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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています

G-Cafe 聖書のことば #199

【心を神と一つにするための祈り】イエス様のことば 24

 山上の垂訓・第18回

 今日の箇所は、教会の礼拝などで必ずと言って良いほど、皆で一緒に声を出して祈る「主の祈り」の箇所です。
 主の祈り・・、それは「心を神と一つにするための祈り」・・これが今日のテーマです。

" 〜 あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。ですから、あなたがたはこう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。
 御名が聖なるものとされますように。
 御国が来ますように。
 みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
 私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』"
  マタイの福音書 6章8~13節

 イエス様は「父は求める前から、あなた方の必要をご存知」だと言われ、「だから」こう祈りなさいといって、この「主の祈り(と一般的に言われている)」を教えられました。
 今日は、イエス様の祈りの話の3回目ですが、前の二回では「心を注いで祈る」「父なる神に祈る」ということを確認させられる話でした。
 そしてあなた方は必要なものをくださいと祈るけど、それを父なる神は分かっておられのだから、とにかくこう祈りなさいと言われた「主の祈り」。それは、まずあなたと神との関係において、あなたを正しい位置に導く祈り。そしてそれが、神から必要なものを受け取る者となるための土台なのだ、というのがイエス様の話の流れです。
 必要なものは、物や資金などだけではなく、力、心、人、知恵、知識、そして愛、と様々です。

 主の祈りの一つ一つについては、#37〜#48 (市原のブログ「ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ」2020.1.17-1.30で確認できます) でゆっくり見てきましたが、ここに簡単にまとめてみたいと思います。
 この主の祈りも「弟子たち」に言われたことで、それはクリスチャン(神を主とする者)に言われていることであると受け止めての解釈です。

1 天にいます私たちの父よ。・・祈る対象は、天地万物を創造され自分を愛してくださる「父なる神」なのだ、という確認。そしてこの祈りは「私たち」が共有している祈りだということの表明。

2 御名が聖なるものとされますように。・・世界中で主の御名があがめられることを願う。すなわち、福音が全世界に広がっていくことを願う祈り。

3 御国が来ますように。・・イエス様は再び来られます。それから御国が来ます。しっかりイエス様の再臨を忘れないようにする祈り。

4 みこころが天で行われるように、地でも行われますように。・・地上ではサタンの妨害によって神の御名に覆いがかけられていますが、そこに圧倒的な聖霊の働きによって、地上でも天上のごとく、神ご自身にそこに立っていただく・・そのような光景を見ることができるように願う祈り。クリスチャンはこのことをリバイバルと呼んでいます。

5 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。・・自分たちの必要はこれだけあれば、父は全て備えてくださるという、父への信頼を言い表す祈り。

6 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。・・私たちはイエス・キリストの十字架のあがないによって、全ての罪が赦されている者です。そのことを覚えて自分の心に「赦さない」心がないかを点検する祈り。

7 私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。・・悪から守られる基本、それは聖霊に満たされていることです。聖霊を求めるべきであることを覚える祈り。

 そして、聖書には記されていませんが「主の祈り」には最後に「国と栄と力とは、とこしえにあなたのものだからです。」という一節が加えられます。
 それは最後に父なる神の偉大さをほめたたえることば、そして自分が祈り求めているのはそういうお方であることを覚えるため。だからあなたに祈るのです・・と。

 主の祈りは、日々逸れて行ってしまう私たちと神との関係を修正して、正しいところに戻す祈りなんですね。

 主の祈り・・それは心を神と一つにするための祈り。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.08.05.Wed 10:25 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #198

【祈る対象】イエス様のことば 23

 山上の垂訓・第17回

" また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。
 彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。
 ですから、彼らと同じようにしてはいけません。
 あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。"
 マタイの福音書 6章7~8節

 祈りについてのイエス様のお話の2回目です。

 今日のテーマは「祈る対象」です。

 イエス様は、同じことばをただ繰り返す祈りを「異邦人のように」と表現されています。

 異邦人のように祈る・・、それはまことの神についての知識を持っていない人が闇雲に祈るというようなイメージでしょうか。祈りの対象がはっきりしていないんですね。
 祈りとは、「天地万物を作られた全能の神・主」に祈るということです。

