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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内など・・・
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 ところで、、3,4月を飛ばしていきなりですが、TRIO’ツアー。5月にやります。
 5/13(日)〜24(木)、この間11カ所。日程が固まり次第ご案内させていただきます。なかなか遠出ができませんが、今回は東海地方からなんとか大阪、鳥取まで足を伸ばせそうです。後は新潟方面の新しいところでできそうです。どうぞお楽しみに。
 そろそろ毎回が貴重になってきました。意味、、わかりますよね。(笑) 一回々々を大切にしていきたいと思っています。みなさんとの出会いやお交わりも、悔いのない時間となるように心がけて行けたらいいかなと、、そんな風に思っております。TRIO’・・またまた変わってきています。どうぞご期待ください。

 以前にもご紹介しましたが、いよいよ角川映画シネマ・コンサートが、4月の13(金)と14(土)の二日間にわたって東京国際フォーラム ホールAにて開催されます。大野雄二と“SUKE-KIYO”オーケストラという特別編成のオーケストラ。Yuji Ohno & Lupintic SixとFujikochansを核に、スタジオミュージシャンの管とストリングスの猛者たちを加え、石坂浩二、松崎しげる、ダイヤモンド☆ユカイをゲストに招いてのコンサート。市原が本当にスタジオで活動を始めたばかりに立て続けに三本やらせいただいた映画、「犬神家の一族」「人間の証明」「野生の証明」の音楽を映像と共に再現。勿論音だけを聴いていただく部分もあります。チケットは「角川映画シネマ・コンサート」で検索ください。みなさまのお越しをお待ちしています。

 さて、3〜4月のライブ。。。

● 大野雄二関連
3/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 常陸太田市民交流センター
   3/13(火) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ大阪
   3/15(木) Yuji Ohno & Lupintic Six ビルボードライブ東京
   4/13(金),14(土) 角川映画 シネマ・コンサート/2days 東京国際フォーラム/ホールA
       大野雄二と“SUKE-KIYO”オーケストラ
   4/19(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
   4/27(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   4/28(土) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ       

● その他
3/9(金) 金城寛文クインテット 菊川 な〜じゅ
3/16(金) 直居隆雄トリオ 東京沼袋 Organ Jazz 倶楽部
3/20(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
4/17(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

  ということで、3月 4月もどうぞよろしくお願いいたします。
  ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・更新はされておりません。
 以下は当ブログで過去にアップしたものの一覧です、どうぞご覧ください。

  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
 
2018.02.16.Fri 22:48 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 2017年も一年、応援をありがとうございました。この年は惠美の母を天に送り、新年のご挨拶は控えさせていただいていますが、新しい年も多くの方々の応援や叱咤激励をいただきながら走り続けて行ければと思っております。演奏の場で、教える場で、芝居の世界で、また惠美関連でつながる多くの方々、ご近所のみなさん、家族、そして教会で。今年はさらに積極的に人との交わりを深めていくことができたらと、密かに思っております。だから、やっぱり、楽しみです、今年一年も。
 あっという間の2017年。特に10月から年末にかけては、私が若く忙しい時期に比べても引けを取らないくらいに多忙な時となりました。それにしても神様は時を支配されるのだなあと、つくづく思わされます。こうして忙しく演奏活動するのと、私が演奏者としての新しいスタンスを思いもかけないところに見いだす・・そのタイミングが見事に一致しているから、これは運命というような言葉では片付けられないなあと・・。しかしながら、今年の3月には68才。いよいよ「アラセブ?」です。充実した時を過ごしたいと思っております。

 さて、新年、1.2月のライブはTRIO’で始まります。が、あとはほぼ休息状態。その理由の一つに、4月の13.14日に東京国際フォーラム・ホールAにて開催される「角川映画シネマ・コンサート」というのがあります。http://kadokawaeiga-concert.com/about.html これもまた不思議な巡り合い。角川映画第一作目にしてミステリー映画の金字塔、横溝正史原作「犬神家の一族」。そして森村誠一原作の「人間の証明」と「野生の証明」。そのサウンドトラックを手がけたのが大野雄二。そしてこのすべてのサウンドトラックとアルバムのドラムを私市原が担当させていただいているんです。こんなことってあるのかしら・・というくらい、私にもドンピシャの催しなのです。この映像を見ながら、50人編成の「大野雄二と”SUKE-KIYO”オーケストラ」・・核になるのはYuji Ohno & Lupintic Six。タイトルの通りの「シネマ・コンサート」。勿論編曲はすべて大野雄二・・ということで、50人編成を一曲書くのにどのくらい時間がかかるのか見当もつきませんが、それを一曲ではなくて、20曲として・・。はい、もうすでにライブやってる場合じゃない状態。それで市原はちょっとお休みをいただけるという。自動的に毎月の大野雄二トリオも一部を除いてお休みです。ということで羽伸ばしの1.2月とさせていただきたいと思っております。

 1.2月のライブは・・TRIO’ 昨年暮れからのツアーの後半から始まります。こちらはお見逃しのないように・・。

● TRIO’ 2017.12〜2018.1 ライブツアー 後半 pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康
1/12(金) 前橋 まちなか音楽館
1/13(土) 熊谷 Jazz & Cafe Space1497
1/14(日) 東京・南青山 Body & Soul 日曜日ですのでスタートが7時となります。

● 大野雄二関連
1/28(日) 大野雄二トリオ 鎌倉・ダフネ
   2/10(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 東久留米生涯学習センター

● その他
1/23(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
2/19(月) ザ・萩谷組 六本木 キーストーンクラブ
2/20(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

 この間に東京音楽大学の入学試験があります。またライブなども追加になる可能性があります。ということで、新年1月 2月。どうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

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 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・昨年11月に久々に出ました。
 興味がおありでしたら、目次を記しておきますので、ご覧ください。

  その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
  その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
  その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
  その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
  その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
  その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
  その7「助けを求める心」2016/11
  その8「クリスマス・・それは」2016/12
  その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
  その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
  その11「聖書の目的」2017/5
  その12「キリストは絵に描いた餅?」2017/11
2017.12.29.Fri 14:12 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 1711談義

 
  【キリストは絵に描いた餅?】

 クリスチャンと言っても人によって、言うこともやることもずいぶん違うようです。いろいろなタイプのクリスチャンとの交流の中で、私は次のことに思い当たりました。

 クリスチャンというのはイエス・キリストという存在が自分の中に実現したとき以来、言うことややること、考えることが変わってきます。
 世の人々は、イエス・キリストが生きておられると言うと、結構すんなり理解してくれます。そう・・心の中にね・・みたいな感じで。イースターというのは「復活祭」であって、キリストがよみがえったことを覚え、祝うときなのですが、それもすんなり受け入れる。そしてもっと以前にクリスマスも・・という話になる。でもそれは亡くなったあの人が今もわたしの中に生きている、といったような受け止め方のように思います。しかし、キリストが生きておられるというのは、そのような観念的なこととは根本的に違うことなのです。

