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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています

聖書のことば #11 191121
 
【救いとは-2】

"狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。"
新約聖書 マタイの福音書 7章13節

 イエス様のことばです。ここに、ひとつの現実が、短くさらっと語られています。それは、「滅び」という確定事項があるのだということ。そして、ただひとつある「狭い門」から入れば、そこから逃れることができる、ということ。
 狭い門とは、イエス・キリストのことです。

 ヨハネの黙示録には「第二の死」という言葉が4回出てきます。人は一度死ぬことが定められているというのは、ほぼ全ての人が認めるところです。しかしそれは肉体の死です。では霊魂は不滅なのでしょうか。聖書にはこう書いてあります。この世の最終段階において、全ての死んだ者が神の前によみがえって、裁きを受ける。そこで第二の死による永遠の苦しみを伴う滅びか、恵みの救済による永遠のいのちかという、究極の分かれ道があるのだと。

 新約聖書のヘブル人への手紙9:27-28には、このように書かれています。
"そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。"

 さばきは、この地上ではなく、死後にあるんですね。そして救いとは、そのさばきによる「永遠の滅び」からの救いなんですね。
 そしてそのために、イエス・キリストは再び来られる(再臨)と、聖書は言っています。これはさばきの時であると同時に、恵みの時なんですね。

 あなたは救いを選び取りなさい。これが福音 = Gospel = Good News のメッセージなんですね。

 次回は、「父の愛と御怒り」です。

 God Bless You !

2019.11.22.Fri 06:24 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

聖書のことば #10 191120
  
【救いとは】

"私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。"
新約聖書 エペソ人への手紙 2章3節

 不従順の子らとは、神を認めない、生まれながらの人のことです。これまでは罪人という言葉で表現してきました。
 その性質は、神の与える規範ではなく、自分が善悪を判断すると言いながら、結局は自己中心、自己保身という「自分ファースト」に生き、欲望のままに動くというもの。そしてそれは悪しき行いは勿論のこと、善行でさえ自分を満足させるために生きているという罪人の姿です。
 私たちもまた、それらの人たちの一人として、罪人として歩んでいた者で、「生まれながら御怒りを受けるべき子ら」だった、と言っています。

 要するに私たちの上には、神の怒りがとどまっている、と言っているのです。
 罪の報酬は死です(ローマ6:23)・・という言葉がありますが、このままの私たちは「死」が待っているのみだというのです。その死とは誰にでも必ずやってくる肉体の死と同時に霊的な死・・それはまことのいのちである神から離れた状態のままの死です。これが神の御怒りの結果だというのです。
 全ての人は、この神の御怒りの下にあり、それ故に永遠の死=滅びに定められているというわけです。

 そんな私たちが、キリストのあがないという、神が提供された脱出の道をただ信じることにより、「神の御怒り」は取り除かれ、その罪は不問とされ、良く帰って来たと、天の御使いの大軍勢の歓声と共に、父なる神に迎えられるのです・・。

 これが救いで、これを伝えるのが福音= Good News です。

 次回。もう一度「救いとは」です。

 God Bless You !
2019.11.21.Thu 09:17 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

聖書のことば #9 191119

【福音4 イエス・キリスト】

"イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。"
新約聖書 ヨハネの福音書 14章6節

 イエス様ご自身が、道であったり、真理であったり、いのちであるということが言えるのは、その存在を私たちが受け取ることができる、という前提があるからです。
 イエス・キリストという存在を受け取った時に、歩むべき道が見え、全ての物事の謎が解け、いのちというものの意味がわかるようになる、というのです。

 次のような御言葉があります。
"人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。"
ローマ人への手紙 10章10節

 心に信じて義と認められる。何を信じるのかというと、先ず創造主なる神がおられること。そしてその神が私たちの罪のあがないとなるために、人として来られて十字架にかかられて死に、三日ののちによみがえられ、今も生きておられるという、イエス・キリストの存在。それを「私は信じることにしました」と心に決めることを、神は良しとされるということです。
 そして口で告白するとは、あなた自身がそれを神に向かって言い表すということです。
 これであなたは救われる・・。これが先の御言葉の意味で、それは神が与えてくださっている約束です。

 その時から、あなたはキリストを受け取り、キリストと共に歩む者となります。これだけで、神のみもと、帰るべきまことの父の家に帰った者としての歩みが始まるのです。これが救いというものであり、恵みによって、即ち代価なしに与えられるものなのです。

 今日の結論。イエス・キリストご自身が救いなのです。
 (洗礼を受けたから救われるのではありません。その前提として、上記のような信仰告白がなければ、洗礼を受けても、その人の内に新しいことは起こりません。洗礼にはまた別の意味があります。)

 次回は、何から救われるのかということを、もう少し見ていきたいと思います。

 God Bless You !

2019.11.20.Wed 13:18 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

聖書のことば #8 191118

【福音3 復活】

"私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
 キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、"
新約聖書 コリント人への手紙 第一 15章3-4節

 パウロは、この三つのこと、即ちキリストの十字架と死と復活が、核心中の核心だと言っています。そしてその中でもキリストは本当によみがえられたのだ、ということを特に強調しています。
 そして聖書(旧約聖書) の預言にも、その通りのことが書かれているのだ、と言っているわけです。

 イエス様の弟子の筆頭であるマタイも証言しています。イエス様は復活されたあと、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」と言われ、見ている前で天に上られたのだと。(マタイ28:20) それは、イエス・キリストは世の終わりまで、今も私たちと共に生きておられる方なのだ、という意味なんですね。

 パウロは、ここが一番大切なことなんだ。本当なんだと、口を酸っぱくして言っているわけです。
 それは、イエス・キリストは、信じて心にお迎えすることができる、具体的な存在なのだ、ということなのですから。

 というわけで、次回は「イエス・キリスト」です。
 
 God Bless You !
 
 
2019.11.19.Tue 10:57 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

聖書のことば #7 191117

【福音2 キリストの十字架】

"すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。"
新約聖書 ローマ人への手紙 3章23-24節

 一瞬、耳を疑うようなことを言っています。絶対に無理なものが、「キリスト・イエスの贖い」という切り札によって、まったくひっくり返ってしまうのだと言うのです。
 神の前に出る資格がなかったはずの者が、神の前に正しい者とされるという一大逆転。帰るべき家に絶対に帰れなかった者に与えられた、唯一の門の話です。そして、この門から入るには、何も資格は問われない。ただ「恵み」によって入れるのだ、という話です。

 では、キリスト・イエスの贖いとは一体、なんのことでしょう。
 モーセを通してイスラエルに与えられた律法の中に、罪のためのささげ物の規定というものがあります。人はそれぞれの財力に応じて定められた動物をほふり、その血を祭壇に注ぐことによって、その人が犯した罪は完全に赦されるというのです。これは神の側からの約束ですから、まずそのことを信じなければなりません。信じた者はささげ物をすることで、その罪は赦されるのです。しかしそれは、罪を犯すごとにささげなければならないものでした。

 聖書に次のようなことばがあります。
 "この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。"
 ヨハネの手紙 第一 2章2節

 これはイエス様がかかられた十字架のことで、それは自分の過去と未来のすべての罪、さらに「世全体の罪」のためのささげ物だというのです。先の動物のいけにえの規定が、全く新しいものに塗り替えられたというのです。しかも、毎回のささげ物は一切不要で、このささげ物で全てが完了したのだと。
 人類史上、最も残酷と言われる死刑により、人となった御子という罪のない体がささげ物とされ、血を流されたのです。そしてそれは神ご自身によって備えられたささげ物だというのです。
 実はこれが、「神は愛である」という意味の真髄なのです。

"私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。"
ヨハネの手紙 第一 4章10節

 これは自分の罪のための贖いの供え物だと信じるとき、あなた神が備えられた門の入口に立っているのです。

 次回は、福音3「復活」です。

 God Bless You !
 
 
2019.11.18.Mon 07:16 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

聖書のことば #6 191116

【福音(ふくいん)】

"すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。"
新約聖書 ローマ人への手紙 3章23-24節

 私たちは神の前に出る資格はない、ということを前回に書きました。
 罪を犯したから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯す。例え善良な市民を最後まで貫いたとしても、心の中は罪の巣窟。それが罪人の姿です。そしてそれはアダムがエデンの園を追放されて以来の、全ての人間に受け継がれている「罪の性質」から来るのだというのです。心の中だけだったら、人には見えないかもしれません。しかし全能の神の前には通用しません。
 罪を犯す者は罪の奴隷ですと聖書にあります(ヨハネ8:34)が、私たちはそこから解放される必要があります。本当の光の中に戻るべき者なのです。もし戻ったら、私たちの心はどのようなものになるのでしょうか。
 それは、人を喜び、神を喜び、そして罪を犯してしまうようなお互いを、あわれむ心です。そのような心は、残念ながら元々の私たちにはありません。
 本当の解放、喜び、いのちは、神の内にあります。もし私たちがそこに帰るなら、この光と喜びの中に生きる者へと変えられるのです。

 さて、今日のみことば、ローマ3:23-24 の最後のことば、「義と認められる」とは、神様から「なんら問題なし」とハンコを押されること。お前は正しい・・とされることです。しかし今までの話の流れですと、そんなことはあり得ないわけですが、なんと、その道が開かれたというのです。
 福音(ふくいん)とは、そのことを知らせるメッセージのことです。英語で言うともっとわかりやすいです。Good News !

 続きは次回に。

 God Bless You !

2019.11.16.Sat 07:47 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

聖書のことば #5

【自分を低くする者】

"あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。"
新約聖書 ルカの福音書 18章14節

 何かふさわしい行いがなければ、神の前には出られないと、思ってはいませんか。

 パリサイ人は、隣で祈っている取税人を見て「あのような者でないことを感謝します」と祈りました。律法をかたく守るパリサイ人、律法学者、祭司たちには、行いにおいては全く問題ない者だという自負がありました。だからこそ、自分は神に受け入れられると思っていたのです。そんな彼らにとっては、どうしようもない者が神の前に受け入れられるなどという話は、不愉快千万でした。ましてや、神の前に最悪のことをしておきながら、それが赦されるなんて、あり得ないっ!と。これが放蕩息子の兄の立場です。
 イエス様はそんな彼らをこっぴどく糾弾しました。自分の内側をよく見てみなさいと。神の前に出るのに、自分に相応しい何かがあるとでも思っているのですかと。

 父なる神は完全な聖さをまとった方なので、悪や不正は、例え心の中だけだとしても、そのままでいいよとは絶対に言われない方です。私たちは、この光なる全く聖い方のもとに招かれているのです。ところが、そこに帰る資格はどこにもない。それが私たちです。
 そんな私たちですけど、自分は全く資格のない者だということを本当に認めた時、神様がなさった大きなわざが見えて来るんですね。それが「自分を低くする者」が高くされる、その時なのです。

 次回はいよいよ「福音(ふくいん)」です。

 God Bless You !

(お詫び)
 前回「収税人」と記載したところは「取税人」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。
 
 
2019.11.15.Fri 22:04 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

聖書のことば #4

【あなたは兄の側にいませんか】

"それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠(ほふ)られるとは。』"
新約聖書 ルカの福音書 15章30節

 前回に続く放蕩息子の話の後半です。

 放蕩息子(弟)は、父の家に大歓待で迎えられました。ここに一つ忘れてはならないことがあります。それは、息子は自分の相続分の財産を全部前借りして使ってしまったのに、それが不問に付されているという点です。家で忠実に仕えていた兄はそのことが許せませんでした。今日の聖書の言葉は、その兄の言葉です。そりゃないでしょう・・と。

 前回、この例え話の中で、父と放蕩息子のことを見てきました。では兄とは誰のことなのでしょうか。兄は父の家で忠実に仕えている・・と自負していた人です。即ち、父の家にいて、自分は良い子だと思っている人たち。イエス様の周辺にいる人を思い浮かべると、自ずと見えてくる人たちがいます。それは律法学者や祭司、パリサイ人といった、自分を「優等生」だと思っている人たちです。そして弟は、社会的には神から見捨てられている人たち、明らかに罪深い人たち。優等生から見たら「神の前に出る資格などあり得ない人」即ち、取税人や罪人と言われる、人々から見下げられている人たちです。

 こうして見ると、この放蕩息子の話は第一に、父なる神様は、どうしようもない者も、父の元に帰ろうと思うなら、大喜びで迎えてくださる方なのだ、ということを言っているわけです。そしてさらに私たちに対して、次のように問いかけて来ます。
 あなたは自分のことを、社会的にもまあまあやってるし、少なくとも「あのような人たち」ではない、普通の善良な人間だ・・と思っている人ですか?
 それとも、自分はどう見ても神の前に出る資格などない、顔を上げることもできないような者だ・・思っている人ですか? どちらですか? 兄ですか、弟ですか? と。
 もっとはっきり言っちゃいますと、あなたは兄の側にいませんかという・・これがこの話の二つ目の意味です。

 じゃあ、どうすればいいの?という話になります。続きは次回に。

 God Bless You !
 
 
2019.11.14.Thu 10:19 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

聖書のことば #3 191113

"この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。"
新約聖書 ルカの福音書 15章24節

 今日の聖書の言葉は、イエス様が語られた例え話の中の「放蕩息子の帰還」と言われる有名な話の一節です。
 何不自由ない父の家から、遺産の分け前までもらって家を出てしまった息子の話です。息子はそこでお金を使いまくり、宴会三昧。気がついたときには、金のない奴と付き合う友なんてものは、いなかった。どん底です。それで我に帰った息子は、お父さんにちゃんと謝って「使用人でいいので家に帰らせてください」と言おうと心に決め、家に向かいます。
 帰ってくる息子を遠くに見つけた父は、駆けていって息子を抱きしめます。息子は謝りの言葉を言おうとするのですが、お父さんは息子の顔を見れば、そんな事一目でわかるんですね。そして早速大宴会の用意をさせ、本当の息子にしか与えない最上の着物、指輪、履き物を与えた、という話。
 この息子とは罪人=私たちのこと。「死んでいた」とは、父から離れてまことのいのちを失っている状態を言い表しています。父は言うまでもなく、父なる神。この息子が父の元に帰ったとき、父は「生き返った」と言ったのです。
 そしてこの話のポイントは、父は、息子が何をしていたかは問題ではなく、帰ろうと心に決め、そちらに向かって歩き始めたこと、それが喜びに満ちた大祝会の時になった、という話です。

 息子の心の矢印は、完全に自分の方にだけ向いていました。そしてそれを当然のことだと思っていたのです。ところが自由気ままに暮らした挙句、どん底状態になった時に初めて、そこにある自分の誤りを予感したんですね。その時初めて、息子は心の矢印を父の方に向けました。このことを「悔い改め」と呼んでいます。
 この話は、父なる神の家に帰るための第一歩の話なんですね。

 では、この続きは次回に。

 God Bless You !
 
 
2019.11.13.Wed 05:38 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
聖書のことば #2
 
" 義人はいない。一人もいない。"
ローマ人への手紙 3章10節

 義人とは、神の前に正しいと認められる人のことです。自分を義人だと言える人は、相当自分に甘い人だと言えそうですね。

 創世記には、アダムが神に逆らってエデンの園を追放されるという話が出てきます。人類のスタートが、神から離れてしまうという悲劇から始まったのだというのです。神が人を造られたのならば、神はお父さんと呼ぶべき存在なのに、それをどうしても認めようとしない人間としてスタートしてしまったというわけです。
 もちろんお父さんから見たら、それはとても悲しむべきことです。自分の子が自分を顧みてくれないのです。聖書ではこれを罪人(つみびと)と言っています。
 神から離れて、自分を善悪の判断の基準、すなわち自分を神とするという傲慢な性質の結果、人は罪を犯すのだというのです。この世のすべての悲惨もその結果だというのです。

 人は罪を犯すから罪人なのではなくて、罪人だから罪を犯すというわけです。
 ではその事態に、神は何をされたのでしょうか。これが、聖書に書いてあることです。

 続きは次回に!

 God Bless You !
 
 
2019.11.12.Tue 08:45 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
聖書の言葉 #1

何人かの方に配信している聖書の言葉・・
もったいないのでブログにも掲載することにしました。
まずは聖書のド頭。

"はじめに神が天と地を創造された。" 創世記 1章1節

 「神が」という言葉を聞くとき、それは人によって実に様々ですね。

 ここに書かれている神は、天地万物を造られた神であって、そこに存在するすべてのものは「被造物」であると、はっきり宣言しています。
 いわゆる八百万(やおよろず)と言われる数え切れないほどの神も、すべて被造物の範疇に入るというのです。

 聖書の神は自らこう言われます。「わたしが神である。他にはいない。」イザヤ46:9ほか
 それに対し、私たちの心の奥の奥にあるのが「神はいない」なんですね。

 この神と人との関係のすべてを解き明かす書、そして人の始まりと終わりまでのすべてを言い切っている書。それが聖書なんですね。

 God Bless You !
 
 
2019.11.11.Mon 15:45 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
TRIO' pf.福田重男、b.森泰人、ds.市原康
年内の二回ポッキリ

 
11/25(月) 代官山LEZARD
11/26(火) 熊谷スペース1497
 
・・LEZARDでは、スェーデンからの素晴らしいゲストをお迎えすることになりました。
マイケルブレッカーに一番近いと言われる男、ts.オーベ・インゲマールション。
TRIO'との共演は、この時しか見られないかも・・です。
早めのご予約を! 市原までメールを! ichihara@i-produce.net

TRIO:オーベ

 
そして「純TRIO'」は熊谷スペース1497のみとなります。ご予約はお店に。
048-529-1745
こちらもお見逃しなく。

TRIO2016bpc.jpg
2019.11.02.Sat 23:13 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
ドラマー市原康ライブインフォメーション11-12月号のスケジュールに、11/24(日)、大野雄二トリオ モーションブルー横浜 と掲載いたしましたが、市原の手違いでした。この日の公演はございません。
お詫びして訂正させていただきます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
2019.10.18.Fri 05:00 | 未分類 | trackback(0) | comment(1)

   1911-12.jpg
 
 台風を境に、急に秋めいて参りました。被災された方々には、なんとも言葉がありませんが、経済的にも人的にも、必要な助けが与えられますよう願うものです。

 さて、もう年末のスケジュールをアップしなければならない時期になってしまいました。
 今年も様々な演奏の機会が与えられました。その中でも一番大きなコンサートはカリオストロの城・シネマコンサートでしょうか。Yuji Ohno & Lupintic Sixも今年一年活動を続けられているのは、自分的にも奇跡に近い感覚があります。何しろ、30前後でやっていた演奏を来年70の男が、いくらオリジナルをやっていたからって、それはあり得ないでしょう・・という世界。それがこうしてやらせていただいているのは私にとっては正真正銘の「神の奇跡」です。また神の哀れみというしかありません。聖書の中に「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」2コリント12:9 という言葉がありますが、それは自分の無力を知った者だけが味わうことの出来る神の恵みです。わたしも自分の無力を日常的に感じさせられる年齢になってきました。ということは、そこに神の栄光を拝して奇跡を見ながら歩む、、そんな段階に入りつつあるのかなぁ・・ああそれだったら来年も楽しみだ・・と、そんな境地に入って来つつあります。

 今年一年、応援をありがとうございました。来年もまたまた「弱さ」のうちに力一杯出来るように。これが私の目標です。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 おっと、今年二回目のTRIO’・・秋も残念ながら「二回ポッキリ」となりました。東京と熊谷です。どうぞお見逃しなく。

 以下、ジャンル別の日程です。

● TRIO’ pf,福田重男、b,森泰人、ds,市原康 秋の二回ポッキリ
 11/25(月) 東京・代官山レザール ご予約は市原(ichihara@i-produce.net)まで
 11/26(火) 熊谷・スペース1497 ご予約 048-529-1745

● 大野雄二関連
 11/9(土) 大野雄二トリオ 山形県大石田町町民交流センター
 11/17(日) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 11/19(火) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 11/21(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 11/24(日) 大野雄二トリオ モーションブルー横浜 この日の公演はございません。お詫びして訂正させていただきます。
 12/1(日) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 12/14(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 富山県南砺市 井波総合文化センター
 12/15(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 富山県 滑川市民会館大ホール
 12/19(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 12/21(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 札幌文化芸術劇場 hitaru
 12/26(木) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 塩尻レザンホール
 12/27(金) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 12/28(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 東京・未確定 この日の公演はございません。お詫びして訂正させていただきます。
 12/30(月) Yuji Ohno & Lupintic Six 名古屋 ブルーノート
  
● その他
 11/4(日) 東京音楽大学・ポピュラー・インストゥルメンツコース Rec & セミナー
 12/25(水) 東京音楽大学・ポピュラー・インストゥルメンツコース 冬期講習
 
 以上、ライブの詳細は
  ドラマー市原康のホームページ http://i-produce.net 「ライブ」をご覧下さい。
  みなさまのお越しをお待ち申し上げております。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・バックナンバーです。
  当ブログより、日付で検索下さい。

  その15「万引きをやめられない男」2019.1.21
  その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
  その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」2018/9.18
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2

2019.10.15.Tue 22:19 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 市原のところに毎日送られてくる聖書関連のショートメッセージがあります。

 実は誰が書いているのかも知らない。(笑) でもなんとなく色々なエピソードを交えて書いているので、発信者の了解をいただき、冒頭に自分のコメントを入れ、私からも複数の方に毎日送るようになりました。ただ、11月で終了予定とのこと。それまで、毎日お送りしようと思っています。

 今日のもの、プログにもアップしたくなりましたので・・。では・・


 人生において、思いもかけない悪い事態が自分を支配してしまう。私も自分の精神をコントロールできなくなってしまうという状況に陥ったことがありました。しかし、このことがなかったら恐らく、神という存在に目を向けることなく、今生きているかさえ分からず、演奏家としては自分の栄光を求め続け、それもかなわず、残りの人生を自分を喜ばせることをもっぱら考えることで過ごしていたのではないかと思います。もちろん死後への希望は何もありません。

 僕は、知識による判断で神を認めることは決してなかっただろうと思います。不幸、困難、逆境、挫折、また死の宣告・・これらが硬い固い自我を砕き、全能者を認めるきっかけとして与えられるということがあるんですね。神は自分にはとても信じ難いような出来事を用いて、人を導かれるんですね。その導かれる先は「まことのいのち」。まことの神こそがいのちの核心なんですね。

 今日も良い一日を!


