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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています
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ドラマー市原康の「ミュージシャンにもわかる聖書の話」
GraceCafe たいむ #3 (動画)を、YouTubeにアップしました。

どうぞご覧になってください。

バソコン、スマホなどの方は、以下をクリックしていただければ、見ることができます。

※ ご心配の方もおられるかと思い、改めてお知らせいたします。
 市原康は昨年2019年11月
 MACF(ミッション・エイド・クリスチャン・フェローシップ)の関根一夫牧師より、
 信徒伝道者としての按手を受け、活動を開始しています。

https://www.youtube.com/watch?v=Q0U_MM5yoMk


2020.05.30.Sat 06:47 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #151

【福音 みことば集2】

 前回の続きで、33回にわたる「福音シリーズ」で見て来た聖書のみことばを、今日も見ていきたいと思います。その9) からです。
 
その9) 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。 ローマ人への手紙 6章6節

その10) 「この時代は悪い時代です。しるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし、ヨナのしるしは別です。 ルカの福音書 11章29節

その11) 私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
 死んだ者は、罪から解放されているのです。 ローマ人への手紙 6章5~7節

その12) 私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。 ローマ人への手紙 6章5節

その13.14) 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐げとさばきによって、彼は取り去られた。
 彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。 イザヤ書 53章7~8節

その15) 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。 ローマ人への手紙 6章4節

その16) それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。 ローマ人への手紙 6章4節

その17) ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。
 もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空(むな)しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。 コリント人への手紙 第一 15章12-14節

・・やはり、みことばには力がありますね。

 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.05.29.Fri 10:52 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #150

【福音 みことば集1】

" 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。" テモテへの手紙 第二 3章16節

 この「G-Cafe 聖書のことば」の #1 から #11 までに書いた福音を、#114から改めて書き始めたら33回続いてしまいました。その33回で見てきたみことばだけを、もう一度振り返って見たいと思います。
 この回だけでは入りきらないと思いますので、4回ほどに分けたいと思います。どうぞご覧になってください。

その1) 神は仰せられた。 「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」 創世記 1章26節

その2) 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。 イザヤ書 45章22節

その3) 「主は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。 イザヤ書 1章18節

その4) 「その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。" ヨハネの黙示録 19章13~14節

その5) その日、その時──主のことば──イスラエルの咎を探しても、それはない。ユダの罪も見つからない。わたしが残す者を、わたしが赦すからだ。」" エレミヤ書 50章20節

その6) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネの福音書 3章16節

その7) わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。 ヨハネの福音書 15章5節

その8) 私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。〜 そういうわけで、善を行いたいと願っている、その私に悪が存在するという原理を、私は見出します。 ローマ人への手紙 7章18~21


 こうして見ていきますと、これらのみことばについていろいろ書くより、ただみことばを見ていることの中で、大きな力が与えられることを感じさせられます。

 みことばは神のことばです。それは40人余りの著者が1500年にもわたり、神の霊感を受けて書いたものです。
 ですから神のみことばは、それだけで人に語りかけてくるんですね。

 
 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.05.28.Thu 09:27 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #149

【福音 その33】スタートライン「信仰」

" 私は福音を恥としません。
 福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
 福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。 「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。"
 ローマ人への手紙 1章16~17節

 福音をテーマに書き始めて、33回になりました。
 今日のテーマは、福音そのすべては「信仰」・・すなわち、信じてみようという思いがスタートになる、ということです。

 どこかに行きたい時、その行き方も知っている。切符を買う場所も教わった。もう誰に聞かなくても一人で行ける。
 でもそれは「行く」こととは違うんですね。ただ「知っている」だけなんです。

 これまで、33回にわたって、福音というタイトルで書いてきました。
 私は体系的に神学を学んだわけではないので、まだ足りないところがあるかもしれませんが、ほぼ話したような気がします。

 この話を聞いた人はもう「知っている人」なんですね。
 でもそれは、行ったことにはならない。

 さあ行こう・・そう思っても、思っただけではまだ行ったことにはならない。玄関の扉をあけて一歩踏み出した時に初めて、ただの「知っている人」ではなくて、「そこに行く人」になるわけです。
 この「一歩」、それが「信じてみる」という心の行動なんですね。そこを踏み出した時に、人はその目的地に「行く人」になるわけです。