 私たちが「イエス・キリストという存在」という話しをするとき、それは絵空事でも、架空の人物でもなく、十字架にかかって死が確認され、墓に納められ、そして三日の後によみがえって、弟子たちに現れて、そして弟子たちの見ている前で天に昇られたイエス・キリスト。そして「わたし自身の代わりに助け手として聖霊を送る」と言われたイエス・キリスト。見よ、わたしは世の終わりまであなた方と共にいると言われたイエス・キリスト・・要するに「実存としてのキリスト」が人の内側に入るという出来事を通して、そこからいろいろな形で「実」を結び始める。それがクリスチャンです。

 ですから、伝えるべき一番大切なことは、イエス・キリストは絵に描いた餅ではなく「実存」であるという、その事実なのだと、そのように思うわけです。
 だから、たとえ何も知らなくても、主の御名「イエス・キリスト」を呼び求める者は実存のキリストに確実に近づいている者なのだということです。なぜなら、実存だから・・。実存するその存在は、呼び求めるその声を聞いているということです。すると「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる」という聖書・ローマ人への手紙10:13 のことばが突然リアルに響いてきます。

 キリストという存在が実存だからこそ、人には新しいことが起こる。敵を愛する者になるなど・・あり得ないことが起こる。全く信仰心のかけらもなかった者が神を信じるなどという・・これもあり得ないことが起こる。そこに本当のいのちがあるという、あり得ない認識に立つ者になる。これは思想や考えや努力などとはおよそ次元の違う出来事です。

 
 だから・・
 僕はいろいろなことをこのキリスト教談義で書こうとして来たけれどそれは、イエス・キリストは本当によみがえって生きておられる存在なのだと・・この一言に尽きるのだなと思いました。

 内におられるいのちなるキリストによって、神がおられると知り、自分が罪人であると知り、そのために神子を遣わして十字架につけられた父なる神のされたことこそが愛であると知り、さらには自分が無力な人間であることを知り、心の内にある闇も知ることになる。そして癒やし、憎しみからの解放、恐れからの解放、安息を実体験するわけです。さらに、こういう話がわかってしまうという・・それは奇跡だと思います。それはキリストが実在だからこそ起こることだというわけです。

 キリストは実存です。


付記・キリスト教談義は「その11」を書いて、ずいぶん時間が経ってしまいました。「出エジプト記」について長々と書くという流れになっていたのですが、なぜかストップ。でも、今回のようなことを書くと、そのストップの意味がなんとなくわかったような気がします。予告とは全然違う今回のキリスト教談義。これも実存のキリストがなせるわざなのだと思います。
 
<バックナンバー>
11.聖書の目的 2017.5.11
10聖書を読むと何がわかるのか 2017.4.24
9.クリスチャンはどういう風な仕組みの人間か 2017.1.20
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
 
2017.11.21.Tue 09:43 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 もう年末であります。今年はなんだか馬車馬のように、ライブ、コンサートを続けて参りました。そして来年の4月にある角川シネマコンサート。当時の角川の作品群は私にとっても記念碑的な作品でもあります。それを大野雄二オーケストラ、即ちルパンティック6を核として、ホーンセクションとストリングスの考えられる限りの豪華な編成でやるというのです。要は私も参加するわけで、こんなことって・・あるんですね。私は現在67歳です。20代の頃、ミュージシャンの先輩で40歳と言えば、もうベテラン中のベテランで、その上はなかった(笑)。でも今は私より10も上で、まだバリバリ活躍しておられる方もたくさん。大野さんもその一人です。いつまでもお元気で活躍していただきたいものです。

 さて、久々の本家 TRIO’・・。年内にもう一度できることになりました。そして年が明けて一月にも。しかし今回も遠出ができず、年末三回、翌年1月に三回の計6回です。関東周辺のみとなりますが、やっていなくても進化しているTRIO’・・確かめに足をお運びいただけたら嬉しい限りです。大野バンド関連で演奏回数が増えることによって、市原は今頃になってもまだまだ新しい気付きが与えられています。それがTRIO’にどのように反映するか・・私自身もちょっと楽しみです。皆様のお越しをお待ちしております。

● TRIO’ 2017.12〜2018.1 ライブツアー pf,福田重男、bass,森泰人、ds,市原康
12/7(木) 横浜 KAMOME live matters
12/9(土) 市川・本八幡 cooljojo jazz+art
12/12(火) 東京・代官山 LEZARD(レザール)
  2018年
1/12(金) 前橋 まちなか音楽館
1/13(土) 熊谷 Jazz & Cafe Space1497
1/14(日) 東京・南青山 Body & Soul

● 大野雄二関連
11/11(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 倉敷市民会館
11/13(月) 大野雄二トリオ/Let’s Fall In Jazz リリース記念 横浜 モーションブルー
11/16(木) 大野雄二トリオ 鎌倉 ダフネ
11/17(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   11/19(日) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 坂東市民音楽ホール
   11/23(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
   12/3(日) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
   12/21(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水 NARU
12/22(金) 大野雄二トリオ 東京新宿 ジャズスポット”J”
   12/26(火) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 大阪 新歌舞伎座
12/27(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 名古屋 ブルーノート

● その他
11/3(金) 市原康トリオ 森のジャズ祭 石神井松の風文化公園 出演時間は15:40-16:10
11/4(土) 古野光昭トリオ 蕨 アワーデライト
11/10(金) 直居隆雄トリオ 沼袋 オルガンジャズ倶楽部
11/12(日) 白根真理子ライブ 横浜 カモメ
11/24(金) 金城組 六本木 サテンドール(場所をご確認ください)
12/8(金) 金城寛文5 菊川 な〜じゅ
12/14(木) 萩谷組 六本木 キーストーンクラブ
12/23(土) 国分寺・ジーザスコミュニティー ジャズ&ゴスペルコンサート

● 歌声ペトラ関連
11/21(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
12/5(火) 歌声ペトラ20周年記念 お茶の水クリスチャンセンター 8F チャペル

 ということで、11月12月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・まだ次が出ません。
 このキリスト教談義は今まで11回書きました。もし興味がおありでしたら、ここにその目次を記しておきますので、ご覧ください。
 その1「あんなことした人が、どうしてクリスチャンなの?」2016/4
 その2「熊本地震・・神は何をしているのか。」2016/5
 その3「罪人だと言われると、どうも・・」2016/5
 その4「信じることでしか出会えない神」2016/6
 その5「悪質メール撃退グッズ」2016/7
 その6「イエスのことばが全く理解できなかった人々」2016/9
 その7「助けを求める心」2016/11
 その8「クリスマス・・それは」2016/12
 その9「クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か」2017/1
 その10「聖書を読むと何がわかるのか」2017/4
 その11「聖書の目的」2017/5
 ・・これらは当ブログにて、年月の検索で出てきます。
 