 しかしこれは、まことの神との関係を明確に意識して生活する人でなければ、よくわからないことなのかもしれません。
 例えば、特に日本人が「祈る」という言葉を使うとき、その祈りの姿勢自体に何か神聖なイメージがあって、そういう心が大切なのだ・・といった考え方があります。日常の雑事に心が奪われていることに気がつき、ふと我に帰り、静まって祈る・・。その姿勢が大切なのだといったイメージです。
 神を知らない人の多くは、祈りという言葉をそんな風に受け止めているように思います。

 祈りは、祈る対象があって初めて「祈り」になります。祈りというのは、全能の神である主にことばをかけるということなんですね。

 同じことばをただ繰り返す異邦人・・それは、祈るべき対象である全能の神をはっきり意識せず、ただことばを繰り返す。・・ですから、彼らと同じようにしてはいけません、とイエス様は言われているわけです。

 祈りの対象・・それは「あなた方が求める前から、あなた方に必要なものを知っておられる方」なのだというのです。
 ならば、祈る必要などあるのでしょうか・・となりますが、ここで神が求められているのは、あなたの神への正しい姿勢なんですね。
 あなたを愛する神、あなたのためにひとり子を送り、そのいのちをあなたの罪の代償としてくださった神に祈って、その父なる神との関係を深めていく・・、それが「祈り」のうちに神が求められていることなのです。

 そしてこのことを異邦人ではなくて弟子たちに話されたということは、まことの神を知る者でも、その対象がぼんやりしてしまうということがあるということなんですね。
 私たちは、私たちを知り、私たちの名を呼んでくださる「父なる神」に祈るんです。

 父なる神は「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。」(イザヤ43:1) と言ってくださるお方なんですね。

 直接はっきり祈ることのできる、「父なる神」がおられるのです。

 ハレルヤ ! (主の御名をほめたたえます)


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.08.04.Tue 10:01 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #197

【ストレートな祈り】イエス様のことば 22

 山上の垂訓・第16回

" また、祈るとき偽善者たちのようであってはいけません。
 彼らは人々に見えるように、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。
 まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。
 あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。
 そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
 そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。"
 マタイの福音書 6章5~6節

 イエス様は弟子たちに、祈りのことについて話し始められました。

 この話は、会堂や大通りで祈る人の話です。私たちは二人三人で心を一つにして祈ることがあますが、ここではそういう祈りではなく、一人で祈っている様子を人が見ている・・という状況の話です。
 
 私たちは複数で祈る時にも、自分の祈りがちゃんとしているか、、とても人の目が気になることがあります。でもこれは仕方のないことです。
 祈りは格好をつける必要はないのですが、自分の祈りを聞いて人がどう思うか、ある種の恐れを持ってしまうんですね。人の目が気になれば当然、祈る言葉は不自然になってきます。心が完全に神に向かっていないからです。

 ですからイエス様は、一人で祈りなさいと言われました。でもそれは、複数で祈ることを否定するものではありません。複数で祈るということにはまた別の意味があります。
 イエス様は、二人でも三人でも、わたしの名によって集まり祈る時に、わたしはそこにいる・・と言われているのですから。(マタイ18:19-20)

 ここで言われている「報いをいただける祈り」とは、神にストレートに、心を注ぎ出す祈りのことを言っているんですね。だったら、神はその祈りに報いてくださるというのです。

