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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています

G-Cafe 聖書のことば #41

【主の祈り その3】

 主の祈りの二つ目の願いは、
「御国が来ますように」です。

 聖書には、メシヤであるキリストは、二回来られると書いてあります。
 一回目は、ベツレヘムで赤子として生まれ、人の子という姿で地上に来られました。すなわち初臨のキリストです。

 そして二回目を再臨と言います。キリストはまだ再臨していません。キリストの再臨は、旧約聖書の多くの箇所や、イエス様のことばや弟子の言葉、そして黙示録に預言されているところの「終わりの時」にあるとされているものです。

 初臨は救いの完成をもたらしたものですが、再臨は救われる者とさばかれる者とをふるい分けるために、天上の御姿をもって再び来られるというものです。

 そしてそのあとに用意されているのが、地上に於ける千年王国という、キリストとその聖徒たちが支配する世の中。さらにそのあとには、今の天地は消え失せ、新天新地「天のエルサレム」が与えられるというのです。

 御国とは、千年王国なのか天のエルサレムなのか、意見が分かれるようです。
 でもイエス様は御国のことをたくさん話されていて、そのほとんどが、この御国に入れる人と入れない人の話なのですが、黙示録によれば、それが確定するのは天地が滅び去った後のことなんですね。
 またマタイの福音書には、御国という言葉が45回も出てくるのですが、その内の32回は「天の御国」なんですね。
 だったら「御国」というのは、地上に実現する千年王国のことではなくて、神のすべての計画の最終の着地点、天のエルサレムだということになります。

 どちらにしても、御国の到来を待ち望むということは、主の再臨を待ち望むことでもあるわけです。
 でも私などは、神と出会う人々がもっと起こされなくてはと思うと、「イエス様、もうちょっと待っていただけませんか」と言いたくなってしまいます。

 しかし今、世界は歴史上見たこともないような事態になっています。それは1%の人間が全世界の富の90%を握っているという、恐るべき「終末的な」状況です。しかもその1%の人間は、自分の富をさらに増やし続けなければいけないという構造の中で、そこから抜け出そうとしているならまだしも、そのために人の命を虫けらのように扱って、金儲けにいそしんでいるという有様です。
 貧困や飢餓や難民・・それらはすべて利権獲得を最優先にして引き起こされた出来事の結果です。
 聖書によれば、こういうことは空中の支配の権威を持つサタンが、罪の性質を持つ人間を、死への恐れでがんじがらめにし、とにかく自分を守るという行動原理の中に閉じ込めた、その結果が形になって現れて来たものだというのです。
 貧困や悲惨の中に生きる人々にとっては、こんな世の中は生きる価値のないところです。

 神は、永遠というスパンの中で「今」を見せてくださり、この世では寄留者で、帰るべき故郷を持つ旅人なのだということを示してくださいました。

"彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。
 ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。
 神が彼らのために都を用意されたのです。"
 ヘブル人への手紙 11章16節

 結局この「御国が来ますように」という祈りは、この暗闇の世にあって、本当の光の世界が約束されているということを覚え、主の再臨を待ち望む祈りなんですね。
 ですから「御国が来ますように」と祈るたびに、私たちは主の再臨の御姿を思うのです。

 次回は三つ目。
「みこころが天で行われるように、
 地でも行われますように。」です。

 God Bless You !
 
 
2020.01.22.Wed 10:28 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #40

【主の祈り その2】

 主の祈りについて、そのひとつひとつを見ていきたいと思います。

 まず冒頭の「天にいます私たちの父よ」に関しては、#38の「祈り/最初の言葉」をご参照ください。

 今回は、主の祈りの6つの願いの一つ目。
「御名が聖なるものとされますように」
についてです。

 今までの多くの聖書では、ここは「御名があがめられますように」となっています。また教会の礼拝では、「御名をあがめさせ給え」と祈っているところもあります。
 しかしこの三つの言い方を見ても、なんとなく分かりにくいのではないでしょうか。