 福音は「信じるすべての人に」救いをもたらす神の力だと、パウロは言っています。
 そして福音とはなんだかというと、「神の義」の啓示だというのです。

 神の義・・それは、聖なる神の御意志とでも言いましようか。その話を聞いて、信じてみよう・・というところが信仰の始まりです。そうしたら切符売り場へ行く道はもう聞いているから知っているんです。そして切符を買ったら、さらに深みへと進むその歩み・・それもやはり信仰が土台なんですね。まさに「信仰に始まり信仰に進ませる」というわけです。
 
 まずは行ってみようと思い、そして玄関に出て、靴を履いてみませんか。

 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.05.27.Wed 10:59 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #148

【福音その32】福音は聖霊の働き

" 神に愛されている兄弟たち。
 私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。
 私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。"
 テサロニケ人への手紙 第一 1章4-5節

 今日のテーマは「福音は聖霊の働き」です。

 パウロは福音を宣べ伝えたその現場が、力と聖霊と強い確信を伴っていたと言っています。それで、この地域で宣教をすることは、神の計画と選びの中で行われたことで、自分が勝手に計画を立ててやったことではないことが明白にわかる・・と言っているわけです。

 パウロが福音を宣べ伝えると、そこには「力」が伴っていました。明らかな奇跡や目に見えるしるしがそこに伴い、人々はそれを見て怖れ、神を心から受け入れる姿勢に変えられたわけです。
 またそこには「聖霊」が伴っていたと言っています。それは、宣べ伝えられているイエス・キリストがどのような方であるか、あの十字架はなんだったのか、、それがはっきりわかるという、聖霊によってしか理解できないことを人々は受け止めた、ということがわかります。
 そして「強い確信」・・。それはパウロの宣べ伝える福音は、疑う余地のないものだという確信です。

 神の福音が宣べ伝えられて、人がそれを受け入れ、そして新しく生まれ変わる・・。そのことは明確な事実として伴うということなんですね。
 ひょっとしたらこういう話を聞いて不安になるクリスチャンの方もおられるかもしれません。

「本当に自分はクリスチャンとして生まれ変わったのだろうか」・・。

 個人差はもちろんあるんですね。あとは伴ってくださる聖霊とどのようにお付き合いをするか・・、これが重要なことであるわけです。
 近づこうとすれば聖霊は身近な存在になりますし、無視しようと思えばできてしまうのです。
 また、その存在さえも感じられない方もおられるかもしれません。だったらそこは、次のみことばでご自身を判別してください。

" 神からの霊は、このようにして分かります。
 人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。"
  ヨハネの手紙 第一 4章2節

 イエス・キリストを主と告白する人のうちには、確実に聖霊が伴っていてくださるのです。主と告白するとは、イエスをまことの神であると認め、自分が従うべきお方であると、明確に思っているということです。
 そうだったら、さらに聖霊との深い交わりを求めて祈ること・・これが、求められていることなのかもしれませんね。

 祈り・・「主よ、私に聖霊を、私が倦むほどに与えてください。」

 福音の広がりは、聖霊の働きによるのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.05.26.Tue 09:34 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #147

【福音その31】神の恵み

" この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び成長しています。"
  コロサイ人への手紙 1章6節

 今日のみことばにはこんなことが書いてあります。パウロが宣べ伝えている福音・・、それは人々が神の「恵み」を聞いて「本当に理解した時」から、実を結ぶという成長が始まるのだと。そしてそのことが今、世界中で起こっているのだ・・と。

 今日のテーマは「神の恵み」です。

 私が子供の頃は、終戦後間もないこともあって、ホームレスの人が今よりもはるかに多くいました。その人たちのことを人々は「お乞食(こじき)さん」と言っていました。道端に座って「お恵みを・・」と言って、通りゆく人々の哀れみを乞い、置いてある空き缶にお金をチャリンと入れてもらって、それでなんとか食いつないでいたのです。
 このお恵み・・それは、正当な報酬ではない、ただ哀れみの心でいただくものです。それをいただくのは当然のことではない、人々の哀れみだけが頼みの綱で、それを受け取っていたということです。

 神が与えてくださるのは、神から離れた「滅びゆく魂」を「永遠のいのち」へと導く救いです。これをパウロは、神の「恵み」だと言っているのです。
 すなわち、そうやっていただくものは、神の一方的な哀れみと愛と慈しみからくるものであって、もともと私たちが受けるべき「正当な報酬」ではないということなんですね。
 そしてそのことがわかった時に、「成長が始まり、実を結ぶ」のだというわけです。