 
 
 
2017.10.22.Sun 00:26 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
大久保明カルテット 9/15(金) 東京・自由が丘 マルディグラ

g,大久保明、ts,小池修、bass,伊藤昌明、ds,市原康 という、スタジオミュージシャン系のメンバーというのでしょうか。もちろん小池修はスタジオ以外でも実力ナンバーワンの天才バカボン的・・何と言ったらいいのか。来場者にミュージシャンたちが異常に多いのが特徴。一度お立ち寄りいただけましたらこの上ない喜び・・。
2017.08.26.Sat 11:22 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 9-10月というと、もう秋ですが、今はまだとんでもない異常気象の中、暑さと雨に翻弄されている毎日です。昔はこんな異常な雨が局地的に降ることが「日常的」にあったなどという記憶は全くないのですが、それが気象予報の精度が以前よりも増したからなのか、本当にこんなに局所的に異常な雨が降ることが今起こり始めたのか・・。そうだとしたら何か地球規模の大きな変化の予兆で、そんなことをぼ〜っと見ていながら、あれよあれよという間にとんでもなく荒れ狂った地球の中で生き延びなければならなくなっているということも、あり得ないことではないような気がします。
 「この天地は滅び去ります」「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだ」「洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。」(マタイの福音書24章 35-38の中からの抜粋) ・・こんな聖書のことばが10年前より遥かにリアルに感じるのは私だけでしょうか。
 それでも尚、私たちは毎日をしっかり、誠実に生きることが求められています。でも何に対して誠実なの?と問われたとき・・ちょっとしたことで揺れ動くような人の意思や良心や単なる思想とかに対する誠実かと問えば、それは大概空しい結果になることは透けて見えてくる。誠実という言葉を思うのであれば、それは不動のものに対してでなかったら、たぶん言葉自体に意味がなくなるのではないでしょうか。わたくし的には、天地万物を造られ、最初から最後までの計画をしっかり聖書に表し、ご自身の愛を人に知らしめた神という存在しか不動の存在などというものは思い当たりません。では答えが神に対する誠実なのだとして・・、果たして私たちにはそんなことをする力があるのだろうかと考えると、そんな力はどこにもないよ・・となる。じゃあダメじゃん! ・・ところがそれには答えがあった。これって、すごいパズルだなといつも思うんです。聖書はそのことを明確に書いている。私はそれを見たもんで、こんな一介のドラマーでありながらも、神だのキリストだの聖書だのと、、うるさがられるのはわかっていながら、いろいろな形で皆さんにことばを投げ続けているわけです。

 さて、9-10月のライブですが・・、大野雄二関連が多くを占めます。

大野雄二関連
  9/9(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 飯能市市民会館
  9/17(日) 大野雄二トリオ 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」
  9/21(木) 大野雄二トリオ 東京お茶の水「NARU」
  9/23(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans
    富士急ハイランド コニファーフォレスト オーガスタキャンプ2017 スペシャルゲスト
  9/29(金) 大野雄二トリオ 東京新宿「ジャズスポット”J”」
  9/30(土) 大野雄二トリオ 前橋市民会館
  10/4(水) 大野雄二トリオ 名古屋 jazz in LOVELY 2days
  10/5(木) 大野雄二トリオ 名古屋 jazz in LOVELY 2days
  10/7(土) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 浦安市文化会館
  10/8(日) 大野雄二トリオ 東京お茶の水「NARU」
  10/9(月) Yuji Ohno & Lupintic Six with Fujikochans 室蘭市文化センター
  10/12(木) 大野雄二トリオ 大阪 Mr.Kelly’s 2days
  10/13(金) 大野雄二トリオ 大阪 Mr.Kelly’s 2days
  10/15(日) 大野雄二トリオ 調布・柴崎 さくらんぼ
  10/19(木) 大野雄二トリオ 東京新宿「ジャズスポット”J”」
  10/22(日) Yuji Ohno & Lupintic Six なかのゼロ大ホール
  10/28(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 佐賀市立東与賀文化ホール
  10/29(日) Yuji Ohno & Lupintic Six 佐賀県鹿島市民会館

岩渕まこと デビュー40周年記念ライブ 9/8(金) 東京新宿・曙橋 BACK IN TOWN

大久保明カルテット 9/15(金) 東京・自由が丘 マルディグラ 9/15(金)

菊池ひみこ/DOUBLE QUARTET ALVE 9/28(木) 東京・目黒 ブルースアレイジャパン

歌声ペトラ関連
  9/2(土) 歌声ペトラ in 古河 10周年スペシャル 茨城県・古河キリスト教会
  9/26(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール
  10/24(火) 歌声ペトラ お茶の水クリスチャンセンター B1 アイリーンホール

 そして、10/18(水)〜22(日) の5日間、市原がはじめから参加させていただいている黒鯛プロデュースの芝居の第15回公演があるのですが、無念なことに、スケジュールが合わなくて欠席。ただ、10/20(金)だけ「ちょい出」します。そのためだけでもかまいません(笑)。。来てください。毎年のごとくライトコメディー。今回は黒鯛版「恋の骨折り損」・・なんかおもしろそう。東京池袋 シアターグリーンです。

 ということで、9月10月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」・・続きを書きますと意気込んでおりましたが、何も出てこない(笑)。 こればっかりは、知識をまとめたから出てくるというたぐいのものではないので、しばらく忘れててください。第1回から11回までを読み直していただいてもおもしろいかもしれません。次回、いつになるかわかりませんが、お楽しみに。
 
 
 
  
2017.08.09.Wed 14:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
告知当初の情報に、8/30(水) 東京六本木・ビルボードライブ東京・・Yuji Ohno & Lupintic Six が抜けていました。不手際をお詫びいたします。

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 6月のTRIO’、2017ライブツアーvol.1と銘打って全行程を終えることができましたが、今年はどうもvol.2は無理のようです。また来年・・。お目にかかりましょう。今年は聴きに来てくださった方々の声から、今までとはまたひと味違うTRIO’を感じ取っていただけたという感触を得ました。三人それぞれの音楽性が変わったと言うことよりも、その関係が変わったと言うことなのだと思います。そういう意味ではドラムは要のところにいる楽器です。簡単に言ってしまえば、音楽を壊すのも建て上げるのもドラム次第だという・・。他の二人がどんなに優れた演奏家でも、ドラムがその邪魔をすればその音楽が崩壊する。そういう意味では、この13年間のTRIO’の変遷は市原の変遷と言っても良いのかもしれません。試行錯誤の中でドラムのいるべき位置を今も探し続けて、その都度、ああここまで来れたと思う・・。でもいつもまだ先があることを知らさせる。自分に与えられているものが本当に生かされるためには、それを神に捧げてしまうことが必須なのだなと思わされています。神に捧げるなど、大それた表現ですが、それは自分と神と、どちらに期待をかけているのかという単純な話であって、常識ではあり得ないことですが、「神に期待する」・・それが市原が立とうとしている位置です。