 その意味を一言で言えば、「主なる神が本当に神としてたたえられることを私は願い、それを喜ぶ者です。」という思いを表す祈りです。
 そしてこれがまず、筆頭の願いであるべきだというわけです。

 神をたたえるのは「人々」です。それを望むということは、世の人々が皆、まことの神様を礼拝するようになりますように・・という願いに通じます。
 しかし、この世の人々は神から離れて、神に背を向けて歩もうとしています。そしてその人々の心をしっかり掴んで、神に目を向けさせないようにしているのがサタンで、この世はそのサタンの支配下にあるのだと聖書は言っています。(エペソ2:2)
 そこにイエス・キリストによる救いのみわざが成し遂げられ、今は地の果てまでその救いが届こうとしているわけです。
 要するにそれは、一人一人が神の手の中に取り戻されてきているということです。そしてその一人一人が、神の御名を聖なるものとしてあがめる者となるわけです。

 でもサタンは相変わらず暗躍を続けています。世はまだ神の手に取り戻されてはいません。今まで見てきた神の全体の計画によれば、このサタンが完全に駆逐されるのは、世の終わりの時点なんですね。そして神の手に完全に取り戻される世界が実現するのは、そのあとだというのです。
 そしてこここそが、文句なしに御名が聖なるものとしてあがめられるところであるわけです。

 ですからこの「御名が聖なるものとされますように」という願いは、世の人々の救いに始まり、最終的には完全に神の支配下にある御国を求めるという思いにもつながる、壮大な祈りなんですね。
 またこうしてキリストと共に歩むようになった者に、どのような希望が与えられているのかを、その都度思い起こさせてくれる祈りでもあるわけです。

 次回は主の祈りの二つ目、
「みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」
 です。

 God Bless You !
 
 
2020.01.21.Tue 11:42 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #39

【祈り-3 主の祈り】

"ですから、あなたがたはこう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。
 御名が聖なるものとされますように。
 御国が来ますように。
 みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
 私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』"
新約聖書 マタイの福音書 6章9~13節

 今日の箇所は、イエス様が弟子たちに、「祈る時は、こう祈りなさい」と言われて教えたもので、これを「主の祈り」と言っています。

 しかしここには、賛美も感謝もとりなしの祈りもありません。ならば、祈りはそれだけしていれば良いのかというと、そうではないんですね。この「主の祈り」は、神に求めるべきことについての教えなんです。

 イエス様はこんなことを言われました。

"あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。" ヨハネの福音書 15章7節

 何でも欲しいものを求めていいのだけど、ただし条件は、イエス様ご自身とそのみことばに、しっかりとどまっていることだからね・・と。

 私たちは、何でも求めよと言われると、「あれください、これください」と、自分勝手な思いから、必要なことを求めてしまいがちです。
 この「主の祈り」は、本当に必要なことはここに集約されているのだから、これをいつも求めていなさい。そうすれば本当に必要なものはすべてついてくるのです、といった意味が込められているんですね。
 そしてこれは、同じ6章の最後のみことばへと繋がっているわけです。

"まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。" (マタイ6:33)

 ですから、この「主の祈り」は、神の国と神の義を求める祈りでもあるわけです。
 主の祈りには6つの願いが並んでいますが、前半の三つが、神の国を求める祈り。そして、後半の三つが、神の義を求める祈りなんですね。

 次回からそれを、ひとつずつ見ていきたいと思います。

 祈り・・「神様、祈りを教えてください。アーメン。」

 God Bless You !
 
  
2020.01.20.Mon 08:50 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #38

【祈り-2 最初の言葉と最後の言葉】

"あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。"
新約聖書 ローマ人への手紙 8章15節

 クリスチャンの祈りには、最初に神に対する呼びかけがあって、最後には締めの言葉があります。

 最初の言葉には、いろいろなタイプがありますが、基本は同じです。
 今日の御言葉にあるとおり、私たちは御霊によって「子」とされたことを自覚し、神を「父」と呼びます。
 アバとは、小さい子も使う言葉で「パパ」とか「お父ちゃん」に近いものだそうです。
 ですから祈りの最初の呼びかけの言葉は、昔ながらの「御在天の恵み深い父なる神様」「天の父なる神様」というものから、アバという言葉に相応しく「天の神なるお父さん」と言う人たちもいます。また「神様」だけで始めることもあれば「父よ」とか「主よ」で始めることもあります。英語ではただ「Father」と言って始めるのをよく聞きます。
 どちらにしても、「自分は神を父と呼ぶことが許された者である」という自覚のもとでこの言葉を発するわけです。