【美しい神のみわざ】

 ロリーさんは15歳のころから悪い友達と付き合うようになり、17歳の時には遊び仲間と関係を持ち、妊娠してしまいました。その時に生まれたのがアシュリーちゃんでした。彼女は大きな青い目をした、とてもかわいい赤ちゃんでした。
 ところが、アシュリーちゃんの皮膚は厚く、固く、体重も順調に増えません。医者が言うには、それはプロジェリア(早期老化症)という病気でした。普通の人が1年過ごす間に、8~10年ほどの速さで年をとってしまう、遺伝子異常の病気でした。8000万人に1人の割合で発生し、世界で3,40人位しかおらず、平均寿命は13歳で、治療法も見つかっていない病気でした。
 生きる気力を失ったロリーさんは、子どもを知り合いに預けて、ドラッグとアルコールに逃げました。しかしある時、鏡の前に立った彼女は、自分のあわれな姿を目の当たりにして、泣きながら「神様、お赦しください。私は罪を犯しました」と言いました。 
 その時、優しく十字架上のイエス様が「あなたの罪は赦されました」と言ってくださったのです。それから彼女は、熱心に聖書を読み、教会に通うようになり、洗礼を受ける事になりました。何とアシュリーちゃんも洗礼を受け、賛美と感謝の祈りをささげるようになったのです。
 ロリーさんは 「アシュリーは神によって永遠のいのちを与えられました。私もアシュリーも、天国に家を持ったのです。肉体は日に日に衰えているけど、彼女も神の世界ではずっと生き続けると考えるようになリました」と明るい顔で話されています。短い人生を精いっぱい喜んで生きているアシュリーちゃんを見て、「生きる目的を考えさせるために神様が送った天使」だと、ロリーさんは言っています。

 神のみわざは、人にはすぐに理解できません。しかし、信じる者はそれを垣間見ることができます。主を信頼し、時にかなって美しい神のみわざを待ち望みましょう。

 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11)
 
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 もし、私のところにも送ってほしいという方がおられましたら、メールのリストに加えさせていただきます。以下からご連絡ください。
 
 市原へメール

 
2019.08.13.Tue 10:35 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 今まではライブ情報、そしてキリスト教談義を中心に書いてきましたが、
 もっと「ポロっ」と書きたいなと思い、
 ツイッターでのつぶやきを開始することにいたしました。

 ツイッター 市原康 @hichiharayasush

 気軽にお立ち寄りください。
 
 
2019.08.12.Mon 13:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

        1909-10B.jpg


 異常気象ということばが、いやでも実感させられるようになってきたという気がします。このご案内は9-10月のものですので、この頃私たちは火の中を通り過ぎた人のようになっているのでしょうか。暑いさなか、熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。
 さて、9-10月はルパン関連も含め、多彩な月間となりそうです。

 久しぶりにスタジオ系の事務所から連絡が来ましたら、TBS系でもう20年も前からやっている「音舞台」シリーズ。京都の著名な寺院を舞台にして、東洋と西洋の出会いをテーマに続けてこられたものです。因みに初回は金閣寺。そして今回は第31回、仁和寺です。私が知っている出演者の名は大竹しのぶだけ(笑)なんですが、外国勢も何やらおもしろそうな顔ぶれで、とても楽しみにしています。300名様カップルでご招待となっています。お申し込みはこちら https://www.kyoto-chishin.com/otobutai/entry/ 9/7(土) 放送はTBS系で11/3(日) 深夜0:30-1:24

1909音舞台



 私はしばらくゴスペルあるいは礼拝音楽の現場から遠ざかっていましたが、久しぶりで、しかもワーシップ/礼拝に徹するというコンセプトのコンサートに参加させていただくことになりました。オーケストラと60人のクワイアとリズムセクションという豪華なステージです。クリスチャンの方々にはともに主を礼拝し、クリスチャンでない方にはその空気を一度味わっていただけたらこの上ない喜びです。サムエル・カンワーシップコンサート2019「すべてのことが」 杉並公会堂大ホール。18時半から、入場無料(席上献金あり)です。

    1909S・Kanチラシ表



 そしてルパンミュージック本家による、ルパン三世/カリオストロの城・シネマコンサートとライブという、贅沢なコンサート。前回角川映画シネマコンサートでは、皆様に大変ご心配をおかけする中、命がけ(笑)でやらせていただきましたが、今回は万全の態勢で臨みたいと思っております。
 詳細はこちら・・ https://lupin-concert.com
 で、こんな感じになるかと・・ 10/25.26(金,土) パシフィコ横浜国立大ホール。

   1910カリオストロ



 そしてもう一つ。本邦初公開ですが・・。教会シーンで活動できるジャズのトリオが生まれそうです。横浜キリスト福音教会から、ジャズコンサートが出来ないかとの打診をいただきまして、もし集まれるならということで声をかけてみました。そうしましたらなんと、クリスチャンのピアノトリオが出来たという次第です。今後の活動のことなどは今は考えていませんが、とにかく一度やらせていただく中で、今後のことも見えてくるのではないかと思っています。ピアノは伝道師でもある森下滋。そしてベースには去年生まれたばかりのクリスチャンベーシスト安カ川大樹。Autumn Jazz Concert/横浜キリスト福音教会 045-432-0507 10/19(土) 15時開演 入場無料です。

 以下、ジャンル別の日程です。

● 大野雄二関連
 9/1(日) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 9/8(日) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ大阪
 9/21(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 熊本県山鹿市/八千代座
 9/22(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 熊本県/水俣市文化会館
 9/23(月) Yuji Ohno & Lupintic Six 宮崎県/小林市文化会館
 9/26(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 9/27(金) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 10/5(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 10/17(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 10/25.26(金,土) ルパン三世カリオストロの城 シネマコンサート& ルパン三世ライブ
         パシフィコ横浜国立大ホール
 10/29(火) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 10/31(木) Yuji Ohno & Lupintic Six 熊本・・詳細は後日になります
  
● その他のライブ
 9/7(土) 音舞台2019 京都仁和寺
 9/20(金) 金城寬文カルテット 東京・菊川 な〜じゅ
 9/24(火) サムエル・カン/ワーシップコンサート2019 杉並公会堂 大ホール
 10/6(日) 東京音楽大学・オープンキャンパス 中目黒キャンパス
 10/19(土) Autumn Jazz Concert 横浜キリスト福音教会
 
 以上、ライブの詳細は
  ドラマー市原康のホームページ http://i-produce.net 「ライブ」をご覧下さい。
  みなさまのお越しをお待ち申し上げております。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・バックナンバー
  当ブログの記事です。

  その15「万引きをやめられない男」2019.1.21
  その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
  その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」2018/9.18
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2
 
 
 
2019.08.01.Thu 19:03 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
 1907-8最終
 

 あっという間に夏? というか、最近はこの季節の移り変わりというものが、なんとなく自分を追い越していくので付き合うのが面倒になる・・みたいな境地?になってきました。
 先日、TRIO’の町田まほろ座でのライブは、私の緊急の要請に多くの方々が応えて下さり、ほぼ一杯という、本当に有り難く嬉しい結果となりました。改めて心より御礼申し上げます。

 今回は東京音楽大学の夏期講習 8月1日(木) について、少々ご案内をさせていただきます。市原は東京音楽大学作曲指揮専攻の映画放送音楽コースと、ポピュラー・インストゥルメンツコースで客員教授として教える機会をいただいています。今回のご案内はその中のポピュラー・インストゥルメンツコースの夏期講習です。この夏期講習のご案内には、最初に受講料などが載っていますが、当インストコースに関しては無料です。この講習は受験生対象で、高校生以上となっています。親御さんの同伴も可能です。受験に関する基本的なレクチャーとワンポイントレッスン/ドラム・ギター・ベースがあります。受験を希望される方はこの夏期講習と冬期講習に参加されて、大体雰囲気を感じていただいて受験に臨む方が多いようです。
 このインストコースはドラム・ギター・ベースの各楽器の習得と同時に、レコーディングなどを伴う、現場の環境を実体験しつつ、作編曲なども手がけ、リーダー的な役割を十分に担える人材の育成を目的としています。そのような意味では他にはない環境で、卒業と同時にどのような場所にあっても何の抵抗もなく対応できるように訓練を受けることが出来ます。将来的にしっかりした学びをしたいと思われる方にはとても恵まれた環境だと思います。ドラムは特に編曲などの学びを同時にしようとする人はそれほど多くありませんので、ここに改めてご案内させていただきたいと思います。 https://www.tokyo-ondai.ac.jp/assets/pdf/G-1/2019summer.pdf にてPDFファイルをご確認下さい。その10-11頁でポピュラー・インストゥルメンツコースの内容をご覧になれます。また、受験に関してのご相談がある方 (特にドラムコース) には、市原に直接お問い合わせいただくことも出来ます。ichihara@i-produce.net までご連絡いただけましたら対応をさせていただきます。ポピュラー・インストゥルメンツコースのご案内についてはこちら http://tokyo-ondai-popular-music-composition.jp/course_02.html をご覧下さい。
 尚、こちらからは卒業生の一部ですが、情報をご覧になれます。 http://tokyo-ondai-popular-music-composition.jp/graduates_course_02.html#gc02_1

 ということで、7-8月のライブ、大野雄二関連が大部分を占めますが、その他に古野光昭スペシャルカルテット、直居隆雄トリオなどがあります。また、Yuji Ohno & Lupintic Sixの東京公演/8月6日(火)/ビルボードライブ東京 がありますので、お見逃しなく。


● 大野雄二関連
 7/3(水) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 札幌カナモトホール
 7/4(木) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 名寄市民文化センター
 7/5(金) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 北海道ツアー 北見市民会館
 7/7(日) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 7/18(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 7/26(金) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 8/6(火) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ東京
 8/11(日) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 8/21(水) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 8/30(金) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
  
● その他のライブ
 8/13(火) 古野光昭スペシャルカルテット 横浜 ドルフィー
 8/23(金) 直居隆雄トリオ 沼袋オルガンジャズ倶楽部
 
 以上、みなさまのお越しをお待ち申し上げております。
 ライブの詳細は ドラマー市原康のホームページ 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・バックナンバーです。
  当ブログより日付で検索ください。

  その15「万引きをやめられない男」2019.1.21
  その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
  その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」2018/9.18
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2
  
  
2019.06.22.Sat 20:21 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
6月のライブ情報の以下、二箇所について、曜日が誤っておりました。
お詫びして訂正させていただきます。

6/4(火) 大野雄二トリオ 調布・柴崎さくらんぼ
6/7(金) 大野雄二トリオ 横浜モーションブルー

大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 
2019.06.04.Tue 11:27 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1805TRIO臨時のコピー
 
  facebookではすでにご案内していますが、こちらでも・・。

  【TRIO' (トリオッ) ヘルプです。。。】

  5/25 (土) 町田まほろ座、来週の土曜日
  まだ席がありすぎ・・・。

  応援、どぞ、、よろしくお願い申し上げます。
  夜公演の方ですので、お間違えなく!

  来てぇ〜っ、、、! (叫)

 ・・というわけで・・

  pf,福田重男、bass,森泰人from Sweden、ds,市原康 = TRIO' (トリオッ)

  まほろ座・・町田駅から歩いて1分。
  https://www.mahoroza.jp

 ご予約
  まほろ座 042-732-3139(まほろ座16:00~19:30)
  プレイガイド:Livepocket(〜5/25 0:00)https://t.livepocket.jp/e/190525n

  ご予約をお待ちしております。
  どうぞよろしく・・・・お願い申し上げますっ!
 
  

  
   
2019.05.19.Sun 22:30 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

 1905-6.jpg


 5-6月と言えば桜は場違いなのですが、八重洲口で撮った葉桜の写真がなんだかヒロヤマガタみたいな空気感で・・言い過ぎか(笑)
 ・・こんなん出ました・・ってことで、これにしました。

 5〜6月のライブ情報です。
 まずは、最後のあがき・・TRIO’です。
 4月と5月に一回ずつ。もう一度告知をさせていただきます。

● TRIO’ (トリオッ) pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康 
  4/27(土) 東京・代官山 レザール
   ご予約は市原までメールでお願いします。レザールに直接ご予約でもかまいません。
   ichihara@i-produce.net 市原 / LEZARD 03-3496-1374
  5/25(土) 町田まほろ座 
   ご予約・・
   プレイガイド:Livepocket(〜5/25 0:00)https://t.livepocket.jp/e/190525n
   電話予約 まほろ座 042-732-3139(まほろ座16:00〜19:30)

● 大野雄二関連
 5/10(金) 大野雄二トリオ 鎌倉ダフネ
 5/16(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 5/30(木) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 6/2(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 茨城・牛久市中央生涯学習センター 文化ホール
 6/4(火) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ 曜日表記に誤りがありました。ご注意下さい。
 6/7(金) 大野雄二トリオ 横浜 モーションブルー 曜日表記に誤りがありました。ご注意下さい。
 6/15(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 山口県周南市文化会館
 6/17(月) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 6/28(金) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
  
● その他のライブ
 5/31(金) 金城寛文クインテット 東京・菊川 な〜じゅ
 
 以上、みなさまのお越しをお待ち申し上げております。
 ライブの詳細は <検索> ドラマー市原康のホームページ 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」
 このブログ内・・日付からご覧になれます。
  バックナンバーは・・
  その15「万引きをやめられない男」2019.1.21
  その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
  その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」2018/9.18
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2
 
 
2019.04.19.Fri 21:22 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
TRIO2016bpc.jpg


 TRIO’ (トリオッ) pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康 

 15年目に入っています。春は関東圏で二回(それぞれ4月と5月の一回)のみとなります。是非お見逃しないよう、ここに改めて告知させていただきます。
 年に多くて二回のツアーを今まで重ねてきました。半年ごと、あるいは一年ブランクがあっていきなりLIVEツアーということを繰り返してきました。新しいアルバムという声もあるのですが、何しろ先立つものが・・、ということで、今年も今までの6枚のアルバムをひっさげて臨みたいと思います。
 TRIO' はたまにやっても、毎回変わってきている・・それは毎年TRIO’ を見守ってくださっている方々にはよく見えるのではないかと思います。さてこの春はどんなになっていますか・・わたし自身が楽しみにしております。

 皆様におかれましても、どうぞ期待して、TRIO’ に会いにいらしてください。

 ベースの森はスエーデンからのメンバーを引き連れてツアー中です。今回はそういう森のスカンジナビアンコネクションのツアーのおこぼれの二回です。ピアノの福田重男は益々忙しく、精力的に活動を続けております。

 皆様のお越しをお待ち申し上げております。
 
 まずは4月・・27日(土) ホームベースのようにして今までお世話になってきた代官山LEZARD(レザール) 
 20:00開演、19:30にはお越し戴いた方が良いかと思います。
 システムは5,000円ポッキリで、出ている食べ物を自由にいただけて、飲み物も飲み放題という、わかりやすいものです。
 ご予約は市原までメールでお願いします。レザールに直接ご予約でもかまいません。
   ichihara@i-produce.net 市原 / LEZARD 03-3496-1374

 そして5月・・25日(土) 町田まほろ座・・駅から歩いて0分。落ち着いた雰囲気のライブハウスで、ゆったりくつろぎたい方はこちらがおすすめ。TRIO’は初めての出演です。
 ご予約は、プレイガイド:Livepocket(~5/25 0:00)https://t.livepocket.jp/e/190525n
 または、電話予約 まほろ座 042-732-3139(16:00~19:30) 
 となっています。

 ご予約、お待ち申し上げております。
 TRIO’がこれからも末永く続けられますように、応援いただけましたらこの上ない喜び。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 
2019.04.15.Mon 13:50 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 1903.jpg

 みなさま、いかがお過ごしですか。今年はまだ東京では雪になっていませんが、これからなんでしょうか。タイヤは万全。いつでも来い・・なのであります。あのスタッドレスと雪の格闘が楽しくて・・。ああ、雪国のみなさん、すみません。
 ・・と書いたら、途端に雪が降りました。(笑)

 ライブ情報・・もう春の告知です。
 まず、TRIO’・・4月に一回と5月に一回。春はこの二回ポッキリとなります。お見逃しないように。ベースの森泰人がスエーデンよりツアーを組んで来日しますので、おこぼれ公演です。乞う、ご期待!
 それから、メンバーも初顔合わせの大口純一郎のライブ。こちらは市原ひかりとの共演となります。

 では、3-4月のライブ

● TRIO’ (トリオッ) pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康 
 
  4/27(土) 東京・代官山 レザール
   ご予約は市原までメールでお願いします。レザールに直接ご予約でもかまいません。
   ichihara@i-produce.net 市原 / LEZARD 03-3496-1374
 
  5/25(土) 町田まほろ座 
  ご予約・・
   プレイガイド:Livepocket(〜5/25 0:00)https://t.livepocket.jp/e/190525n
   電話予約 まほろ座 042-732-3139(まほろ座16:00~19:30)
 
 
● 大野雄二関連
 
 3/2(土) 大野雄二トリオ 相模原メイプルホール
 3/7(木) Yuji Ohno & Lupintic Six 福島市音楽堂
 3/17(日) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 3/21(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 3/23(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 福井県南条文化会館
 3/26(火) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 4/6(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 4/28(日) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 4/30(火) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
  
 
● その他のライブ
 
 3/16(土) 大口純一郎リーダーカルテット with 市原ひかり 東京・Body & Soul
 4/21(日) 直居隆雄トリオ 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部
 4/29(月) まきみちる/ロックバージョン 東京・六本木 アビーロード
 
 
 以上、みなさまのお越しをお待ち申し上げております。
  ライブの詳細は ドラマー市原康のホームページ 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・更新しました。(当ブログ内です)
  その15「万引きをやめられない男」2019.1.21
 <検索>「ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ」 より
  バックナンバーは・・
  その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
  その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」2018/9.18
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2

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2019.02.09.Sat 18:49 | 未分類 | trackback(0) | comment(2)
  
 1901談義3


 キリスト教は、罪を犯してもその都度神に懺悔(ざんげ)すれば、何度でも許されるんだよね・・と言われたことがありました。答えは「そうです」なんですけど、それを言う人の思いの中には「だったら罪もやりたい放題でしょう」という意味での言葉だとわかっていたので、そうですとは言えずに、そのまま話が終わってしまいました。

 しばらく経ってそのことを考えていたら、次の聖書の言葉が頭に浮かんできました。
人はうわべを見るが、主は心を見る。
 ・・旧約聖書 サムエル記 第一 16章7節

 何度でも罪を犯すたびに許されるんだったらやりたい放題じゃない・・という言葉は、その心が罪を慕っていることを言い表しています。神はその「罪を慕っている心」を見られるということです。神の前に心は隠せないのです。
 ではクリスチャンが罪を犯してしまうたびに神にゆるしを乞えば、そのすべての罪はゆるされるというのは一体どういうことなのでしょうか。このことについては以前も何度か書いたように思いますが、クリスチャンという人間の内側に何が起こったのかということがわからないと、おそらく理解不能だと思います。

 そこで、ある「万引きをやめられない」男について考えてみたらどうかと思いました。そう。万引きをやめられない男がクリスチャンになる話です。

 彼は盗みが罪であることは重々承知なのですが「貧乏でもないのに万引きをしてしまう」・・そういう人でした。その彼が福音のメッセージを聞きます。そのメッセージではこんなことが語られていました。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です・・と。そして、罪の奴隷の行く先は死です・・と。そして神は人々を罪の縄目の中から解放するために御子イエス・キリストを人の形で地上に送られました。そしてその御子は十字架で釘付けにされ、死んで三日ののちによみがえり、その後天の神のところに戻ることで、私たちの救いとなってくださった。このイエス・キリストを信じる者は誰でも罪がゆるされ、その束縛から自由になれるのです・・と。
 そこで、盗癖については自分の力ではどうする力もないことを思い知っている彼は、イエス・キリストを救い主として受け入れることにします。受け入れるとは、自分の心で今生きておられるキリストの存在を信じ、自分ではまだよくわからない天の父なる神に向かって「神さま、私はあなたのことを聞きました。まだよくわからないことがたくさんありますけど、あなたが私を罪から解放してくださる方であることを信じます。どうぞ助けてください。」・・そのように自分の心で祈ることです。イエス・キリストは生きておられ、人の祈りを聞き届けてくださる存在なので、その祈りを聞いてくださり、その人の内に入ってくださいます。とは言っても「イエス・キリストは天に上られ神の右の座についておられる」ので、信じる者の内に入ってくださるのは正確に言うと聖霊です。あるいは御霊(みたま)とも言います。イエス様はご自分が天に上られた後、私たちに「助け主」を送るからねと、約束されました。それが聖霊です。神は三位一体(さんみいったい)の神、すなわち父なる神、御子なるイエス、そして助け主である聖霊という三つの位格を持つ存在です。ですから、この三様のあり方がありながらも、父,子,聖霊から発せられる情報には、聖書を通しても、また私たちが直接受けるみことばや啓示を通しても、なんの食い違いもないということです。だから聖霊が私たちに直接神の心そのままを示してくださるし、神の力となってくださることもあるわけです。それは簡単に言えば神との交わりが成立している状態です。

 さて、この男の内に聖霊が宿るようになりました。そこでこの男は日常生活の中で、聖霊の促しや語りかけを受けるようになります。その基本は律法の二つの大きな教えに従っています。そのひとつは、父なる神を心といのちと知性を尽くして愛すること。そしてもう一つは、あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい・・。この聖霊の促しに従っていくという歩みの中で、罰せられるような罪からも、また心の中で犯す罪からもきよめられ解放されていくというわけです。
 しかしそれはエスカレーター式に乗っかっていれば登って行けるわけではありません。むしろ信仰生活に逆らおうとする自分の古い性質が、クリスチャンになっても自分の内に残っていることに信仰者は気がつき始めます。また同時に、人が神に従うという霊的な世界の中で、それを最も嫌う霊的な勢力にも遭遇します。ですからクリスチャンになると、ある種の戦いの中に身を置くことになります。これらの反対勢力の究極の目的は、人をまことの命から切り離して霊的な死に至らしめることなのですが、クリスチャンの内には死の力を打ち破ってよみがえられたキリストがいのちとして、決して見放さず見捨てないという不動の救いとして、与えられています。そしてクリスチャンはそのいのちを選び取れば、実際にそれらの敵対する力からの勝利を実感して歩むことができるわけです。