 話はルパンになりますが・・、6/21にYuji Ohno & Lupintic Sixの3枚目のアルバムが発売になりました。Lupintic Six に加えて、Fujikochansや豪華な管弦打のフレンズを迎えての「RED ROSES FOR THE KILLER」。ご期待を。。。市原もライブなどで持って歩いていますので、お求めください。

 RRFK LP6-ss

 リリースインタビューはこちら。
 http://realsound.jp/2017/06/post-85016.html


 同時に先日ルパン40周年のライブの模様を使用してのプロモーションビデオが YouTube で公開されています。こちらからどうぞ・・
 https://youtu.be/MrkJUy381wE


7-8月も市原にしては結構忙しいです。ジャンル別にご紹介しますと・・。

● TRIO’ 関連・・今年はこれにて打ち止めとなりそうです。

● 大野雄二 & LUPINTIC SIX / 大野雄二トリオ
  7/6(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 札幌・わくわくホリデーホール
  7/7(金) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 旭川・市民文化会館
  7/8(土) Yuji Ohno & Lupintic Six 北海道ツアー 北見・市民会館
  7/16(日) 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」・・トリオ
  7/20(木) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  7/27(木) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  8/3(木) 大阪・ビルボードライブ大阪・・Lupintic Six
  8/11(金) 足利・市民プラザホール・・トリオ
  8/12(土) 桶川・市民ホール・・トリオ
  8/16(水) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  8/25(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  8/26(土) 東京柴崎「さくらんぼ」・・トリオ
  8/27(日) 福島・棚倉町文化センター・・Lupintic Six
  8/30(水) 東京六本木・ビルボードライブ東京・・Lupintic Six
  8/31(木) 名古屋・金山/日本特殊陶業市民会館フォレストホール・・Lupintic Six

● 菊池ひみこトリオ 7/4(火) 中目黒・樂屋(ラクヤ)
● 直居隆雄トリオ 7/14(金) 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部
● まきみちる & タイムファイブ 2days
  7/21(金) 東京・芝 ザ・プリンスタワー東京 メロディーライン
  7/22(土) 東京・芝 ザ・プリンスタワー東京 メロディーライン
● 歌声ペトラ 7/25(火),8/22(火) 普段着の賛美歌を歌う会。市原は司会とソングリードで、ドラムの演奏はありません。
● 金城寬文5 8/4(金) 東京・菊川 な〜じゅ
● 塚山エリコ オルガン4 8/17(木) 東京・沼袋 オルガンジャズ倶楽部
● JAZZ & Gospel コンサート 8/19(土) ジーザスコミュニティ国分寺

 ということで、7月8月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」第11回【 聖書の目的 】を5/11付けでアップしています。一般的に受け止められている聖書のイメージとは、かなり違うと思います。
 
 
2017.06.24.Sat 11:13 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
   1705談義2-1
 
 これを読まれる方は、キリスト教談義10「聖書を読むと何が分かるのか・・」を先ず読まれることをおすすめします。今回の「聖書の目的」は、その付記です。
 
聖書は色々な読まれ方、取り扱い方をされてきました。道徳の書だったり、歴史の書だったり、また世界一のベストセラーということで博識、教養のために読まれたり、、。
私は前回、聖書に馴染みのない方々のためにと、少し長い文章を書きました。この文章には、私には当たり前のことですが、読まれる皆さんには必ずしもそうではないひとつのポイントがあります。それは神を認めるという基本的な立場です。聖書の全体を見渡せばわかることですが、聖書とは天地創造の初めから終わりまでの、神の計画が記されている書物です。ですから、神を認めるというところに立たなければ、聖書のことばはほとんど意味を持たなくなってしまいます。私は、聖書の本質は「神のことば」だと言って良いと思っています。勿論聖書は人が書いたものですから、その中には人の思いで書かれている部分もありますが、全体を見れば、それは圧倒的に神のことばです。
 
いくら熱心に聖書を読んでも、ことばがまったく頭に入ってこないということが往々にしてあります。あなたがもし、聖書のことばを神のことばとして認めていなかったら、聖書とは何の接点も持てないと思います。そのような場合におすすめしたいことがあります。それは聖書のはじめのことば、「初めに、神が天と地を創造した。」を、先ずはそのまま受け止めて読み始めるということです。神「が」、天と地を「創造した」・・と。そのとき、神の天地創造という壮大な空間と時間の流れの中で、「神の言葉」を聞くということの意味を垣間見ることができるかもしれません。
 
聖書にはその全体を通して示しているひとつの存在があります。それはイエス・キリストです。旧約聖書の中には、やがて来たるべき王=メシヤ(救い主)に関する預言が星のように散りばめられています。そのメシヤが実はイエス・キリストだったのだというところに立った瞬間に、聖書が創世記から黙示録まで一本の太い線でつながります。聖書は「神のみ子イエス・キリスト」について書かれた書物なのです。そこを外すと不毛な論争や議論になったり、聖書が単なる道徳や歴史の本といった、多くの書籍の中の一冊にしか過ぎない、ありふれた存在になってしまいます。
 
聖書は神の霊感を受けて書かれたものだと、聖書の中に書かれています。(新約聖書 テモテへの手紙 第二 3章15-17節 参照) それは、聖書は神が書かせたものである、という意味に他なりません。そしてその目的は何かと言えば、神が人々にご自分のみ子「イエス・キリスト」を知らしめ、そのみ子を通して人々をご自身のもとに帰らせることです。そのために聖書がこの世に置かれているのです。それが達成されれば聖書はその役割を果たしたことになります。また達成されていないのなら、その目的のために今も聖書は人の前に置かれているわけです。これが聖書の目的であり、それは即ち「神の目的」だということになります。
 
次回の「キリスト教談義/その12」は出エジプト。映画でも海が開けるシーンでおなじみだと思います。奴隷となってしまったイスラエルの民をエジプトからの解放に導くモーセの話・・。ここに実は、世の初めから終わりまでの、神の計画の全体を凝縮したひな形があります。結局次回も「その10/聖書を読むと何がわかるのか・・」の続きとなりそうです。
  