 そして祈りの中身があって、最後には次のような締めの言葉があります。
 ・・イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 「イエス・キリストの御名によって」という言葉は・・
 私はあなたの前に出る資格など、もともとない者でしたが、イエス様の十字架のあがないによって罪の赦しをいただきました。それで私はあなたの家に帰る者とされ、子と呼ばれる者となり、あなたを父と呼び、あなたにいつでもなんでも言葉をかける資格をいただいた者です。
・・そのような前提で使う言葉です。

 要するにイエス・キリストの名前で、いつでも神の前に立つ事ができるというわけです。
 オレの名前を言えばいつでも入れるから・・というの、ありますよね。あれです。

 そして最後に「アーメン!」と言います。
 アーメンとは「まことに」という意味で、神の前に「私は本当にそう思って祈っています」という思いを込めて言う言葉です。
 また、その祈りを聞きながら共に祈っている人たちも「私も本当にそう思います」という意味で、一緒に「アーメン!」と、声に出して言います。
 ですから本当にそうだと思えない時には、アーメンと言う必要はありません。

 ということで、イエス様を心にお迎えしていない方は、イエス・キリストの御名によって祈る人には、まだなっていないわけです。
 ですからもし、その方が神様に声を発したいと思うなら、ただ「神様・・」と言って始め、最後はただアーメンと言えば良いのです。
 もし神に背を向けていた人が、神の方に向き直って「神様」と声を発するなら、それは神と天の御使いたちが、心をわくわくさせながら期待をもって、その祈りに耳を傾けている瞬間なんですね。

 このシリーズの中で、祈りの例を最後に書く事がありますが、「イエス・キリストの御名によって」という部分が抜けている事が多いのは、そういうわけです。

 是非あなたを愛し、その懐に迎え入れようとしている、まことの父なる神に声を発してみてください。

 祈り・・「神様、私の思いを聞いてください・・」

 God Bless You !

 次回は「祈り-3 主の祈り」です。
 
 
2020.01.18.Sat 06:19 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #37

【 祈り-1 】

 聖書を読むのは、霊の食物をいただくということですし、祈ることは霊的な呼吸のようなものです。この二つは霊的に成長していく上で、必要不可欠のものです。

 「祈る」というと、神社などでお賽銭を投げてお願い事をする時のようなイメージを持たれるかもしれませんが、クリスチャンの祈りは、そのような祈りとはちょっと違います。
 祈る上で持つべき基本的な概念は、「神の前に立つ」ということです。

 神の前に立ったら先ず、どうするでしょうか。以下はソロモンが神殿を建てた時に神に祈った言葉です。

"ソロモンは、〜イスラエルの全会衆の前でひざまずき、天に向かって両手を伸べ広げて、こう言った。
「イスラエルの神、主よ。天にも地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。〜 "
旧約聖書 歴代誌 第二 6章13~14節

 神は、祈る私たちが、ご自身のことをどのように思っているのか、言葉にして言うのをお聞きになりたいんですね。
 ソロモンは「あなたは約束されたことは必ず果たされる方で、あなたのような神は、天にも地にも、どこを探したっていません。」と、まず自分の神への思いを言い表しています。

 神に祈る時、神はあなたにとってどういうお方なのでしょうか。
 私は、まだ聖書の神を知らない人には、こう祈ったらいいと言っています。「神様、私はあなたのことを知りませんが、もしあなたがまことの神なら、私にそれが分かるようにしてください」と。
 神を知らないのですから、そのことをまず神に申し上げるわけです。
 自分のありのままの心、特に神に対してどのように思って声を出そうとしているのか、それを言い表すことは、神との正しい関係に入る上では、おろそかにできないこと事です。

