
気がつけば、パソコンによって本当に全てが支配される世の中になってしまいました。若い頃に、イギリスの産業革命の時代はどんなだっただろうと思ったことがありましたが、今自分はそんな時代のまっただ中に生きているわけで、そんなことは夢にも思いませんでしたね。先日新宿駅のプラットホームの端を歩いていたときに見たその光景は、歩いても歩いても並んで待っている人の実に8割ほどの人がスマホに目をやっているという、5年前ではあり得なかった光景でした。人との交流の密度が爆発的に高まり、それを寸暇を惜しんでやり続けているんです。あるいは、ゲームに夢中になっている。ゆっくり空を見る余裕、時間、ヒマなどは全くなさそうですね。
そんなパソコン時代に私たちが悩まされるのは悪質メール、迷惑メールです。その多くはお金儲けや性的な欲求にエサをちらつかせ、入って行けば良い事などひとつもない泥沼、悪魔の巣窟という言葉がぴったりというような世界に引きずり込まれます。そんなメールが来るようになるきっかけは、私たちがその悪魔的な世界にチラッとでも足を踏み入れることによって始まるようです。コンピューター上で明らかにそのような世界とつながりを持てば勿論のこと、自分が気がつかないほどのところをかすっても敵はすかさずやってきます。コツコツ毎日働くアリの回りに無数の蟻地獄が穴を掘って待ち構えているような光景が目に浮かびます。
わたしも過去に明らかにそのような世界に足を踏み入れてしまったことがあります。また今でも本当にアリ地獄はこんなところにもあるのかと思うほどに、気がつかないうちに足を取られそうになることがあります。明らかにそのような世界と関係を持てば、確実に無数の悪質メール、迷惑メールに悩まされることになります。家内のパソコンにもそのようなメールが来ますが、H系のメールはそれほど多くはないことを見ると、こちらから関係を持つ世界と深く関わっていることがよくわかります。今のわたしのパソコンにはほとんどそのようなメールが来なくなったのですが、それでも飽きもせずにせっせと送りつけてくるし、新しい筋のメールだなとわかるようなものもあります。だいぶ以前の話になりますが、このようなメールに対して、聖書のメッセージを返信し続けたことがあります。あるものは送信専用で、返信出来ないのですが、ものによっては明らかにこの返信が読まれいてるなという感触が得られる場合があります。要するに機械的にではなく、返信を読んでしまうようなやり方をしている発信者がいるということです。一時、この聖書のメッセージを返信し始めたとき、悪質メールが倍増したことが・・いや、倍増どころか一通の返信に対し気が狂ったようにメールが送られてくるようになったことがありました。わたしも負けずに、自分で書きためた聖書のメッセージを徹底的に送ったことがありました。そうしたらなんと、あるときぴたりとそれが止んだのです。神のことばは光です。悪い心に光が当たると、その薄汚さが明るみに出されてしまうので、もう耐えられなくなるのですね。ドラキュラが朝になると暗躍出来なくなるというあの西洋の話は、そのことを象徴的に現したものではないでしょうか。まあ、ドラキュラはどうでも良いとして、わたしはこのメールを受け取った人が、正面からそれを読んでくれることを心から願っています。いつしかこの返信メールが10パターン以上もたまってしまいました。今では、変なメールが来ると即、その中から選んで返信します。それはこれらの悪質な行為を撃退するというよりも、そのようなことに時間を費やしている人にまことの光というにふさわしい、神からのメッセージに心を開いてもらいたいという思いで、最近では、それ来たっ!・・といった感じですぐにこのいくつもあるパターンの中から見繕って返信をしています。もっと多くの悪質メール発信者にこれを読んでいただきたいのですが、最近ではめっきり静かになってしまいました。(笑)
ここにその第一号をご紹介します。この文は明らかに自分が悪事をしていると認識している人に対して書いたものです。
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こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。・・聖書 マタイによる福音書 25:46
人のいのちは今の世だけのものではありません。神には一点の暗いところもありません。私たちはそこに帰るように招かれています。しかし私たちはあまりの罪の深さの故に神の怒りがその上にとどまり、滅び、苦しみの地獄に行くしかない哀れな者です。そのために神はみ子をこの地に遣わし、御子イエス・キリストは人のすべての罪を負って十字架に掛かるということをされました。そして死んでよみに下り、三日ののちによみがえり、天に上り、神の右の座について世の終わりまでいつまでも共にいてくださる。この方、イエス・キリストを救い主として信じる者はイエスと共に死んで、新しいいのちによみがえります。あの十字架は私たちの、あなたの罪のための刑罰なんです。私たちが悪いのに、神のみ子がその罪を負ってくださり、私たちの身代わりに罪の刑罰を負ってくださったと信じてイエス・キリストに従おうと心に決めた者は、すべての罪がゆるされ、新しいいのちを与えられ、光の中を歩むようになるのです。
私たちがどれだけ悪いか、それはあの十字架が語っています。あれが自分に相当な刑罰なんです。そのくらい悪い。あなただけではなく、すべての人が・・です。
今あなたは、悪の道から、すべてを赦し愛してくださる神のもとに帰りなさい。神はあなたをまったく新しく変えてくださいます。
十字架はあなたの罪の重さを表すと同時に、それを赦すためなので、私たちをゆるすためにあれだけの苦しみを受けてくださった・・その愛の大きさをも表しているものです。
今、目を開きなさい。我に帰りなさい。自分のことしか考えない姑息な道から、神の愛を人々に押し流して、光の道を人々に示す人へと変えられなさい。
God Bless You !
