
ペトラストリートのレコーディング、リズムトラック録り、無事終了。全15曲。バンドものにしては三日で15曲は結構いいペース。あとはギターやピアノや、上物のかぶせ、歌の本番、コーラスで録音関係は終了する。8月末には終わる予定。
昨日反省ブログ「もういたしません」を書いて、最終日を迎えました。この「もういたしません」・・これも生徒ものになりそうですが、生徒に何度も何度も言っていること、、実は自分が言われないといけないんですね。おかげで何とも楽しい仕上がりになりました。
話は逸れますけどね、教えるというのが一番の勉強になる。教える立場にいなかったら、、今の自分、、随分違うのではないかなと思いますよ。なぜ勉強になるか・・。それは生徒の足りない部分・・と言うか、必要な部分を指摘するのが仕事で、それを指摘するのは結構簡単なわけです。人の状態というのは結構よくわかりますね。そして自分の状態を知るのは、、これは誰にも注意されない限り、なかなか気がつかないですね。自分でビデオを観て研究するとか、、。なかなかやらないけど。またこの歳になりますと、注意してくれる人はほとんどいません。たまにこれでもまだ先輩と演る機会が少しはあって、、なかなか厳しい指摘、あるいは何も言われないという生き地獄に放り込まれることがあります。これは実は本当に貴重なことなのでありまして、、それがあるからこの歳でもまだまだ精進などとのんきなことを言っていられるのでありますが・・。
・・で、生徒ものに戻りますけど、生徒の足りないところ、良くないところ、、大部分、、自分も持ち合わせているんですね。おかげで可成り良いペースで自分も変えられていますね。先生は先に生まれたんだから、その道に関しては可成り悟っていて、すべての点で模範にならなければならない、、、のだとしたら、わたし、先生、、無理かもしれません。本当に生徒と一緒に学んでいます。でも生徒と違うところはね、、、わたしはそのことを理解して教えているけど、、、生徒はなかなかそれが理解できないというところ・・。だから、少しだけ先に行っています。(笑)
わたしも学んでいる、現役、、そんな立場で教えているわたしは、「今」学んでいること、学んだことをそのまま生徒に教えます。大丈夫かい?・・そんな先生。と言われると、何とも返す言葉はありませんが、こんな旬な指導、、ありませんよ。大体演奏家は本当に大切な部分は隠し持っていて、決して他人には言わないんですよ。
話はまたまた少し変わりまして、、。中学の先生と生徒の関係などを考えるとき、子ども達に対して「先生」は完全なものということがほとんど前提のようにして存在しているというのがどうも気になります。良く思うのですが、「先生も過ちを犯す可能性は、君たちと同じようにある・・そう言う一個の人間として君たちに対峙しているんだよ。」と言うことをとても重要なこととして教えて、、、いないでしょう。まったく。・・と良く思うのです。
兎にも角にも自分が学び、得てきたものを伝えなければ、自分がいる意味がない、、、のでありますから、それを一所懸命するのでありますが、生徒はそうやすやすとはそれを理解しませんね。とにかく生徒とは、人としての信頼関係を築かなければ、そこでいろいろな物事の伝達という行為が成り立たないんですね。
あらら、、とりとめもなく長くなりました。
岩渕まこと/ペトラストリート、星野富弘/詩、岩渕まこと作曲シリーズ、第三弾。レコーディング真っ最中です。二日目無事終了。

星野富弘さんの画と言葉を開いて・・
よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
・・・・・
演奏していて、こんな歌詞が飛び込んでくる。そうだよなあと思いながら、、こちらは結構忙しい。新曲でこうしよう、ここはこれをしなければならない・・などと、いろいろな制約の中で「音楽」と言われる形に整えるという作業。