  
<バックナンバー>
10聖書を読むと何がわかるのか 2017.4.24
9.クリスチャンはどういう風な仕組みの人間か 2017.1.20
8.クリスマス・・それは 2016.12.30
7.助けを求める心 2016.11.12
6.イエスの言葉が全く理解できなかった人々 2016.9.8
5.悪質メール撃退グッズ 2016.7.25
4.信じることでしか出会えない神 2016.6028
3.罪人だと言われるとどうも・・ 2016.5.31
2.熊本地震・・神は何をしているのか 2016.5.2
1.あんな人が、どうしてクリスチャンなの? 2016.4.2
2017.05.11.Thu 23:57 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  
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 あっという間に5月。5〜6月は市原としては超多忙な演奏月間となっています。2ヶ月で26箇所というのはどうなんでしょう。ひとつひとつをしっかり丁寧にこなしていけたらと思っております。こんなに多いのは、大野雄二/ルパンに加えて、いよいよ始まります。TRIO’ 2017 ライブツアーvo.1。11回公演。その他も含め、二日に一回に近いペースでやることになります。忙しいジャズミュージシャンは月の内ほとんど毎日やっている人もいますが、私などは、からだのことを考えますと、ちょっとあり得ない・・。取り敢えず、この二ヶ月を元気いっぱい乗り越えたいと思っています。TRIO’は久しぶりで、今回は又々どんな音になりますか、、私自身が楽しみにしています。どうぞみなさまも期待してお越しいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 グループ別にライブをご紹介します。

● TRIO’ 2017 ライブツアー vo.1
  5/30(火) 名古屋・ミスターケニーズ 
  5/31(水) 浜松・ポルテシアター 
  6/1(木) 安城・花むすび 
  6/2(金) 静岡・ライフタイム 
  6/3(土) 東京浜松町・サンミケーレ 開成ライブ/ゲスト・市原ひかり 
  6/6(火) 横浜・KAMOME 
  6/8(木) 長岡・クックテールくぼた 
  6/9(金) 軽井沢・ならの木 
  6/10(土) 東京・LEZARD
  6/15(木) 高崎・ケイノート 
  6/17(土) 足利・Soba & Cafe 手打ちそば 伊とう
 合間の6/16(金)には、堀内実智代さんvo.のCD発売記念ライブを富岡ブルーベリーで行います。ピアノが山口泰一郎、ベースが森泰人です。市原康はスペシャルゲストだそうです。穴があったら入っちゃうかも知れません。(笑)

● 大野雄二トリオ/YUJI OHNO & LUPINTIC SIX
  5/6(土) 鎌倉「ジャズクラブ ダフネ」・・トリオ
  5/14(日) 東京鶯谷「キネマ倶楽部」ルパン三世のテーマ・誕生40周年記念 コンサート
       ・・Lupintic Six 完売
  5/20(土) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  5/25(木) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ
  5/27(土) 豊中市文化芸術センター・・Lupintic Six
  6/4(日) 長野市芸術館・・Lupintic Six
  6/18(日) 東京お茶の水「NARU」・・トリオ
  6/24(土) 八王子市芸術文化会館・・Lupintic Six
  6/25(日) 東京柴崎「さくらんぼ」
  6/30(金) 東京新宿「ジャズスポット”J”」・・トリオ

● 金城寛文クインテット 5/12(金) 東京菊川「な〜じゅ」
● 突撃おたま苦楽部 CDリリース1周年記念ライブ 5/21(日) 穂の国とよはし芸術劇場
● 歌声ペトラ 5/23(火),6/20(火) 普段着の賛美歌を歌う会。市原は司会とソングリードで、ドラムの演奏はありません。 

 ということで、5月6月もどうぞよろしくお願いいたします。
 ライブの詳細は http://i-produce.net 「ライブ」からご覧下さい。

 「ドラマー市原康のキリスト教談義」第10回【 聖書を読むと何が分かるのか・・】を4月24日付で当ブログにアップしました。あなたの想像している聖書とは、かなり違うと思います。
 
 
2017.04.29.Sat 17:21 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
1704談義1


 聖書に関する知識は、みなさん多少ともおありになるのではないかと思います。私は40年近く聖書を読み続けていますが、ここに書かれている神について、人について、神の愛について、神のご計画というものについて、読めば読むほどその概要がしっかりはっきり見えてくるようになりました。1600年にもわたって書かれた66巻の聖書の著者は、師弟関係でもないのに、そこに貫かれている一本の太い線は、1ミリたりともぶれることはないということが、ますます見えるようになってきました。そんなことがあり得るのは、この聖書を書かせたのが人の伝承や知恵によるのではなく、ただおひとりの神というプロデューサーが書かせたからに他ならないということを思わされます。「神を信じるなんて、あり得ない!」というあなたにこれを贈りたいと思います。


■ 聖書には何が書かれているのか 

1. 世の初めから終わりまでのストーリー
 聖書の冒頭、創世記1章1節には私たちの「当たり前」を根底からひっくり返すことばが書かれています。それは・・「神が天地万物を創られた」、ということです。しかも「初めに」です。そして天地創造の始めから終わりまで、そこには神の計画があるというのです。始めるのも終わらせるのも神ということです。「終わりの時」には地も天もあとかたもなくなり、死んだすべての者を神はよみがえらせて、いのちの書に従ってその行いに応じてさばかれる。そしてご自身のもとに帰った者たちのために、「彼らの目の涙をすっかぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。何故なら以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」・・という新天新地を実現されるというのです。「始め」から「終わり」まで、聖書にはかなり具体的なストーリーが書き記されています。

2. 旧約聖書のメシヤ預言
 旧約聖書には、メシヤ(救世主)のことが、創世記から最後の預言書までの中に絶えず出てきます。預言は後半にある16の預言書の中だけではなく、最初の五つのモーセ五書や詩篇やそのほかの書物の中にも記されています。預言とは未来を言い当てる「予言」のことではなく、神から預かって民に伝えられることば「預言」です。ですから預言にはその当時のこと、主に民の悔い改めを促す預言や、そのために起こるであろう近未来の出来事、それからイスラエル民族の将来の歩み・・民族の崩壊、離散のことなど、そして来るべきメシヤ=救世主のことなど、様々な預言があります。それらはみな、神と民との関係を健全なものへと導くためでした。メシヤに関しては、誕生、また受難(十字架)、その後の復活、そして世の終わりが近づいた時の大艱難、裁き、メシヤが再び来られる時、新天新地のことなどが旧約聖書全体に散りばめるようにして出てきます。しかし厄介なことに、これらのことが時間軸に沿って書かれていれば良いのですが、イスラエル滅亡の時代の事と終わりの時のこととが入り混じって出てきたり、ひとつの記事がその両方を意味していたりするのです。だから解説なしにいきなり旧約聖書を読んでも、分かりにくいところが多いと思います。

3. 今の時のために与えられている預言
 そしてこのメシヤこそイエス・キリストであると証言しているのが新約聖書です。イエス・キリストの降臨は、旧約聖書のモーセ五書や預言書に書かれている通りに実現しました。たとえば十字架の様子が克明に記されているイザヤ書 (53章など)はイエス・キリスト降誕の700年も前に書かれたものです。鎌倉時代に今のことを書いた書物があって、それが目の前で起こったという状況です。ところがイエス様が公生涯を送られた当時のユダヤ人、またその教職者たちの多くは、目の前に現れたイエス様が預言書に書かれているメシヤだとは思いませんでした。こんなにはっきり書いてあるのに・・です。そして聖書には「終わりの時」のこともはっきり書かれています。しかも今より2000年前に、あるいは3000年前に・・。私たちはそれをどのように受け止めるのでしょうか。

