is Jazz !?」と題して、菊池ひみこが奮闘します。そしてその晩にはお馴染みアフターアワーズで菊池ひみこトリオ・・ベースは斉藤クジラ誠というお馴染みのメンバーでのライブがあります。勿論大人の時間です(笑) 。翌日3/22(火)はお茶の水OCCでの「歌声ペトラ」・・新しい、普段着の賛美歌を歌う会で、市原は進行役をいたしております。ドラムはたたきません。3/26(土)には石神井公園の氷川神社「こもれびの庭」にて、「杜のジャズ祭(仮称)」PIANO TRIO JAZZ RESONANCE と題して、屋外ステージで三つのジャズピアノトリオが出演いたします。私のグループは「市原康 Special Unit」と大きく出まして、ピアノはTRIO’の福田重男、そしてベースに若手の注目株、大塚義将というメンバーです。12時から16時半までやっていますが、市原のグループの出演は15時〜16時半となります。雨天の場合はどこか屋根のあるところでやるらしいです。そして翌日3/27(日)には全く毛色の違う、いつもはビートルズの曲ばかりやっている六本木アビーロードで「みちる Sings Your Hit Parade」と題して、あの「若いってすばらしい」でお馴染みのアイドルの草分け「まきみちる」が歌いまくります。このバンドのメンバーがまた普通では考えられない顔合わせ。みちるちゃんの顔が集めた不思議なバンドという感じ。ざっとご紹介しますと、平岩嘉信key,松山文哉key,林仁g,松宮幹彦g,木村キムチ誠perc,斉藤クジラ誠eb,斉藤妙子cho,菅井美和cho,・・と、どんなになりますか。予測がつかないのが楽しみ。4/9(土)は古野光昭4。私は初めて出演します町田/Nica’s。ピアノに大先輩の市川秀男さん。そしてテナーサックスにルパンバンドでお馴染みの鈴木央紹。そして4/16(土)にはまた毛色が全く違う、クリスチャン・シンガーソングライターの岩渕まこと/Acoustic Bonbonライブ。岩渕氏が家族で立ち上げた狭山の「ギンイロヒコーキコーヒーハウス」にて、ウッドベースの谷源昌とのトリオ編成。狭山市まで来られれば、気分転換間違えなし。

 ・・と、ざっとこんな感じのペースです。そして5月のTRIO'ツアー。
 詳細は、ホームページ http://i-produce.net ライブ/2016.3-4月をご覧ください。
 皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。
  
 
 
2016.02.23.Tue 00:08 | 日記・エッセイ | trackback(0) | comment(0)
   1601-2.jpg
 
 旧年中はあたたかい応援、ご支援をありがとうございました。今年も市原康個人として、TRIO’として、活動を続けて参ります。なにとぞ宜しくお願い申し上げます。今年は何か不穏な幕開けとなっていますね。中国、北朝鮮、中東、移民、テロ、またそこから派生して世界同時株安など。また地球温暖化に伴う異常気象の心配はさらに深まりつつあるように見えます。20年前にはまさかこんなに地球が揺さぶられる年が来るなんて、想像だにしていませんでした。以前、私は原発の問題についてこの場でも語ってきたことがありました。しかし、それ以後は政治的な、また人道的な問題についても敢えて触れないでいました。神の愛は、自民党だろうが共産党だろうが、また詐欺師だろうが、殺人者だろうが、餓死していく人の上にも、またそれをもたらすような行為をしている者の上にも徹底的にそそがれている・・。だからこの最も大切なことの焦点がぼやけることからは遠ざかっていました。しかしながら、近ごろアメリカ大統領選挙が近づいてドナルド・トランプという人の発言がお茶の間にも伝わってきています。久しぶりに発言したくなり、ブログにもアップしたりと、そんな年明けです。(http://ichiharablog.blog83.fc2.com/) お時間がありましたらご覧になってください。添付の写真は家内の惠美(ヨシミ)の詩です。年賀状に使いました。苦しさ、悩み、痛み、不安の中に見出す光、それがいのちをくれる・・。その光を皆さんと分かち合いたいと願っています。
 さて、年開けて、1-2月はまったりした(笑) スケジュールとなっています。ちょっと毛色の変わったライブが少々と毎月の歌声ペトラという賛美歌の集会のみで、あとはのんびりした感じです。その間に東京音大の入試があります。我が東京音大のインストコースは「リーダーシップ」を取れる演奏家の育成を目指しています。ドラマーであっても作編曲に携わり、また意見を言うことが出来るような人材育成です。今回の入試はともかくとして、もし興味がおありでしたらいつでも市原までお問い合わせください。高一くらいから、受験生のための夏期講習など、音大の空気に触れることが出来るイベントがいくつかありますのでチェックなさってください。ライブ情報の入試の日程のところから、入試要項、インストゥルメンツコースにリンクしています。ただし作編曲などは興味がなくて、とにかくドラマーになりたいという方にはこのコースはおすすめできません。
 1/21(木)、東京駅からすぐのCOTTON CLUBというところで、ジュディ・オングさんのバースデーライブをやります。この日はもっぱらジャズです。普段聴くことの出来ないジュディさんをどうぞ。そして翌日1/22(金)、これまた久しぶりですが、以前NHKの「青春のポップス」という番組に参加させていただいていましたが、あの感じを彷彿とさせる「ときめきスタンダードポップス“一夜かぎりの夢の共演”」というステージ。伊東ゆかり、今陽子、尾藤イサオという、やはり私の年代の方でないと・・かな? かつしかシンフォニーヒルズ/モーツァルトホールです。そして1/29(金)はお馴染み、大久保明(ギター)カルテット。サックスの小池修を迎えての濃いひととき。狭いライブハウスですが、ミュージシャンのたまり場のようになっています。ミュージシャンでない方にもおもしろいと思います。

