
文楽を観てきた。私にとって初めての人形浄瑠璃の生ライブ。第168回文楽公演、国立劇場。演し物はシェークスピアの作品から「天変斯止嵐后晴」(テンペストアラシノチハレ)。初心者の私にとって最初に王道ではないこの作品を観たのは良かったのかどうか到底わからないが、まずはどえらい面白かった。ご存知の方にはいうまでもないことだが、全体の構成は「映像」と「歌」と「奏楽」とで出来ている。映像が人形。歌が大夫の語り。そして奏楽が主に三味線でその他に琴や鳴り物といった具合。歌い手/大夫は途中で入れ替わったりする。人形は知らない人でもわかるかと思うが、一体を三人で操る。その辺に興味を持つ方も多いかと思うが、私としては何といっても大夫の語りが強力に迫ってきた。まあまあ普通の日本語の文をあのようなイントネーションで腹の底から歌い上げる・・。語り口に決まった型などのお約束はもちろんあるのだろうが、やはり演者によってかなり違うことがわかる。それがたまらなく面白い。そして自分でもやってみたくなる。この思いっきりがほとんど不可欠の条件になっているようなこのサウンド、、、もし若い頃に出会っていたらやばかったかも・・。
初めて観てこれだけ楽しめたのは、映画の字幕のようなものがあって、語っていることがよくわかったことと、もう一つ、実はこの本番の前に「サロン・ド・ブンラクザ & 観劇」という時間があって、出演者の中の一人がレクチャーというか、おしゃべりをする時間があって、特段カリキュラムがあるわけではなく、その人に任された交流会的な雰囲気の時間。それが助けになったかと思う。私が参加したこのサロンには三味線のいわばバンマス、竹澤宗助さんがお話しなどをしておられた。文楽の場合三味線は伴奏なのであるということ。それは大夫の伴奏で、その伴奏は大夫とのとても微妙な駆け引きの中でなされること。話を聞いているとほとんどジャズや我々の普段の演奏での駆け引きと同じ感覚を思い出させる。そしてこの日は大サービス。第一幕/といって良いのだろうか、プログラムには「第一」としか書いていないが・・。本編では右側のバンド席のようなところに大夫と演奏者が出たり入ったりなのであるが、この第一幕はバンド(三味線と琴) が正面に勢揃い。そのときの演奏を目の前で聴かせてくれた。目の前で聴くよりも舞台で聴く方がなんだか空気感もサウンドも有り難い感じ・・(笑)・・がしていたが、とにかく目の前で聴けたことは興味深いことであったし、演奏家としては、こんな感じかと様子がつかめる。そしてとにかく大夫と三味線の互いの存在というか、これが出過ぎてもいけないし、引っ込んでは役に立たないなどの話・・・。それがあったので本番ではとても楽しんで聴くことが出来た。
今日テレビで蜷川幸雄さんが言っていた。演劇は、音楽もそうだが、生の人間がその場でやる・・即ちライブ・・ここが面白いので、それは今のどんな技術、、映像や音の再現などでも得られない、そしてその場でしか聴けない/観れない、そのときにしか聴けない/観れない、、そういうものなのだと・・。 私ははまりそう。だが、値段がちと高いので、はまっても入り浸りにはならないと思うが。お金と時間が余っていたら、、多分しばらくはマイブームになるかも。
・ ・というか、オレ・・大夫・・やりたい。
写真はサロンでいただいた宗助さんの手ぬぐい。