G-Cafe 聖書のことば #87
【すべての人を照らす】ヨハネの福音書その4
ヨハネの福音書 1章9~12節から
" すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。12 "
ここも1-5節同様、光=この方=キリストですから、その部分を「キリスト」と読み替えてみますと・・、
すべての人を照らすそのまことの光、すなわちキリストが、世に来ようとしていた。
キリストはもとから世におられ、世はキリストによって造られたのに、世はキリストを知らなかった。
キリストはご自分のところに来られたのに、ご自分の民はキリストを受け入れなかった。
しかし、イエス・キリストを受け入れた人々、すなわち、その名(イエスは救い主)を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。"
・・となります。
キリストという光は、すべての人を照らす光で、そこから漏れる人はない。
しかもその光は「まことの光」であって、それが来ようとしていたと、言っています。
そして「この方」は、大体において、この世の主(ぬし)なのに・・、
すべてがこの方の支配と権威のもとにあるのに・・、
そこに生かされている者は、その方を知らなかったというのです。
キリストとしては、ご自分のところにこられたのに、全く歓迎されなかった、というわけです。
受け入れなかったのは 「ご自分の民」。それはイスラエルの民=当時のユダヤ人のことです。
神は、ひとりの人ヤコブすなわちイスラエルを選び、一大民族とされ、奴隷状態のエジプトから導き出し、最終的には40年かけて、約束の地カナン(今のイスラエル国があるところ)に導き入れたわけです。
イスラエルの民は、自分たちを導いて来られた神が「わたしこそまことの神であり、他にはいない」という方であるというということを、こんこんと教えられながら、ダビデ〜ソロモンという王国の頂点にまで上り詰めます。
ところがあろうことか、彼らは結局その神を捨ててしまうんですね。
その結果として、他国の侵略で人々はこの地から追い出されてしまいます。
それでも神の恵みにより、もう一度人々はエルサレムに戻り、神殿を建て直し、改めて、このまことの神なる主をあがめる者となるという、復活の奇跡が起こります。
そしてそれから500年ほど経った時に、いよいよキリストが「人の子」として、地上に来られたんですね。
その時、「ご自分の民」は、この「来るべき方」キリストを受け入れなかった・・というわけです。
そして「しかし〜」と続きます。
「ご自分の民」は受け入れなかったけど、この方イエス・キリストを本当のキリストとして受け入れた人々には、イスラエルだろうが異邦人だろうが、すべての人々に「神の子どもとなる特権」をを与えたと、そう言っているわけです。
次回はこの「神の子どもとなる特権」を見ていきたいと思います。
主が聖霊を豊かに注いで、あなたを祝福してくださいますように!
God Bless You !