 クリスチャンは、子が父に願うように、なんでも願う事ができるという特権が与えられています。でもそれは当たり前のことではないわけですね。この特権は、御子イエス・キリストの十字架のあがないがあって初めていただけるものです。これは祈る時に決して忘れてはならないことなんですね。
 神の大きな愛と恵みをまず言い表すことは、神との深い交わりに入ろうとするなら、とても大切なこととなります。

 神への賛美と感謝。それは神の前に出た時の挨拶のようなものです。

 例えば賛美ですと、主よあなたは・・
 天地万物を創造された全能の神。
 その初めから終わりまでをすべ治める方。
 そしてそのすべての支配と権威のかしらなるお方。
 その慈しみと恵みは変わることなく、私たちに対してあくまでも真実なお方。

 感謝と言えば・・
 御前に相応しくない者のために、神は御子を遣わされ、御子は私たちの罪のあがないのそなえものとなるために、十字架の刑という、激しい苦しみを負われて救いの手続きを完了してくださった。そしてただそれを信じるということだけで救いを与えてくださったということ。
 ここが先ず感謝の出発点なのではないでしょうか。

 誰でも目上の人に会えば挨拶をします。神への挨拶・・賛美と感謝が祈りの始めなんですね。

 次回は「祈り-2 最初の言葉と終わりの言葉」です。

 God Bless You !

 
2020.01.17.Fri 10:56 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #36

【聖書-16 通読】

"この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。"
新約聖書 使徒の働き 17章11節

 聖書の通読(つうどく)って、聞いたことがありますか?
 とにかく最初から最後まで全部読むんです。一年間で一回読めるように、通読表なるものもあります。それに従って、毎日読めば一年で全部読めるようになっています。

 聖書を全部読むことは、神の計画の全貌を知る上では必須です。新約聖書だけで十分といった見方をする向きもありますが、それでは全くの片手落ちです。なぜなら、旧約聖書に預言されているメシヤが本当に現れた、というのが新約聖書なのですから。 

 今日の聖書の箇所には、パウロの話を聞いたベレヤという町の人が、イエスがキリストであるという話が本当かどうか、聖書(旧約)を一生懸命調べたという事が書かれています。
 旧約聖書を知って、その上で理解する新約聖書は、その意味とか説得力とかが全然違うものになってくるんですね。

 是非聖書の通読に挑戦してみてください。しかし、わからないところや、限りなく退屈なところが必ずあります。そういう時には、わからなくても気楽にどんどん先に進むんです。学者でもわからないところがたくさんあるんですから。

 尤も、全く初めての人は、最初からきっちり読むより、読みやすそうなところから先ず始めれば良いと思います。
 例えば新約聖書の最初の「マタイの福音書」。はじめはわけのわからない系図の話なので、読み飛ばす。(笑)
 すると、なんとなく福音書の世界に入って行けます。しかし、読み進んでいくと、イエス様は私たちに結構難しいことを要求されていたりするんですね。例えば、右の頬を打たれたら、左も出しなさいとか・・。できないことが山ほど出てきて、挙げ句の果てには、天の父が完全であるように、あなたがたも完全でありなさいとか言われちゃうんです。それ、無理でしょう!・・となります。(マタイの福音書 5章) なぜイエス様は、こんなできないことを私たちにやれと言われるのかと思うわけです。
 でもそれは、イエス様を主として信じ、心に受け入れて初めてその意味がわかってくることなんですね。そんなことを自分の努力で一生懸命やろうとしたって、挫折して自分にがっかりしてしまうのが落ちです。

 そういう意味でも、わからなくても無理だと思っても、どんどん先を読むのも、聖書を読むコツのひとつです。
 勿論目に止まる箇所は、おそらく重要な箇所ですので、しっかり受け取って下さいね。

 聖書は通読すればわかるというものではなくて、信仰を持った時に、初めてその意味が繋がってくるんですね。
 もちろん身近にいるクリスチャンの方に、わからないところを説明していただけるなら、それに越したことはありません。
 ただしクリスチャンの方は、知らないことを聞かれた時には、知らないと言いましょう。(笑)

 あ、それから・・「聖書ガイドブック」のようなものもいくつか出ています。それも歴史的な背景などを理解する上で、すごく助けになると思います。

 祈り・・「神様、聖書を開くことができるように、今助けてください。」

 聖書シリーズはこれで終わります。

 次回から「祈り」について書いていきたいと思います。

 God Bless You !
 