考えてみればクリックを使ったグループでのレコーディング、、久しぶり。苦戦しつつ何とか二日、10曲を終了しました。あと5曲。それにしても曲想が多彩。曲毎にアプローチを全く変えないと、どうにもサマにならなくて参りました。クリックのない音楽、、普通の音楽のことです。(笑) これは最近誰とやってもとても楽しく、、感触もいろいろあるけれど、毎回とてもエキサイティングな気持ちを持ち帰ることができて楽しんでいます。・・で、クリックのある音楽、、。これはどうも僕は30年来、、今もって苦手ですね。普通の音楽はドラムがいると、リズムに関しては皆ドラムに集中してくれるんです。尤もそうでない悲惨なときもありますけどね。(笑) ところが、クリックのある音楽、、、クリックとは録音時に流すメトロノームの電子音です、、、の場合、それこそスタジオで気のあった仲間だったらどういう聴き方をするか、大体互いにわかって仕事をすることが多いわけですが、普段はライブをやっている仲間同士で、クリック使用のの録音をすると、ひとりひとりがクリックとのつきあい方が微妙に違う。この辺がくせ者でして、、力関係の一致がライブですとわかりやすいのですが、クリックがあることによってドラムの位置、権威(笑)、役割というものが、とっても微妙になってきます。それでもとにかくいろいろ探りながらOKテイクにこぎ着けるわけです。「クリックいのち」と言って、クリックがあると水を得た魚のように演奏するプレーヤーも少なくないらしいですが、市原はそっちじゃないんですね。でも考えてみれば、それはクリックのない生演奏でも同じこと、、。いくら気のあった仲間でも、状況や曲、場所、楽器のコンディションによってこちらの姿勢も変わらなければならない。今日もめまぐるしく変わる曲想。。久しぶりに思い出しました・・。またまた「生徒モノ」ですが、、。
最初から決めてかかったらアウトですよ、、と良く生徒に言います。いろいろな状況があるのだから、この手で行こう、、と決めてかかったら大抵失敗します。むかし富士桜という関脇・・だったかな、、力士がいました。この人は一徹というか、必ず突っ張りをするんです。もう最初から突っ張りと決めているんです。それで小結まできたのですからたいしたもんです。だから富士桜の突っ張りはすごい。横綱も苦戦します。でも、、残念ながら横綱にはなれない。横綱というのは最初から自分の手は決めていないんです。立ち会い後にその場に一番ふさわし手を瞬時に判断して使うわけです。その判断が柔軟であればあるほど強い。君たちは横綱を目指しなさい・・と。言うんですが、、実はこれが結構難しくて、、。特に鮮やかな決まり手で勝という経験をするとしばらくそればかり使いたくなる。わたしなんかね、、、何十回この過ちを繰り返したかわからない。多分100回は行っていないと思うけど。。。今日もまた思い知ったわけです。そうだ、、もう一度、初心に返ろう。その場で見たものをそのまま受け取ろう。手を用意するのは・・何十回学んだか知らないが、、、もう一度、、はい。わかりました。もういたしません。

星野富弘さんの画と言葉を開いて・・
よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
・・・・・
演奏していて、こんな歌詞が飛び込んでくる。そうだよなあと思いながら、、こちらは結構忙しい。新曲でこうしよう、ここはこれをしなければならない・・などと、いろいろな制約の中で「音楽」と言われる形に整えるという作業。
考えてみればクリックを使ったグループでのレコーディング、、久しぶり。苦戦しつつ何とか二日、10曲を終了しました。あと5曲。それにしても曲想が多彩。曲毎にアプローチを全く変えないと、どうにもサマにならなくて参りました。クリックのない音楽、、普通の音楽のことです。(笑) これは最近誰とやってもとても楽しく、、感触もいろいろあるけれど、毎回とてもエキサイティングな気持ちを持ち帰ることができて楽しんでいます。・・で、クリックのある音楽、、。これはどうも僕は30年来、、今もって苦手ですね。普通の音楽はドラムがいると、リズムに関しては皆ドラムに集中してくれるんです。尤もそうでない悲惨なときもありますけどね。