 神は私たちが自分の意思をもってその勝利の道を選び取っていくということを求められています。これは人の側の選択です。自分の中の声や古い性質、また悪しき霊からの声などがあって、それらが語りかけてきたときに、そちらの声ではなくて神の言葉の方を選び取る。それが「選び取る」の意味です。
 この万引きをしてしまう男は、救い主イエス・キリストに目を向け、キリストを自分の中に迎え入れたとき、その力を確信します。そして自分が「神が喜ばれることを神と共に喜ぶ者」に変えられており、ひとりひとりのいのちを愛おしみ尊ぶ者とされているという、今までに見たことのない光の世界を垣間見ます。そしてこここそが求めて歩むべき宝のあるところだと確信するわけです。そしてそれを喜び、祈り、無力な者でありながらも神に従う力を求めながらこの光の道を歩み始めます。
 神に従うと決めたとき、あの万引きへの誘惑はどこへ行ったのかと思うくらい自分とは関係のないものとなっていることを実感します。ですがちょっとだけ自分の昔ながらの性質に妥協して、その目が神から逸れたときに、あの頃の万引きへの誘惑が待ってましたとばかりやってくるわけです。最初は断固としてそういう思いを拒否していたはずが、いつの間にか聖霊から来る神の思いと自分の思いとが交錯し、気がついたら自分の思いの方を選んでいた。そう。彼はまた万引きをしてしまう・・。そのような可能性は実はあるのです。でもここからが世の中の人が全く誤解している部分で、それは「彼はその時点でクリスチャンとしての資格を失ってしまう」と思っているという点です。
 ここでは話を「万引き」という罪に限定していますが、クリスチャンは様々な罪について信仰生活を重ねるに従い、自分は本当にきよめられるに値しない者だと思うくらいに自らの罪をさらに深く実感するようになります。即ち、自分の罪深さが益々見えてくると言うわけです。そうなったらその人は、クリスチャンとしての資格を失うのでしょうかという話です。

 彼は再び万引きをしてしまった・・。しかしその時に彼は、以前の自分とは違う思いが自分の中にあることを見させられます。以前はただ、自分はダメな男だなと思いつつ、しかも万引きを繰り返していたわけですが、それが今はちょっと違う自分になっている。盗んだことに対して、ものすごく苦い思いが心に満ちている・・。ああ、こんなことはもう二度とやりたくないと思うわけです。それが聖霊の働きです。ただし、その苦い思いに蓋をすることもできてしまうんですね。実はここに信仰生活の明暗の分かれ道があるんです。彼は苦い思いにはっきり向き合い、キリストの前にもう一度立ちます。その時、この男は十字架にかかられたキリストを見上げます。そしてこのイエス・キリストという、今や自分のいのちとなってくださったお方が、自分の罪のために十字架にかかられ、父なる神の前にあがないとなってくださった救いそのものなのだ、ということが心に示されます。(これも聖霊の働きですが)それによって、ああ私の罪も、私の存在もゆるされているのだという、信仰者の原点にもう一度引き戻されるわけです。男は祈ります。「主よ、あなたの救いとゆるしが、今もあることを知りました。どうぞこのような私を哀れんでください。もう二度と盗みをしないように、私を作り変えてください。誘惑が来るときにはどうか私がそちらを見ることがないように守ってください。」と。この男はこのことを通して、自分の弱さというものをさらに体験的に知っていくようになるわけです。実はそれがクリスチャンの歩みの基本的な「型」なのです。
 信仰者は、人が本当に変わるのは自分の力では到底無理なことを、こういった挫折体験によって気付かされます。自分はまだまだ自分で自分を変えようとしていたんだということがわかるわけです。人を本当に変えることができるのは、人を造り、キリストを死からよみがえらせた、天地を作られた全能の神の御力しかないのだと・・。そして主の力に改めてすべてをゆだねるという決意をした時に、彼はそこに弱い者の上にある主の奇跡の御わざを体験し始めるのです。

 聖書の中には、神そしてイエス・キリストのされた奇跡の話、弟子たちを通してなされた奇跡の話が数えきれないほど出てきますが、それは主なる神ご自身がそれをなさる方であるということを、これでもかというほど強調しているわけです。ところが残念ながら多くの人々はそれを聞いてもそこには到達しないようです。信仰者でも、心の奥には中々それを認めようとしない固い壁があります。そのかたくなな心が、「主ご自身こそがそれを成し遂げることのできる唯一の存在である」というところに立ち返らされるという出来事を通して、少しずつですが、固い心の壁も少しずつ砕かれて行くというわけです。そうして初めてクリスチャンは「栄光から栄光へと主と同じ形に変えられていく」という奇跡を体験しながら歩むわけです。それは自分への絶望と神への降参の繰り返しなしにはあり得ない歩みです。
 ですからこの歩みはきよめられていくステップの話であり、懺悔すればゆるされるんだから、罪は犯し放題だよという考えとはおよそ真逆の世界です。

 この男はクリスチャンになってからも盗みをしてしまった。そして苦い思いの中でもう一度悔い改めて、神との交わりの中へ戻ることができた。だからもう二度と盗みをすることはないかというと、それもわからないわけです。誘惑や神への反対勢力の攻撃はさらに増し加わります。しかし彼の上にはいつも、彼を神の光の中に導く聖霊の存在があります。この聖霊を無視することはできますが、本人が求める限りは「決してあなたを見放さず、見捨てない」と言われる主なる神=聖霊がその歩みに伴ってくださるわけです。
 先ほど「ここに信仰生活の明暗の分かれ目があります」と書きましたが、明暗の分かれ目は、罪を犯してしまうか否かではなくて、罪を犯してしまったときに聖霊の促しに向き合うか、そこから目を逸らすか、これが明暗の分かれ目であるということです。この男は「明」を選んだわけです。では「暗」とはどういうことかというと、それは聖霊から目をそらしてその促しの声に蓋をしてしまうということ、即ちいのちなる神から目をそらすということです。結果、自分が何者なのか、神のみもとに帰る者とされたということがどんなことなのか、神がどのように栄光に富んだお方なのか、自分がいただいた宝がどのようなものか・・それがさっぱりわからなくなり、クリスチャンであることさえもわからなくなってしまうわけです。神が光であり、いのちであるのに、恵みによっていただいたその大きな祝福を地面の中に埋めてしてしまう。そして再び罪の奴隷という「以前の自分」に舞い戻る。これが「暗の選択」です。

 クリスチャンというのは、何度でも神の前に悔い改め、そこにすでに備えられているゆるしをその都度受け取り、そのたびに神の愛の深さと忍耐強さを目の当たりにし、神の御名をほめ、神を喜び、賛美し、ますます愛して歩む「砕かれる者」の道なのです。この何度でも「いのちを選択する」という地道な作業が信仰生活に於いては必須なのです。そのことを通して信仰者は十字架の真実味がますますリアルになり、そのためにいのちを捨てられた御子、そして父なる神の愛がどれだけ大きなものかをますます実感する者と変えられていくのです。

 何度でも悔い改める者を、神は限りなくゆるされる。それは神のもとに立ち返るという心の行為こそを、神様は認めてくださるからです。ペテロはイエス様に、(クリスチャンの)兄弟が自分に罪を犯したら何度までゆるしたらいいですか、七度までですか、と問います。それに対しイエス様は、七を七十倍までと言われました。これは490回までという意味ではなく、限りなくという意味です。それは神が自分に対してゆるされる回数のことでもあります。
 神が喜ばれるのは、悔いた心、砕かれた魂です。自分の力で歯を食いしばって頑張ろうとするべきポイントは、自分を変えようとするところではなくて、神に立ち返ろうとする、そちらを選択するというところにあるのです。そのために、時には自分を打ち叩く必要もあるかもしれません。そして神こそがそれを成し遂げることのできる存在であることを信じるというところに留まること。神はその心の決断を見て、その人を良しとされる。これが神に赦しをいただいた者の、神との関係に於ける基本なのです。
 神様とは限りなく忍耐強いお方。そのために人の子として地上に降り立ち、そのいのちをさえ惜しまずに私たちの罪のためにささげてくださった方なのです。


 以下、十二の聖書の言葉です。

 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
 ・・ヨハネの福音書 15章13節

 神へのいけにえは砕かれた霊。
 打たれ砕かれた心。
 神よあなたはそれを蔑まれません。
 ・・詩篇 51篇17節

 強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」
 ・・申命記 31章6節

 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
 ・・エペソ人への手紙 3章19節

 人の子(キリスト)を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されません。
 ・・ルカの福音書 12章10節

 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
 ・・ローマ人への手紙 8章28節

 「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。
 ・・コリント人への手紙 第一 2章16節

 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
 ・・コリント人への手紙 第二 12章9節

 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
 ・・コリント人への手紙 第二 3章18節

 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
 ・・ヨハネの手紙 第一 4章10節

 私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。
だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、
それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。
 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。
 ・・コリント人への手紙 第一 3章10~16節

 ですから、私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。
むしろ、私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者にならないようにするためです。
 ・・コリント人への手紙 第一 9章26~27節

 以上、聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 より (カッコ内は市原注)
 
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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・バックナンバーのご案内です。

  その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
  その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」2018/9.18
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2
 
 
   
   
  
2019.01.21.Mon 18:49 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 2019年、市原は69歳になろうとしています。こうしてドラムを叩かせていただいていることがなんだか不思議な感じがします。これを与えられためぐみと思い、許されるならばこの年も走り抜きたい。また愛する仲間たちや教会の兄弟姉妹たちとの絆をさらに深める年となればほぼ100点ではないかと・・。
みなさま、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 
         2019年賀web2使用小
 
 
 
2019.01.02.Wed 00:07 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

1901-2.jpg

 もう来年の告知です。
 みなさま、今年一年、TRIO'およびドラマー市原康を、またYuji Ohno & Lupintic Six 並びに大野雄二トリオ、又そのほか長年培ってきた一つ一つのライブを応援してくださり、誠にありがとうございました。
 新しい年も、みなさまと共有する時間が、共に喜べる時間となるように、精一杯力を尽くして臨みたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 怒濤の12月を終えて、1〜2月は少し息抜きが出来そうです。年が明けても大野雄二関連が大半を占めます。まずはそちらからのご案内。

● 大野雄二関連
 1/14(月・祝) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 1/17(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 1/24(木) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 2/2(土) 大野雄二トリオ 埼玉県県民活動総合センター・小ホール
 2/5(火) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 2/9(土) 大野雄二トリオ 東京・新宿区立角筈区民ホール 
 2/15(金) Yuji Ohno & Lupintic Six 高知県民文化ホール
 2/21(木) 大野雄二トリオ お茶の水 NARU
 2/27(水) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 
● その他のライブ
 1/18(金) 金城寛文クインテット 東京・菊川 な〜じゅ
 1/20(日) 直居隆雄トリオ 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部

 以上、新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・バックナンバーのご案内です。
  その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
  その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」2018/9.18
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2

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2018.12.03.Mon 01:09 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
1811-12の2

 前回、このインフォメーションでは「猛烈に暑い夏」ということばを使った記憶があるのですが、どうも最近は穏やかな四季の変化というものを味わうことが出来なくなってきた・・「地球」が悲鳴を上げているようにも感じます。前回と同じことばをもう一度書きますが、自然のバランスが絶妙に保たれていることの恵みを改めて思わされます。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。今年度最後のライブ予定のご案内をお送りします。
 11月はまずはTRIO’のツアーと久々の「ウォン・ウィンツァン・ジャズトリオ」。こちらからご案内いたします。とにかくルパン関連のように黙っていても満杯になるというような私たちではございませんで、みなさまの応援を乞い願い奉ります・・というモードに入らざるを得ません。どうぞ覚えて、15年目のTRIO’、そして久々のウォン・ウィンツァン・ジャズトリオをよろしくお願い申し上げます。ご予約はお早めに・・。

 先日のご案内と重複いたしますが、詳細は以下の通りでございます。そのあとに大野雄二関連その他のご案内を載せていますので、どうぞ最後までご覧になってください。

● TRIO’/トリオッ (pf,福田重男、bass,森泰人、drums,市原康) 秋のツアー

 11/17(土) 東京・浜松町/サンミケーレ 開成ライブ ゲスト・市原ひかりtp 
      同窓会ライブとして開成同期の仲間が主に集まりますが、
      一般の方も大歓迎です。
       ご予約は、090-4668-3213/上久保まで
            または ichihara@i-produce.net 市原までご連絡ください。
       ¥8,000 1ドリンク+食事 
       6:30 p.m に開場ですが、開場間もなく開演となります。
       開演 6:50 p.m ・・途中食事タイムを挟んで2セットです。
       終演予定9:00 p.m
       アクセス: 浜松町・サンミケーレ 
       http://www.sanmichele.jp
       最寄り駅 地下鉄 大門 よりB1出口より徒歩2分
       JR 浜松町 北口より徒歩3分
       東京都港区浜松町1-17-10 tel.050-5594-5548
       汐留健診クリニックの5階です。
       入り口はクリニック入り口とは反対側/裏手にお回りください。
       クリニックのエレベーターで5階です。
 
 11/18(日) 東京・南青山/Body & Soul ゲストはありません。TRIO’のみのライブです。
      TRIO’をたっぷりご堪能ください。
      日曜日ですので、通常の開始時間より一時間早い、午後7時となります。
      ご予約はBody & Soulへ直接、電話03-5466-3348でのご予約
          またはBody & Soulのサイトより直接ご予約が可能です。
          http://www.bodyandsoul.co.jp
      最寄り駅 地下鉄(銀座線、半蔵門線、千代田線)表参道駅より、徒歩約15分
       (地下鉄出口はB1をご利用ください) 骨董通りに入って4番目の信号のある
       大通り(まで少し距離があります)を右に折れ、すぐ先、右側です。
      東京都港区南青山6-13-9 階段を降りて入り口です。

 11/22(木) 安城/花むすび TRIO’のみのライブです。安城ジャズクラブ主催
      こちらも、TRIO’をたっぷりご堪能ください。
      チケット ¥3,500 
      開場 6:00 p.m 開演 7:00 p.m
      チケット取り扱い
       日新堂書店(安城市御幸本町)Tel 0566-75-2028
       ろくえん市民会館店(安城市桜町) Tel 0566-75-0777
       花むすび(安城市朝日町)Tel 0566-76-3005
      お問い合せ
        安城ジャズクラブ事務局 細井(三恵不動産内)Tel 0566-76-6656
      前売り・予約の状況よっては、当日券がない場合もあります。ご容赦ください。
      会場「花むすび」より
       駐車場台数に限りがありますので、乗合せ等のご配慮をお願いします。
       お弁当の販売(数量限定)をします。事前に電話いただければ確保いたします。
       花むすび Tel.0566-76-3005
       安城市朝日町 24-15
      主催・安城ジャズクラブ http://anjo-jazz.com

 11/23(金) 浜松/田町サロン ゲストボーカル・鈴木麻美 
      開場 2:00 p.m、開演 3:00 p.m 時間が早くなっております。
      ゴールド会員(丸八不動産グループお得意様) ¥2,000 
      一般 ¥3,000
      お問い合わせ・ご予約 053-424-5311 または
      予約サイト・ポルテシアターよりご予約ください。
       https://theater.porte.cc/reserve_info/
       https://theater.porte.cc/item/5390/
      会場の田町サロンは「ポルテシアター」とは別の場所です。ご注意ください。
       〒430-0944 静岡県浜松市中区田町326−28
       http://08artforme.com/thirdplace/third_place/tamachi/

 11/24(土) 横浜/Jazz Spot DOLPHY TRIO’のみのライブです。
      開場 6:30 p.m、開演 7:30 p.m
      ライブチャージ 前売り¥3,500 当日¥3,800
      ご予約・お店に直接電話またはサイトからご予約ください。
       電話 045-261-4542
       サイト https://www.dolphy-jazzspot.com/index.html
        「ライブ予約」からお入りください。
      横浜市中区宮川町2-17-4第一西村ビル2F
      最寄り駅
       徒横浜市中区宮川町2-17-4第一西村ビル2F歩6分
       京急「日の出町駅」徒歩3分
       みなとみらい線「馬車道駅」下車 出口3「博物館口」徒歩11分
      「みなとみらい駅」より桜木町駅経由徒歩20分

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● WIM/ウィム (W=ウォン・ウィンツァンpf、I=市原康ds、M=森泰人bass)
    1999年〜2006年に主な活動をしていたピアニスト ウォン・ウィンツァンの
    ジャズトリオです。久々の再演です。

 11/19(月) 市川/クールジョジョ(cooljojo jazz+art)
    ¥3,500 (+order) 開場 7:00 pm / 開演 (1) 7:30 pm (2) 9:00 pm
    お申込先: クールジョジョ 080-2624-0879  
    アクセス
     市川市八幡2-16-16 クレール本八幡B1F(Gパン サカイ 地下)
     電話 080-2624-0879
     JR/都営新宿線「本八幡駅」A1出口 1分 / 京成「八幡駅」歩5分
     https://www.cooljojo.tokyo

 11/20(火) 東京・原宿/Hall 60 (ホールソワサント)
    ¥4,000(当日精算)(飲食はありません)
    開場 6:00 pm / 開演 6:30 pm / 終演 8 :00 pm
    チケット予約申込
     メール ichihara@i-produce.net または電話: アイプロデュース 090-8560-0016
     ※会場となるhall60では、チケット申込受付は行っておりせん。 
    アクセス
     原宿表参道ビル 地下2F(1階は、赤いテントの MIZUcafé)
     渋谷区神宮前6-34-14  03-5467-7051
     地下鉄千代田線・副都心線「明治神宮前<原宿>駅」歩1分
     http://hall60.com

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 以下、そのほかのご案内ですが、まずは市原のリーダーライブを二つご案内します。すでにご案内いたしました10月の「市原康スペシャルカルテット」そして、石神井公園野外ステージの「森のジャズ祭2018」。
 こちらだけもう一度ご案内セさていただきます。

● 市原康スペシャルカルテット with tp市原ひかり、pf松本峰明、b上村信
 10/26(金) 町田まほろ座 http://www.mahoroza.jp

● 市原康トリオ pf,納谷嘉彦、bass,金森もとい
 11/3(土) 石神井公園野外ステージ 観覧無料 雨天中止 
  4つのグループが出演します。
  市原トリオは14:00-14:45 で、15時にてすべてのプログラムは終了いたします。 
  https://www.facebook.com/morijazz/

 その他は以下の通りです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

● 大野雄二関連
 11/1(木) 大野雄二トリオ 鎌倉ダフネ
 11/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 長崎・波佐見町総合文化会館
 11/11(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 長崎・佐々町文化会館
 11/15(木) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 11/25(日) 大野雄二トリオ 横浜・モーションブルー
 11/29(木) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ 
 12/1(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 越谷・市民ホール
 12/8(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 鹿児島・宝山ホール
 12/15(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 十日町市・越後妻有文化ホール
 12/18(火) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 12/20(木) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 12/23(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 香川・三木町文化交流プラザ
 12/24(月・祝) Yuji Ohno & Lupintic Six 岡山・CRAZYMAMA KINGDOM
 12/26(水) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 大阪・新歌舞伎座
 12/28(金) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 12/30(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 名古屋・ブルーノート 
 
● その他のライブ
 12/11(火) 塚山エリコ/バースデーライブ 東京・沼袋 Organ Jazz 倶楽部
 12/21(金) 萩谷組 東京・キーストンクラブ東京

 以上、11月 12月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・更新いたしました。
 その14「救われる・・てなに?」2018/10.19
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-date-20181019.html
 バックナンバーはこちら
 その13「あんな人がどうしてクリスチャンなの?」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-date-20180918.html
 その12「キリストは絵に描いた餅?」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-270.html
 その11「聖書の目的」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-264.html
 その10「聖書を読むと何がわかるのか」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-262.html
 その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-260.html
 その8「クリスマス・・それは」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-258.html
 その7「助けを求める心」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-256.html
 その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-253.html
 その4「信じることでしか出会えない神」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-247.html
 その3「罪人だと言われると、どうも・・」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-245.html
 その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」
   http://ichiharablog.blog83.fc2.com/blog-entry-242.html
 
 
2018.10.20.Sat 23:43 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
1810談義


 皆さんはクリスチャンが「救われた」という言葉を使うのを聞いたことがありますか?
 それは、人の魂は滅びにへ定められているところを、そこから救い出されたという意味です。神は愛です・・とクリスチャンたちは叫んでいるのに、なぜ人は滅びに定められているわけ? 神のどこが愛なの? ・・と、当然そのような疑問がわいてきます。そのことをこんな視点で捉えていただけたら理解が得られるかなと思うのです。例えばこんな父親がいたとします。


⚫︎ 父に背を向ける子
 父親は息子が道を外し、欲のままに生きる破滅的な生活をするようになったのを見て、怒り、その子を叱り、懲らしめて、なんとかまっとうな道に戻らないかとあれこれと手を尽くします。それでも息子は全く耳を貸そうとしない。父親は怒りと悲しみで一杯になります。息子には将来において平安で幸せで明るい家庭生活を送ってほしい。自信に満ちて世と人とに仕えるという悔いのない生き方をする人になってほしい。しかしそんな希望も今の息子を見ていると絶望的に思える。やむなく父は息子に「勘当だ」と言って家から追い出してしまいします。そんな生活を続けるなら、その結末を見て、自らの選んだ道がどういうものだったのかを身をもって知るが良い。それで目が覚めるならいつでも帰ってきなさい。私は喜んでお前を迎えよう。私がおまえの父親なんだから。しかしお前が今の生活を続けるなら、お前はもう私の子ではない・・と。
 この父の姿勢の本質は言うまでもありません。子への愛です。「神は愛です」とは、父に背を向け耳を貸そうとしない自分の子に対しての愛なのです。聖書はすべての人が罪びとなのだと言い切っています。神が本当に人を造られて、その人がご自分のもとに帰るのを愛をもって待っておられるのなら、そのまことの父を拒めば、その人の上にある神の想いは「愛ゆえの怒り」「涙を流す怒り」なのです。何度も何度も声をかけているのに・・。神は愛なのに、神がいのちなのに人の方でそれを拒んでいる・・。それが聖書が示す神と人との基本的な関係の構図です。

 新約聖書にこんなことばがあります。

 "さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。
 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"
 エペソ人への手紙 2章1~5節

 私たちは生まれながら御怒りを受けるべき子らだと言うのです。魂は滅びへと定められているというのでしょうか。このエペソ人への手紙には、私たちのことを「背きの中に死んでいた」者だと言っています。背きとは神に対する背きです。そしてその状態は「死んでいる」と表現されています。ところが「神のあわれみと愛のゆえに、キリストとともに生かされた」者へと変えられたと、この手紙の筆者パウロは言っています。
 神の前に出る資格のない者が、あわれみと愛のゆえに神の御怒りから救い出されたというのです。その救いのためにキリストの十字架と復活がそこに至るためのたったひとつの狭き門として与えられた、というのがよく聞くところの「福音」のメッセージです。ただ恵みとして与えられた父の家へのこのパスポートによって、人は「救われる」のだと。その文脈から言えば救いとは神の御怒りからの救いであるわけです。キリストの十字架、あれは私たちが受けるべき御怒りを、キリストが受けてくださったその姿に他なりません。だからキリストが救いなんです。「神の子なる神」であるはずのキリストが十字架の上で叫んだことばが、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」です。それは私たちの身代わりに御怒りを受けられたことを示す叫びです。神の御子が私たちの身代わりになったのです。・・あり得ない話です。でも神が、神の側からこのようにして、人をご自身のみもとに帰るための道を備えてくださったのです。神は愛ですとはこのことです。キリストご自身が身代わりの犠牲であり、キリストご自身が復活のいのちなのです。このキリストを信じて自分の内に迎えるという心の行為、そのこのとで神は、私たちがその「救い」を受け取ることができるようにしてくださった。これが神から人に提示された唯一の「救い」であって、ほかにそのようなものはありません。