 イエス・キリストが人の子の形で地上に降り立ち、そしてすべての人の罪のあがないとなってくださった。これを自分のためのものだと受け取る人というのは、自分の持てる「プライド」が、どこにも根拠のないものであることを思い知った人なんですね。

「神」という存在を認め、その前にひれ伏すということを、普通だったら人はしないんです。ところが、聖霊は心の奥までを照らし、人の心のうちにあるすべてのものを見せてくださる・・。その時に「ああ、自分はなんと罪深い者なんだろう」と知るわけです。プライドが砕かれる・・その時に初めて人は、神の恵みを受け取る準備ができるんですね。

 この救いは、神に背を向ける者に対しての「一方的な恵み」であって、大きな顔をして受け取れるようなものではないのだということが理解できた時、そこから成長が始まり、目に見える結果としての実が実り始める・・。これが全世界で起きている共通のことだと、パウロは言っているわけです。
 
 その時人は、自分を優しく導いてくださる主なる神様の前に本当に降参し、従うという決意をする・・。成長のカギはここにあるんですね。

 祈り・・「神さま、私の心のうちを、その奥まで、あなたの光で照らしてください。」


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.05.25.Mon 08:33 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

IMG_7196.jpg

2回目になりました。
慣れないYouTube、苦戦しておりますが、
少しずつ改善を加えていけたらと思っています。
どうぞご覧になってください。

https://www.youtube.com/watch?v=jsThVLngKMI

2020.05.23.Sat 10:50 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #146

【福音その30】神の視点をいただく

" 私たちは、あなたがたのことを祈るときにいつも、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
 キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。
 それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。"
 コロサイ人への手紙 1章3~5節

 パウロは、父なる神に感謝していますと言っています。その理由は「全ての聖徒に対するあなた方の愛」を確認することができたからだというのです。
 そしてあなた方は、「天に望みが蓄えられている」から愛し合っているんだよと、パウロは言うのです。不思議な理屈ですよね。

 今回のテーマは「神の視点」です。

 私たちは、なかなか愛し合うというのは難しいものです。好きな人だけを愛するなら悪人だってするわけで、私たちもそうしています。
 しかし教会において「すべての聖徒」すなわち、主にあるすべての兄弟姉妹を愛するというのは、実はその場に立てば、かなり難しいことがわかるんですね。
 それは、自分の感性で人を吟味してしまうからだと思うのです。

 しかしコロサイのクリスチャンたちは「すべての聖徒」を愛する、すなわち皆が愛し合っているというのです。そしてそのことをパウロは、父なる神に感謝しますと言っているわけです。
 神とその愛を知ったクリスチャンは、自分の感性ではなく神の視点で人を見ることを学ぶんですね。

 神の視点とは、御子のあがないを信じた者はすべてOKという視点です。
 御子のあがないとは私たちの罪のあがないです。すなわちキリストの十字架の目的のことです。それを信じれば、すべての罪が赦されるという信仰です。
 信じるということだけが条件で、神に受け入れられるというのです。そこに「自分の感性での吟味」が入り込む余地はないんですね。

 神の愛は、すべての人の上に等しくあるんです。問題は、人がそれを受け取るか受け取らないかだけだというのです。それを身を以て知った者が、自分の吟味によってではなく、神の愛をもって愛し合うようになるんですね。愛する相手に例外はないのです。

 信じるということだけで、天の御国と永遠のいのちが与えられる。これが「天に蓄えられている望み」です。この望みのゆえに私たちは、愛し合うことができる者にされるという話なんですね。

 イエス・キリストを心に迎えるだけで、人は変えられるのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.05.22.Fri 13:26 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #145

【福音その29】人間によるものではない

" 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。
 私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
  ガラテヤ人への手紙 1章11節

 パウロは言いました。ここのところをスルーしないでね・・と。
 それは、自分が伝えている福音は、「人間によるものではない」ということ。

 人は、神の話を聞いても、福音を聞いても、イエス・キリストが神の子だと聞いても、はなっから「ああわかってます。神でしょ」と思っているだけなんです。
 その神は、どう転んだって、人が自分の都合で作り出した、想像の産物だという・・その感覚が身についてしまっているんですね。

 パウロは徹底的にクリスチャンたちを迫害する人間でした。それがある時、上からの光に打たれ、そこでイエスの声を聞くんですね。それは雷のような強烈なものでした。周りにいた人たちは、その言葉が理解できずにいたのですが、パウロは声を聞くだけではなく、会話までしているんですね。
 パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と、イエス様はパウロに答えられたのです。