 イエス様は、祈りが偽善者たちのようであってはいけませんと言われました。
 前回、偽善者とは自分が罪人であることを認めていない人のことだと書きました。
 そうだとすると、偽善者たちのような祈りをするということは、自分が罪人であることを認めていない・・すなわち、心がまだ砕かれて粉々になってはいない状態なのだ、ということになります。
 心が粉々になっていたら、人の目がどのようであっても、どのように低く見られても、それは当たり前のことになってしまうんですね。だったら、人の前で祈っても人の目を気にする必要がなくなるわけです。信仰生活が浅くて、自分の祈りが幼い・・それも当たり前のこととして、自分で受け入れてしまう者になってしまうんですね。
 そうすると、たった一言でも、それは神に向かってのストレートな言葉になるわけです。心からの祈り、それは熱心な祈りとか、そういうものではなくて、ただ神にまっすぐに向けられた祈りなんですね。

 ですから戸を閉めて、隠れたところで祈る祈りでも、もしその心がストレートに神に向けられていないのだったら、それは報いられる祈りとはならないわけです。でも、少なくとも人の目を気にする必要はありませんから、その場所は心からありのままを神に申し上げることができるところになり得るんですね。

 イエス様は弱い私たちをご存知で、そのように言われたんですね。私たちは、ほぼ100%、砕かれきってはいないのですから。一人で、誰もいないところで、思いっきりあなたの心を父なる神に注ぎだしてごらん・・と。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.08.03.Mon 09:57 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
2005たいむ


YouTube動画
ドラマー市原康の「ミュージシャンにもわかる聖書の話」
GraceCafeたいむ #12

賛美歌 Amazing Graceから 〜あなたに語られる神〜

お話/市原康、賛美/市原よしみ

アップしました。

https://www.youtube.com/watch?v=G9pBZDak1mE&t=3s


God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

2020.08.01.Sat 09:19 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
G-Cafe 聖書のことば #196

【レッテル貼り】イエス様のことば 21

 山上の垂訓・第15回

" さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。
 あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。
 あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。
 兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。
 見なさい。自分の目には梁(はり)があるではありませんか。
 偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。
 そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。"
 マタイの福音書 7章1~5節

 6章では、人の行動に隠れている「下心」を見ました。そして今回のこの箇所「さばいてはいけません・・」は、心の奥で王様のように振舞っている「傲慢」の指摘です。

 ここで言う「さばく」とは、人を評価するという意味です。
 そして、さばいていたら同じように厳しい目で人からの評価を受けることになりますよ、というのです。評価をするというのはいわゆる「レッテル貼り」をすることです。それは、あの人はああいう人なんだからと、人の評価を固定してしまう行為です。そしてそれが自分に返ってくるというのです。
 人を量る人は、自分が量られて、自分自身も身動きが取れなくなってしまうんだよと言っているわけです。

 あなた方は、人の目にあるチリはよく見えるくせに、自分の目の中に梁があることには気がつかない・・。梁とは、天井に使われる太い丸太です。
 それは、あなたの目には梁が入っていて、見えるものも見えない状態であることに、あなたは気がついていないのだという指摘です。
 そしてまずそのことに気付きなさいというのです。そしてその梁を取り除けば、目に入っているチリで困っている人を助けることができるというのです。
 目にチリが入るとは、小さなことで物事がよく見えなくなってしまっている状態なのではないでしょうか。自分の目に梁が入っていたら、そんな人を助けようと思うこと自体がお門違いですよ、というわけです。

 この梁・・どうやって取り除くことができるのでしょうか。
 聖書は、すべての人は罪人(つみびと)だと言っています。それはあなたを愛する神がおられるのに、その神から離れ、自分を中心にして物事を見て、すべてを自分で解決しようとする人で、そこには必ず罪があるというのです。
 自分がこの罪人であることを認めること・・実はそれが「自分の目にある梁」を認めることなんですね。それは人の弱さや愚かさというものが自分の中にも基本的にあるのだということを、はっきり認めるということなんです。

 偽善者・・それは自分が罪人であることを認めていない人のことです。

 梁を取り除く・・それは自分ではできないことなんですね。しかし、その罪を背負ってくださったイエス・キリストの十字架はそのためだったんだと知る時、それが梁を取り除く時なんですね。そしてそのイエス・キリストをあなたの内にお迎えする時、それがあなたの内に実現するのです。