4. 特別な民イスラエル
 この全体のストーリーのために神は一つの民族を立て、特別な配慮の中で守られ導かれてきました。しかしそれにもかかわらず、彼らは神に背を向けて自分たちの手で作った偶像を拝むようになり、神の怒りを招き、そこで初めて悔い改めて神の赦しを頂く。そしてようやく平安と繁栄を回復したと思ったら、また背信の罪を犯す。これを何度も何度も・・どうしてそこまで繰り返せるのかというほど繰り返し、最後にはとうとう世界中にちりぢりばらばらに散らされてしまうのです。これが今も世界が注目するイスラエルの民です。本来12部族あったのですが、10部族は失われ、ユダ族・ベニヤミン族の末裔がユダヤ人として残ったのです。しかしこのことも神のご計画には織り込み済みで、しかもそれが地上のすべての民族を救うために与えられている一つのステップであると、聖書には記されているのです。


■ 神と人との関係を聖書はどのように説明しているのか

1. エデンの園の出来事 
 聖書はまず最初に、天地万物は神が造られたと宣言し、「神にあって歩む」という特別な存在として人を造られたことが記されています。ところが人の歴史が始まった途端、最初の人は神の言葉を疑うように悪魔にそそのかされ、その言葉を真に受け、神から離れて自分の考えで歩もうとするようになります。人は食べることを禁じられていた「善悪の知識の実」を食べた・・即ち善悪の知識を自分の管轄下に置くことに決めて、神に背いたのです。そしてその結果どうなったかというのが、あのエデンの園を追放されたアダムの話です。それ以来、人は善悪の判断を自分の感覚で行ない、神という存在を自分の外に置くようになってしまった・・。言い換えると「神が言われることを聞きたくない人。自分を造られた神を認めたくない人」になってしまったのです。それがエデンの園を追放されたアダムとその子孫、すなわちすべての人の姿です。エデンの園は、神にあって生きる者のために備えられたところなのに、人はそこで生きる資格を失ってしまったというわけです。さらにそこから人に「死」が入ったのだと書かれています。これも驚くべきことです。本来死はなかったの?という話です。確かにこの出来事の後に「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。」と、ここで初めて土に帰る者となったことが書かれています。すなわち、死が人に入ったのだと聖書は言っているわけです。
ということは、あのエデンの園で神にあって歩んでいたそのことは、実はいのちそのものなのだということを暗示しているとも言えるわけです。

2. 神のあわれみ
人はエデンの園から追放されてしまいました。そして人と神との関係が前とは変わってしまいました。それ以来人は、生きてはいるけど「まことのいのち」からは離れてしまった・・。ところがそんなアダムと妻エバのために、神は皮の衣を作って着せて下さったと書かれています。神は、アダムとエバをエデンの園から追放したものの、彼らをお見捨てになったわけではありませんでした。結局人と神との関係はどういう風になったかというと、人は神を認めずに自分の考えで歩みたいという性質を帯びながらも、神のあわれみの中で生かされる者としてその歩みを始めたということになります。これが神と人との関係の基本的な「型」で、これが神の決められたストーリーの始まりだというわけです。

3. 罪びと
 こうして人は神に背を向けてしまう罪びと、そして死を背負って歩む者として、その歩みを始めるのです。神が人を造られたのなら、神を認めようとしないのは神に対する一番の大きな罪です。そしてそこには、神の御心ではなく、感情を土台とした自分の考えに従う行動があります。人は罪を犯したから罪びとと言われるのではなくて、神から離れ、自分の考えに従って歩む罪びとだから、結局罪を犯すのです。これを証明するような出来事が次から次へと起こってきたことを聖書は記しています。アダムは罪びとの元祖というわけです。早速アダムの子カインは、弟アベルを殺します。しかも嫉妬というささいな理由で・・。これが、自分の感情の方を人の命よりも上に置いてしまうという、罪びとのあわれな姿です。 

 あの有名なバベルの塔の話は、人が天に届く塔を作って名をあげてやろうという、自分の栄光をどこまでも求める人間の話です。そこにある神不在の高慢。その高慢の極みのゆえに神の怒りを買い、互いのことばが分からなくなり、人々が地の全面に散らされてしまったという出来事です。現在サウジアラビア・ジェッダで1km超えの高層ビルの建設が始まっています。それと競うようにしてドバイでは、完成するまで高さを発表しないというビルが建設される予定だそうです。人が神から離れて求めるものは、今もバベルの塔の時代もなんら変わらない、自分の栄光です。これも罪びとの本質を象徴している出来事なのではないでしょうか。互いに話していることが通じなくなる時代・・。なんだか他人事のようには思えません。
 神がおられるなら栄光は神に帰すべきもので、崇められるべきは人ではなく、神なのです。「神」と「人」との関係・・それを一言で言えば「まことの神」と「罪びと」です。しかも、神のあわれみと愛と導きの中で生かされている「罪びと」です。


■ 神の最終目的は何なのか

1. 救出
 創世記の6章にはあの有名なノアの箱舟の話が出て来ます。神は人々の余りの悪さのゆえに、主の心にかなっていたノアとその家族だけを選び、箱舟を造らせ、ひとつがいの動物たちと共に箱舟の中に避難させます。そして神は地球規模の洪水を起こし、箱舟に入っているノアとその家族だけを救い出し、新しい歩みをはじめさせたという出来事です。ここを読むと、当時の人の世界はそれほどに、神の聖さからはほど遠い社会になっていたということが推察出来ます。罪にまみれた世界の、神によるリセットです。そこは堕落と暴虐の満ちた世界だったと書いてあります。そしてそこに生きる人々の中から、神に目を向ける者を救い出されるという・・、これは「終わりの時」を表すひとつの型です。

 聖書は人を「自分の罪の中に死んでいる者」と表現しています。またこの世についても、サタンが空中の権威を持つ支配者として存在することを神は許しておられると。そしてその霊的な力の流れの中で人々は歩んでいて、そのことにまったく気付いていないのだと言っています。そしてそこからの救いの計画・・それが聖書の大きなテーマです。(聖書・エペソ人への手紙 6章 11-12節参照) 

 黙示録には、終わりの時のことが書かれています。そしてそれは旧約聖書のエゼキエル書、ダニエル書、ゼカリヤ書その他にも書かれており、またイエス様も実に多くの箇所でそのことに言及しています。イエス様が語られた「神の国」のくだりは、ほとんどがこの事と関連しています。そして驚くべき事に、この話が各書物それぞれ、書かれた時代が異なっているのに一貫しているのです。