 人が悟りによって開いた「真理」でもなく、宇宙という「神的存在」が人に教えたのでもなく、頭脳明晰な人が編み出した「哲学」でもないんですね。
 この福音はイエス・キリストによって語られ、イエス・キリストによって開かれた救いの道、イエス・キリストという神の御子によって、神が人に与えられた救いのメッセージなんです。

 天地万物よりも大きな存在が、小さなひとつひとつの魂を思い、その魂の救いのために「人の子」として地上に降り立つという、これは私たちの想像の範囲を超えた出来事なんですね。それは、人の考えの範囲をはるかに超えたものです。
 ですからそんな話は、人が作ったって伝わりようのない話なんです。

 神がおられるんです。このことは「わたしが神である。他にはいない」とはっきり言われる神から発せられていることなんですね。

 人は神の話を聞いても、そのように「あり得る範囲を超えた話」は、受け入れないものなんですね。欧米のように、生まれた時から「神」が当たり前のように教えられている人でも、人は改めて「神」を信じるのでなければ、その神からの情報を受け取ることはできないんです。

 このことを理解すること自体が、実は奇跡なんですね。それは神から来る聖霊の働きによって、人は初めて「外」を見させられるわけです。

 福音は、人間によるものではないんです。
 ここがまず入り口なのかもしれませんね。

 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.05.21.Thu 07:48 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #144

【福音その28】神の力によって

" 私は福音を恥としません。
 福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
 福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。
「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。"
  ローマ人への手紙 1章16~17節

 今日のテーマは、救われて人が新しい者へと変わってしまう、その力はどこから来るのか・・ということです。

 パウロは言いました。わたしは福音を恥としません・・と。
 なぜこんなことを言うのでしょうか。それは、福音の中身が「みんなからバカにされるようなこと」だからです。それでも自分は恥とはせずに語り続けるんだとっているわけです。
 どういう点がバカにされるのかというと、それは「信じる」それだけで救われるという、至極単純なことしか言わないからです。
 そんなんで救われるなら、朝飯前じゃん・・と言いながら、多くの人々は信じないんですね。

 わたしはそのことがいちばんの要のことなんだから、語り続けますよ・・というわけです。
 あなたがどういう人かということとは関係なく、信じるという行為だけで、そこに働くのは「神の力」。救いをもたらすのはもっぱら神の力で、あなた自身がそれを手伝うという部分は他に何もない・・ただ信じる・・それだけなんだというんですね。

 何を信じるかというと、それはイエス・キリストを遣わされた神と、十字架で死なれて復活されたイエス・キリストを救い主として信じるという、その行為こそが神の前に正しいのであって、そこに差別はなく、それは世界中の全ての人に、なんの差別もなく与えられている・・ここに神の義「正しさ」あるのだというのです。

 義人は信仰によって生きる・・これは旧約聖書のハバクク書からの引用ですが、神の目から見て正しい人「義人」というのは、人に与えられた唯一の手段「信仰」を選び取る人だということなんですね。

 簡単なことなのに、それをしようとしない・・これが「人」の姿なんですね。人はそれを聞いてバカにしてしまうのです。あまりに軽すぎると・・。
 でも、それは決して軽いことではないんです。私たちが言っている神とは、天地万物を造られ、あなたを造られ、あなたを知っていて、あなたを愛し、あなたのために御子を人の形で使わして、十字架にかけるという、それほどのことまでして、ご自分の元に帰ってくるようにされた神・・。これを信じるというのは、決して軽いことではないんですね。

 イエス・キリストの十字架は、あなたが、その全能の神を認めないという「罪」、そしてその罪から来るすべての悪を、キリストがあなたの代わりにそこで担ったというしるしです。

 この父なる神、そして御子の十字架を、我が罪のためと信じる・・それだけで人は、神を知り、愛を知り、死の力が滅ぼされた永遠を知り、喜びと希望に満ちた生活へと変えられ、神を「この方はまことの神であった」と、神をほめたたえる者となるんです。

 その過程で人が変えられるのはもっぱら「神の力」による・・これは福音の重要なポイントなんですね。

 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.05.20.Wed 09:39 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






PROFILE

いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
ライブスケジュール
そしてキリスト教談義・・
・・再開です。
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