 
2020.01.16.Thu 06:10 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #35

【聖書のメンバー紹介2】

 キリスト・・聖書の主役

 天地創造の時から、父なる神と共におられたキリスト(前回参照)は、旧約聖書の時代に於いても地上に来られることがありました。
 アブラハムの孫、ヤコブが「ある人」と出会います。ヤコブはその人と戦って勝つという出来事がありました。(創世記32:24-30) その時「その人」が言った言葉はこうです。
「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
  (創世記 32章28節)

 これがイスラエルの始まりです。
「この人」は、ご自分を神であり、また人であると言っているわけです。まさしく、人となって来られるキリスト以外に、当てはまる存在はありません。

 そしてキリストは、今から2000年前にベツレヘムに赤子として生まれてきます。そして、御使いが言われた通り、イエスと名付けられます。
 イエスとは「主は救い」という意味ですが、当時のごく一般的な名でもありました。
 まさに、主を表すと同時に平凡な名である「イエス」という名は、神が人という形にまでなって下って来られたことを、絶妙に象徴しているわけです。

 キリストとはメシヤ=救い主という意味です。ですから「イエス・キリスト」と言う時は、その名前を呼ぶ時ですが、同時にその方はキリストであるという思いが込められているわけです。
 また「キリスト・イエス」という言い方をする時もあります。その場合はキリストと言う時に「それはイエスのことですけど」というニュアンスが入っているわけです。
 また「イエス様」というと、人となって地上で過ごされたイエス様のことを言ったり、あるいは人が主の御名を呼ぶ時に「イエス様」という事があります。
 さらに「イエス」とだけ言うこともあります。イエスという言い方をする時は、ほとんど「神」というニュアンスをもって言う時で、敬称とか称号などさえ付けないで、圧倒的に神・・という思いで言う時のように思います。「イエスは〜」と言うことがありますが、それは決して軽く言っているということではないわけです。これは新約聖書の文中での基本的な言い方でもあります。

 イエス・キリストの姿は、地上に来臨した「人の子イエス」としての姿と、もうひとつ全く別の姿もあります。それは天上の姿と言えるもので、それも様々な言葉で表現されています。
 要するにそれは、神の栄光が輝く、言葉では言い尽くせない主の御姿なんですね。
 イエス様は地上での公生涯の間にも、一瞬その姿を表されました。ペテロとヤコブとヨハネを連れてイエス様は高い山に登られたときのことです。(マタイ17章)

"すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。"
 とあります。

 また黙示録には初めからこんな御姿で登場しています。

 "〜その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。
 その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。
 その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。
 また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。"
 (ヨハネの黙示録 1章13~16節)

 キリストは様々な御姿で登場されますが、あわれみと慈しみに満ちたお方であると同時に「さばき主」でもある方です。このキリストこそが、滅びと救いの鍵を握るお方なのです。

 イエス・キリストは聖書の主役です。

 次回は「聖書-16 通読」です。

 God Bless You !
 
 
2020.01.15.Wed 08:54 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #34

【聖書-15 聖書のメンバー紹介1】

 聖書に登場するメンバーを、ざっと見てみましょう。

 先ず第一に神。「初めに神は・・」と、創世記の最初に出てきます。
 次に聖霊。「水の表を動いていた神の霊・・」と、次の行にあります。
 そしてキリスト。創世記1章26節では神は「われわれ」ということばを使っておられます。これが父なる神と御子なるキリストを示します。イエス様ご自身も「世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光」と言われています。(新約 ヨハネ17:5)
 創世記の1章で、三位一体と言われる、神の三つの位格がすべて登場しているわけです。