2. サタンの正体
 さて、なぜ神はサタンという存在を許しておられるのか・・という疑問が出てきます。エデンの園にサタンがいなければ、人は神の楽園の中で永遠に喜びの中で生きられたのに・・。神は何故、悲しみと苦しみの時代を作られ、何千年もサタンという存在が関与するこの世の歴史を用意され、そして最後にふるいにかけて、選ばれた人に新天新地を用意されるというようなことをなさるのでしょうか。
今の世はサタンの思惑通りに、人は神から離れ、罪の中で苦しみ、そしてついには死という報酬が定められている・・。そんな状態が人の歴史を通してず~っと続いているわけです。

神に仕える「天使」とか「御使い」とか言われる存在が聖書には出てきます。イエス様をみごもるはずのマリヤに現れて祝福を告げる御使いガブリエルはその代表です。聖書は天使の存在を随所で語っています。そしてもうひとつ。神に仕え、神をほめたたえるのがその大きな役割であるはずの天使が、神の栄光ではなく自らの栄光を求める者へと姿を変えてしまった存在。即ち、神が崇められることをきらい、人が神と共にあって神を喜び、神を崇め、まことのいのちの中に生きるようになることを最もいやがる存在。そして人の世を支配し、人の心の目をくらまし、神が見えないように策の限りを尽くし、罪と死と恐れの中に人を閉じ込め、互いに憎み合い殺し合うようにし、さらには人々が自分を崇めるようにする・・、これが究極の目的であるという霊的な存在。そのような存在が実際にあって、聖書ではそれをサタンとか悪魔とかいう言葉で表現しています。そしてこのサタンはこの世の最後の時まであがき続け、そして最後には火の池に投げ込まれて永遠に苦しみを受けると書かれています。

3. 人の尊厳
 どうして神はこんなストーリーを作られたのか・・。その答えは聖書には書いてありません。神はこういう状態の中から人々を救い出し、まことのいのちである神のところに帰らせる・・というところまでしか書かれていないのです。
 そこで私の頭に浮かぶのはこんなことです。もしサタンがいなくて、人がエデンの園で増え広がったとしたら・・。神は人に、ひとつだけ生きるための条件を教えました。人は善悪の知識の木の実さえ食べなければ神と共に生きる者でいられたのです。平安の中で、永遠に・・です。私は、犬のあの表情を変えない幸せ感というか・・あれが大好きです。自分が与えられた環境を素直に受け入れ、とにかく主人を喜ぶ。人がいつもこのようでいられたら、かなり幸せなんじゃないかと思います。エデンの園のことを思い浮かべると、私はそんなアダムの幸せな姿が目に浮かんできてしまいます。
 ところで、神はそういう幸せの中に人を置くことだけを目的としてアダムを作られたのでしょうか。聖書には、神は人を「ご自身のかたちとして創造された」と書いてあります。動物とは基本的に違うもの、神のかたちに作られたと書かれています。神は人を、ただ素直に喜びすべてを受け入れる生活を続ける者というだけでなく・・実はそれも難しいことなのですが、さらにそれ以上の、意志と尊厳を持ち、創造的な活動をする存在として、そして何よりも神を知るべき者として人を作られたのではないでしょうか。

4. 神のご計画の骨子
ここでもう一度、神のご計画の始めから終わりまでをざっと見てみますと・・。神が天地万物を造り、人にエデンの園という、神と共に生きる理想郷を与えたあと、アダムはエデンから追放され、皮の衣を与えられた。後に人は増え広がり、神は「わたしが神である」と、アブラハムに始まりイスラエルの民に、ずっと言い続けて来られました。それにもかかわらず、彼らは神を受け入れきれず、結局警告されていた通りの呪いを受け取り、外国に攻め込まれて捕囚の身となり、最後には世界中にちりぢりばらばらになるという道を選択してしまいます。それと重なるようにして、神はメシヤ=御子イエス・キリストを世に送られ、「選民」イスラエルだけではなく「すべての国民、民族」の救いの用意をされた・・。それからイエス・キリストによる救いが全世界に宣べ伝えられ、現在に至っている・・。ただし、キリストによる救いの知らせが世界中に宣べ伝えられたと言っても、この世がサタンの支配から解放されたということではありません。救いとは、罪と死とこの世を支配するサタンからの個人的な解放、そして帰れなくなっていた父なる神のみもとに戻ることです。それはイエス・キリストによって実現しました。しかし、神のご計画にはまだこのあと、後半があります。
 1948年、突然イスラエルが国として復活しました。そしてこのイスラエルに位置するハルマゲドンが、悪魔が捕らえられ底知れぬところに投げ込まれるという出来事の舞台になると、黙示録にあります。(20:2-3) 神は最後の段取りまで、特に終わりの時の様子を克明に示されています。その舞台である「イスラエル」が1948年に突然現れたわけです。が、まだ神殿が現れていません。あのエルサレムの神殿跡の金色の岩のドームと言われているところが本来の神殿があるべき場所です。現在のドームはイスラムの礼拝場です。ここに神殿が再建されること、そこに「荒らす憎むべき者」が立ち、自らの偶像をそこに据え、神殿を汚すという出来事が起こると書いてあります。またその前後に起こる大艱難のこと、またイエス様を信じる者が空中に引き上げられること、過去の死者がよみがえること、最後の天地の滅びの前に出現する千年王国のことなど・・。目まぐるしいほどの出来事が預言を通して語られています。この一見とりとめもないことが、過去の預言書や新約聖書のイエス様のことば、そして黙示録に出てくるのですが、そのすべてが矛盾なく読めるというのです。そしてこの最後の舞台に再びやって来られるのがイエス・キリストです。最終的には選ばれた民のために、今の天と地とは消え失せ、天のエルサレムが用意される・・というのです。

5. 神の恵み
 こうして見てくると、神は尊厳を持つ者として造られた「人」を、サタンが支配する過酷なこの世に置き、その中から神の国にふさわしい者を選び出すという流れが見えてきます。
神の国にふさわしい者?・・私なんかは絶対ダメだ、というのが普通の反応かも知れません。でもイエス・キリストは、そのふさわしくない者が神の国に入るために来られたというのです。大体ふさわしい者など、初めからひとりもいないと聖書は言っています。そのような私たちがただイエス・キリストを救い主と信じるということだけで、ふさわしくない者がふさわしい者になるというのです。神のなさることは人知をはるかに超えています。ふさわしくない者がふさわしい者として取り扱われるのです。そんなこと、この世の社会ではあり得ないことです。でも実は、神の恵みと愛を理解するポイントが、そして「愛し、許す者」と変えられるポイントがここにあるのです。

6. 狭い門
 イエス・キリストを救い主として信じる・・また、神を神として認める・・。これは、罪びとが最も不得意とするところです。では、この世の人々が神を認めるとしたら、それはどういう時なのでしょうか。聖書にこんなことばがあります。
 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。・・詩篇51篇17節 
 心砕かれた者・・。これが神の側に立ち返る者となるための「私たちの側の条件」のようです。イエス様は次のように言われました。
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。・・マタイによる福音書 7章13節

