G-Cafe 聖書のことば #79
【天上にすわる】エペソ2:1-9より
"神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。"
エペソ人への手紙 2章6節
これらのことは、過去形で書かれていますが、クリスチャンが、キリストにあってよみがえったり、その後に天上に座するというのは、携挙(けいきょ/後述) という出来事以前にはあり得ないことです。
ですからこれらは明らかに、未来のこと「これから起きること」で、将来的な確定事項を過去形で表して、それが揺るがない約束であることを表現しているように思えます。
イエス様がこう言われているところがあります。
"人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。
すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。"
マタイの福音書 24章31節
イエス様は再び来られるんですね。それを「再臨」と呼んでいます。
私たちは再臨という言葉を漠然と使っているかもしれませんが、聖書を読んで行きますと、キリストが再び来られる時というのには「携挙」と「地上再臨」の二つがあることがわかります。
携挙とは「上に引き上げられる」ことで、キリストが地上に来られるのではなく、キリストにある者が「空中」に引き上げられるというのです。
その時のキリストの御姿は、イエス様が天に上られた時と「同じ有様」で来られる、と使徒行伝1:11 に書いてあります。
これに対し、地上再臨は「王の王、主の主」として、燃える火のような目を持ち、白い馬に乗られ、天の軍勢を率いて、「全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれる」(黙示録19章) ために来られるという、初臨のキリストとは打って変わった御姿で来られるものです。
携挙の様子が具体的に書かれているところがあります。
" 〜 号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。
そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。
こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。"
テサロニケ人への手紙 第一 4章16~17節
この携挙がどの時点なのかについては、意見が分かれるところなのですが、ヨハネの黙示録の7章9節には「すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。」とあります。
この群衆は、明らかに御使いではなく、キリストによってあがなわれた者たちです。その無数の大群衆がすでに天にいるという場面です。
しかし、今の時点でそのような存在が天にあるというような記述は、聖書のどこにもありません。
そしてこの天の大群衆の光景は、黙示録で子羊が7つ目の封印を解くより以前のこと、として記されています。
ですから携挙は、少なくとも大艱難時代の初頭かそれ以前ということになります。
どちらにしても、この携挙という出来事を通して、「キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださる」ということは実現するんですね。
今日の箇所は、そのことが約束されているんですよということを、この手紙を見る者たちに思い起こさせているわけです。
次回は2章7節から「限りなく豊かな恵み」です。
主が聖霊を豊かに注いで、あなたを祝福してくださいますように!
God Bless You !