 その次に登場するのがアダムとエバ。即ち「人」です。
 そこに、待ってましたとばかり登場するのが「蛇」です。知恵があり、最も狡猾なサタンです。
 サタンは蛇としてエデンの園に登場しますが、実は霊的な存在です。
 聖書の随所に出てくる御使い(天使)も勿論霊的な存在ですが、サタンはもともとこの御使いだったのです。ところがサタンは「神の座に着きたい」という究極的な勘違いをして、天使の座から転落した者とされています。そして今も「空中の権威を持つ支配者」(エペソ2:2) として暗躍している存在だというのです。
 サタンはなぜか、世の初めから終わりまで、その存在が許されています。そして黙示録では「竜」として出てきますが、この世の最後に永遠の火の中に投げ込まれて滅ぼされます。(黙示録20:7-10)
 サタンについては、#24-26でも触れていますので、ご覧ください。

 御使いは、天で神に仕えるのがその役割です。ある時は神から遣わされ、主のみこころを特定の人に告げたりします。
 例えば、天使ガブリエルは処女マリヤに受胎を告げました。(ルカ1:26)
 またこのガブリエルは旧約の時代、破壊された神殿の再建と、そして世の終わりの大患難の時代についてのまぼろしを、預言者ダニエルに与えています。(ダニエル書9章)
 もう一人、御使いのかしらと言われるミカエルがいます。黙示録12章には、天で「ミカエルとその御使いたち」が竜(サタン)と戦うという記述があります。
 どちらにしても、ミカエル、ガブリエルは、御使いの中ではリーダー格であるようです。

 「人」について少し書きますと、アダムからノアまで、さらにその後も、系図が途切れることなく書かれています。
 ノアの洪水後は、アブラハムに始まり、イスラエル12部属とその歩みの中で神に用いられた多くの人たち、即ちヨセフ、モーセ、ヨシュア、そして神の人としイスラエルをまとめた士師たち。そしてサウル、ダビデ、ソロモンに始まる歴代の王。またその間に起こされたイザヤとかエリヤをはじめとする多くの預言者が登場します。

 そして新約の時代に入って登場するのは、キリスト登場の道備えをしたバプテスマのヨハネ。ペテロをはじめとする12使徒と多くの弟子たち、またイエスに付き従う女性たち。そして希望を失っていた多くの人々。
 また爆発的に増え始めたクリスチャンたちを徹底的に迫害していたパウロ。イエスは彼の上に直接臨まれて、全世界への宣教の足がかりとして用いられました。

 そして終わりの時に現れる「反キリスト=荒らす憎むべきもの」がいます。この反キリストはダニエル他の預言書に、またイエス様ご自身のことばの中に出てきます。そして黙示録には「獣」として登場します。

 かなり大雑把ですが、これらの登場メンバーがいるのだという認識を持つだけで、だいぶ助けになるのではないかと思います。

 キリストについては、次回でもう少し詳しく触れたいと思います。
 
 God Bless You !
 
 
2020.01.14.Tue 06:20 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #33

【聖書-14 神の愛と慈しみ】

"神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。"
旧約聖書 創世記 3章21節

 これは、神がアダムをエデンの園から追放された時の話です。
 神のもとで、まことのいのちを頂いていたアダムとエバは、この時から死ぬ者「罪人(つみびと)」としての歩みを始めます。

 しかし、神はアダムとエバを裸のまま、追放されたのではありませんでした。神は二人に皮の衣を作って「与えられた」ではなく「着せられた」と書いてあります。それだけで、神の愛に身震いしそうになります。
 このあと神はず〜っと人への熱い思いを伴って、最初は特定の家系の上にご自身を現し、イスラエル(ヤコブ)以降は民族の上に、そしてイエス・キリストによって地の果てまでのすべての民にご自身を示されました。今はそのステップのほぼ終盤です。なぜなら、福音がほぼ全世界に述べ伝えられたからです。