 でも実はこのことが世間の人にとっては一番受け入れがたいことなんです。いわゆる「それじゃあ虫が良すぎるでしょう」というやつです。その感覚の中には、神に対して何も差し出してもいないのに、そんな全面的な赦しを受け取れるなんてけしからん、不公平だ。それじゃあ悪いことした者勝ちじゃないか・・となる。これに対して「あなたは何か神の前に差し出すことのできるような、聖いもののかけらでもあると思ってるんですか?」と問いかけてくるのが聖書です。


⚫︎ 普段は決して考えることのないこと

 イエス様の話の中に、こんな話があります。

 "すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の現場で捕らえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするよう私たちに命じています。あなたは何と言われますか。」
 彼らはイエスを告発する理由を得ようと、イエスを試みてこう言ったのであった。だが、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
 しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」そしてイエスは、再び身をかがめて、地面に何かを書き続けられた。
 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、真ん中にいた女とともに、イエスだけが残された。イエスは身を起こして、彼女に言われた。「女の人よ、彼らはどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。」
 彼女は言った。「はい、主よ。だれも。」イエスは言われた。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」"
 ヨハネの福音書 8章3~11節

 姦淫の現場で捕まえられた者を石打ちにして殺すことは、当時律法では「正当なこと」でした。ところがイエスの「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」との言葉で、律法学者やパリサイ人たちはハッとするわけです。この人たちは神のことに関しては教える立場にある人たちでした。世間的には、自分たちは神との関係に関しては健全であることが大前提であること・・彼等はその大前提の上にあぐらをかいていて、実はそれに相応しい内実などどこにもないことが、イエス様のことばによって瞬時に示されたわけです。それで彼らは、石を投げてこの女を死刑に定める資格など、自分にはどこにもないことに気がつくのです。最初に気がついたのは年長者でした。それだけ自分の罪の性質を示されたことの多い人たちなのだと思います。
 自らの罪に目を向けることをしようとせずに人を断罪する。これは聖書に言うところの「罪びと」の基本的な立ち位置のひとつです。罪びとを目の前にしたときに、その人の思いの中に浮かぶ光景はもっぱらその人の罪であって、自分の罪からは見事に目をそらす。これが罪人の罪人たるゆえんです。そしてこれが「生まれながらみ怒りを受けるべき子」の姿です。
 幸いこの女に石を投げる人は結局ひとりもいなかった。彼等は神の選びの民であり、神の偉大なみわざを通してエジプトから導き出された特別な民族であるにもかかわらず、神の前に自分は正しいと認めることが出来る人は、そこにはひとりもいなかったんです。それは今の私たちが、そのまま受け取るべき話でもあるわけです。私たちは他人の罪はよく見えて、それを断罪するのは大得意です。それは自分が神の座に座ろうとする罪人の基本的な性質です。イエス様はそういう私たちを罪人だとし、さらにこれを赦されるために来られた・・。それはイエス様の女に対する姿勢そのままです。イエス様は女に「あなたに罪はない」とは言われませんでした。彼女が罪人であることを認め、その上で「わたしもあなたに裁きを下さない」と言われたのです。
 彼らはその場からいなくなりました。それは神に受け入れられることでした。自らの罪に気がつくこと・・それが神の御怒りから救われるための第一歩なのです。あの出来事は人と神の関係において、とても重要な瞬間を表しています。クリスチャンとは、自らの罪を認めイエス・キリストを救い主として信じる信仰によって救われる、という道を選んだ人たちです。何から救われた? 神の御怒りからであり、その結果である魂の滅びから救われ、まことのいのちである神のみもとに帰ることが許された者たちです。イエス・キリストは私たちに赦しを与えるために、人の子として来られ、その体を罪人の私たちの代わりに釘付けにされることによって、これが神の赦しの姿なのだと、十字架の上で示されたのです。


● そもそもの話

 ここで大前提の話をします。もし神が私たちを造られたというのが文字通りの現実でなければ、聖書の言う神はかなり信用できないものになります。自分を神だと言い、自分がおまえを造ったのだと言い、宇宙とこの世を造ったと言い、この世の終わりについても明言し、そのあとに来る神の国のこともはっきり言っている。これが単なる想像の産物だったら聖書ほど人騒がせな書物はありません。だってあり得ないことばっかり書いてあるんですから。モーセが紅海を渡るのに海が割れた? モーセが神から直接十戒を受けた? 天からの食物であるマナが荒野で「40年間」降った? キリストが天地創造の前から父なる神と一緒におられた? キリストが処女から生まれた? キリストが十字架にかかって死んでよみがえった? 世の終わりが来る? その時には大艱難がある? 最後にはキリストはもう一度来られて生きている者と死んだ者すべてを裁かれる? サタンがいる?・・神を信じないで聖書を読もうとしたら、聖書の90%は無視しなければ、読めるものではありません。聖書は神の存在を認めたときに初めて、そこに隠れている「真理」を見させてくれるのです。神を認めずに聖書の研究をしたって、そこから得られるものなど何もありません。
 あの分厚い聖書が始めから終わりまで一貫して、これでもかというほど言い続けていること。それは「わたしが神である」という神からの主張です。「わたし」とは、聖書を通してご自身を現されている全知全能の神のことですが、宇宙を含めその中にあるすべてのものがこの神による被造物だと、神ご自身が宣言しています。だから当然のこと、人も神の手によって造られた存在です。
 神にとってアダムはご自分が創造された最初の人、それは神の家の長子のような存在です。ところがその長子がこのお父さんをお父さんと認めない。即ち、自分を造られた神を神として認めなくなってしまった事件・・それがあの創世記のアダムが禁断の木の実を食べてしまった話です。聖書全体の主題「罪人の歴史とその上にある神の愛」の話はここから始まっているわけです。アダムが犯した罪はいのちそのものである神に対する反逆。滅びの選択でした。神はちゃんとアダムに告げていたのです。「その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と。園の中央にはもう一本の大切な木がありました。それが「いのちの木」です。ですから、エデンの園からアダムが追放されたという話は、まことのいのちから切り離されたということを表しているわけです。あなたは死ぬ・・ということは、そうでなかったら死ななかったのにという意味です。そうです。死はなかったのです。この時からアダムは汗水流して働き、最後には土に返る者となったと聖書は記しています。ここから魂の深いところでの充足から切り離され、死を恐れながら行く先もわからずに歩む「罪びと」の歴史が始まります。その罪人の歴史は悲惨なものでした。簡単に暴虐で満ちる世界へと突き進むんです。自分を守るために・・。しかしこれで神の計画が頓挫したのではなくて、実はここから始まるんです。それは神を無視し自分中心に生きる人類の世界「この世」への、神の愛と哀れみをもっての介入です。


● 未来のことも書いてある聖書

 聖書にはこの世の初めから終わりまでのことが書かれています。ですから当然、私たちにとって過去のことも書いてあれば、これから起こることも書いてあるわけです。イエス・キリスト降誕の700年前、イザヤという預言者は、キリストの十字架の様子を克明に記しています。当時その世界に生きていた人にとって、キリスト降誕ははるか未来のことだったわけです。そしてその700年後、イエス・キリストが来られた時代でも、ユダヤ人たちはこの預言書のことには精通していました。ところがあろうことか、彼らは自分たちの手であのイザヤ書の預言通りに、イエス様を十字架にかけて殺してしまうのです。預言書を警告とは受け止めずに、キリストを殺す方の役を果たしてしまったのです。
 今の私たちにとって、キリスト降誕は過去のことですが、もうひとつ書かれているのがキリストの再臨です。それに関する聖書の記事の代表的なものは、キリスト降誕よりも550年も前の、ダニエルとかエゼキエルその他の預言者が記しています。と同時にイエス様ご自身も、世の終わりのことについて、何度も語っておられます。そして弟子たちの手紙の中にも書かれており、その総まとめのようなものが黙示録です。そこにはこの世の終わりの時に、キリストが再び来られるということが書いてあるのです。
 具体的に語られていたことが今目の前で起こったとしても、それが大昔から言われていたことの成就だということを、信じるのは難しいことかもしれません。しかし預言の通りのことが、将来的に起こるということを聖書は言っているのです。ならばそれは私たちに語られている警告です。キリストは再臨される。すなわち再びやって来られる。復活したキリストが、弟子の見ている前で天に上られた、その同じ有様で再び来られるというのです。そして神に背を向け続ける者と、キリストとともに神のみもとに帰る者とを振り分け、神に立ち帰らない者を永遠の火の中の苦しみに入れ、キリストと共に父なる神のみもとに帰る者には、永遠のいのちとその住まいが用意される。具体的にはもっと細かく書かれていますが、大雑把に言えば聖書にはそういうことが書いてあるのです。

 「さばき」・・そのことを否定することは、神の存在を信じていないということです。神が存在しないなら、さばきなどはあるはずもないですから。「救われる」という言葉も、神がおられて初めて意味を持つわけです。
 「御怒り」ということばは旧約聖書の中には55回出てきます。それはイスラエルの民が、神の御怒りとゆるしの繰り返しの中を、歩んで来たことを物語っています。そしてイエス・キリスト以降の新約聖書には14回出てきます。そのほとんどすべて、厳密には13回が「終わりの時の御怒り」についてのことばです。聖書は1400年間で執筆された66巻の書物の集合体であるにもかかわらず、世の初めから終わりまで、そのタイムテーブルにブレはないのです。それによれば「神の御怒りの時」、その時に生きている者と今までに死んだすべての者も、神のみ前によみがえり、さばきを受ける・・それは今の世には終わりがあって、その時の話だというのです。ここからわかることは、この御怒りでさばかれた人は、まだいないということです。さばきについては、すべてこれからのことだと聖書は言っているのです。そして、救われて神の国の民とされるという約束も、実際に訪れるのはこの終わりの時だと、聖書は言っています。神の計画のクライマックスはまだやって来ていないのです。


● 忘れてはならないのが・・

 神のみもとに帰った、救われたという言葉には以上のような意味があるわけです。罪びとの状態のまま神のもとに行こうとしたところで、神の聖さと罪びとの高慢な性質はまったく相容れません。本当の光と喜びと納得は、神の聖さの中にあるのです。愛なる神のもとに帰ったという時に、忘れてはならないのが、本当は帰る資格のない者に、その救いの扉が開かれたということです。信じるだけで救われるというのなら、それは「ただ=無償」です。しかし、その信じることの中身は、神の御子がわざわざ天から下り、肉体をもって「人の子」となり、その人の子が私たちの罪の身代わりとして十字架にかかるという、「いのちの代償」なのです。そこには激しい痛みと苦しみの果ての死と、そして愛があるのです。神の愛の形とは痛みであり、言いようのないうめきと苦しみに重なるものなのです。私たちが救われるために、ちゃんと代償が支払われたのです。神の御子キリストが、そのために「人の子」の形で地上に来られ、それを釘付けにしたその事実と、死の後によみがえられたその存在とが、私たちの「救い」の実体として与えられているのです。あなたが無償でいいのは、神が代価を支払ってくださったからなのです。どうして?・・。それはあなたに代価を支払う資格も能力もないからです。なぜそんなことしてくれるの?・・。それは、あなたは父なる神の実の子なのだから。
 神がなさったことを信じる者には、主ご自身が聖霊という形をもって、入ってきてくださいます。それによって、人は神の子として、父なる神と話を交わす者となり、すべての罪が赦され、永遠の神の御国の子とされるということを、確信し喜ぶ者となるのです。それは、死というポイントを超えた希望です。救われた者にとって死は、その意味が完全に変わります。死は恐れや絶望ではなく、単なる通過点であり、「終わり」ではなく「永遠のいのち入り口」へと、その意味が完全に変換する希望のポイントとなるのです。私たちの罪のために十字架にかかり、よみがえられたイエス・キリストを信じる者には、今から後にある「終わりの時の神のみ怒りによるさばき」から救われ、永遠の天の御国の民となるという、本番が待っているのです。

 "これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。"
 新約聖書ヘブル人への手紙 11章13節


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 【バックナンバー】
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5.2
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5.31
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6.28
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9.8
  その7「助けを求める心」2016/11.12
  その8「クリスマス・・それは」2016/12.30
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1.20
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4.24
  その11「聖書の目的」2017/5.11
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11.21
2018.10.19.Fri 11:28 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 いつもTRIO’、ドラマー市原を応援いただき、心より御礼申し上げます。
 さて今年二回目になりますが、11月のツアーとしてご案内している「TRIO’ 秋のツアー」そして、久々のライブとなります「WIM/ウォン・ウィンツァン・ジャズトリオ」のライブの詳細をお知らせします。
 最下段でチラシをご覧になれます。

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● TRIO'/トリオッ (pf,福田重男、bass,森泰人、drums,市原康) 秋のツアー

 11/17(土) 東京・浜松町/サンミケーレ 開成ライブ ゲスト・市原ひかりtp 
      同窓会ライブとして開成同期の仲間が主に集まりますが、
      一般の方も大歓迎です。
       ご予約は、090-4668-3213/上久保
            または ichihara@i-produce.net 市原までご連絡ください。
       ¥8,000 1ドリンク+食事 
       6:30 p.m に開場ですが、開場間もなく開演となります。
       開演 6:50 p.m ・・途中食事タイムを挟んで2セットです。
       終演予定9:00 p.m
       アクセス: 浜松町・サンミケーレ → ご案内サイト
       最寄り駅 地下鉄 大門 よりB1出口より徒歩2分
       JR 浜松町 北口より徒歩3分
       東京都港区浜松町1-17-10 tel.050-5594-5548
       汐留健診クリニックの5階です。
       入り口はクリニック入り口とは反対側/裏手にお回りください。
       クリニックのエレベーターで5階です。
 
 11/18(日) 東京・南青山/Body & Soul ゲストはありません。TRIO’のみのライブです。
      ミュージックチャージ ¥4,000
      日曜日ですので、通常の開始時間より一時間早い、午後7時となります。
      ご予約はBody & Soulへ直接、電話03-5466-3348でのご予約
          またはBody & Soulのサイトより直接ご予約が可能です。
          http://www.bodyandsoul.co.jp
      最寄り駅 地下鉄(銀座線、半蔵門線、千代田線)表参道駅より、徒歩約15分
       (地下鉄出口はB1をご利用ください) 骨董通りに入って4番目の信号のある
       大通り(まで少し距離があります)を右に折れ、すぐ先、右側です。
      東京都港区南青山6-13-9 階段を降りて入り口です。

 11/22(木) 安城/花むすび TRIO’のみのライブです。 安城ジャズクラブ主催
      チケット ¥3,500 
      開場 6:00 p.m 開演 7:00 p.m
      チケット取り扱い
       日新堂書店(安城市御幸本町)Tel 0566-75-2028
       ろくえん市民会館店(安城市桜町) Tel 0566-75-0777
       花むすび(安城市朝日町)Tel 0566-76-3005
      お問い合せ
        安城ジャズクラブ事務局 細井(三恵不動産内)Tel 0566-76-6656
      前売り・予約の状況よっては、当日券がない場合もあります。ご容赦ください。
      会場「花むすび」より
       駐車場台数に限りがありますので、乗合せ等のご配慮をお願いします。
       お弁当の販売(数量限定)をします。事前に電話いただければ確保いたします。
       花むすび Tel.0566-76-3005
       安城市朝日町 24-15
      主催・安城ジャズクラブ http://anjo-jazz.com

 11/23(金) 浜松/田町サロン ゲストボーカル・鈴木麻美 
      開場 2:00 p.m、開演 3:00 p.m 時間が早くなっております。
      ゴールド会員(丸八不動産グループお得意様) ¥2,000 
      一般 ¥3,000
      お問い合わせ・ご予約 053-424-5311 または
      予約サイト・ポルテシアターよりご予約ください。
       https://theater.porte.cc/reserve_info/
       https://theater.porte.cc/item/5390/
      会場の田町サロンは「ポルテシアター」とは別の場所になります。ご注意ください。
       〒430-0944 静岡県浜松市中区田町326−28
       http://08artforme.com/thirdplace/third_place/tamachi/

 11/24(土) 横浜/Jazz Spot DOLPHY TRIO’のみのライブです。
      開場 6:30 p.m、開演 7:30 p.m
      ライブチャージ 前売り¥3,500 当日¥3,800
      ご予約・お店に直接電話またはサイトからご予約ください。
       電話 045-261-4542
       サイト https://www.dolphy-jazzspot.com/index.html
        「ライブ予約」からお入りください。
      横浜市中区宮川町2-17-4第一西村ビル2F
      最寄り駅
       徒横浜市中区宮川町2-17-4第一西村ビル2F歩6分
       京急「日の出町駅」徒歩3分
       みなとみらい線「馬車道駅」下車 出口3「博物館口」徒歩11分
      「みなとみらい駅」より桜木町駅経由徒歩20分

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● WIM /ウィム (W=ウォン・ウィンツァンpf、I=市原康ds、M=森泰人bass)
    ウォン・ウィンツァン ジャズトリオ 久々の再演です。

 11/19(月) 市川/クールジョジョ(cooljojo jazz+art)
    ¥3,500 (+order) 開場 7:00 pm / 開演 (1) 7:30 pm (2) 9:00 pm
    お申込先: クールジョジョ 080-2624-0879  
    アクセス
     市川市八幡2-16-16 クレール本八幡B1F(Gパン サカイ 地下)
     電話 080-2624-0879
     JR/都営新宿線「本八幡駅」A1出口 1分 / 京成「八幡駅」歩5分
     https://www.cooljojo.tokyo

 11/20(火) 東京・原宿/Hall 60 (ホールソワサント)
    ¥4,000(当日精算)(飲食はありません)
    開場 6:00 pm / 開演 6:30 pm / 終演 8 :00 pm
    チケット予約申込
     メール ichihara@i-produce.net または電話: アイプロデュース 090-8560-0016
     ※会場となるhall60では、チケット申込受付は行っておりせん。 
    アクセス
     原宿表参道ビル 地下2F(1階は、赤いテントの MIZUcafé)
     渋谷区神宮前6-34-14  03-5467-7051
     地下鉄千代田線・副都心線「明治神宮前<原宿>駅」歩1分
     http://hall60.com

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 多彩なツアーとなりそうです。
 みなさまのお越しを心よりお待ちしております。
 
 TRIO1811表hp用out
 
 TRIO1811裏hp用
 
 TRIOB51811表5開成web用

 181122安城チラシ小
 
 
 
2018.09.24.Mon 21:30 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
(これは第一回「あんなことした人がどうしてクリスチャンなの?」の改訂版です)

1809談義s

 世の中の人は、「クリスチャン」に対して、おおむね良い印象を持っているようです。中にはひどい人もいるけどね・・と。それは自分を犠牲にして貧しい人や弱い人のために生涯、時間を捧げて死んでいく人が歴史上も数多くいるからでしょうか。マザー・テレサのように知らない人はいないくらい有名な人から、人知れずそのような生涯を送り、人知れずこの世を去って行く人も数えきれないほど多くいるのではないかと思います。宮沢賢治の有名な「アメニモマケズ」という詩があります。
  
  雨にも負けず
  風にも負けず
  雪にも夏の暑さにも負けぬ
  丈夫なからだをもち
  慾はなく
  決して怒らず
  いつも静かに笑っている
  一日に玄米四合と
  味噌と少しの野菜を食べ
  あらゆることを
  自分を勘定に入れずに
  よく見聞きし分かり
  そして忘れず

   野原の松の林の陰の
  小さな萱ぶきの小屋にいて
  東に病気の子供あれば
  行って看病してやり
  西に疲れた母あれば
  行ってその稲の束を負い
  南に死にそうな人あれば
  行ってこわがらなくてもいいといい
  北に喧嘩や訴訟があれば
  つまらないからやめろといい
  日照りの時は涙を流し
  寒さの夏はおろおろ歩き
  みんなにでくのぼーと呼ばれ
  褒められもせず
  苦にもされず
  そういうものに
  わたしはなりたい 

 宮沢賢治がこういう人だったのではありません。宮沢賢治は「そういうものに、わたしはなりたい」と言ったのです。この「そういう者」には実在のモデルがあったと言われています。1887年に岩手県花巻でお寺の三男に産まれた斉藤宗次郎という人物。この人は内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになりクリスチャンになりました。ヤソ、国賊と言われ、石を投げられ、親にも勘当され、小さな愛娘がヤソの子と言われ、腹を蹴られたのが元で天に送り、小学校の教師も辞めさせられる。それでも彼は新聞配達をしながら配る一軒一軒のために足を止めて祈ったという。1926年に彼は内村鑑三に招かれて東京に引っ越すことになる。花巻の地を離れるその日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一 般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたという 。・・これがこの宮沢賢治の詩の中に登場する人物「こういうもの」です。現代の人からは名前すら知られていない人でも多くの偉業を成し遂げたクリスチャン・・。それは歴史の中で数えきれないほどいるようです。日本人で誰もが知っているような人物は他にもいないかなとちょっと調べただけで、野口英世、滝廉太郎、杉原千畝、賀川豊彦、、、おもしろそうな人がたくさんいそうです。

 さて、本題はここからです。世間一般の人はクリスチャンに対してあるイメージを持っているようです。「敬虔なクリスチャン」という言葉から思い起こされるイメージは「聖い」「汚れのない」「悪からは全く遠ざかっている」「この世の遊興などとは縁のない」・・といったイメージで、もしそのようなイメージと違っていると「クリスチャンのくせに」などという厳しいことばが飛んでくる。そして一方で、自分はそんな堅苦しい生活はまっぴらごめんだ・・あるいは、自分にはそんな風にはなりたいとも思わず、出来るとも思っていない。要するにクリスチャンになるにはとにかく敷居が高いという感覚を持っているようなのです。
 日本のクリスチャン人口は1%にも満たないと言われています。要するに99%以上の人がクリスチャンではないのです。これは欧米その他、イスラム圏以外の国では考えられないほどの低い数字です。そういうほとんどの人たちがクリスチャンという存在に対して、以上のような見方をしている。だから、あんな人がどうしてクリスチャンなの・・という見方になる。また、聖書に対して学者的な知識は持っているもののクリスチャンではないという人も大勢いる。しかしこの人たちには聖書のメッセージの本質、即ち神の愛の本質が全く届いていないと私は感じるのです。それをここに書きたいと思います。