 詳細は、ホームページ http://i-produce.net ライブ/2016.1-2月をご覧ください。
 皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。
 
 
2016.01.08.Fri 19:23 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
私はSNS上での政治的な発言を控えてきました。なぜなら神の愛は自民党だろうと共産党だろうとすべての人の上に注がれているのですから、この最も大切なことの焦点がぼやけるようなことはするべきではないと思っていましたから。
ところが昨今の世界の動きを見ていて「発言」をしたいという思いに駆られました。今、ヨーロッパではシリアからの難民で溢れかえっています。難民を受け入れていくと、当然のことながらヨーロッパ各国の低所得層は職を失うことになります。難民の方が安い賃金で雇えるからです。当然のこと、難民に対して強い反感を持つ層の力が増してきます。しかもテロを心配しなければならないとなるとその反感が勢いを増すのは必至と言えるでしょう。
アメリカの共和党大統領候補のドナルド・トランプという人は破竹の勢いで支持層を集めています。彼はイスラム教徒を入国させるなと言っています。ヨーロッパでも難民を締め出す政策を声だかに叫ぶ指導者への支持が高まってきています。これらの現象は現地が被る負担のことを思えば避けえないことと言わざるをえません。もはや同情や博愛精神などで頑張っても、とても抗し切れる状況ではない日が目の前に迫っているようです。
みなさん。この流れはすでに避け得ないものであることを踏まえつつ考えていただきたいのですが、あのトランプ氏の発言の「イスラム教徒」を「ユダヤ人」という言葉に置き換えてみてください。第二次世界大戦から学んだ現代人なら、これからどういう展開になってくのか、容易に想像がつくのではないでしょうか。あのトランプ氏にはっきり不快感を示しているのがイスラエルのネタニアフ首相です。ユダヤ教の代表みたいな人がイスラム教徒排斥の発言に不快感を示しているのです。普通ならあり得ないことです。しかし彼らユダヤ人は今の時の流れを世界で最も敏感に嗅ぎ取っているのではないでしょうか。世界史の中で最もおぞましい出来事を繰り返すためのお膳立てが再び整いつつある時なのだと。
どうしたらいいのか、私は知りません。すでにこの流れは川の流れと同じで逆戻りなどあり得ないように思います。また聖書の預言書にある終わりの時の様相を想像させるような事態になっているようにも思えます。尤もそれはまったくわからないことで、第二次大戦のさなかにも世の終わりだと思った人も多くいると思いますが。しかし少なくとも今、世界が、国が、人びとが、自分がどこに向かって進もうとしているのか、はっきり覚える時なのではないかと思います。
 自分の生活がめちゃくちゃにされるとしたら、話し合いなどという言葉はどこにも似合わない。全力で家を家族を子どもを守るでしょう。人は最終的には自分を守るようにできています。国益という言葉を使って物事を進めようとしている首相がいます。国益という言葉を裏返せば戦争です。 株価をあげてくれるなら、福島がちょっとくらいなおざりにされても目をつぶってしまう人が国民の大半だということです。しかしながら、そのような指導者が支持を得ていく時代でもある。まさにヒットラーが民衆の支持を得ていく構図をリアルタイムで見ているように感じるのは私だけでしょうか。
 トランプ氏が大統領に選ばれない程度の分別がアメリカにあることを願うものです。
 