"御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。"
新約聖書 マタイの福音書 24章14節

 旧約の時代、神は預言者や選ばれた器を通して、民を常に祝福の方向に導いて来られました。ところが民は結局、神から遣わされた者(預言者)の言うことは聞かずに、自分の判断で物事を進めようとし、民族の滅亡にまで至ってしまうのです。それを嘆いて言われたイエス様の言葉が以下です。

"エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。"
新約聖書 マタイの福音書 23章37節

 そして今、神は熱い愛をもって、私たちに語られています。自分の考えで歩むのではなく、わたしが与えた救いを受け取りなさい。わたしが神なのだから、ほかにはいないのだから・・と。

 その救いのために送られたのが、御子イエス・キリスト。そしてこのひとり子イエス様を十字架にかけて私たちの罪のあがないとされたのです。
 イエス様ご自身の言葉にもあります。

"人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。"
新約聖書 ヨハネの福音書 15章13節

 これが、イエス様の愛です。そしてイエス様は私たちを友と呼ばれる方なのです。

"私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。"
新約聖書 ヨハネの手紙 第一 4章10節

 神の愛と慈しみは、ここにあるのです。

 神は、あなたをそのままでいいとは言っておられないんですね。あなたには罪のあがないが必要だから、わたしはこれをしたのだよと、言われるのです。
 そして受け取ろうとする者に神は、そのままでいいんだからね・・と言われるのです。

 次回は「聖書-15 聖書のメンバー紹介」です。
 
 
2020.01.13.Mon 11:38 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #32

【聖書-13 奇跡】

 聖書の中には、今の私たちには想像もつかないような奇跡の話が山ほど出てきます。
 この奇跡を、科学を通して自然現象として解明しようとする向きもあるようですが、それは結局、神はいないということを証明しようとする試みなんですね。
 しかし、聖書から奇跡の話を取り除いてしまったら、薄っぺらな小冊子が残るだけです。

 神がおられる。
 人が考え出して作った神ではなく、
 天地万物と人を造られた神がおられる。
 その神が、
 人に対しての特別な計画を持たれ、
 人の世に介入される。
 
 キリストは、
 天地創造の時点でそこにおられた神の御子である神。
 その神が処女を通し、
 人となって来られた。
 その方が、天の御国のことを語り、盲人の目を開き、悪霊を追い出し、死人をよみがえらせ、十字架にかかられ、死んでよみがえられ、天に上り、神の右に座しておられる。

 そして未来には・・
 キリストは、主を信じた者たちを皆、死んだ者もすべてよみがえらせ、天のご自分のもとにに引き上げられる。
 そして大きなさばきが、富を貪る世に臨み、そこを支配する「反キリスト」と言われる勢力を一掃する。
 その後に、キリスト・イエスにある者によって支配される千年王国が出現する。
 キリストは再び地上に来られ、それまで存在が許されていたサタンを、永遠の火に投げ込まれる。
 天と地が消え、天のエルサレム、永遠の都が出現する・・。
 
 これらはすべて、証明とかいうことの通用しない、信じるしかない事柄です。
 そして信じた時に、これらのことが一本の太い線としてつながり、浮かび上がって見えてくるんですね。
 やはり聖書は真実であって、本当に神の霊感によって、神が人に書かせた書物なのだと・・。

"はじめに神が天と地を創造された。"
  旧約聖書 創世記 1章1節

"「わたしはアルファであり、オメガである。
 最初であり、最後である。
 初めであり、終わりである。」"
  新約聖書 ヨハネの黙示録 22章13節

 神が始め、神が終わらせる。
 すべての権威と支配のかしらなる神が・・。

 聖書は、この神のことを証言している書物なのです。
 そして聖書の多くの奇跡は、神がご自身の栄光を、人の目で見えるように表されたこと以外の、なにものでもないということです。

 祈り・・「神様、信じるということが、どういうことか、わかるようにしてください。」

 次回は「聖書-14 神の愛と慈しみ」

 God Bless You !

