
散歩をしていてふと思いついたこと・・。
科学も、芸術も、、あれはみんな神さまが作ったものを研究している・・って、そういうことなんだな。
科学も一所懸命各分野、研究解明を続けている、、それはみーんな神さまが作ったものを解明してるんだ。それにしても尽きないものだね、その解明というヤツ。
それで、芸術もそうなんだよね。科学は「仕組み」というヤツを解明しようとしていて、芸術はと言えば、これも「仕組み」と言えばそうなんだけど、数字とかでは表せないものの仕組み、、なのかな。それを絵にしたり音にしたり動きにしたり物語にしたり・・・。どうも言葉が足りない気はするけど。
そういうことを散歩をしていて、ワンワン吠えている犬を見ていて思いついた。。あれはなんだったんだろう。吠えている犬とすれ違って、後ろざまにその声を聞いていて、、ああ、犬は吠えることしかできないんだと改めて思っていた。でもかなりのことを伝達したり感じたりしているには違いない・・とか考えていて。
その直後なんですよ。角で立ち止まって「科学も芸術も・・あれはみんな神さまが・・」とメモっていたのは。
どうも良く思い出せない。

2010年、新しい年もどうぞよろしくお願いします。
新しい年はいよいよ「赤チャン」の歳でありまして・・。頭は幼児化、体はなんとも無理の利かない歳になってきたなあと、、ついでに体も幼児化して何でもかんでもやって貰いたい感じになってきておりますが、、。
演奏家としては、、まだまだ新しいことの発見続きで、これは毎年同じことを言ってますね。しかもそれが基本的な事柄でありますから困ったものです。例えば、昨年09年
暮れあたりにこんなことを発見しました。ドラムがリズムを刻むときには踏み越えてはいけない禁断の一線があるのだ・・と。その禁断の一線というヤツが具体的に見えるようになってきた。自分が感じるNGのリズム、、それはすべてこの禁断の一線を越えている。他人についても同じことが言えて、やはりその一線を越えているものはほとんど魅力を感じない。でもその「一線」というヤツは見えるからわかるのだけれども、これがまた見えなくなったりして・・。今年もまたそんなことばかり考えて過ごすんでしょうか。言ってみれば職人の仕事ですね。でも、最近わかってきたのは「おもしろいこと」の源はこの職人的な「こだわり」なんじゃないかって・・・。最近のテレビ番組はそうやって努力している人や成功している人たちを取り上げているものが増えてきているように思いますが、これらの人たち、、それはもう「こだわり」のひとことですね。ひとつのことにつかまる。それでそれをとことん追求している人たち。どんなことでも面白いことや、もっと言えば偉大なことをしてきたひとたちというのは、みんなあることに捉えられてそこ一点を見つめ続けた人たちなんじゃないかと思う。それで僕にもそういうところが少しだけどあるような気がする。それはリズム・・、正確に言うと「人と人の関係から生まれるリズムのおもしろさ」。 話をもう少し進めると「グルーブ」というもののエッセンスはそこにあるんじゃないかとぼくは思っているんです。でも最近のようにクリックで音楽を作っているとそういうことがなかなかわかりにくい。クリックを使っていても実はそういう人間的な関係というものがかかわってくるのだと思うのですが、要はそれだと「わかりにくい」んですね。僕などはクリックにどうしても慣れることができなかったのでそこから離れたことばかりを考えてきた。そのおかげで人の関係から生まれるリズムのおもしろさというものを逆に直接的に考えるようになったわけで・・と、そういうことを今年も続けるんだと思います。まあそれは単なる研究者の言葉でありまして、実際には演奏者の音としてそれを表現するというのが仕事になります。
ということで、この仕事が今年も続けられますように。そんなことを新しい年も考え続けるであろう「赤いちゃんちゃんこ」の年男であります。どうぞよろしく。
さて、新年1月は久々に久石譲+新日フィル/ワールドドリームオーケストラで演奏をいたします。新年早々ですが、6日(水)に長野/ホクト文化ホール。7日(木)に東京/サントリーホール、9日(土)は東京渋谷/オーチャードホールとなっています。ニューイヤーコンサート、、ちょっと優雅なひとときをお楽しみ下さい。その他にはこのWDOの合間になりますが、福田重男のプロデュースする森博子vo.のバースデーライブ、高田馬場でやります。他には歌声ペトラ、前田憲男/ウインドブレーカーズ/銀座スイングとなっております。詳細はホームページの「live」をご覧下さい。
皆様のお越しをお待ち申し上げております。
このブログを始める少し前に谷川俊太郎の詩集を読んで、少々ひらめくものがあり、急に詩を書こうと思い立ったことがある。そのときの詩、、ミクシィには載せた。それから詩がマイブームとなり何かというとメモを取り出し言葉と格闘をしたという時期が、ほんのわずかだがあった。それがいくら書いてもどうもサマにならず、結局詩は「三日坊主」ということで、それ以来まったく詩には興味もなく過ごしていた。それで最近、その頃に書いたわずかなしを偶然見たら・・結構面白い。当然それは「自分が」・・であるわけだが、せめて詩くらい自分が面白ければそのまま世間様にさらしてみようなどと・・また思ってしまったわけで・・。
まずは前回晒した詩を・・。やっぱり縦書きでないと感じが出ないもんで・・。