(笑) ところが、クリックのある音楽、、、クリックとは録音時に流すメトロノームの電子音です、、、の場合、それこそスタジオで気のあった仲間だったらどういう聴き方をするか、大体互いにわかって仕事をすることが多いわけですが、普段はライブをやっている仲間同士で、クリック使用のの録音をすると、ひとりひとりがクリックとのつきあい方が微妙に違う。この辺がくせ者でして、、力関係の一致がライブですとわかりやすいのですが、クリックがあることによってドラムの位置、権威(笑)、役割というものが、とっても微妙になってきます。それでもとにかくいろいろ探りながらOKテイクにこぎ着けるわけです。「クリックいのち」と言って、クリックがあると水を得た魚のように演奏するプレーヤーも少なくないらしいですが、市原はそっちじゃないんですね。でも考えてみれば、それはクリックのない生演奏でも同じこと、、。いくら気のあった仲間でも、状況や曲、場所、楽器のコンディションによってこちらの姿勢も変わらなければならない。今日もめまぐるしく変わる曲想。。久しぶりに思い出しました・・。またまた「生徒モノ」ですが、、。
最初から決めてかかったらアウトですよ、、と良く生徒に言います。いろいろな状況があるのだから、この手で行こう、、と決めてかかったら大抵失敗します。むかし富士桜という関脇・・だったかな、、力士がいました。この人は一徹というか、必ず突っ張りをするんです。もう最初から突っ張りと決めているんです。それで小結まできたのですからたいしたもんです。だから富士桜の突っ張りはすごい。横綱も苦戦します。でも、、残念ながら横綱にはなれない。横綱というのは最初から自分の手は決めていないんです。立ち会い後にその場に一番ふさわし手を瞬時に判断して使うわけです。その判断が柔軟であればあるほど強い。君たちは横綱を目指しなさい・・と。言うんですが、、実はこれが結構難しくて、、。特に鮮やかな決まり手で勝という経験をするとしばらくそればかり使いたくなる。わたしなんかね、、、何十回この過ちを繰り返したかわからない。多分100回は行っていないと思うけど。。。今日もまた思い知ったわけです。そうだ、、もう一度、初心に返ろう。その場で見たものをそのまま受け取ろう。手を用意するのは・・何十回学んだか知らないが、、、もう一度、、はい。わかりました。もういたしません。

な~じゅ/金城寛文クインテット・・終了後、お客さんと盛り上がってしまう。先日来わたしの過去を知っている人に立て続けに会うのはどうしてか。過去と言っても人に言えない過去ではなくて、30年以上前のわたしの活動について知っている人である。昨日はソニア・ローザのアルバム/大野雄二/を聴いていたという人がミクシィでコメントを下さるし、それから昨日のライブではピアニストの重久さんが笠井紀美子のTOKYO SPECIALを聴きまくっていたと言うし・・。今日の人は以前ジャズライフ誌に毎月書いていた記事・・タイトル、忘れました・・を読んでいたと・・。それぞれがどういう風にかわからないけれど、インプットされて今も残っているらしい・・。これらはすべて20代か30代前半かな・・。どちらかというとこわいもの知らずモードでやったものばかり。
そういえば随分以前に大野雄二さんのファーストアルバム「SPACE KID」の音を下さった人がいた。自分で聴いて結構新鮮。何回か聴いてしまった。これもこわいもの知らずモード初期のもの。(笑) そのあと、いろいろとこわいことがあったり(笑)、、エンジニアのアドバイスを聞いて奏法を変え、、などしているうちに、、若さと「はじけ」がいつの間にかなくなって・・。はい、わたしは今、それを取り戻そうとしています。
音大の生徒にもいつも言っていること。「僕は、最初にトラだった君たちがネコになって卒業すること・・それが一番望まないこと。いろいろなことを学ばなければならないが、それでネコになってはいけないんだからね。だから一度からだでわかったら、、それを捨てるんだ、、からだの奥ではインプットされて消えてはいないから安心して・・。」・・いろいろなことをさんざん言われながら、そんなことも言われて、、生徒も大変だとは思うけど、、。何とか大跳躍を遂げて欲しい・・。って、、、話が逸れた。