 クリスチャンというのは・・・、自分の愚かさ、弱さ、無力さ、自己中心、横柄さ、高慢さ、陰険さ、悪辣さ・・書いていけば切りがない、世の一般の人がクリスチャンに対して持っているイメージとはおよそかけ離れた性質が自分の中にあることに気がついた人・・そういう人がなるものです。あるいは、クリスチャンになってから自分がそのような愚かな者であることを信仰生活を重ねるほどに思い知る。それがクリスチャンという人間の共通した特徴です。先に挙げた斉藤宗次郎ほかの人たちも例外ではないはずです。例外と言うよりも、あの人たちは自分の中にある「聖さとはおよそかけ離れた自分の心の実態」を知って愕然とするという経験の持ち主である筈です。要するに、神の前に出せるものなど何もないことを知り神の聖さの前に完全に降参した人たち、それがあの偉人たちの本当の姿なのです。だから神が用意された救いをそのままそっくり受け取った。その結果があの偉業なのです。あの偉業はあの偉人たちのわざではなく、神のわざなのです。絶え間ない努力や修行や強固な意志によって自分を高めてきたから出来たのではなく、何もない自分を愛なる神様に明け渡したからこそ神の力と愛と栄光を現す器とされたのです。だからそれができる。父なる神はこのどうしようもない人間=すなわちすべての人 をもう一度みもとに迎えるために、御子イエス・キリストを地上に送られ、そして十字架の死と復活という大きなしるしを示されたのです。それはすべての人が、キリストと共に死に、復活して新しく生まれ変わるためです。どうやって? それはキリストを信じて心にお迎えすることで実現します。ほかに方法はないのです。自分がどうしようもない人間だとわかったからそれができる。人の強さや能力はこのこととは無関係なのです。これは神の恵みを受け取る必要条件なのです。
・・ここにクリスチャンの本質があるのです。
人に大きな偉業をなさしめる力、それは人の努力や精進によるのではなくて、ただ自分がどうしようもないヤツだと思い知って、神にすべてを明け渡した者の上に働く生ける神の力なのです。キリストの死と復活があなたの内で重なるのです。

 これが、世の中の人たちが全く知らない、想像もしていないポイントです。あの偉人たちも間違いなくそのような歩みをしてきた人たちです。だから、彼らは誰に対しても高ぶる思いで接することはしない、、いや、、出来ないんです。全てが恵みによって与えられていることを知っているから。自分に何か褒められることがあって神に認められているのではないことを心底知っているのです。
 さらにクリスチャンになった人は即座に「聖人」になるわけではなく、そのような自分の古い性質と戦いながら「キリストの形」に徐々に変えられていくというステップを踏みつつ信仰生活を続けます。だから当然、あれでもクリスチャンなの?と言われることはいくらでもある。けれどその人は正真正銘のクリスチャン、それは神の赦しの中で新しいいのちに導かれて生きる者であるわけです。本当はそんな大きな恵みを受けるのにはまったく相応しくない者なのです。そんな者に与えられた・・その恵みを驚き、喜び、感謝しつつ歩む者・・それがクリスチャンなのです。

「あんな人が、どうしてクリスチャンなの?」・・それは、神が「罪人のためにみ子をつかわされた」からです。それが神の愛であるということの意味です。

“イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。
これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」”
マタイの福音書 9章10~13節

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ドラマー市原康ライブインフォメーション 過去の記録
  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
 
 
2018.09.18.Tue 00:04 | 日記・エッセイ | trackback(0) | comment(0)
11月17-24 TRIO' 秋のツアーです。その間、久々の再演・・WIM「pf,ウォン・ウィンツァン、b,森泰人、ds市原康」も二箇所で行います。それから、初日には市原ひかりを交えての開成ライブ。浜松では歌姫/鈴木麻美さんをお迎えします。
★ 11/20のお問い合わせ先が変更になっています。ご注意ください。


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2018.09.12.Wed 00:49 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 猛烈に暑い夏、天候が過酷になってきている感があります。暑さが脅威になるんだと、自然のバランスが絶妙に保たれていることの恵みを改めて思わされます。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。4月に角川映画シネマ・コンサート本番直前に患った虚血性腸炎のことを今も覚えていてくださり、久しぶりにお会いする方からはみなさんから身体の方はいかがですかと、ご心配いただいています。幸い腸の方は全く回復してなんともありませんが、何しろ回復力が落ちていることを感じさせられているこの頃です。少しずつ、様子を見ながら、でも結構なスケジュール・・なんとか乗り切らせていただきたいと思っています。
 さて、告知が遅くなりましたことをお詫びいたします。9.10月のライブスケジュールのご案内です。10月には久しぶりのひかりとの共演があります。項目別にまとめますと・・
 ★ ジャズオーケストラ金城組は9/14です。9/30は大野雄二トリオです。お詫びして訂正いたします ★

● 市原康スペシャルカルテット with tp市原ひかり、pf松本峰明、b上村信
 10/26 町田まほろ座

● 大野雄二関連
 9/8(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 花巻市宮沢賢治童話村 
     ゲストボーカル・杏子
 9/15(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 白山市松任文化会館
 9/16(日) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ大阪
 9/22(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 塩尻市文化会館レザンホール
 9/25(火) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 9/30(日) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 10/6(土) 大野雄二トリオ 鎌倉ダフネ 
 10/13(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 10/15-16(月-火) Yuji Ohno & Lupintic Six 六本木 ビルボードライブ東京 2days
 10/18(木) 大野雄二トリオ お茶の水NARU
 10/29(月) 大野雄二トリオ 新宿 ジャズスポットJ
 11/1(木) 大野雄二トリオ 鎌倉ダフネ
 
● その他のライブ
 9/1(土) 突撃おたま倶楽部主催 「Adult Toy Box 1」発売2周年記念ライブ Soul Elegant X-project 豊橋コティー
      ・・記載が漏れていました。お詫びいたします。
 9/14(金) ジャズオーケストラ金城組 赤坂Bフラット ゲストボーカル/まきみちる
 9/20(木) 塚山エリコ オルガンカルテット 東京・沼袋 Organ Jazz 倶楽部
 9/28(金) JCAA ジャジーナイトvol.7 タイムファイブ/まきみちる 六本木クラップス
 9/29(土) JCAA ジャジーナイトvol.7 タイムファイブ/まきみちる 六本木クラップス
 9/30(日) 直居隆雄トリオとなっていましたが、大野雄二トリオの誤りです。
 10/9(火) 出口誠「Ave Maria」発売記念ライブ 銀座Swing
 10/12(金) 金城寛文クインテット 東京・菊川 な〜じゅ

 以上、9月 10月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・今回も更新はしていません。
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11 当ブログ内です。
   
2018.08.21.Tue 20:06 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 昔は梅雨というと、ずっとジメジメして、早く梅雨が明けるのが待ち遠しいという記憶があるのですが、今は何かが変わっちゃったのでしょうか。それとも自分が気にしなくなっちゃったのでしょうか。まさかこれって。。。(汗)
 市原、みなさまにご心配をおかけしましたが、体調もほぼ普段通りに戻ってきました。しかしながら体力が回復するのに、というか・・腸が回復するのにこんなに時間がかかるのかと、驚きです。年齢のせいか、それとも腸という器官自体がそれほどにナイーブなのかわかりませんが、腸がこれほどまでに体調を言い表してくれるものだということを初めて知りました。どちらにしろ、大事にしなければね。。。
 5月のTRIO’のツアー、無事全行程終了いたしました。みなさまの応援、ありがとうございました。TRIO’・・かなり変わってきたようにも思います。それぞれの場所でいろいろな思い出をいただきました。これが膨らませていけるといいんですけどね。。
 さて、7-8月のスケジュールは以下の通りです。今からカレンダー、、チェック!

● 大野雄二関連
 7/7〜8(土・日) 大野雄二トリオ 名古屋ラブリー2days
 7/13(金) 大野雄二トリオ 東京・お茶の水 NARU
 7/15(日) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 7/20(金) 伊勢丹×ルパン三世/ルパンの夏祭り Yuji Ohno & Lupintic Six 東京・新宿 伊勢丹屋上
 7/27(金) 大野雄二トリオ 東京・新宿 ジャズスポットJ
 8/17(金) 大野雄二トリオ 東京・お茶の水 NARU 
 8/25(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 8/31(金) 大野雄二トリオ 東京・新宿 ジャズスポットJ
     
● ライブ
 7/16(月) Michiru Maki Live 東京・六本木 アビーロード (SOLD OUT)
 8/23(木) 直居隆雄トリオ 東京・沼袋 Organ Jazz 倶楽部

● その他
 7/24(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
      今回が暫定的に最終回となります。
 8/18(土) JAZZ & Gospel コンサート 東京・国分寺 ジーザスコミュニティー
      入場無料

 以上、7月 8月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・今回も更新はしていません。
 当ブログ その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
 
2018.06.11.Mon 21:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

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すでに一週間以上になりますが・・

角川映画シネマコンサート、二日間を無事終えることができました。

ご来場の皆さま、誠にありがとうございました。映像と生フルオーケストラ共演というあまりないパターンのこのコンサート。その大迫力は、来ていただいたたくさんの方々の感想から、私の想像を超えたものであったらしいということがうかがい知れます。ぼくも観てみた〜いっ!

私の生まれ故郷のようなこの三作品。42年前、26歳の時に一年間の米国滞在から帰国した翌年に犬神家の一族、そして人間の証明、野生の証明と、立て続けにドラマーとして参加させていただきました。あの頃恐れも知らずにやりたい放題にやらせていただいたドラマー市原康の文字通り原点に帰った。この二日間は私にとってそんな特別な時だったわけです。
これは私にとっては本当に不思議な出来事です。当時大野さんは市原をドラマーとして起用し、角川の三作品さらにルパン三世その他数々の作品に参加させました。初期のルパン三世に参加した後は大野さんのユー&エクスプロージョンバンドなどの活動をしますが、その後大野さんの作品に参加する機会は少なくなり、25年ほど経ったでしょうか。私はスタジオミュージシャンとして仕事を続けてきていましたが、正直なところ、いい気持ちになって帰ってきたことがありませんでした。結局馴染めなかったんですね。その後活動シーンはスタジオからジャズへと返り咲いています。もともと市原はジャズドラマーとしてスタートしていますから。
ところが4年ほど前、久しぶりに大野さんのレコーディングの仕事が入り、しかもそれはルパン三世のアルバムの最初のテーマと最後のエンディングテーマというもので、いきなりほっぺたをパシパシ叩かれるようにして、あの長年生きてきたスタジオの世界に再び放り込まれたようでした。それからほぼ一年後に現在のルパンティック6がスタートします。そしてこのルパンティック6も3年経とうとしている今、この「角川映画シネマコンサート」というタイミングです。この不思議感、おわかりいただけますでしょうか? (笑)
大野さんはもう一度市原をあの世界に引っ張り出したんです。現在はルパンティック6 に加え、大野雄二トリオというジャズピアノトリオにも参加させていただくようになって、大野さんと会う時間はひと月の中でも1/4くらいになるわけですが、この三年間、大野さんには随分叱られました。今も僕の顔を見ると叱らなければいけないと思っている節があるんですね(笑)。 ある時大野さんはこんなことを言いました。「市原は叱るとそんだけ良くなるんだよ。」
大野さんはピアノトリオを通して、主役であるピアノの気持ちの中で音楽を作り上げながらも自分も解放させていくこと、またルパンティック6を通して、もっと大胆に権威あるドラマーとしての立ち位置に立つべきことを私に教え続けました。でも普通ですとそういうことを意識すると権威を振りかざし、段々乱暴になってきたりするものですが、不思議とその逆の立ち位置の中にそれを見出すという、この歳でさらに新しい境地に立つこととなりました。こんなこと神様から与えられたのでなければあり得ない、分かり得ない、そんな境地なんですけどね。まあそれはともかく、大野さんという人は市原をもう一度引っ張り出して荒いノミを使ってドラマー市原という作品を再び削り出そうとしている。僕にとって大野雄二という人はそんな、生涯の中で他には恐らく会うことのできない存在なんですね。
そしてこの角川コンサート。特に二日目はこの新しい彫刻作品の最新作の発表のようでした。二日目の朝にも大野さんは僕にこう言われました。昨日のだと劇伴をやっている人のようだ。音楽だけの演奏もあるのだから、劇伴ではなく音楽として演奏しろ」と。その言葉は僕自身にも実にストンと落ちて、譜面に書かれていることの120%くらいで、怖いもの知らずだった20代の頃のように演奏をしていました。しかもあの頃には思いつきもしなかった立ち位置でね。
この角川コンサートは、このような意味においてドラマー市原の再スタートとなる記念碑のようなコンサートだった・・これが私の実感です。こんな時が訪れるとは夢にも思っていませんでした。なにか聖書に出てくるパターンのようなものを思い出すんです。それは荒野に追いやられているその間に神の取り扱いと導きがあり、本人が思いもしなかった歩みの中に導かれるというパターン・・そんな不思議な感覚を覚えるのです。

そしてこのコンサートに不思議な出来事が起こります。コンサート本番の週の始めの二日間がリハーサルでした。私は二日目のリハーサルの最中に急に具合が悪くなり、トイレに駆け込み30分ほど出てこれない状態になってしまいました。でも普通だったらある程度お腹のものが出てしまえば楽になって、少し休めば元に戻るのですが、この日は出ても一向に楽にならず、それでもなんとか最後までやって、後は大野車で自宅まで送り届けてもらわなければなりませんでした。夜中に救急病院に飛び込むも、整腸剤を渡されただけで帰ってきました。そして翌日、わずかに出る便だと思っていたものが鮮血であることに気がつきます。下血です。午後に近くの総合病院の救急に飛び込みそのまま入院。診断は虚血性腸炎。入院期間は7〜14日。コンサートは入院の4日目ということになります。先に書いたようにこのコンサートを外すということはあり得ないけれど物理的に無理な状況もあり得るのでこの仕事をこなせそうなドラマーを探してもらったのですが、かろうじて初日だけできるという方がおられるのみ。大野事務所としては市原を待つということで腹をくくります。この病気は下血が止まれば退院というのが基本らしいですが、退院といってもその後は大事にして身体の回復を待つわけで、3時間半のコンサートを二日続けるというのは医師としても保証はできませんという状態で「なにが起きても全て私の責任です」との念書を書いて一泊二日の外泊ということになりました。幸い本番当日には下血は無くなっていました。不思議と不安や恐れはほとんどなく、静かな空気が私を包んでいました。そしてみなさんがご覧になったのがあの一日目と二日目です。知り合いのドクターが言っていました。一日ずれたらアウトでしたねと。

これを書いているのが翌週の月曜日。そろそろ退院できそうです。自分ではコントロールの効かない神の絶妙な時間の采配を見た思いです。

絶妙な時間の采配といえば、本番前日、いつも髪を切ってもらっている美容師さんに病院まで来ていただき、色を付けると言って聞かない彼をなだめてカットをしていただいたという時間のポケットもあったんですよ。余談でした。

* 写真はfacebookお友達のものも拝借しております。悪しからずご了承の程、お願い申し上げます。

2018.04.21.Sat 21:47 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
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ドラマー市原康・インフォメーション 

 ・・・このメールはライブ案内をご希望の方、市原のライブにご来場いただいた方、名刺交換させていただいた方など、複数の方々にBCCにてお送りしています・・・


   ■□■ いちはらやすし・こんなことしてますNEWS ■□■

           □□ 2018 / 5〜6 月号 □□

 すっかり春めいて参りました。3月の誕生日を過ぎたと思ったら、もう梅雨にさしかかる時期までのご案内をすることに・・。4月に開催された角川映画シネマ・コンサートのために、大野雄二トリオなど、活動を控えていたところが復活。それに加えてTRIO’のツアーがあり、市原としてはかなりの忙しさとなります。といっても、毎日ジャズライブをこなしているジャズメンたちの足下にも及びませんが・・。
 東京、横浜、浜松、豊田、大阪、鳥取、万座、上越、加茂、高崎・・はTRIO'。そして大野雄二トリオ、Yuji Ohno & Lupintic Six 関連は、鎌倉、札幌、幕別町、中標津、相模原、神戸、大阪・・。これらの地域の方はメモのご用意を。

● TRIO’のツアーはその準備もほぼ整い、あとは中身のプロデュースということになります。前回よりも少し遠出ができます。大阪や鳥取、そして新潟方面は上越と加茂という初めての所。初めてといえば豊田も初めてです。新しい出会いを楽しみにしています。
 5/13(日) 東京・南青山 Body & Soul・・7時開演です。
 5/14(月) 浜松 ポルテギャラリーバンケット
 5/15(火) 豊田 KEYBOARD
 5/16(水) 大阪 梅田ALWAYS
 5/17(木) 鳥取 アフターアワーズ
 5/18(金) この日はお休みですが、万座日進舘のフロアーショーに出没 20時〜無料です。
      温泉で骨休めさせていただきます。
 5/19(土) 上越 ラ・ソネ菓寮
 5/20(日) 加茂 桐子モダン
 5/21(月) 高崎 ケイノート
 5/22(火) 横浜 ドルフィー〈TRIO’としてのライブはこの日が最終です〉
 5/24(木) 東京・六本木 キーストンクラブ東京 
      このライブはボーカルのマミコ・バードさんのバースデーライブ。
      TRIO’がそのバックを務めます。

● 大野雄二関連
 5/5(土) 大野雄二トリオ 横浜 モーションブルー
 5/11(金) 大野雄二トリオ 東京・お茶の水 NARU
 5/12(土) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
 5/25(金) 大野雄二トリオ 東京・新宿 ジャズスポットJ
 5/26(土) Yuji Ohno & Lupintic Six/Fujikochans 東京・鶯谷 キネマ倶楽部
 6/1(金) Yuji Ohno & Lupintic Six/Fujikochans 札幌わくわくホリデーホール 
 6/2(土) Yuji Ohno & Lupintic Six/Fujikochans 幕別町百年記念ホール
 6/3(日) Yuji Ohno & Lupintic Six/Fujikochans 中標津総合文化会館
 6/10(日) 大野雄二トリオ 相模原メイプルホール
 6/15(金) Yuji Ohno & Lupintic Six 神戸・大倉山 神戸市文化ホール
 6/19(火) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
 6/21(木) 大野雄二トリオ 東京・お茶の水 NARU
 6/22(金)〜23(土)  大野雄二トリオ 大阪 ケリーズ 2days
 6/30(土) 大野雄二トリオ 東京・新宿 ジャズスポットJ
 翌7月7(土)〜8(日) は大野トリオで名古屋ラブリー2days があります。 

・・・お知らせ
 5月9日 ルパン三世 PART5 オリジナル・サウンドトラック
     「LUPIN THE THIRD PART Ⅴ〜SI BON ! SI BON !」発売 
     ルパンPART V~SIBON ! SIBON !小

     それともう一丁
     「LUPIN THE THIRD PART Ⅴ FRENCH」も。
     ルパンPART V~FRENCH小

● その他
 6/8(金) 金城寛文クインテット 菊川 な〜じゅ
 6/26(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
     市原はドラムの演奏ではなく司会と賛美リードです。

 以上、5月 6月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・更新はしていません。
 以下は過去にアップしたものの一覧です、ご覧ください。

  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
  
2018.03.27.Tue 13:14 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 ところで、、3,4月を飛ばしていきなりですが、TRIO’ツアー。5月にやります。
 5/13(日)〜24(木)、この間11カ所。日程が固まり次第ご案内させていただきます。なかなか遠出ができませんが、今回は東海地方からなんとか大阪、鳥取まで足を伸ばせそうです。後は新潟方面の新しいところでできそうです。どうぞお楽しみに。
 そろそろ毎回が貴重になってきました。意味、、わかりますよね。(笑) 一回々々を大切にしていきたいと思っています。みなさんとの出会いやお交わりも、悔いのない時間となるように心がけて行けたらいいかなと、、そんな風に思っております。TRIO’・・またまた変わってきています。どうぞご期待ください。

 以前にもご紹介しましたが、いよいよ角川映画シネマ・コンサートが、4月の13(金)と14(土)の二日間にわたって東京国際フォーラム ホールAにて開催されます。大野雄二と“SUKE-KIYO”オーケストラという特別編成のオーケストラ。Yuji Ohno & Lupintic SixとFujikochansを核に、スタジオミュージシャンの管とストリングスの猛者たちを加え、石坂浩二、松崎しげる、ダイヤモンド☆ユカイをゲストに招いてのコンサート。市原が本当にスタジオで活動を始めたばかりに立て続けに三本やらせいただいた映画、「犬神家の一族」「人間の証明」「野生の証明」の音楽を映像と共に再現。勿論音だけを聴いていただく部分もあります。チケットは「角川映画シネマ・コンサート」で検索ください。みなさまのお越しをお待ちしています。

 さて、3〜4月のライブ。。。

● 大野雄二関連
3/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 常陸太田市民交流センター
   3/13(火) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ大阪
   3/15(木) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ東京
   4/13(金),14(土) 角川映画 シネマ・コンサート/2days 東京国際フォーラム/ホールA
       大野雄二と“SUKE-KIYO”オーケストラ
   4/19(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
   4/27(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   4/28(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ       

● その他
3/9(金) 金城寛文クインテット 菊川 な〜じゅ
3/16(金) 直居隆雄トリオ 東京沼袋 Organ Jazz 倶楽部
3/20(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
4/17(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

  ということで、3月 4月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・更新はされておりません。
 以下は当ブログで過去にアップしたものの一覧です、どうぞご覧ください。

  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
2018.02.16.Fri 22:48 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 2017年も一年、応援をありがとうございました。この年は惠美の母を天に送り、新年のご挨拶は控えさせていただいていますが、新しい年も多くの方々の応援や叱咤激励をいただきながら走り続けて行ければと思っております。演奏の場で、教える場で、芝居の世界で、また惠美関連でつながる多くの方々、ご近所のみなさん、家族、そして教会で。今年はさらに積極的に人との交わりを深めていくことができたらと、密かに思っております。だから、やっぱり、楽しみです、今年一年も。
 あっという間の2017年。特に10月から年末にかけては、私が若く忙しい時期に比べても引けを取らないくらいに多忙な時となりました。それにしても神様は時を支配されるのだなあと、つくづく思わされます。こうして忙しく演奏活動するのと、私が演奏者としての新しいスタンスを思いもかけないところに見いだす・・そのタイミングが見事に一致しているから、これは運命というような言葉では片付けられないなあと・・。しかしながら、今年の3月には68才。いよいよ「アラセブ?」です。充実した時を過ごしたいと思っております。