  
2020.01.11.Sat 06:17 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






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G-Cafe 聖書のことば #41 【主の祈り その3】(01/22)
G-Cafe 聖書のことば #40【主の祈り その2】(01/21)
G-Cafe 聖書のことば #39 【祈り-3 主の祈り】(01/20)
G-Cafe 聖書のことば #38 【祈り-2 最初の言葉と最後の言葉】(01/18)
G-Cafe 聖書のことば #37 【 祈り-1 】(01/17)
G-Cafe 聖書のことば #36 【聖書-16 通読】(01/16)
G-Cafe 聖書のことば #35【聖書のメンバー紹介2】(01/15)
G-Cafe 聖書のことば #34 【聖書-15 聖書のメンバー紹介1】(01/14)
G-Cafe 聖書のことば #33 【聖書-14 神の愛と慈しみ】(01/13)
G-Cafe 聖書のことば #32 【聖書-13 奇跡】(01/11)
G-Cafe 聖書のことば #31【聖書-12 メシヤ預言】(01/10)
G-Cafe 聖書のことば #30 【聖書11- イエスがキリスト】(01/09)
G-Cafe 聖書のことば #29【聖書-10 ユダヤ人と異邦人】(01/08)
G-Cafe 聖書のことば #28【旧約聖書に見る『救いの型』その2】(01/07)
G-Cafe 聖書のことば # 1〜12について 【クリスチャンではない方へ】(01/06)
G-Cafe 聖書のことば #27【 聖書-9 旧約聖書に見る『救いの型』その1】(01/03)
G-Cafe 聖書のことば 2020.1.2(01/02)
G-Cafe 聖書のことば #26 【聖書-8 神の計画の全貌 その3】(12/30)
G-Cafe 聖書のことば #25 【聖書-7 神の計画の全貌 その2】(12/28)
G-Cafe 聖書のことば #24 【聖書-6 神の計画の全貌】(12/27)
G-Cafe 聖書のことば #23 【聖書-5 見解のギャップ 】(12/26)
G-Cafe 聖書のことば #22 【クリスマス】(12/25)
G-Cafe 聖書のことば #21【聖書-4 大前提】(12/24)
G-Cafe 聖書のことば #20【聖書-3 神の介入による歴史】(12/23)
G-Cafe 聖書のことば #19【聖書-2 神の霊感による】(12/22)
G-Cafe 聖書のことば #18 【聖書-1】(12/21)
G-Cafe 聖書のことば #17【 聖霊-6 ともしび 】(12/20)
G-Cafe 聖書のことば #16 【聖霊-5 平安】(12/19)
G-Cafe 聖書のことば #15 【 聖霊-4 神の計画 】(12/18)
G-Cafe 聖書のことば #14【 聖霊-3 激しく下る 】(12/17)
G-Cafe 聖書のことば #13 【 聖霊-2 御霊によって 】(12/16)
G-Cafe 聖書のことば #12 【 聖霊 】(12/15)
G-Cafe 聖書のことば #11 【求めているもの】(12/14)
G-Cafe 聖書のことば #10 【 キリストを受け取る 】(12/13)
G-Cafe 聖書のことば #9 【 福音-3 復活 】(12/12)
G-Cafe 聖書のことば #8 【 福音-2 キリストの十字架 】(12/11)
G-Cafe 聖書のことば #7 【 福音(ふくいん)-1 】 (12/10)
G-Cafe 聖書のことば #6 【父の愛】(12/09)
G-Cafe 聖書のことば #5 【 自分を低くする者 】(12/08)
ドラマー市原康ライブインフォメーション 新年1-2月号(12/07)
G-Cafe 聖書のことば #4 【 あなたは兄の側にいませんか 】(12/07)
G-Cafe 聖書のことば #3 【 生き返った息子 】(12/06)
G-Cafe 聖書のことば #2 【義人はいない】(12/05)
G-Cafe 聖書のことば #1 【創世記 1章1節】(12/04)
聖書のことば #22《お知らせ》(12/03)
聖書のことば #21 【蒔かれた種】(12/02)
聖書のことば #20 【イエスは主】(12/01)
聖書のことば #19 【行う力-2 弱さ】(11/30)
聖書のことば #18 【行う力】(11/29)
聖書のことば #17 【信仰と行い】(11/28)
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