 
2016.01.08.Fri 13:08 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

   2016年賀PC用
2016.01.01.Fri 00:03 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1510facebook.jpg

 私が敬愛する伝道者また牧師の瀧元明さんが天に召されてもう二月以上経ちました。
 その式の直後にこれを書こうと思っていて、あっという間に時間が経ってしまいました。式は愛知県の新城というところで行われました。その際に配られる式次第の裏にこんな文章がありましたので、特にキリスト教についてご存知のないかたに読んでいただきたく、そのまま書き写します。
———————————————————————
キリスト教の召天式(葬式)について
 キリスト教の召天式(葬式)になじみのない方もおられると思いますので、キリスト教の召天式についてご説明いたします。キリスト教では「個人を礼拝したり」「手を合わせて遺影を拝む」ことを固く禁じております。聖書によれば「死」というのは、肉体と霊魂が分離して「肉体はちりに帰り」、「魂は神の手に帰る」ことを意味します。
  「ちり(肉体)はもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」(伝道者の書12章7節)
 従って、すでに神の手の中にある魂が、礼拝や儀式などの人間の行動によって天国に行くとか、地獄に行くということはありません。また、死者の霊が神になるということもありません。キリストを信じる魂は、神のみ国に入り、永遠の祝福を受けています。私たち人間が礼拝すべきお方は、天地の創り主であり、生命の源である唯一の生ける神だけです。神は、神以外のものを拝むことを固く禁じておられます。キリスト教の召天式は、個人を拝むのではなく、「肉体を葬るための式」であり、また「故人をしのび、残された家族を慰め励ますとき」なのです。 
  『キリスト教(プロテスタント)では、人の死は忌むものではなく、人の霊が地上の肉体を離れ、天におられる神とイエス・キリストのところに召されることであり、イエス・キリストの再臨において復活するための準備に過ぎない。このことからプロテスタント諸教派では信徒の死を『召天』呼ぶ(「昇天」ではない)。従って、死とは、天国において個人と再会できるまでの一時の別れであり、地上に残された遺族などの生存者にとっては、その別れがさびしく慰められるべきことであるが、死そのものは、悲しまなくても良いと説明される。』ウィキペディア参照
 
 
2015.10.21.Wed 00:22 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

    1510-11-2.jpg

 すっかり秋めいて参りました。TRIO’ 秋のツアーもお陰様で無事終了いたしました。ご来場下さった皆様、応援して下さった皆様には、改めて御礼申し上げます。横浜、高崎、新潟、そして東京はLEZARD。そして、Body & Soulでは新しい試み、市原康二管バンドをやってみました。ピアノの福田重男のスケジュールの都合でこの日はTRIO’を休み、このようなライブをやることになりました。ピアノに若手の石田衛。管にはtpの市原ひかりと、saxの小池修。ひかりは先日リー・リトナーと、小池修はバット・メセニと共演をするというノリノリの二人を迎えてのライブ。勿論ベースは森泰人。主にTRIO’の曲をやってもらって、なかなか面白いライブとなりました。二管ともなるとドラマーの私がリーダーでやるには少々重荷でしたが、ひかりの助けをもらって何とか終えることが出来ました。この日もいっぱいのお客様、ありがとうございました。TRIO’、次回は来春にやりたいと思っております。

 さて、10-11月。何となくいろいろなライブがあります。その他も含めてざっとご紹介。

 10/11(日)、横浜ジャズプロムナード、古野光昭カルテット。
 10/12(月)、東京音楽大学・オープンキャンパス(全学)
 10/24(土)、曙橋で松本峰明トリオ。
 10/27(火)、歌声ペトラ/お茶の水クリスチャンセンター・アイリーンホール
 11/ 1(日)、東京音楽大学インストコース・レコーディング&セミナー
 11/13(金)、直居隆雄+オルガン河合代介のトリオ/沼袋オルガンジャズ倶楽部。
 11/19(木)は浜松町のサン・ミケーレというイタリアンレストランにて、ボジョレ・ヌーボー/Jazz & Dinner/小池修ts,福田重男pf,コモブチキイチロウbass という顔合わせ。
 11/20(金)はお馴染み金城寛文5/菊川な〜じゅ。
 11/21(土)は白根真理子JazzLive/横浜KAMOME、一年ぶりです。
 11/24(火)、歌声ペトラ/お茶の水クリスチャンセンター・アイリーンホール
 11/29(日)はA Jazzy Night for adults と題して、まきみちるとタイムファイブ、芝・プリンスタワー/メロディーライン。