 さて、新年、1.2月のライブはTRIO’で始まります。が、あとはほぼ休息状態。その理由の一つに、4月の13.14日に東京国際フォーラム・ホールAにて開催される「角川映画シネマ・コンサート」というのがあります。http://kadokawaeiga-concert.com/about.html これもまた不思議な巡り合い。角川映画第一作目にしてミステリー映画の金字塔、横溝正史原作「犬神家の一族」。そして森村誠一原作の「人間の証明」と「野生の証明」。そのサウンドトラックを手がけたのが大野雄二。そしてこのすべてのサウンドトラックとアルバムのドラムを私市原が担当させていただいているんです。こんなことってあるのかしら・・というくらい、私にもドンピシャの催しなのです。この映像を見ながら、50人編成の「大野雄二と”SUKE-KIYO”オーケストラ」・・核になるのはYuji Ohno & Lupintic Six。タイトルの通りの「シネマ・コンサート」。勿論編曲はすべて大野雄二・・ということで、50人編成を一曲書くのにどのくらい時間がかかるのか見当もつきませんが、それを一曲ではなくて、20曲として・・。はい、もうすでにライブやってる場合じゃない状態。それで市原はちょっとお休みをいただけるという。自動的に毎月の大野雄二トリオも一部を除いてお休みです。ということで羽伸ばしの1.2月とさせていただきたいと思っております。

 1.2月のライブは・・TRIO’ 昨年暮れからのツアーの後半から始まります。こちらはお見逃しのないように・・。

● TRIO’ 2017.12〜2018.1 ライブツアー 後半 pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康
1/12(金) 前橋 まちなか音楽館
1/13(土) 熊谷 Jazz & Cafe Space1497
1/14(日) 東京・南青山 Body & Soul 日曜日ですのでスタートが7時となります。

● 大野雄二関連
1/28(日) 大野雄二トリオ 鎌倉・ダフネ
   2/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 東久留米生涯学習センター

● その他
1/23(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
2/19(月) ザ・萩谷組 六本木 キーストーンクラブ
2/20(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

 この間に東京音楽大学の入学試験があります。またライブなども追加になる可能性があります。ということで、新年1月 2月。どうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・昨年11月に久々に出ました。
 興味がおありでしたら、目次を記しておきますので、ご覧ください。

  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
2017.12.29.Fri 14:12 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 1711談義

 
  【キリストは絵に描いた餅?】

 クリスチャンと言っても人によって、言うこともやることもずいぶん違うようです。いろいろなタイプのクリスチャンとの交流の中で、私は次のことに思い当たりました。

 クリスチャンというのはイエス・キリストという存在が自分の中に実現したとき以来、言うことややること、考えることが変わってきます。
 世の人々は、イエス・キリストが生きておられると言うと、結構すんなり理解してくれます。そう・・心の中にね・・みたいな感じで。イースターというのは「復活祭」であって、キリストがよみがえったことを覚え、祝うときなのですが、それもすんなり受け入れる。そしてもっと以前にクリスマスも・・という話になる。でもそれは亡くなったあの人が今もわたしの中に生きている、といったような受け止め方のように思います。しかし、キリストが生きておられるというのは、そのような観念的なこととは根本的に違うことなのです。

 私たちが「イエス・キリストという存在」という話しをするとき、それは絵空事でも、架空の人物でもなく、十字架にかかって死が確認され、墓に納められ、そして三日の後によみがえって、弟子たちに現れて、そして弟子たちの見ている前で天に昇られたイエス・キリスト。そして「わたし自身の代わりに助け手として聖霊を送る」と言われたイエス・キリスト。見よ、わたしは世の終わりまであなた方と共にいると言われたイエス・キリスト・・要するに「実存としてのキリスト」が人の内側に入るという出来事を通して、そこからいろいろな形で「実」を結び始める。それがクリスチャンです。

 ですから、伝えるべき一番大切なことは、イエス・キリストは絵に描いた餅ではなく「実存」であるという、その事実なのだと、そのように思うわけです。
 だから、たとえ何も知らなくても、主の御名「イエス・キリスト」を呼び求める者は実存のキリストに確実に近づいている者なのだということです。なぜなら、実存だから・・。実存するその存在は、呼び求めるその声を聞いているということです。すると「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる」という聖書・ローマ人への手紙10:13 のことばが突然リアルに響いてきます。

 キリストという存在が実存だからこそ、人には新しいことが起こる。敵を愛する者になるなど・・あり得ないことが起こる。全く信仰心のかけらもなかった者が神を信じるなどという・・これもあり得ないことが起こる。そこに本当のいのちがあるという、あり得ない認識に立つ者になる。これは思想や考えや努力などとはおよそ次元の違う出来事です。

 
 だから・・
 僕はいろいろなことをこのキリスト教談義で書こうとして来たけれどそれは、イエス・キリストは本当によみがえって生きておられる存在なのだと・・この一言に尽きるのだなと思いました。

 内におられるいのちなるキリストによって、神がおられると知り、自分が罪人であると知り、そのために神子を遣わして十字架につけられた父なる神のされたことこそが愛であると知り、さらには自分が無力な人間であることを知り、心の内にある闇も知ることになる。そして癒やし、憎しみからの解放、恐れからの解放、安息を実体験するわけです。さらに、こういう話がわかってしまうという・・それは奇跡だと思います。それはキリストが実在だからこそ起こることだというわけです。

 キリストは実存です。


付記・キリスト教談義は「その11」を書いて、ずいぶん時間が経ってしまいました。「出エジプト記」について長々と書くという流れになっていたのですが、なぜかストップ。でも、今回のようなことを書くと、そのストップの意味がなんとなくわかったような気がします。予告とは全然違う今回のキリスト教談義。これも実存のキリストがなせるわざなのだと思います。
 
<バックナンバー>
11.聖書の目的 2017.5.11
10聖書を読むと何がわかるのか 2017.4.24
9.クリスチャンはどういう風な仕組みの人間か 2017.1.20
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
 
2017.11.21.Tue 09:43 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 もう年末であります。今年はなんだか馬車馬のように、ライブ、コンサートを続けて参りました。そして来年の4月にある角川シネマコンサート。当時の角川の作品群は私にとっても記念碑的な作品でもあります。それを大野雄二オーケストラ、即ちルパンティック6を核として、ホーンセクションとストリングスの考えられる限りの豪華な編成でやるというのです。要は私も参加するわけで、こんなことって・・あるんですね。私は現在67歳です。20代の頃、ミュージシャンの先輩で40歳と言えば、もうベテラン中のベテランで、その上はなかった(笑)。でも今は私より10も上で、まだバリバリ活躍しておられる方もたくさん。大野さんもその一人です。いつまでもお元気で活躍していただきたいものです。

 さて、久々の本家 TRIO’・・。年内にもう一度できることになりました。そして年が明けて一月にも。しかし今回も遠出ができず、年末三回、翌年1月に三回の計6回です。関東周辺のみとなりますが、やっていなくても進化しているTRIO’・・確かめに足をお運びいただけたら嬉しい限りです。大野バンド関連で演奏回数が増えることによって、市原は今頃になってもまだまだ新しい気付きが与えられています。それがTRIO’にどのように反映するか・・私自身もちょっと楽しみです。皆様のお越しをお待ちしております。

● TRIO’ 2017.12〜2018.1 ライブツアー pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康
12/7(木) 横浜 KAMOME live matters
12/9(土) 市川・本八幡 cooljojo jazz+art
12/12(火) 東京・代官山 LEZARD(レザール)
  2018年
1/12(金) 前橋 まちなか音楽館
1/13(土) 熊谷 Jazz & Cafe Space1497
1/14(日) 東京・南青山 Body & Soul

● 大野雄二関連
11/11(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 倉敷市民会館
11/13(月) 大野雄二トリオ/Let’s Fall In Jazz リリース記念 横浜 モーションブルー
11/16(木) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
11/17(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   11/19(日) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 坂東市民音楽ホール
   11/23(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
   12/3(日) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
   12/21(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
12/22(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   12/26(火) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 大阪 新歌舞伎座
12/27(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 名古屋 ブルーノート

● その他
11/3(金) 市原康トリオ 森のジャズ祭 石神井松の風文化公園 出演時間は15:40-16:10
11/4(土) 古野光昭トリオ 蕨 アワーデライト
11/10(金) 直居隆雄トリオ 沼袋 オルガンジャズ倶楽部
11/12(日) 白根真理子ライブ 横浜 カモメ
11/24(金) 金城組 六本木 サテンドール(場所をご確認ください)
12/8(金) 金城寛文5 菊川 な〜じゅ
12/14(木) 萩谷組 六本木 キーストーンクラブ
12/23(土) 国分寺・ジーザスコミュニティー ジャズ&ゴスペルコンサート

● 歌声ペトラ関連
11/21(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
12/5(火) 歌声ペトラ20周年記念 お茶の水クリスチャンセンター 8F チャペル

 ということで、11月12月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・まだ次が出ません。
 このキリスト教談義は今まで11回書きました。もし興味がおありでしたら、ここにその目次を記しておきますので、ご覧ください。
 その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
 その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
 その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
 その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
 その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
 その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
 その7「助けを求める心」2016/11
 その8「クリスマス・・それは」2016/12
 その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
 その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
 その11「聖書の目的」2017/5
 ・・これらは当ブログにて、年月の検索で出てきます。
 
 
 
 
2017.10.22.Sun 00:26 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
大久保明カルテット 9/15(金) 東京・自由が丘 マルディグラ

g,大久保明、ts,小池修、bass,伊藤昌明、ds,市原康 という、スタジオミュージシャン系のメンバーというのでしょうか。もちろん小池修はスタジオ以外でも実力ナンバーワンの天才バカボン的・・何と言ったらいいのか。来場者にミュージシャンたちが異常に多いのが特徴。一度お立ち寄りいただけましたらこの上ない喜び・・。
2017.08.26.Sat 11:22 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 9-10月というと、もう秋ですが、今はまだとんでもない異常気象の中、暑さと雨に翻弄されている毎日です。昔はこんな異常な雨が局地的に降ることが「日常的」にあったなどという記憶は全くないのですが、それが気象予報の精度が以前よりも増したからなのか、本当にこんなに局所的に異常な雨が降ることが今起こり始めたのか・・。そうだとしたら何か地球規模の大きな変化の予兆で、そんなことをぼ〜っと見ていながら、あれよあれよという間にとんでもなく荒れ狂った地球の中で生き延びなければならなくなっているということも、あり得ないことではないような気がします。
 「この天地は滅び去ります」「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだ」「洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。」(マタイの福音書24章 35-38の中からの抜粋) ・・こんな聖書のことばが10年前より遥かにリアルに感じるのは私だけでしょうか。
 それでも尚、私たちは毎日をしっかり、誠実に生きることが求められています。でも何に対して誠実なの?と問われたとき・・ちょっとしたことで揺れ動くような人の意思や良心や単なる思想とかに対する誠実かと問えば、それは大概空しい結果になることは透けて見えてくる。誠実という言葉を思うのであれば、それは不動のものに対してでなかったら、たぶん言葉自体に意味がなくなるのではないでしょうか。わたくし的には、天地万物を造られ、最初から最後までの計画をしっかり聖書に表し、ご自身の愛を人に知らしめた神という存在しか不動の存在などというものは思い当たりません。では答えが神に対する誠実なのだとして・・、果たして私たちにはそんなことをする力があるのだろうかと考えると、そんな力はどこにもないよ・・となる。じゃあダメじゃん! ・・ところがそれには答えがあった。これって、すごいパズルだなといつも思うんです。聖書はそのことを明確に書いている。私はそれを見たもんで、こんな一介のドラマーでありながらも、神だのキリストだの聖書だのと、、うるさがられるのはわかっていながら、いろいろな形で皆さんにことばを投げ続けているわけです。

 さて、9-10月のライブですが・・、大野雄二関連が多くを占めます。

大野雄二関連
  9/9(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 飯能市市民会館
  9/17(日) 大野雄二トリオ 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」
  9/21(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水「NARU」
  9/23(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans
    富士急ハイランド コニファーフォレスト オーガスタキャンプ2017 スペシャルゲスト
  9/29(金) 大野雄二トリオ 東京新宿「ジャズスポット”J”」
  9/30(土) 大野雄二トリオ 前橋市民会館
  10/4(水) 大野雄二トリオ 名古屋 jazz in LOVELY 2days
  10/5(木) 大野雄二トリオ 名古屋 jazz in LOVELY 2days
  10/7(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 浦安市文化会館
  10/8(日) 大野雄二トリオ 東京お茶の水「NARU」
  10/9(月) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 室蘭市文化センター
  10/12(木) 大野雄二トリオ 大阪 Mr.Kelly’s 2days
  10/13(金) 大野雄二トリオ 大阪 Mr.Kelly’s 2days
  10/15(日) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
  10/19(木) 大野雄二トリオ 東京新宿「ジャズスポット”J”」
  10/22(日) Yuji Ohno & Lupintic Six なかのゼロ大ホール
  10/28(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 佐賀市立東与賀文化ホール
  10/29(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 佐賀県鹿島市民会館

岩渕まこと デビュー40周年記念ライブ 9/8(金) 東京新宿・曙橋 BACK IN TOWN

大久保明カルテット 9/15(金) 東京・自由が丘 マルディグラ 9/15(金)

菊池ひみこ/DOUBLE QUARTET ALVE 9/28(木) 東京・目黒 ブルースアレイジャパン

歌声ペトラ関連
  9/2(土) 歌声ペトラ in 古河 10周年スペシャル 茨城県・古河キリスト教会
  9/26(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
  10/24(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

 そして、10/18(水)〜22(日) の5日間、市原がはじめから参加させていただいている黒鯛プロデュースの芝居の第15回公演があるのですが、無念なことに、スケジュールが合わなくて欠席。ただ、10/20(金)だけ「ちょい出」します。そのためだけでもかまいません(笑)。。来てください。毎年のごとくライトコメディー。今回は黒鯛版「恋の骨折り損」・・なんかおもしろそう。東京池袋 シアターグリーンです。

 ということで、9月10月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・続きを書きますと意気込んでおりましたが、何も出てこない(笑)。 こればっかりは、知識をまとめたから出てくるというたぐいのものではないので、しばらく忘れててください。第1回から11回までを読み直していただいてもおもしろいかもしれません。次回、いつになるかわかりませんが、お楽しみに。
 
 
 
  
2017.08.09.Wed 14:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
告知当初の情報に、8/30(水) 東京六本木・ビルボードライブ東京・・Yuji Ohno & Lupintic Six が抜けていました。不手際をお詫びいたします。

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 6月のTRIO’、2017ライブツアーvol.1と銘打って全行程を終えることができましたが、今年はどうもvol.2は無理のようです。また来年・・。お目にかかりましょう。今年は聴きに来てくださった方々の声から、今までとはまたひと味違うTRIO’を感じ取っていただけたという感触を得ました。三人それぞれの音楽性が変わったと言うことよりも、その関係が変わったと言うことなのだと思います。そういう意味ではドラムは要のところにいる楽器です。簡単に言ってしまえば、音楽を壊すのも建て上げるのもドラム次第だという・・。他の二人がどんなに優れた演奏家でも、ドラムがその邪魔をすればその音楽が崩壊する。そういう意味では、この13年間のTRIO’の変遷は市原の変遷と言っても良いのかもしれません。試行錯誤の中でドラムのいるべき位置を今も探し続けて、その都度、ああここまで来れたと思う・・。でもいつもまだ先があることを知らさせる。自分に与えられているものが本当に生かされるためには、それを神に捧げてしまうことが必須なのだなと思わされています。神に捧げるなど、大それた表現ですが、それは自分と神と、どちらに期待をかけているのかという単純な話であって、常識ではあり得ないことですが、「神に期待する」・・それが市原が立とうとしている位置です。

 話はルパンになりますが・・、6/21にYuji Ohno & Lupintic Sixの3枚目のアルバムが発売になりました。Lupintic Six に加えて、Fujikochansや豪華な管弦打のフレンズを迎えての「RED ROSES FOR THE KILLER」。ご期待を。。。市原もライブなどで持って歩いていますので、お求めください。

 RRFK LP6-ss

 リリースインタビューはこちら。
 http://realsound.jp/2017/06/post-85016.html


 同時に先日ルパン40周年のライブの模様を使用してのプロモーションビデオが YouTube で公開されています。こちらからどうぞ・・
 https://youtu.be/MrkJUy381wE


7-8月も市原にしては結構忙しいです。ジャンル別にご紹介しますと・・。

● TRIO’ 関連・・今年はこれにて打ち止めとなりそうです。

● 大野雄二 & LUPINTIC SIX / 大野雄二トリオ
  7/6(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 札幌・わくわくホリデーホール
  7/7(金) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 旭川・市民文化会館
  7/8(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 北見・市民会館
  7/16(日) 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」・・トリオ
  7/20(木) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  7/27(木) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  8/3(木) 大阪・ビルボードライブ大阪・・Lupintic Six
  8/11(金) 足利・市民プラザホール・・トリオ
  8/12(土) 桶川・市民ホール・・トリオ
  8/16(水) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  8/25(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  8/26(土) 東京柴崎「さくらんぼ」・・トリオ
  8/27(日) 福島・棚倉町文化センター・・Lupintic Six
  8/30(水) 東京六本木・ビルボードライブ東京・・Lupintic Six
  8/31(木) 名古屋・金山/日本特殊陶業市民会館フォレストホール・・Lupintic Six

● 菊池ひみこトリオ 7/4(火) 中目黒・樂屋(ラクヤ)
● 直居隆雄トリオ 7/14(金) 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部
● まきみちる & タイムファイブ 2days
  7/21(金) 東京・芝 ザ・プリンスタワー東京 メロディーライン
  7/22(土) 東京・芝 ザ・プリンスタワー東京 メロディーライン
● 歌声ペトラ 7/25(火),8/22(火) 普段着の賛美歌を歌う会。市原は司会とソングリードで、ドラムの演奏はありません。
● 金城寬文5 8/4(金) 東京・菊川 な〜じゅ
● 塚山エリコ オルガン4 8/17(木) 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部
● JAZZ & Gospel コンサート 8/19(土) ジーザスコミュニティ国分寺

 ということで、7月8月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」第11回【 聖書の目的 】を5/11付けでアップしています。一般的に受け止められている聖書のイメージとは、かなり違うと思います。
 
 
2017.06.24.Sat 11:13 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
   1705談義2-1
 
 これを読まれる方は、キリスト教談義10「聖書を読むと何が分かるのか・・」を先ず読まれることをおすすめします。今回の「聖書の目的」は、その付記です。
 
 聖書は色々な読まれ方、取り扱い方をされてきました。道徳の書だったり、歴史の書だったり、また世界一のベストセラーということで博識、教養のために読まれたり、、。
 私は前回、聖書に馴染みのない方々のためにと、少し長い文章を書きました。この文章には、私には当たり前のことですが、読まれる皆さんには必ずしもそうではないひとつのポイントがあります。それは神を認めるという基本的な立場です。聖書の全体を見渡せばわかることですが、聖書とは天地創造の初めから終わりまでの、神の計画が記されている書物です。ですから、神を認めるというところに立たなければ、聖書のことばはほとんど意味を持たなくなってしまいます。私は、聖書の本質は「神のことば」だと言って良いと思っています。勿論聖書は人が書いたものですから、その中には人の思いで書かれている部分もありますが、全体を見れば、それは圧倒的に神のことばです。
 
 いくら熱心に聖書を読んでも、ことばがまったく頭に入ってこないということが往々にしてあります。あなたがもし、聖書のことばを神のことばとして認めていなかったら、聖書とは何の接点も持てないと思います。そのような場合におすすめしたいことがあります。それは聖書のはじめのことば、「初めに、神が天と地を創造した。」を、先ずはそのまま受け止めて読み始めるということです。神「が」、天と地を「創造した」・・と。そのとき、神の天地創造という壮大な空間と時間の流れの中で、「神の言葉」を聞くということの意味を垣間見ることができるかもしれません。
 
 聖書にはその全体を通して示しているひとつの存在があります。それはイエス・キリストです。旧約聖書の中には、やがて来たるべき王=メシヤ(救い主)に関する預言が星のように散りばめられています。そのメシヤが実はイエス・キリストだったのだというところに立った瞬間に、聖書が創世記から黙示録まで一本の太い線でつながります。聖書は「神のみ子イエス・キリスト」について書かれた書物なのです。そこを外すと不毛な論争や議論になったり、聖書が単なる道徳や歴史の本といった、多くの書籍の中の一冊にしか過ぎない、ありふれた存在になってしまいます。
 
 聖書は神の霊感を受けて書かれたものだと、聖書の中に書かれています。(新約聖書 テモテへの手紙 第二 3章15-17節 参照) それは、聖書は神が書かせたものである、という意味に他なりません。そしてその目的は何かと言えば、神が人々にご自分のみ子「イエス・キリスト」を知らしめ、そのみ子を通して人々をご自身のもとに帰らせることです。そのために聖書がこの世に置かれているのです。それが達成されれば聖書はその役割を果たしたことになります。また達成されていないのなら、その目的のために今も聖書は人の前に置かれているわけです。これが聖書の目的であり、それは即ち「神の目的」だということになります。
 
 次回の「キリスト教談義/その12」は出エジプト。映画でも海が開けるシーンでおなじみだと思います。奴隷となってしまったイスラエルの民をエジプトからの解放に導くモーセの話・・。ここに実は、世の初めから終わりまでの、神の計画の全体を凝縮したひな形があります。結局次回も「その10/聖書を読むと何がわかるのか・・」の続きとなりそうです。
  
  
<バックナンバー>
10聖書を読むと何がわかるのか 2017.4.24
9.クリスチャンはどういう風な仕組みの人間か 2017.1.20
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
2017.05.11.Thu 23:57 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
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 あっという間に5月。5〜6月は市原としては超多忙な演奏月間となっています。2ヶ月で26箇所というのはどうなんでしょう。ひとつひとつをしっかり丁寧にこなしていけたらと思っております。こんなに多いのは、大野雄二/ルパンに加えて、いよいよ始まります。TRIO’ 2017 ライブツアーvo.1。11回公演。その他も含め、二日に一回に近いペースでやることになります。忙しいジャズミュージシャンは月の内ほとんど毎日やっている人もいますが、私などは、からだのことを考えますと、ちょっとあり得ない・・。取り敢えず、この二ヶ月を元気いっぱい乗り越えたいと思っています。TRIO’は久しぶりで、今回は又々どんな音になりますか、、私自身が楽しみにしています。どうぞみなさまも期待してお越しいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 グループ別にライブをご紹介します。

● TRIO’ 2017 ライブツアー vo.1
  5/30(火) 名古屋・ミスターケニーズ 
  5/31(水) 浜松・ポルテシアター 
  6/1(木) 安城・花むすび 
  6/2(金) 静岡・ライフタイム 
  6/3(土) 東京浜松町・サンミケーレ 開成ライブ/ゲスト・市原ひかり 
  6/6(火) 横浜・KAMOME 
  6/8(木) 長岡・クックテールくぼた 
  6/9(金) 軽井沢・ならの木 
  6/10(土) 東京・LEZARD
  6/15(木) 高崎・ケイノート 
  6/17(土) 足利・Soba & Cafe 手打ちそば 伊とう
 合間の6/16(金)には、堀内実智代さんvo.のCD発売記念ライブを富岡ブルーベリーで行います。ピアノが山口泰一郎、ベースが森泰人です。市原康はスペシャルゲストだそうです。穴があったら入っちゃうかも知れません。(笑)

