G-Cafe 聖書のことば #80
【私たちの役割】エペソ2:1-9より
"それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。"
エペソ人への手紙 2章7節
この限りなく豊かな恵み・・それは4〜6節に書かれていることで、この節の言わんとしていることは、それを来るべき世々に示すのが、主が私たちに与えられた役割だということです。
そしてその目的は言うまでもなく、さらに多くの魂が主に立ち返るためです。
しかし、次のエゼキエル書37章を見ると、今はもう「来るべき世々」とか言ってられない時代に入ってきたのではないか、という気がして来ます。
"神である主はこう言われる。
見よ。わたしはイスラエルの子らを、彼らが行っていた国々の間から取り、四方から集めて彼らの地に導いて行く。
わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で一つの国とするとき、一人の王が彼ら全体の王となる。〜 "
エゼキエル書 37章21~22節
主なる神が、世界中に散っているイスラエルの民を集め、一つの国とするというのです。
そして「一人の王」とは、このあとの24.25節から、「わたしのしもべダビデ」すなわち「ダビデの子」と言われるキリストであることがわかります。
このことは、歴史の中ではまだ成就していません。
預言者エゼキエルの時代の30年ほど後(BC520) に、イスラエルの民は捕囚から帰り、神殿が再建され、事実上ユダの国となり、さらに500年後にイエス様が地上に来られました。しかしその「王となるべき方」は十字架に付けられ、ユダはAD70年に、ローマによって完全に滅び、ユダヤ人は世界中に散らされてしまったんですね。
ところがそれから時が経ち、1948年に世界中からユダヤ人が帰ってきて、イスラエルという国が忽然と現れます。
でも現在はまだ、そこにキリストが王として立っているという状態にはなってはいないわけです。
黙示録によれば、キリストが王として立たれるのは、大艱難時代の最後に再び来られた後の「千年王国」においてです。
その千年王国の前段階の大艱難時代には、反キリスト(荒らす憎むべき者)によって、神殿が蹂躙されるということが起こるとされています。
しかし現在、その神殿の場所にはイスラムのモスク(あの金色のドーム)があって、蹂躙されるはずの神殿がまだないのです。
当のユダヤ人たちはそこに入ることができず、神殿の城壁の外「嘆きの壁」で祈り続けているという状態です。
ところがそのユダヤ人たちは今、神殿再建に向けて着々と準備をすすめているんですね。
あの金のドームがイスラエルの神殿に替わるようなことがあれば、それは紛れもなく「秒読み開始」の時となります。
これらのことを並べて見ますと、今は、このエゼキエルや他の預言者、またイエス様ご自身が「終わりの時」について語っていることが、とてもリアルに感じる時代になってきていることがわかります。
今はもう「来るべき世々」という言葉が似合わなくなってきている・・そんな風に感じるのは私だけでしょうか。
私たちは、この終わりの時にあっても、いや、あってこそ、「この限りなく豊かな恵み」を世に示すことに力を尽くして、主に仕えたいものです。
次回は、もう一度、この箇所の補足です。
主が聖霊を豊かに注いで、あなたを祝福してくださいますように!
God Bless You !