 詳細は、ホームページ http://i-produce.net ライブ/10.11月をご覧ください。
 皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。
2015.09.28.Mon 01:08 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
   TRIO1509.jpg

 明日からTRIO’のツアー、始まります。今回は短いです。お見逃しなく。

 明日15日(火)は横浜ドルフィー、19時半開演。チャージ予約¥3,500 予約無し¥3,800 横浜市中区宮川町2-17-4 桜木町駅から歩いて7-8分です。電話 045-261-4542

 16日(水)は、ピアノの福田さんが都合が付かず、ちょっと違うパターンのライブを行うことになりました。場所はBody & Soul。二管編成のバンドです。トランペットに市原ひかり、サックスに小池修、そしてピアノには石田衛。ベースは森泰人という編成になっています。20時開演。港区南青山6-13-9。03-5466-3348 チャージは¥3.800です。

 17日(木)、前回できなかった高崎・ケイノートです。19時半開演です。チャージは¥4,000/1ドリンク付。高崎市上豊岡町269-4。027-328-0890

 18日(金)、こちらも久しぶり。新潟・ジャズフラッシュです。開演20時。チャージ前売り¥4,000 当日¥4,500 どちらも1ドリンク付です。新潟市中央区東堀通5-440 025-224-4518

 そして最終19日(土)、東京代官山・LEZARD。20時開演。¥5,000でフリードリンクおつまみ付。ご予約はお店又は市原までメールをお願いします。ichihara@i-produce.net 渋谷区猿楽町2-5 2F 03-3496-1374

 秋はできないと思っていたのが短期間ですが実現いたしました。みなさまにお目にかかるのを楽しみにしています。毎回違う顔を見せるTRIO’。どうぞご期待ください。

 皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
 
 
2015.09.14.Mon 14:31 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1508-9.jpg
 
一気に猛暑の季節。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 時間が経つのが早いです。リアルタイムの走馬灯かと思うくらい。この歳になってもまだ演奏することがゆるされ、学生に教え、たまにスタジオのレコーディングにも呼んでいただく。また芝居にかかわらせていただくこともある。小さなライブハウスだったり大ホールだったり。また合間の時間にホームの母を訪ねる。日曜日には礼拝をし、毎晩夫婦で聖書を開き祈る。問題がないわけではない。いろいろある。自分の体の弱さも覚えるこの頃。でも聖書の中に不思議な言葉がある。わたしの力は弱さのうちに完全に現れる・・「わたし」とはキリストのこと。キリストの力が完全に現れたら・・こりゃ大変なことです。ただ、問題なのはキリストがそこに現れるためのじゃまばっかりしている自分。言い換えれば、じゃまさえしなければ、キリストがそこに立たれる。キリストがそこに立ったら、,,そりゃやっぱり大変ですよ。クリスチャンというのは自分の愚かさ、神に対する罪深さを認めた人たちの集団なのですが、なかなかそれを認めたがらない自我というものも引きずっている。ところがキリストは言われる。「わたしの力は弱さの上に完全に現れる。」要するに自分の弱さを本当に認めた人の上に現れる・・って言うんですね。実はこの「自分の弱さを認める」というのが一番厄介なことなんですね。心の奥の奥で、自分の力で何とかなると思っている。いや、何とかしなければならないと思っている。もともと神なる存在を心の底から否定しているのが「人」というものなんですね。このことを聖書では罪と言っています。罪が分かれば十字架も分かる。あれは罪のための供え物となった神の御子の姿だから・・。あの供え物を自分のものとする決意をした途端に、、、苦難や死の意味がすべてひっくり返るんです。全く不思議で思いも付かないことを神はされたんですね。