神の祝福があなたの上にありますように!
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もし悪質メールでお悩みの方がおられましたら、これを使ってみて下さい。著作権フリーです。(笑) また、ご希望の方には、今までたまったものを全てプレゼントします。(笑)
全てのことを通して、神の愛が押し流されていきますように願っています。

いよいよ始まります。黒鯛プロデュース、第14回公演「テラバン」。7月28(木)〜31(日)、7回公演です。稽古が始まりました。改めてご注意申し上げますと、市原は役者をやります。・・なのですが、今回は演奏行為と言える部分が結構ありまして、、この黒鯛プロデュースの芝居をやらせていただいた当初に申しておりました、ミュージシャンが役者をやるみたいな中途半端なことはやりたくない・・といったようなとんがった考えはいつしか丸くなり、なんでもやりまっせモード全開の今回の公演でございます。どうぞお楽しみ下さい。チケットは市原まで、メールでもなんでもお申込みいただけましたら当日精算とさせていただきますので、お気軽にお申し越し下さい。がんばります・・。はい。
Yuji Ohno & Lupintic Six・・始動いたしました。大きなホールが満員になるようなコンサートで新メンバーとしての、そしてドラマーとしての責任は結構プレッシャーがあるものですが、幸いいろいろな困難に直面 (笑) しながらも楽しんでやらせていただいています。芝居が終わり、8月には大阪と東京のビルボードライブ、そして奈良県橿原、京都府舞鶴に続き、北海道ツアー/網走大空町、帯広、札幌、函館と・・北海道は本当に久しぶりですので、楽しみです。また、大野雄二ピアノトリオとして、都内のライブハウスでもやります。お茶の水ナルで7/14(木).8/18(木)にやります。ベースは上村信。どうぞお楽しみに。
その他、先月ご案内した7月の分と、8月は8/11(木)に国分寺のジーザスコミュニティ国分寺にて、毎年恒例のJAZZ+ゴスペル/夏のコンサートがあります。国分寺駅前、今年はいつもの会場が使用出来ず、いつも礼拝をしているその場所でのコンサートとなります。開演は1時半。入場無料です。毎月の歌声ペトラは7/12(火)と8/16(火)です。
先ずは7/7(木) まきみちる&タイムファイブ/品川プリンス・ステラボール。7/9(土) Yuji Ohno & Lupintic Six/北九州黒崎ひびしんホール。7/15(金) 直居隆雄トリオ/沼袋オルガンジャズ倶楽部。7/18は市原よしみの子どもたちの発表会・・といっても、普通の発表会ではありませんでして、ゲストにワンツー・どんの歌のお姉さんとして4年間活躍した稲村なおこさんをお迎えし、サポートミュージシャンには市原とベースの小井政都志が参加するという贅沢な発表会。入場無料。お近くの方にはフラッとお寄りいただけます。
急に暑い季節の気配がしてきましたが、7、8月、どうぞよろしく応援のほど、お願い申し上げます。
それから、本家「TRIO’」。9月に短いツアーが決定しております。9/8(木) 高崎ケイノート。9/9(金) 新潟ジャズフラッシュ。9/10(土) 越生山猫軒。9/16(金) 軽井沢ならの木。9/17(土) 代官山レザール。チラシができ次第ご案内させていただきます。
もうひとつ。先日、ドラマー市原康のキリスト教談義その4「信じることでしか出会えない神」をブログにアップしました。チラッと興味がある方には、読み始めるととても面白いと思います。是非ご覧になって下さい。6月28日付です。