● 大野雄二トリオ/YUJI OHNO & LUPINTIC SIX
  5/6(土) 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」・・トリオ
  5/14(日) 東京鶯谷「キネマ倶楽部」ルパン三世のテーマ・誕生40周年記念 コンサート
       ・・Lupintic Six 完売
  5/20(土) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  5/25(木) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  5/27(土) 豊中市文化芸術センター・・Lupintic Six
  6/4(日) 長野市芸術館・・Lupintic Six
  6/18(日) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  6/24(土) 八王子市芸術文化会館・・Lupintic Six
  6/25(日) 東京柴崎「さくらんぼ」
  6/30(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ

● 金城寛文クインテット 5/12(金) 東京菊川「な〜じゅ」
● 突撃おたま苦楽部 CDリリース1周年記念ライブ 5/21(日) 穂の国とよはし芸術劇場
● 歌声ペトラ 5/23(火),6/20(火) 普段着の賛美歌を歌う会。市原は司会とソングリードで、ドラムの演奏はありません。 

 ということで、5月6月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」第10回【 聖書を読むと何が分かるのか・・】を4月24日付で当ブログにアップしました。あなたの想像している聖書とは、かなり違うと思います。
 
 
2017.04.29.Sat 17:21 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
1704談義1


 聖書に関する知識は、みなさん多少ともおありになるのではないかと思います。私は40年近く聖書を読み続けていますが、ここに書かれている神について、人について、神の愛について、神のご計画というものについて、読めば読むほどその概要がしっかりはっきり見えてくるようになりました。1600年にもわたって書かれた66巻の聖書の著者は、師弟関係でもないのに、そこに貫かれている一本の太い線は、1ミリたりともぶれることはないということが、ますます見えるようになってきました。そんなことがあり得るのは、この聖書を書かせたのが人の伝承や知恵によるのではなく、ただおひとりの神というプロデューサーが書かせたからに他ならないということを思わされます。「神を信じるなんて、あり得ない!」というあなたにこれを贈りたいと思います。


■ 聖書には何が書かれているのか 

1. 世の初めから終わりまでのストーリー
 聖書の冒頭、創世記1章1節には私たちの「当たり前」を根底からひっくり返すことばが書かれています。それは・・「神が天地万物を創られた」、ということです。しかも「初めに」です。そして天地創造の始めから終わりまで、そこには神の計画があるというのです。始めるのも終わらせるのも神ということです。「終わりの時」には地も天もあとかたもなくなり、死んだすべての者を神はよみがえらせて、いのちの書に従ってその行いに応じてさばかれる。そしてご自身のもとに帰った者たちのために、「彼らの目の涙をすっかぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。何故なら以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」・・という新天新地を実現されるというのです。「始め」から「終わり」まで、聖書にはかなり具体的なストーリーが書き記されています。

2. 旧約聖書のメシヤ預言
 旧約聖書には、メシヤ(救世主)のことが、創世記から最後の預言書までの中に絶えず出てきます。預言は後半にある16の預言書の中だけではなく、最初の五つのモーセ五書や詩篇やそのほかの書物の中にも記されています。預言とは未来を言い当てる「予言」のことではなく、神から預かって民に伝えられることば「預言」です。ですから預言にはその当時のこと、主に民の悔い改めを促す預言や、そのために起こるであろう近未来の出来事、それからイスラエル民族の将来の歩み・・民族の崩壊、離散のことなど、そして来るべきメシヤ=救世主のことなど、様々な預言があります。それらはみな、神と民との関係を健全なものへと導くためでした。メシヤに関しては、誕生、また受難(十字架)、その後の復活、そして世の終わりが近づいた時の大艱難、裁き、メシヤが再び来られる時、新天新地のことなどが旧約聖書全体に散りばめるようにして出てきます。しかし厄介なことに、これらのことが時間軸に沿って書かれていれば良いのですが、イスラエル滅亡の時代の事と終わりの時のこととが入り混じって出てきたり、ひとつの記事がその両方を意味していたりするのです。だから解説なしにいきなり旧約聖書を読んでも、分かりにくいところが多いと思います。

3. 今の時のために与えられている預言
 そしてこのメシヤこそイエス・キリストであると証言しているのが新約聖書です。イエス・キリストの降臨は、旧約聖書のモーセ五書や預言書に書かれている通りに実現しました。たとえば十字架の様子が克明に記されているイザヤ書 (53章など)はイエス・キリスト降誕の700年も前に書かれたものです。鎌倉時代に今のことを書いた書物があって、それが目の前で起こったという状況です。ところがイエス様が公生涯を送られた当時のユダヤ人、またその教職者たちの多くは、目の前に現れたイエス様が預言書に書かれているメシヤだとは思いませんでした。こんなにはっきり書いてあるのに・・です。そして聖書には「終わりの時」のこともはっきり書かれています。しかも今より2000年前に、あるいは3000年前に・・。私たちはそれをどのように受け止めるのでしょうか。

4. 特別な民イスラエル
 この全体のストーリーのために神は一つの民族を立て、特別な配慮の中で守られ導かれてきました。しかしそれにもかかわらず、彼らは神に背を向けて自分たちの手で作った偶像を拝むようになり、神の怒りを招き、そこで初めて悔い改めて神の赦しを頂く。そしてようやく平安と繁栄を回復したと思ったら、また背信の罪を犯す。これを何度も何度も・・どうしてそこまで繰り返せるのかというほど繰り返し、最後にはとうとう世界中にちりぢりばらばらに散らされてしまうのです。これが今も世界が注目するイスラエルの民です。本来12部族あったのですが、10部族は失われ、ユダ族・ベニヤミン族の末裔がユダヤ人として残ったのです。しかしこのことも神のご計画には織り込み済みで、しかもそれが地上のすべての民族を救うために与えられている一つのステップであると、聖書には記されているのです。


■ 神と人との関係を聖書はどのように説明しているのか

1. エデンの園の出来事 
 聖書はまず最初に、天地万物は神が造られたと宣言し、「神にあって歩む」という特別な存在として人を造られたことが記されています。ところが人の歴史が始まった途端、最初の人は神の言葉を疑うように悪魔にそそのかされ、その言葉を真に受け、神から離れて自分の考えで歩もうとするようになります。人は食べることを禁じられていた「善悪の知識の実」を食べた・・即ち善悪の知識を自分の管轄下に置くことに決めて、神に背いたのです。そしてその結果どうなったかというのが、あのエデンの園を追放されたアダムの話です。それ以来、人は善悪の判断を自分の感覚で行ない、神という存在を自分の外に置くようになってしまった・・。言い換えると「神が言われることを聞きたくない人。自分を造られた神を認めたくない人」になってしまったのです。それがエデンの園を追放されたアダムとその子孫、すなわちすべての人の姿です。エデンの園は、神にあって生きる者のために備えられたところなのに、人はそこで生きる資格を失ってしまったというわけです。さらにそこから人に「死」が入ったのだと書かれています。これも驚くべきことです。本来死はなかったの?という話です。確かにこの出来事の後に「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。」と、ここで初めて土に帰る者となったことが書かれています。すなわち、死が人に入ったのだと聖書は言っているわけです。
 ということは、あのエデンの園で神にあって歩んでいたそのことは、実はいのちそのものなのだということを暗示しているとも言えるわけです。

2. 神のあわれみ
 人はエデンの園から追放されてしまいました。そして人と神との関係が前とは変わってしまいました。それ以来人は、生きてはいるけど「まことのいのち」からは離れてしまった・・。ところがそんなアダムと妻エバのために、神は皮の衣を作って着せて下さったと書かれています。神は、アダムとエバをエデンの園から追放したものの、彼らをお見捨てになったわけではありませんでした。結局人と神との関係はどういう風になったかというと、人は神を認めずに自分の考えで歩みたいという性質を帯びながらも、神のあわれみの中で生かされる者としてその歩みを始めたということになります。これが神と人との関係の基本的な「型」で、これが神の決められたストーリーの始まりだというわけです。

3. 罪びと
 こうして人は神に背を向けてしまう罪びと、そして死を背負って歩む者として、その歩みを始めるのです。神が人を造られたのなら、神を認めようとしないのは神に対する一番の大きな罪です。そしてそこには、神の御心ではなく、感情を土台とした自分の考えに従う行動があります。人は罪を犯したから罪びとと言われるのではなくて、神から離れ、自分の考えに従って歩む罪びとだから、結局罪を犯すのです。これを証明するような出来事が次から次へと起こってきたことを聖書は記しています。アダムは罪びとの元祖というわけです。早速アダムの子カインは、弟アベルを殺します。しかも嫉妬というささいな理由で・・。これが、自分の感情の方を人の命よりも上に置いてしまうという、罪びとのあわれな姿です。 

 あの有名なバベルの塔の話は、人が天に届く塔を作って名をあげてやろうという、自分の栄光をどこまでも求める人間の話です。そこにある神不在の高慢。その高慢の極みのゆえに神の怒りを買い、互いのことばが分からなくなり、人々が地の全面に散らされてしまったという出来事です。現在サウジアラビア・ジェッダで1km超えの高層ビルの建設が始まっています。それと競うようにしてドバイでは、完成するまで高さを発表しないというビルが建設される予定だそうです。人が神から離れて求めるものは、今もバベルの塔の時代もなんら変わらない、自分の栄光です。これも罪びとの本質を象徴している出来事なのではないでしょうか。互いに話していることが通じなくなる時代・・。なんだか他人事のようには思えません。
 神がおられるなら栄光は神に帰すべきもので、崇められるべきは人ではなく、神なのです。「神」と「人」との関係・・それを一言で言えば「まことの神」と「罪びと」です。しかも、神のあわれみと愛と導きの中で生かされている「罪びと」です。


■ 神の最終目的は何なのか

1. 救出
 創世記の6章にはあの有名なノアの箱舟の話が出て来ます。神は人々の余りの悪さのゆえに、主の心にかなっていたノアとその家族だけを選び、箱舟を造らせ、ひとつがいの動物たちと共に箱舟の中に避難させます。そして神は地球規模の洪水を起こし、箱舟に入っているノアとその家族だけを救い出し、新しい歩みをはじめさせたという出来事です。ここを読むと、当時の人の世界はそれほどに、神の聖さからはほど遠い社会になっていたということが推察出来ます。罪にまみれた世界の、神によるリセットです。そこは堕落と暴虐の満ちた世界だったと書いてあります。そしてそこに生きる人々の中から、神に目を向ける者を救い出されるという・・、これは「終わりの時」を表すひとつの型です。

 聖書は人を「自分の罪の中に死んでいる者」と表現しています。またこの世についても、サタンが空中の権威を持つ支配者として存在することを神は許しておられると。そしてその霊的な力の流れの中で人々は歩んでいて、そのことにまったく気付いていないのだと言っています。そしてそこからの救いの計画・・それが聖書の大きなテーマです。(聖書・エペソ人への手紙 6章 11-12節参照) 

 黙示録には、終わりの時のことが書かれています。そしてそれは旧約聖書のエゼキエル書、ダニエル書、ゼカリヤ書その他にも書かれており、またイエス様も実に多くの箇所でそのことに言及しています。イエス様が語られた「神の国」のくだりは、ほとんどがこの事と関連しています。そして驚くべき事に、この話が各書物それぞれ、書かれた時代が異なっているのに一貫しているのです。

2. サタンの正体
 さて、なぜ神はサタンという存在を許しておられるのか・・という疑問が出てきます。エデンの園にサタンがいなければ、人は神の楽園の中で永遠に喜びの中で生きられたのに・・。神は何故、悲しみと苦しみの時代を作られ、何千年もサタンという存在が関与するこの世の歴史を用意され、そして最後にふるいにかけて、選ばれた人に新天新地を用意されるというようなことをなさるのでしょうか。
 今の世はサタンの思惑通りに、人は神から離れ、罪の中で苦しみ、そしてついには死という報酬が定められている・・。そんな状態が人の歴史を通してず~っと続いているわけです。

神に仕える「天使」とか「御使い」とか言われる存在が聖書には出てきます。イエス様をみごもるはずのマリヤに現れて祝福を告げる御使いガブリエルはその代表です。聖書は天使の存在を随所で語っています。そしてもうひとつ。神に仕え、神をほめたたえるのがその大きな役割であるはずの天使が、神の栄光ではなく自らの栄光を求める者へと姿を変えてしまった存在。即ち、神が崇められることをきらい、人が神と共にあって神を喜び、神を崇め、まことのいのちの中に生きるようになることを最もいやがる存在。そして人の世を支配し、人の心の目をくらまし、神が見えないように策の限りを尽くし、罪と死と恐れの中に人を閉じ込め、互いに憎み合い殺し合うようにし、さらには人々が自分を崇めるようにする・・、これが究極の目的であるという霊的な存在。そのような存在が実際にあって、聖書ではそれをサタンとか悪魔とかいう言葉で表現しています。そしてこのサタンはこの世の最後の時まであがき続け、そして最後には火の池に投げ込まれて永遠に苦しみを受けると書かれています。

3. 人の尊厳
 どうして神はこんなストーリーを作られたのか・・。その答えは聖書には書いてありません。神はこういう状態の中から人々を救い出し、まことのいのちである神のところに帰らせる・・というところまでしか書かれていないのです。
 そこで私の頭に浮かぶのはこんなことです。もしサタンがいなくて、人がエデンの園で増え広がったとしたら・・。神は人に、ひとつだけ生きるための条件を教えました。人は善悪の知識の木の実さえ食べなければ神と共に生きる者でいられたのです。平安の中で、永遠に・・です。私は、犬のあの表情を変えない幸せ感というか・・あれが大好きです。自分が与えられた環境を素直に受け入れ、とにかく主人を喜ぶ。人がいつもこのようでいられたら、かなり幸せなんじゃないかと思います。エデンの園のことを思い浮かべると、私はそんなアダムの幸せな姿が目に浮かんできてしまいます。
 ところで、神はそういう幸せの中に人を置くことだけを目的としてアダムを作られたのでしょうか。聖書には、神は人を「ご自身のかたちとして創造された」と書いてあります。動物とは基本的に違うもの、神のかたちに作られたと書かれています。神は人を、ただ素直に喜びすべてを受け入れる生活を続ける者というだけでなく・・実はそれも難しいことなのですが、さらにそれ以上の、意志と尊厳を持ち、創造的な活動をする存在として、そして何よりも神を知るべき者として人を作られたのではないでしょうか。

4. 神のご計画の骨子
 ここでもう一度、神のご計画の始めから終わりまでをざっと見てみますと・・。神が天地万物を造り、人にエデンの園という、神と共に生きる理想郷を与えたあと、アダムはエデンから追放され、皮の衣を与えられた。後に人は増え広がり、神は「わたしが神である」と、アブラハムに始まりイスラエルの民に、ずっと言い続けて来られました。それにもかかわらず、彼らは神を受け入れきれず、結局警告されていた通りの呪いを受け取り、外国に攻め込まれて捕囚の身となり、最後には世界中にちりぢりばらばらになるという道を選択してしまいます。それと重なるようにして、神はメシヤ=御子イエス・キリストを世に送られ、「選民」イスラエルだけではなく「すべての国民、民族」の救いの用意をされた・・。それからイエス・キリストによる救いが全世界に宣べ伝えられ、現在に至っている・・。ただし、キリストによる救いの知らせが世界中に宣べ伝えられたと言っても、この世がサタンの支配から解放されたということではありません。救いとは、罪と死とこの世を支配するサタンからの個人的な解放、そして帰れなくなっていた父なる神のみもとに戻ることです。それはイエス・キリストによって実現しました。しかし、神のご計画にはまだこのあと、後半があります。
 1948年、突然イスラエルが国として復活しました。そしてこのイスラエルに位置するハルマゲドンが、悪魔が捕らえられ底知れぬところに投げ込まれるという出来事の舞台になると、黙示録にあります。(20:2-3) 神は最後の段取りまで、特に終わりの時の様子を克明に示されています。その舞台である「イスラエル」が1948年に突然現れたわけです。が、まだ神殿が現れていません。あのエルサレムの神殿跡の金色の岩のドームと言われているところが本来の神殿があるべき場所です。現在のドームはイスラムの礼拝場です。ここに神殿が再建されること、そこに「荒らす憎むべき者」が立ち、自らの偶像をそこに据え、神殿を汚すという出来事が起こると書いてあります。またその前後に起こる大艱難のこと、またイエス様を信じる者が空中に引き上げられること、過去の死者がよみがえること、最後の天地の滅びの前に出現する千年王国のことなど・・。目まぐるしいほどの出来事が預言を通して語られています。この一見とりとめもないことが、過去の預言書や新約聖書のイエス様のことば、そして黙示録に出てくるのですが、そのすべてが矛盾なく読めるというのです。そしてこの最後の舞台に再びやって来られるのがイエス・キリストです。最終的には選ばれた民のために、今の天と地とは消え失せ、天のエルサレムが用意される・・というのです。

5. 神の恵み
 こうして見てくると、神は尊厳を持つ者として造られた「人」を、サタンが支配する過酷なこの世に置き、その中から神の国にふさわしい者を選び出すという流れが見えてきます。
 神の国にふさわしい者?・・私なんかは絶対ダメだ、というのが普通の反応かも知れません。でもイエス・キリストは、そのふさわしくない者が神の国に入るために来られたというのです。大体ふさわしい者など、初めからひとりもいないと聖書は言っています。そのような私たちがただイエス・キリストを救い主と信じるということだけで、ふさわしくない者がふさわしい者になるというのです。神のなさることは人知をはるかに超えています。ふさわしくない者がふさわしい者として取り扱われるのです。そんなこと、この世の社会ではあり得ないことです。でも実は、神の恵みと愛を理解するポイントが、そして「愛し、許す者」と変えられるポイントがここにあるのです。

6. 狭い門
 イエス・キリストを救い主として信じる・・また、神を神として認める・・。これは、罪びとが最も不得意とするところです。では、この世の人々が神を認めるとしたら、それはどういう時なのでしょうか。聖書にこんなことばがあります。
 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。・・詩篇51篇17節 
 心砕かれた者・・。これが神の側に立ち返る者となるための「私たちの側の条件」のようです。イエス様は次のように言われました。
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。・・マタイによる福音書 7章13節

 狭い門から入りなさいと言われています。狭いというのは入りにくいという意味です。神を認めるというのは、罪びとにとってはとてもやりにくいことです。求められているのはいとも簡単なことで、ただ鍵をそのまま受け取るということだけです。ところがそれだけは絶対にやりたくないと思う・・。その裏には、自分が神の前になにか差し出すことのできるものを持っているという思いがあるわけです。実態は何物も持ち得ない者であって、全てをただ神の恵みによっていただいている者であることに全く気づいていない・・これが罪びとの姿です。
 プライドという言葉が思い浮かびます。「プライド」には何の根拠もないのです。このところ、「日本人としてのプライド」という言葉を頻繁に聞くようになりました。「あの時代」に持っていた日本人のプライドを取り戻そうという動きです。そして世界は戦争へと向かっている。プライド・・、それは自尊心であり、それにつながることばに国益という言葉があります。それは最終的に自分が生き残るという道を選択させるものです。自尊心とはもともと悪い言葉ではないと思います。本当の自尊心は「神に愛されている者」として自分を理解するところに健全な自尊心があると思うのです。神に愛されているという認識から来る自尊心ならば、他の人もすべて神に愛されている者であるというところに立つことができるからです。しかしプライドというものは自己を支えるものではあっても、他者が喜ぶようなものではないということは、少し冷静になればわかるのではないでしょうか。
 広い門とはこのプライドを残した門であって、その行く先は「戦い」であって、イエス様はそれを「滅びに至る門」だと言われているわけです。しかも、そこから入る者が多いとイエス様は言われました。プライドとはすなわち、神を認めない心なのです。

 上記の詩篇では、砕かれた、悔いた心こそ、神が認めてくださるものだと言っています。悔いるということは、自分に何か残念なことがあったということです。自分に残念なことがあって、そして心が、プライドが、自尊心が砕かれる・・。ああオレは完全にダメだと思うようなことがあったら、それは光の門への入り口かもしれません。
 もともと罪の支配の中に生きている者は、自分を堅い殻で守り、自分を外から攻め入られないように自分の力で守っているというのが、その姿勢の基本です。ですから勿論、それを自分で打ち破るなどという発想は出てきません。また何かの出来事を通して一度二度、それが砕かれるようなことがあっても、罪びとの殻というのはすぐに蘇生してしまうのです。
 その硬い殻にくさびを打ち込み、ついには完全に打ち砕いてしまったのが、あのイエス・キリストの十字架の姿です。あれは私たち罪びとのためになされたところの、私たちの代わりに完全に砕かれた・・その姿です。そして神は、私たちがそれを自分のものとして受け取ることが出来るようにしてくださったのです。

 狭い門・・、それは神が用意して下さったこの「完全に砕かれた肉と、死からよみがえったいのち」を無償で受け取る勇気を持つこと、と言えるのではないでしょうか。私たちにはそれ以外にこの門を通る資格はどのようにしても得られないのです。それを聖書では「信仰による義」と表現されています。すなわち、行いの報酬としてではなく、ただ信じて、この救いを信仰によって受け取ることによってのみ、義(神の前に正しい者)とされる、と言っているのです。何かやったから正しいということもないし、悪いことをしたから資格がないというのでもありません。これはもともと資格のない者を「正しい」とされる神の驚くべき方法であり、私たちはそれでしか正しいとされるチャンスなど、他にはないということです。それに対して支払われた代価は、神の御子のいのちなのであって、私たちが支払うにはあまりに高価すぎて、なんとかできるようなシロモノではないのです。

7. 神の最終目的
 それは、罪の殻の中でどうにも動きが取れなかった罪びとが、神が遣わされた御子による私たちの身代わりとしてのあがない・・すなわち、十字架の死とよみがえりのいのちそのものを受け取る事で、罪と死から解放されて、まことの父である神の元に帰ること。それがまことのいのちの意味であり、そのいのちにあって、父なる神を霊とまことを持って礼拝し、崇め、喜び、そのいのちに浸り、なんの陰りもない光と喜びの中に生きる人となる・・。これこそが、天の父なる神がお造りになりたい神の国の国民の姿であり、そこから引きずり下ろそうとする悪の力が働く余地の全くない神の国、新しい天と新しい地・・そのことの実現こそが神の最終目的ということになりそうです。そう考えるとこの始めから終わりまでのストーリーは、人がそういう者に変えられるために用意された舞台だったということになるのかも知れません。