 さて、8月 9月・・。主なところでは、TRIO’のツアーがあり、その前に音大の打楽器教職員のコンサートがあります。TRIO’のツアーは前回のご案内でもしています。9/15を皮切りに短期間ですが4箇所での公演となります。9/15(火)横浜・ドルフィー、9/17(木)高崎・ケイノート、9/18(金)新潟・ジャズフラッシュ、9/19(土)東京代官山・LEZARD。そして、TRIO’ではないのですがこの間の9/16(水)は東京・南青山・Body & Soul/市原康二管バンド・・急遽命名したものですが・・市原ひかりtpと小池修tsを迎え、福田重男ができないという事情でこのようなことになったのですが、,ピアノに若手の石田衛、そしてベースはTRIO’の森泰人です。こちらはこの面子で仕上がるものを楽しむしかありません。19日/LEZARDのご予約は市原までメールをいただければ承ります。他は直接お店にお問い合わせ下さい。さて、このツアーの直前になるのですが、東京音楽大学「打楽器教員によるコンサート」というのがございます。9/12(土) 15時半開場、16時開演。入場無料。東京音楽大学100周年記念ホールにて、音大で教鞭を執る9人の奏者によるコンサートです。本来は7/31が申し込み締め切りですが、市原までご連絡いただければ、何とかできる可能性がまだあります。ご希望の方はお早めにメールでご連絡下さい。
 そしてその他、ライブでは8/26(水)、自由が丘マルディグラ/大久保明セッション・・最近ではミュージシャンのたまり場のようになっています。そして9/4(金)は菊川な〜じゅで金城寛文クインテット。その他教会関連で、8/22(土)、国分寺の教会「ジーザスコミュニティー」主催のジャズ&ゴスペルコンサート。入場無料、国分寺駅ビルの8階/サロン飛鳥で13;30開演です。お馴染みギターの大御所潮先郁男さんをお迎えして、ピアノの潮先保彦さんとジャズのひととき。そして教会の讃美チーム UP WAKE による演奏と牧仕のお話があります。そして毎月の歌声ペトラ/お茶の水OCC・・市原は司会とおしゃべり・・8月は25日(火)、9月は29日(火)です。

 詳細はホームページ http://i-produce.net のライブ/8-9月をご覧下さい。

 皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げます。
 
 

2015.07.30.Thu 16:59 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






PROFILE

いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
ライブスケジュール
そしてキリスト教談義・・
・・再開です。
http://i-produce.net
http://twitter.com/ichiharayasushi
<< 2018.12 >>
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
ENTRIES
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2019.1-2月号(12/03)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2018.11-12月号(10/20)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その14 【救われる・・ってなに?】 (10/19)
2018年11月 TRIO' 秋のツアー と WIM ライブ の詳細ご案内(09/24)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その13 「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」(09/18)
2018.11 TRIO'ツアー、チラシできあがりました。(09/12)
ドラマー市原康 ライブインフォメーション 2018.9-10月号(08/21)
ドラマー市原康 ライブインフォメーション 2018.7-8月号(06/11)
ご報告/角川シネマコンサート(04/21)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2018.5-6月号(03/27)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 3-4月号(02/16)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2018.1-2月号(12/29)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その12 【キリストは絵に描いた餅?】(11/21)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2017.11-12月号(10/22)
ライブ情報・追加です 9/15(金)(08/26)
ドラマー市原康 ライブインフォメーション 2017.9-10月号(08/09)
ドラマー市原康 ライブインフォメーション 2017.7-8月号(06/24)
キリスト教談義 その11 【聖書の目的】(05/11)
ドラマー市原康 ライブインフォメーション 2017.5-6月号(04/29)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その10 【 聖書を読むと何が分かるのか・・】(04/24)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 3-4月号(02/24)
ドラマー市原康のキリスト教談義その9 【クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か】(01/20)
ドラマー市原康から、あけましておめでとうございます。(01/02)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その8「クリスマス・・それは」(12/30)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2017年 1-2月号(12/13)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その7 【 助けを求める心 】(11/12)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 12月号(11/12)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 10-11月号(09/24)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その6 【イエスのことばがまったく理解できなかった人々】(09/08)
TRIO' 秋のツアー いよいよ始まります。(09/06)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 8-9月号(08/06)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その5「悪質メール撃退グッズ」(07/25)
TRIO'、9月のツアーのご案内です(07/07)
ドラマー市原康インフォメーション 7-8月号(07/01)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その4【信じることでしか出会えない神】(06/28)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その3「罪人だと言われるとどうも・・」(05/31)
ドラマー市原康インフォメーション 6-7月号(05/28)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その3「罪人だと言われるとどうも・・」(05/28)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」(05/02)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 4-5月号(04/02)
ドラマー市原康のキリスト教談義 第一回 「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」(04/02)
大野雄二/Yuji Ohno & Lupintic Six 始動(03/24)
ドラマー市原康・インフォメーション 3-4 月号(02/23)
ドラマー市原康・インフォメーション 1-2 月号(01/08)
久しぶりの発言(01/08)
2016年 あけましておめでとうございます。(01/01)
キリスト教の召天式(10/21)
ドラマー市原康・インフォメーション 10-11月号(09/28)
TRIO' 2015 秋のツアー、お見逃しなく!(09/14)
ドラマー市原康・インフォメーション 8-9 月号(07/30)
COMMENTS
CATEGORY
ARCHIVES
TRACKBACKS
LINKS