そして未発表の詩・・。あれからこんなにも早く父が逝ってしまうとは思っても見なかった。

まずは前回晒した詩を・・。やっぱり縦書きでないと感じが出ないもんで・・。

そして未発表の詩・・。あれからこんなにも早く父が逝ってしまうとは思っても見なかった。


茨城県に行くことが時々ある。千葉県もそうだが、茨城県はとにかく田舎の風景が何といったらいいのか・・充実している。高速を降りて山の中を走ると、何ともこれぞ典型的な「日本の風景」なんじゃないかなというような景色に出会う。こういう景色は親しんでいるようでよく考えるとなかなか見ることができない。それで運転していても思わず景色に見とれてしまう。
先日、前田憲男/ウインドブレーカーズのコンサートで竜ヶ崎市に行ってきた。ちょっと早めに着きそうなのでお茶でもと・・しかし本当に何もない・・例えばデニーズとかマックとか・・ところだなあと思いながら走っていて、ふと左の景色を見たら、,。こりゃすごい。地平線じゃないかと思うくらい、先の先まで畑で、,何もないではないか。思わず車を停めて携帯でパチリ・・。

旅に行くと、その地の何かしらに触れたいと思うのだが、なかなかそういう時間を持つことができない。しかしたまに待ち時間がありすぎて何をしたらいいかわからないときがある。そんなときはふらっと散歩に出かけたりする。
先日も阿川泰子さんのコンサートで福島に出かけた。この日、リハーサルが終わって本番までの間三時間ほどの待ち時間があった。ちょっと散歩に行ってきます・・と言ったら、リーダーのサックス奏者の村岡建さんが「ぼくもいく・・」ってな具合。ぼくよりも一回りもこの大先輩と二人で福島の街を散歩することとなった。村岡さんも僕も写真を撮ったりするのが好きで,その辺飽きないで一緒に街を観ることができる。ホテルのフロントで近所の地図などをもらって街の様子を訊いたりしてみる。その地図・・端の方が水色になっていてそれが阿武隈川の一部だったわけだが、川の一部分しか載っていないので川のようには見えず、いわゆる水際のような感じ・・。「これは海?」と、しかも馴れ馴れしい口調で訊いた私・・一瞬「海なわけないよな」と思ったわけだが、とりあえず自分がどこにいるかまったく自覚のないバンドマンであったことについてはいささか否めない気が・・。でもそんなことも頭の片隅を数分の一秒の間に過ぎたころ、ホテルの女性が「白鳥が観れますよ」と教えてくれて、、そりゃ行かなきゃ・・ということで、早速出かけた。
まさか白鳥に会えるとは思っていなかったのが・・いるではないか。来て良かった。白鳥に会えた。白鳥は動物というよりも機関車みたいな音で鳴くもんだということを知る。なんだか演奏モードの合間に一瞬浸った観光モード。帰る頃にはもう夕闇が・・。
写真は白鳥と戯れる村岡さんと、夕暮れの阿武隈川。


父に先に逝かれて、母はじわじわとさびしさが迫ってきているよう。それでも私たちが行くと昔話や、いろいろな話に花が咲く。足を悪くして,補助車のようなもので歩いていたが、最近は外でまとめて歩かなければならないようなときには、僕たちがいる限りやはり車椅子が何と言っても機動力がある。
父が逝ったあとには役所や銀行など、いろいろな手続きが山のようにあって、出かけなければならない。母本人がいた方がよほど早い手続きがあって、どうしても連れて行くことになる。・・で、最近は僕も車椅子を押す人になった。やはりやってみなければ気がつかないことってあるもんだ。それも本当に基本的な簡単なことなんだけど、,体験者でなければわからない。
先日名古屋の区役所に行った。役所というところはバリアフリーなどに関してはぬかりなくやっているという印象がある。ところが自分で車椅子を押して初めてとんでもないことに気がついた。バリアフリーの通路が盲人用の通路と重複しているのである。もちろん盲人も階段は躓きやすいのでバリアフリーの通路の方が楽だとは思うが、これ、車椅子を押して通って初めて気がついた。盲人用の通路は駅にあるようにあの黄色く塗られた導線がある。あの黄色い導線、単に黄色いだけではなく、当然のこと、盲人がわかるように歩くと出っ張っているからその導線がわかるようにできている。しかしそこを車椅子で通るとどういうことになるか。それはまったく未舗装のデコボコ道を歩いているのと同じなのだ。車椅子に乗っている人に衝撃を与えないようにとても気を遣って通らなければならない。ましてや自力で車椅子を動かしている人などは本当に通りにくい道だということを身をもって知った。バリアフリーの道があんなに通りにくいとは・・。施設の人間は気がついていないのだろうか。僕が行ったところが特別なんだろうか。役所でそういうことを改善するという、,改善というか、、改める・・これはしなきゃね。
こりゃひどすぎる。。。って、通った人でないとわからないわやっぱり。