 祈り・・「神さま、私の目に梁があること、罪人であることを、もっとよく知ることができますように。」

 
 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.07.31.Fri 11:27 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
G-Cafe 聖書のことば #195

【心が求めていること】イエス様のことば 20

 山上の垂訓・第14回

" あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。"
 マタイの福音書 6章21節

 今日のテーマは「心が求めていること」です。

 前回の内容はこうです。イエス様の話の矛先がパリサイ人と律法学者に向けられて行き、「兄弟をバカ者というな」「情欲の目で女を見るな」「姦淫以外の理由で離縁するな」「誓うな」「悪い者に手向かうな」「自分を迫害する者のために祈れ」と言われた。でもそれは実は私たち自身に向けられていることばだけど、そんなことはとてもできない・・。しかしイエス様を信じる者は聖霊を受け、「神によって、神の形に変えられて行く者」とされる。その歩みの中でこれらのことが実現して行く・・。

 その一つ一つのことはここでは飛ばして、次に行こうと思います。次の6章でもその話は延々と続くのです。
 「善行」「施し」「祈り」「断食」「蓄え」・・。(6章1-34)
 6章を読んで行きますと、私たちの行動には全て「下心」が隠れているのだということを示されます。良いことをするにも、結局自分のためだと言う、その究極の「本音」がそこにはあるというのです。

 それらの話の中で言われているイエス様の言葉が今日のみことばです。

 ・・あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もある・・

 宝とは、あなたが一番大切にしているもののことです。そして、人はそのことのためにもっぱら「心」を用いるのだというのです。
 そしてそのポイントは、自分を喜ばせようとしているのか、それとも神を喜ばせようとしているのか、という視点でこれらのことが語られています。
 先ほどの「善行、施し、祈り、断食、蓄え」は、実は自分のために行うこともあり、また神のために行うこともある、、そのどちらもあり得るというわけです。
 結局これらのことを、自分はどういう動機でしているかということをもう一度静まって、その心のうちを観察してごらんなさい、、ということなんですね。

 あなたはなんのためにそれをしているのですか・・と。
 
 神に仕えるパリサイ人や律法学者。その神のための働きの内にも、自分を喜ばせることと神を喜ばせるという、二つの動機が隠れているというのです。
 これは弟子たちに語られたイエス様の山上の垂訓です。ですからそれは、今のこの時代においても、イエス様に仕えて行こうとする者、すなわちクリスチャンに対しての、とても重たい指摘なんですね。

 祈り・・詩編139:23-24(口語訳聖書)から
「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。
 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。」


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.30.Thu 11:29 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
G-Cafe 聖書のことば #194

【無理ないましめ】イエス様のことば 19

 山上の垂訓・第13回

" ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。"
 マタイの福音書 5章48節

 イエス様の山上の垂訓と言われるところに入ってから13回目になりました。

 今日のテーマは「無理ないましめ」です。

 このイエス様の説教は、一般の人に対してではなく、弟子たちに対してであるという観点から、一つずつ見てきました。
 そしてこれらのことを考えるときにイエス様は、「パリサイ人や律法学者」を物差しとして見せられた、というのが前回です。
 あなた方はパリサイ人や律法学者を何か偉い存在のように思っているかもしれないが、その内側を見るのでなければ全てを見誤るから気をつけなさい・・というわけです。

 そしてこの後に、有名な箇所がいくつも出てきます。「兄弟をバカ者というな」「情欲の目で女を見るな」「姦淫以外の理由で離縁するな」「誓うな」「悪い者に手向かうな」「自分を迫害する者のために祈れ」・・

 これらは、私たちには到底できそうもないことばかりです。そしてその共通点は、心のコントロールということなんですね。
 そして、これらの話の最後にまとめのようにして言われているのが今日のみことば・・天の父が完全であるように、完全でありなさい・・です。

 結局、心をコントロールできるならそれは「完全な人」であるのかもしれません。でもこれらはほとんど「でき得ない」ことばかりです。
 所詮私たちは、天の父「神」のように完全になれるわけがない・・これが普通に行き着くところです。
 それでもイエス様は「完全でありなさい」と言われたんですね。