狭い門から入りなさいと言われています。狭いというのは入りにくいという意味です。神を認めるというのは、罪びとにとってはとてもやりにくいことです。求められているのはいとも簡単なことで、ただ鍵をそのまま受け取るということだけです。ところがそれだけは絶対にやりたくないと思う・・。その裏には、自分が神の前になにか差し出すことのできるものを持っているという思いがあるわけです。実態は何物も持ち得ない者であって、全てをただ神の恵みによっていただいている者であることに全く気づいていない・・これが罪びとの姿です。
プライドという言葉が思い浮かびます。「プライド」には何の根拠もないのです。このところ、「日本人としてのプライド」という言葉を頻繁に聞くようになりました。「あの時代」に持っていた日本人のプライドを取り戻そうという動きです。そして世界は戦争へと向かっている。プライド・・、それは自尊心であり、それにつながることばに国益という言葉があります。それは最終的に自分が生き残るという道を選択させるものです。自尊心とはもともと悪い言葉ではないと思います。本当の自尊心は「神に愛されている者」として自分を理解するところに健全な自尊心があると思うのです。神に愛されているという認識から来る自尊心ならば、他の人もすべて神に愛されている者であるというところに立つことができるからです。しかしプライドというものは自己を支えるものではあっても、他者が喜ぶようなものではないということは、少し冷静になればわかるのではないでしょうか。
 広い門とはこのプライドを残した門であって、その行く先は「戦い」であって、イエス様はそれを「滅びに至る門」だと言われているわけです。しかも、そこから入る者が多いとイエス様は言われました。プライドとはすなわち、神を認めない心なのです。

 上記の詩篇では、砕かれた、悔いた心こそ、神が認めてくださるものだと言っています。悔いるということは、自分に何か残念なことがあったということです。自分に残念なことがあって、そして心が、プライドが、自尊心が砕かれる・・。ああオレは完全にダメだと思うようなことがあったら、それは光の門への入り口かもしれません。
 もともと罪の支配の中に生きている者は、自分を堅い殻で守り、自分を外から攻め入られないように自分の力で守っているというのが、その姿勢の基本です。ですから勿論、それを自分で打ち破るなどという発想は出てきません。また何かの出来事を通して一度二度、それが砕かれるようなことがあっても、罪びとの殻というのはすぐに蘇生してしまうのです。
 その硬い殻にくさびを打ち込み、ついには完全に打ち砕いてしまったのが、あのイエス・キリストの十字架の姿です。あれは私たち罪びとのためになされたところの、私たちの代わりに完全に砕かれた・・その姿です。そして神は、私たちがそれを自分のものとして受け取ることが出来るようにしてくださったのです。

 狭い門・・、それは神が用意して下さったこの「完全に砕かれた肉と、死からよみがえったいのち」を無償で受け取る勇気を持つこと、と言えるのではないでしょうか。私たちにはそれ以外にこの門を通る資格はどのようにしても得られないのです。それを聖書では「信仰による義」と表現されています。すなわち、行いの報酬としてではなく、ただ信じて、この救いを信仰によって受け取ることによってのみ、義(神の前に正しい者)とされる、と言っているのです。何かやったから正しいということもないし、悪いことをしたから資格がないというのでもありません。これはもともと資格のない者を「正しい」とされる神の驚くべき方法であり、私たちはそれでしか正しいとされるチャンスなど、他にはないということです。それに対して支払われた代価は、神の御子のいのちなのであって、私たちが支払うにはあまりに高価すぎて、なんとかできるようなシロモノではないのです。

7. 神の最終目的
 それは、罪の殻の中でどうにも動きが取れなかった罪びとが、神が遣わされた御子による私たちの身代わりとしてのあがない・・すなわち、十字架の死とよみがえりのいのちそのものを受け取る事で、罪と死から解放されて、まことの父である神の元に帰ること。それがまことのいのちの意味であり、そのいのちにあって、父なる神を霊とまことを持って礼拝し、崇め、喜び、そのいのちに浸り、なんの陰りもない光と喜びの中に生きる人となる・・。これこそが、天の父なる神がお造りになりたい神の国の国民の姿であり、そこから引きずり下ろそうとする悪の力が働く余地の全くない神の国、新しい天と新しい地・・そのことの実現こそが神の最終目的ということになりそうです。そう考えるとこの始めから終わりまでのストーリーは、人がそういう者に変えられるために用意された舞台だったということになるのかも知れません。

イエス様は言われました。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。・・ヨハネの福音書 10章 7節
イエス・キリストご自身がまことの門だと、イエス様がご自分で語られたのです。もう一度書きますが、イエス・キリストという存在自体が「門」で、ここが神のもとへの唯一の入口だということです。
 羊・・それはどこが自分の本当の家なのかが分からなく、暗闇をさまよっている「迷える小羊」のことです。この迷える小羊のために、神がひとり子のいのちを与えてくださった・・。
これが神の愛のストーリーです。そしてこれが聖書全体を通して語られていることなのです。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの福音書 3章16節

それにしても、聖書は霊の目をもって読まなければ何も開けてこない、何も見えてこない、これはやはり神のことばなのだなあと思わされます。そしてもしあなたがそれを読み始めたのなら、そのこと自体が既に神の奇跡の始まりなのだと思います。なぜなら、すべての人は、神のことばを絶対に受け取ろうとしない罪びとなのですから。


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いっちー
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TRIO'のこと、
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・・再開です。
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ドラマー市原康ライブインフォメーション 3-4月号(02/16)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2018.1-2月号(12/29)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その12 【キリストは絵に描いた餅?】(11/21)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2017.11-12月号(10/22)
ライブ情報・追加です 9/15(金)(08/26)
ドラマー市原康 ライブインフォメーション 2017.9-10月号(08/09)
ドラマー市原康 ライブインフォメーション 2017.7-8月号(06/24)
キリスト教談義 その11 【聖書の目的】(05/11)
ドラマー市原康 ライブインフォメーション 2017.5-6月号(04/29)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その10 【 聖書を読むと何が分かるのか・・】(04/24)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 3-4月号(02/24)
ドラマー市原康のキリスト教談義その9 【クリスチャンとはどういう風な仕組みの人間か】(01/20)
ドラマー市原康から、あけましておめでとうございます。(01/02)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その8「クリスマス・・それは」(12/30)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 2017年 1-2月号(12/13)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その7 【 助けを求める心 】(11/12)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 12月号(11/12)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 10-11月号(09/24)
ドラマー市原康のキリスト教談義 その6 【イエスのことばがまったく理解できなかった人々】(09/08)
TRIO' 秋のツアー いよいよ始まります。(09/06)
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