G-Cafe 聖書のことば #78
【恵みによる】エペソ2:1-9より
"しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。
あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"
エペソ人への手紙 2章4~5節
3節には、すべての人は「生まれながら御怒りを受けるべき子ら」であるとあり、それは神の御怒りだと書きました。
え? 神は愛なんでしょ? 自分たちの上に神の怒りがとどまっているというわけ? そんな神、俺は信じないよという話。時々聞きます。
そのことは、これまでにず〜っと言ってきたことですが、それは順番が違うんです。
すべての人は、神にとっては、怒りの対象でしかないような者なんです。そんな私たちをそこから救い出すために、神ご自身の側から、その道を開いてくださったんです。
それは、怒りの対象である私たちを、神は断腸の思いで愛してくださっていることのゆえ、なんですね。
放蕩息子の話が一番わかりやすいように思います。私たちはもともと「その家の子」だったんですね。
神の怒りは、帰ってくるべき子に対する怒りなんです。
その子のいのちの救いのために、ご自身のいのちをささげてくださったんですから、これ以上の愛はないわけです。
ですから、その息子が一旦家に帰ると決めたら、父は帰ってくる子を走って行って抱きしめ、無条件で受け入れてくださるんです。
私たちは神の怒りの対象であると同時に、愛の対象なんですね。
その神を、この エペソ2:4 では「あわれみ豊かな神」と表現しているわけです。
そして、その神が何をしてくださったのかというと、「背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださった」のだと言っています。
そうです。「キリストとともに」という方法で生かしてくださったというのです。
私たちは、キリストを救い主として自分の内に迎えることで、新しい者に変えられるのです。
このあまりにも私たちに良すぎる計らい。それが「恵み」という短い言葉で言い表わされています。
しかし神は、そのために筋を通さなければなりませんでした。
赦されるはずのない者の罪をうやむやにすることは、神にはあり得ないことなんですね。
そこで神は、人々の目の前に「これを見よ」と言って、私たちの身代わりとして十字架にかけられた御子イエス・キリストを掲げて見せたのです。
これがわたしの赦しのしるしなのだと、人々に、そしてそれが全世界に提示されたのです。
キリストは、あなたの罪を負って死なれ、そして三日ののちによみがえられました。
そのイエス・キリストご自身が、信じるあなたの内に救いとして、古い自分の死と、新しいいのちとなって生きてくださるのです。
そうです。死といのちをいただくのです。いのちだけいただくわけにはいかないんですね。まず「死」をいただいて初めて、いのちをいただくにふさわしい者となるのです。
実際には両方同時に・・ですが。
ここでもう一度、今日のみことばを味わってみましょう。
"しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。
あなたがたが救われたのは恵みによるのです。"
次回は、「天上にすわる」です。
主が聖霊を豊かに注いで、あなたを祝福してくださいますように!
God Bless You !