 イエス様が人々に言われたこと・・それらはわけがわからないこと、できそうにないことばかりだと言っても過言ではないように思います。
 ところが・・です。イエス様が十字架で死なれ、よみがえって天に上られ、そして弟子たちの上に激しく聖霊が下った・・その時に、あのわけがわからない話の意味が突然開け、見えるようになり、また、この世的な欲の中にいた弟子たちが完全に変えられ、その心は主なる神にのみ向く者とされたんですね。

 イエス様が言われたことはみな「あらかじめ」なんですね。後になって、ああこういう意味だったのかとわかる・・。それは聖霊によってわかるものであるわけです。
 要するにこれらのことは、イエス・キリストを救い主として自分の内にお迎えして後のことだ、というわけです。
 今日のみことばをよく見ると、「あなた方の天の父」と言っています。それは「信じた者」というのが前提の話だということです。

 その意味は次のみことばに集約されています。

" イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」"
 ルカの福音書 18章27節

 あなたを変えるのは、あなたの努力や力ではなく、神なのだということです。 
 わたし(イエス・キリスト)を信じる・・ここが完全になる入り口なんですね。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.29.Wed 11:11 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
G-Cafe 聖書のことば #193

【天の御国に入る資格】イエス様のことば 18

" ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。
 しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。
 わたしはあなたがたに言います。
 あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。"
 マタイの福音書 5章19~20節

 今日のテーマは「天の御国に入る資格」です。

 前回の17-18節では、イエス様の話の矛先が律法学者やパリサイ人に向けられたということを見ました。今日の箇所は、まさにそのことがわかる箇所です。
 この文脈から見ますと、このユダヤ人の指導者たちは天の御国に入れない、ということになります。

 神からの戒めは、本来ならきっちり従うことが求められているものです。イエス様も律法の一点一画も消え去ることはない(18節)と言われました。
 彼らパリサイ人や律法学者は、民衆に対して神の言葉を伝え教える者として立てられた人たちです。その彼らに対して言われているこの言葉は、それをあなた方は全くしていないではないかという指摘です。完全に失格だということです。

「律法学者やパリサイ人の義」とはどういうものなのでしょうか。
「義」とは正しさのことです。「それで良しとしていること」のことです。

 イエス様は彼らを評して「白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。(マタイ23:27)」と言われました。簡単に言ってしまえば、その心は外見を繕うことで一杯になっていて、内側の「汚れ」について、悲しもうともしていない。そしてそれで良いと思っている・・ということになります。

 厳しいですね。でもこれって・・他人事ではないんですね。パリサイ人や律法学者というのはそういう人たちだったんだぁ、とか言って見ている場合ではないのです。これは実は私たちに言われていることなんですね。

 私たちの心の基本は「自分ファースト」なんです。それはパリサイ人や律法学者に限ったことではなく、私たちもそうなんです。人はそのような「肉の性質」を背負って、この世では生きていくしかない者なのです。
 イエス様は、この話を弟子たちにしました。それは彼らが後に聖霊を受ける時に備えるために、このことをあらかじめ語られたんですね。イエス様の十字架の意味を知る土壌は、自分を直視するところにあるからです。そうでなければ、十字架は必要なものではなくなってしまうのです。

 十字架で死んでよみがえられ、天に上り、今も生きておられるイエス・キリストご自身が、人の罪の性質に関しての完全な解決なんです。なぜなら、イエス・キリストが私たちの身代わりの死となり、よみがえりとなってくださったからです。

 天の御国に入る資格は、自分の罪を認める人であるということなんですね。
 そしてそのためには、イエス・キリストを自分のうちに迎えれば良いのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.28.Tue 11:36 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #192

【聖書の成就】イエス様のことば 17

" わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。
 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。"
 マタイの福音書 5章17~18節

 弟子に対しての山上の垂訓。初めの8つの「幸いな者」は、イエス様の弟子としての資質のことだという観点から見て来ました。その結論は、この世で「愛の行い」をして、人々が父なる神をあがめるようにしなさいということでした。