 イエス様は言われました。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。・・ヨハネの福音書 10章 7節
 イエス・キリストご自身がまことの門だと、イエス様がご自分で語られたのです。もう一度書きますが、イエス・キリストという存在自体が「門」で、ここが神のもとへの唯一の入口だということです。
 羊・・それはどこが自分の本当の家なのかが分からなく、暗闇をさまよっている「迷える小羊」のことです。この迷える小羊のために、神がひとり子のいのちを与えてくださった・・。
 これが神の愛のストーリーです。そしてこれが聖書全体を通して語られていることなのです。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの福音書 3章16節

 それにしても、聖書は霊の目をもって読まなければ何も開けてこない、何も見えてこない、これはやはり神のことばなのだなあと思わされます。そしてもしあなたがそれを読み始めたのなら、そのこと自体が既に神の奇跡の始まりなのだと思います。なぜなら、すべての人は、神のことばを絶対に受け取ろうとしない罪びとなのですから。


<バックナンバー>
9.クリスチャンはどういう風な仕組みの人間か 2017.1.20
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
2017.04.24.Mon 01:35 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 皆様いかがお過ごしでしょうか。市原、がんばってます。。。音楽環境が約40年逆戻りして、目を白黒させながら、やっと少〜し、落ち着いて参りました。現在の演奏活動は以前とがらりと変わりまして、レコーディングなども含めて半分ほどがルパン/大野雄二さん関連の活動となっています。ということは仕事量が以前の2倍になったということになります。この歳にしてはハードなスケジュールかなと思いますが、10才年上の大野さんを前にしては、口が裂けてもそんなこと言えません状態・・。これからはどれだけ力を抜いてやるかにかかっている・・ということになりますか。

 さて、TRIO’の方は春のツアーのスケジュールが出揃いました。5/30〜6/17の間の11公演となっています。メンバーの都合で、途中が空いてしまい、遠出が出来ない状況。それでもなんとか続けていきたいと思っておりますので、どうぞよろしく応援のほど、お願いいたします。ざっとご紹介しますと、
  5/30(火) 名古屋・ミスターケニーズ 
  5/31(水) 浜松・ポルテシアター 
  6/1(木) 安城・花むすび 
  6/2(金) 静岡・ライフタイム 
  6/3(土) 東京/浜松町・サンミケーレ 開成ライブ/ゲスト・市原ひかり 
  6/6(火) 横浜・KAMOME 
  6/8(木) 長岡・クックテールくぼた 
  6/9(金) 軽井沢・ならの木 
  6/10(土) 東京・LEZARD
  6/15(木) 高崎・ケイノート 
  6/17(土) 足利/織姫山荘・Soba & Cafe 手打ちそば 伊とう
 となっています。今からご予定に入れていただけましたら幸いです。
 尚、合間の6/16(金)には、堀内実智代さんvo.のCD発売記念ライブを富岡ブルーベリーで行います。ピアノが山口泰一郎、ベースが森泰人です。

 今回のインフォメーションは3月4月と二ヶ月分です。
 グループ別にまとめてみました。
● 大野雄二トリオ
  3/16(木)東京お茶の水「NARU」
  3/24(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」
  3/26(日) 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」
  4/8(土) 東京柴崎「さくらんぼ」
  4/20(木) 東京お茶の水「NARU」
  4/28(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」
● まきみちる「バースデーライブ」 3/5(日) 東京六本木・アビーロード。告知が遅くて申し訳ありません。チケットは完売です。
● 金城寛文クインテット 3/10(金) 東京菊川「な〜じゅ」今回ピアノが重久義明です。
● 萩谷清gt「SLB=スーパーラテンブラザース」3/27(月) 東京六本木「キーストンクラブ東京」2/28に続き、今年二回目です。今回、ベースは現在ルパンティック6で一緒のミッチー長岡です。
● 直居隆雄トリオ 3/31(金) 東京沼袋「オルガンジャズ倶楽部」河合代介君の足鍵盤付きのハモンドと直居さんのギター、そしてドラムというトリオです。
● 菊池ひみこトリオ 4/2(日) 東京中目黒「楽屋」今回ベースは斉藤クジラ誠です。好評だった2/3に続き、今年二回目です。
● 歌声ペトラ 3/28(日)/4/25(火) 普段着の賛美歌を歌う会。市原は司会とソングリードで、ドラムの演奏はありません。 

 ということで、3月4月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・1月に9回目を出しました。「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」です。面白いと思います。(笑)
 
2017.02.24.Fri 13:09 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
  1701談義
 
 
 私が信仰を持ったのは20代の終わり。自分は明らかに変わったのですが、それをどう説明して良いのかもわからず、トラクトと言われる小さな伝道用の印刷物や、印象に残った本などを買って、片っ端からミュージシャンたちに配ったりしていました。おそらく300人以上の人に配ったのではないかと思います。タバコもいつの間にかやめ、酒もあまり飲まなくなっていました。そんな時に演奏旅行などで何日かを仲間と一緒に過ごすと、市原が何をして何をしないかがわかってくるわけです。そして、することとしないこととが自分たちとは違うということがわかって来ます。それで良く言われたものです。「市原は酒も女もやらないで、一体何が楽しいんだ?」と。でも私はうまく説明することができませんでした。<(注)現在、お酒を飲むことはあります。>
  
 
 私が信仰を持つ前と後で、何が変わったのかを改めて考えますと、あの頃はひどく苦い思いにさいなまれていましたから、そこから解放されたということが先ず言えます。イエス・キリストを自分の救い主として心に迎え入れた時から、それまでの自分を支配していた何かが消え、平安と光という言葉にふさわしい「いのち」のようなものをいただいたという感覚です。それ以来私の内にはずっとそのいのちが宿り、そのいのちは常に私に対し、神が喜ばれる思いの方向へと私を導き続けて来ました。その思いとは、愛とそれに伴う喜び、平安、寛容といった、聖書の中に記されている聖霊による思いと一致するものです。
ところが・・です。自分が神の喜ばれる方向にそのまま変わって行けば良いのですが、なかなかそれが苦戦をしておりまして・・。そこで私が最近になって見えるようになって来たこと。それをここに書いてみようと思いました。
 
 
 40年にわたる信仰生活の間、「わたしは決してあなたを見捨てず、見離さない」と言われる主は、私がイエス・キリストを主として自分の心に迎え入れて以来、一日たりとも私を離れて行かれることはありませんでした。途中十年間、私は主から逃げていたことがありますが、その時でさえ主は私から離れて行かれたことはありませんでした。主を悲しませているこんな者を、こんなにも長い期間・・約束通り・・忍耐と愛をもって寄り添っていてくださる主。それはそれは驚くべき存在でした。主という言葉を使うということは、私はこの方に仕えます、あるいは従いますということであり、その究極の関係は、「主よ、あなたを愛します」と言える関係であることが聖書の中では示されています。そして主なるイエス・キリストは、私が主を愛するその愛をはるかに超えた愛をもって私を.そしてあなたを愛してくださっている。そのイエス・キリストこそまことのいのちであって、そのことが地の果てにまで伝わるように示されたのが、あの十字架に掛けられ、死んでよみがえられたイエス様の姿だというわけです。それは、神を認めず基本が自分中心である私、何をしても自分の栄光を求めることしかしない、そんな私が死んで、そのような哀れな性質を釘づけにしてしまい、神の子として与えられる新たないのち、永遠のいのちをいただいて立つ者と変えられるために、キリストが救いそのもの、すなわち十字架の死とよみがえりのいのちそのものとなってくださったというわけです。私の罪を負い、病を担い、苦しみを負い、人の嘲りや不当な扱いを受けながら死んで、3日の後によみがえられた主。この主が自分の中に新しいいのちとして、また一点の暗いところもない神の御心を指し示し続けていてくださる存在として、私の中に生きておられる・・そういう者に変えられた。これが私の中身であるわけです。全てを言い尽くすことはとてもできませんが・・。
 
 ところが、自分が今書いたようなクリスチャンであると同時に、自分の中にそのことに逆らおうとする性質・・正確に言うとキリストに出会う前の自分という、まことに自分中心で、恐れたり怒ったり苦い思いで一杯になったり、常に自分を弁護し、自分に栄光を帰するような考えばかりがグルグルと頭の中でいっぱいになっていたり・・そういう性質が自分の中に未だに基本的に存在していることがわかって来たんですね。それじゃあ、救われたとか言いながらキリストが共にいてくださる者というイメージとは程遠い、ただの人じゃないですかと言われたら、うんその通りと言わざるを得ない自分がいる。じゃあキリストの救いとはなんなのと問われた時に、そんな者であるにもかかわらず、神の大きな恵みによって永遠のいのちが与えられているんです。・・と、それはその通りなのですが、それでは今生かされているこの世においては昔と変わるところのない自分中心の生き方を続けるのか・・という話になるわけです。
 
 でもそこで、もうひとつ見えてきたことがあるんです。それはそんな自分の中にキリストが厳然と生きていてくださり、私という「土の器」を通してご自身を現そうとしておられるということ。その通りなのだとしたら、これほど栄光に富んだことがほかにあるでしょうか。なのに、あろうことか、古い自分の性質みたいなものが、一生懸命になって自分の内におられるキリストに覆いをかけてしまい、相変わらず自分中心のモードで歩んでしまうんです。そんな私のままだったら、宝を土の中に隠して、そこから何も産まない生涯を送ることになってしまいます。宝が宝としての意味をなさない状態です。まさに「宝の持ち腐れ」というやつです。
 
 
 クリスチャンとは、主が内にとどまっていて、いつも主が語りかけてくださっている。そういう状態にある者です。優しく語りかけられることもあれば、強く語られることもある。またある時にはガツ~んとやられることもあるようです。でもそれは常に、先ほど書いた堅固な城壁のように残っている古い自分の性質が少しずつ砕かれるという方向への促しであるようです。私は今、「静まりなさい」ということをいつも主から語られているような気がしています。城壁のような堅固な古い性質はいくら砕かれても、やはりまだまだ残っている。勿論自分で自分を砕くことなど出来ないことです。静まること・・それは暴れ回る古い性質のギヤーをストンとニュートラルに入れてしまうことに似ているかもしれません。古い性質に振り回されて走っていた車のギアーが、突然ニュートラル状態になってしまうんです。そのとき車は暴走するエンジンの影響から解放されるんですね。エンジン=古い自分がいくら回転を上げても、車の動きとは関係がなくなるんです。これが「静まる」という言葉のイメージです。そしてその時、気がつくとその車にはイエス様が乗っているんです。うまく表現出来ませんが、そこでイエス様にギヤーを入れ替えるのかというと、そうではなく、ギヤーはすでに入っているんです。イエス・キリストというモードに・・。私はそのことに気付かされました。私が静まる時、共におられる主が私の主としてそこに立たれるのだということに・・。みなさん、考えてみてください。あの新約聖書の時代のように、そこにイエス様が立たれたら。そりゃもう、自分の中にこもったりしている場合ではないでしょう。私が見えて来たことというのは、私たちクリスチャンはイエス様にそこに立っていただくためにこの地上に生かされているのだということなんですね。でも誤解しないでください。このことを没個性だと言って批判の材料にする向きもありますが、とんでもない。イエス様は、あの古い性質から解放された、神によって作られた本来の100人100色のひとりひとりが、喜びはばたき、愛をおし流していくことを通してその御姿を現されるのです。
 
 騒いだり恐れたり、相変わらず人を計り見たりと、心と頭がグルグル回っている私に主はいつも「静まりなさい」と語られます。「あなたの本当のいのちはわたしなのだ」と。あなたは先ず、騒いだり恐れたりして、いつもわたしに覆いをかけていることを知りなさい・・と。あなたはあなたというひとりの人としてわたしの栄光を輝かせ、わたしを世の人々に証しし、その栄光を神に帰するというのがあなたの、この地上での役割なのだ・・と。何というエキサイティングな話でしょうか。私たちクリスチャンは無力な自分の内にイエス・キリスト、すなわち「愛という名のいのち」をいただいているのです。自分というものはニュートラルにして、イエス・キリストに立っていただくとき、私たちは、世の光、地の塩、そして心の底から生ける水の川が流れ出る者として、しかもひとりひとりがそれぞれの形をもって輝くのではないでしょうか。あなたがどこにいても何をする人であっても、また何をした人であっても、富んでいても貧しくても、能力があってもなくても、また頑固であっても短気であっても・・。
 
 
 以下はこのことを想起させる聖書のことばです。
 
 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
・・新約聖書/ヨハネによる福音書 12章 24節
 
 「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と万軍の主は仰せられる。 ・・旧約聖書/ゼカリヤ書 4章 6節
 
 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。・・新約聖書/コリント人への手紙 第二 4章 7節
 
 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。・・新約聖書/コリント人への手紙 第二 12章 9節
 
 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
 ・・新約聖書/ガラテヤ人への手紙 2章 20節
 
 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
・・新約聖書/コリント人への手紙 第二 3章 17.18節
 
 土の器の中にいただいているこの宝を、暗黒が支配するこの世に輝かせるのは、私たちの能力によるのではない。資格の問題ではない。信仰の年数の問題ではない。ひとたびキリストを自分の中に迎えた人は、たとえそれを忘れても、キリストが「決してあなたを見離さず、見捨てない」と言われた通り、地上で見出すことのできる最高の宝であり永遠のいのちであるイエス・キリストを自分の中に入れている人となっているのです。イエス様は単純にこう言われました。「あなたがたは世の光です」と。もしその光に覆いをかけているなら、ただギアーをニュートラルに入れてみませんか。死の影の谷を歩く時も、谷底に転落した時も、希望を失った時も、落胆の中にある時も、問題に直面した時、重大な責任を負った時、喜ぶ時、また幸せを噛み締めている時も・・、ただ静まって共におられる主を喜び、主の御名をほめたたえようではありませんか。私たちが世の本当の光としての役割を果たす者となるために。
 
 
 ・・と、ここまで書いて、あれっ? テーマは「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間なのか」でしたね。クリスチャンとは、こんな姿で、無力な自分を覚えるにもかかわらず、世の中で光を輝かせるという、特別な使命を帯びた人。だからといって何か偉いところがあるかというと、そんなものは全くなく、ただ、神の愛とあわれみに気付かされ、「行いによってではなく、信仰によって」その役割を担う者とされた人。それは自分の罪を神の前に認めるという、罪人の本質=神を認めない の部分が砕かれ、神の御前にひざまずいた人。そして、キリストがそのために激しい苦しみを伴う十字架にかかられると言うことの中に、神の愛を見出しあ、神を愛し、人を愛する者に変えられた人・・。勿論言い尽くすことは出来ませんが、あなたが今までクリスチャンに対して持っておられたイメージは、これで少しなりとも変わったのではないでしょうか。
  
  

<バックナンバー>
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
 
2017.01.20.Fri 01:54 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
あけましておめでとうございます。
今年もがんがん行きたいなあと・・67になりますが・・がんばります。
どうぞよろしく応援のほど、お願い申し上げます。

 2017年賀PC
 
 
2017.01.02.Mon 17:39 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1612談義


 クリスマスが過ぎて一言。
 
 今世の中ではクリスマスというと、ほとんど恋人と過ごす夜みたいなイメージが定着しているようです。 本来クリスマスはイエス・キリストの降誕を覚え、その結果何が起こり、それが自分とどういう関係にあるのかを思い起こし、そこにある大きな大きな恵みを・・本当は一年中毎日クリスマスでなければならないのですが・・思い起こし、愛と恵みの神に感謝し、神の御名をほめたたえる。そのような日です。そうは言ってもクリスチャンでない方には何のことだか、皆目見当もつかないことであると思いますので、ここに簡単に書きたいと思います。

 イエス・キリストは、神の前に出るにはまったくふさわしくない者である私たちが、もともと帰るべきところであるところの父なる神のみもとに帰ることができるように、私たちのパスポートとなってくださったのです。パスポートは外国に渡航するのにその人の身分を証明し、そこにはお墨付きである日本国ならば外務大臣の言葉が書かれているわけです。この人を日本国民であることをここに証するので、貴国においてはよろしく扱ってほしいと・・。

 イエス・キリストというパスポートには、神の前に出るに際してこんな言葉が記されています。わたしがこの者の罪を負い、受けるべきすべての罰としての十字架の刑を受けた。この者がどんなにふさわしくない者であっても、わたしがこの者の罪の代償を、鞭打たれ、唾をかけられ、殴られ、ついには死体が落ちないほどの太い釘で手足を刺し通され、十字架の上で激しい苦しみの中で死んだことにより、完全にあがなったのだ。ただわたしの故にこの者は父なる神の前に立つことができる・・と。

 イエス・キリストは十字架上での務めを完了して死なれ、3日の後に弟子たちの前に、しかも500人以上の弟子たちに現れ、ご自身が復活されたことを示し、世の終わりまでいつまでも共にいると宣言され、天に上られた方。だからこの名が記されたパスポートは永久に父なる神の前に完全に有効なのです。有効期限もありません。このパスポートを持つ者は他のどんな資格によるのでもなく、そのパスポート「イエス・キリスト」によって神の国に入り、しかもこの御国にあるすべての富を相続する者とされるというのです。なんと大きな恵みでしょうか。

 イエス・キリストは、神が天地万物を創造され、そして世の終わりの先に新しい天地を用意されているという、この大きなご計画の中での最も重要な印であり、神の愛の形として天から啓示されたものです。
 ベツレヘムに生まれた赤子は、三十数年後に私たちの罪のあがないとなるために、人の子という形をとって地上に来られた救い主の姿なのです。
 この大いなる奇跡を思い、神の御名を怖れ、そこにある愛と恵みを覚える日、それがクリスマスを祝うことの本当の意味です。

 毎日がメリークリスマス!
 
 
<バックナンバー>
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
2016.12.30.Fri 16:15 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  1701-2.jpg

 あっという間に今年一年が過ぎ去りました。中身を追っていけば、実にいろいろなことがあったのですが、感覚としては「あっという間」なんですね。今年は何と言っても大野雄二さん関連の仕事が加わって、ちょっとばかり忙しい人の気持ちを味わっております。市原としては、ルパン関連は勿論のこと、新しいステージに立った感がありまして、それはとてもうれしいことでした。この歳にしてこんなことがあるとは、夢にも思っていませんでしたから。今年は、何と言いますか、若い頃の感覚を呼び覚まされる年とでも言いましょうか。しかし同時にですね・・、実は目は遠くなる、耳も遠くて・・これが演奏にどれだけ影響を及ぼしているのか・・最近になって具体的に分かってきたんですね。歳をとりますと、皆が皆そういうわけではないと思いますが、聞こえる音がやさしくなってくるんですよ。要するにカチンカチンした音に布をかぶせたみたいに・・、世の中の音がみんな優しいんですよ。そういえば自分の車も高級車感が増している(笑)。要するに高音域の聴力が落ちているわけ。これは年寄りにはとても良いことだなと思うんです。静かに暮らせるんですから。ところが音楽とか、会話になると、静かが良いとばかり言ってられなくて、コミュニケーションが取りづらく、一人だけ静か・・なんてことになっちゃうわけです。これでは楽しい会話も、音楽も、、仲間に入れない・・。そんな状態にいつの間にかなっていた・・。そのことに、徐々に気がついてきたんですね。実は、かなり以前から耳は遠かったみたい。で・・、結局補聴器を・・実は二度目の挑戦なのですが・・使用することにしたんですね。初めはこんなデリカシーのない音を聴いていたら、耳がバカになってしまうでしょうと思っていたのですが、二回目の補聴器・・結構高いのを買って、自分でパソコンで調整して・・これがとても難しいのですが・・でもやっと、何となくこれでいいのかなと言うところで調整出来るようになってきたんですね。自分の耳は高音域の聴力が足りないので、ほんのわずかだけ、とても微妙なレベルでハイの音を補うというだけで良いのだということが分かってきたんです。普通補聴器をつけてドラムを叩いたら、耳が壊れちゃうという感じがしますよね。僕もそう思っていたのですが、この微妙な調整が実現して、ほとんど補聴器で音を補填しているという感覚が全くなしで、高いところの輪郭がほんの少しはっきりする・・そんな調整ができるようになったんですね。シンバルの音も、こんなきれいなんだ・・というくらいのレベル。こんなレベルで補聴器が使えるとは思ってもいませんでした。補聴器を使ってドラムが叩けるんです。そして先日、ヘッドホンもいけるんだということが分かりました。これ、音楽家としてどうなのかなというのがあるのですが、どうも私には必要なようで、そのことを素直に受け入れてやって行こうかな・・という境地までやっとたどり着きました。市原、新年は補聴器使用宣言をいたしたいと思います。来年3月には67才になります。だからまあ、多めに見てやって下さい。そして補聴器ドラマーがどんな演奏をするか・・ご自分の耳でお確かめいただけましたら幸いです。新しいステージに立ったドラマーの音をお聴き下さい。

 さて、新年1-2月のライブは1/15(日)からスタートです。ジュディ・オングのバースデーライブ。丸ノ内コットンクラブです。そして1/23(月)は大野雄二トリオ/お茶の水NARU、1/24(火) 月例歌声ペトラ/お茶の水OCC B1/アイリーンホール、1/26(木) 大野雄二トリオ/新宿”J”、1/28(土) Yuji Ohno & Lupintic Six/水戸/茨城県立県民文化センター、1/30(月) Yuji Ohno & Lupintic Six/東京六本木/ビルボードライブ東京、そして2月はなんと7回の大野雄二トリオがあります。2/4(土)〜5(日)/名古屋ラブリー2days、2/11(土) 調布/さくらんぼ、2/16(木) お茶の水NARU、2/19(日) 相模大野メイプルホール、2/24(金) 新宿”J”、2/26(日) 鎌倉/ダフネとなっています。そして前後しますが、2/3(金) 久々の菊池ひみこトリオを都内でやります。中目黒/ダイニングバー&ライブハウス「楽屋」(ラクヤ)。ベースは我らの次の世代、小牧良平君。初共演です。あとは2月の歌声ペトラ 21日(火)です。

 ということで、新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」8回目はいつになるか・・私にも分からない(笑)んですね。アップの際にはご案内をさせていただきます。過去のものはこちらからご覧下さい。 http://ichiharablog.blog83.fc2.com/
 
 ということで、新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
 God Bless You !
 
  
2016.12.13.Tue 00:45 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






PROFILE

いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
ライブスケジュール
そしてキリスト教談義・・
・・再開です。
http://i-produce.net
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聖書のことば #8 【福音3 復活】(11/19)
聖書のことば #7 【福音2 キリストの十字架】(11/18)
聖書のことば #6 【福音(ふくいん)】(11/16)
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