 そしてここからイエス様の話の矛先は、パリサイ人や律法学者の方に向けられて来ます。この後に出てくる有名な話、例えば「右の頬を打たられたら、左を出しなさい」などは、全てこの土台、すなわちパリサイ人や律法学者たちを意識して言われているのだという視点で見ると、イエス様がこの話をしている時のお気持ちに触れることができるような気がします。今日の箇所はそのイントロであるわけです。
 実は、イエス様が話される大半のことは、このパリサイ人や律法学者というユダヤ人たちの指導者層に対する厳しい糾弾という意味合いが含まれているんですね。そしてこの糾弾の姿勢は「上席を選ぼうとする」という、指導者になれば人の上に立とうとしたがる「人」の傾向に対して、これからイエス・キリストを宣べ伝えるであろう弟子たちに対するいましめでもあったわけです。

 当時のユダヤ人にとって、律法を守るということはとても重要なことで、それに反するということは神様に対する反逆に等しい行為とみなされました。安息日には働いてはならないというのもそのひとつです。ところがイエス様が色々な奇跡のわざをされた時、それが安息日だったというので、パリサイ人や律法学者たちはイエス様を「神に反逆する者」とし、そのとどのつまりがあの十字架だったわけです。
 ところがイエス様は、「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。」と言われたのです。

 ここでイエス様が言われた律法とは、モーセが受けた十戒を含む創世記に始まるモーセ五書のことです。そして預言者とはその後に出てくるイスラエルに対して警告を発した多くの預言者たちのことです。すなわち「律法と預言者」とは旧約聖書全体のことを指しているんですね。
 ところが当時のユダヤ人の生活を支配していた律法は口伝律法という、生活上のこまごまとした、あとから付け加えられた規則でした。安息日は働きをやめて休む日だというところから、重たい物を持って歩くことも禁じるという、ただ生活を縛るだけのものになっていたわけです。そんな彼らは安息日に病人を癒すイエス様を「安息日を破る不遜な者」だとしたのです。ところが人々は安息日にも牛やろばの世話をし、水を飲ませたりしていながら、それは問題にしていませんでした。

 イエス様の指摘はこうです。あなたがたは神に従っていると言いながら、その心は神から離れ、こまごまとした規則に縛られるだけの者になってしまっているが、聖書(旧約聖書)に記されていることは、主なる神だけを神とし、愛せよということで、あなたがたは実はそこから大きくそれてしまっている・・ということなんですね。

 そしてさらにイエス様は聖書に記されていることについて、「天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」と言われたのです。
 それは、聖書の全ては成就するということであり、それは天地が消え去る最後の最後まで、きっちりその通りになるんだと言われたんですね。
 それは一言で言えば、キリスト(わたし)は今ここに来て、終わりの時にも再び来るのだということです。

 わたしが来たのは「聖書が成就するため」なのだ。そこから目を逸らせようとするすべてのことに気をつけなさい・・と、これがイエス様の教えの始めなんですね。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.07.27.Mon 11:52 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

2005たいむ

GraceCafeたいむ#11 / YouTube動画

ドラマー市原康の「ミュージシャンにもわかる聖書の話」
GraceCafeたいむ #11

賛美歌 Amazing Graceから 〜わたしはあなたを愛している〜

お話/市原康、賛美/市原よしみ

アップしました。

https://www.youtube.com/watch?v=eUqXpvL-3mM&t=4s


God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.25.Sat 07:07 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






PROFILE

いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
ライブスケジュール
そしてキリスト教談義・・
・・再開です。
http://i-produce.net
http://twitter.com/ichiharayasushi
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ENTRIES
G-Cafe 聖書のことば #199【心を神と一つにするための祈り】イエス様のことば 24(08/05)
G-Cafe 聖書のことば #198【祈る対象】イエス様のことば 23(08/04)
G-Cafe 聖書のことば #197【ストレートな祈り】イエス様のことば 22(08/03)
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