G-Cafe 聖書のことば #93
【身を慎み、目を覚ましていなさい】
" あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。
身を慎み、目を覚ましていなさい。"
ペテロの手紙 第一 5章7〜8節
今、世界はこれまでに体験したことのないような恐慌に突入しようとしているように見受けられます。
正体不明のウィルスによる死者の数もさることながら、世界の経済活動が止まっていることによって、すでに経済的な破綻に追い込まれる企業や個人事業主が望みを失い、それに伴う自殺者の急増は、ウィルスによる死者を上回ることは必至である、という声が出始めています。
感染を抑えれば、病死者数は抑えられるが、それに伴って自殺者が増えるという板挟みの中に私たちは置かれています。大阪の吉村府知事は、その両者を天秤にかけながら、自粛要請を解除していくという方法を取るしかないのだと言っていました。
どっちに転んでも死者が増えるという事態・・これこそ恐慌、すなわち恐れ慌てるという事態が、地球全土を覆うということになるというシナリオが、少しずつ見えてきた。そんな状況のように思えます。
あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい・・。
今はほぼすべての人が、様々な思い煩いの中に置かれているのではないでしょうか。
このみことばの大前提は、いっさいをゆだねることのできる方が、本当におられるのだということです。
私たちのすべての必要をご存知の神、また「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と言い切っておられる神。この方にゆだねよ、というのです。
私たちの思い煩いは、ほぼすべて「死」という要因がからんでいるものです。この「死」につかまってしまうと、思い煩いは不動のものとなってしまい、最悪の事態には、それだったら先に命を絶ってしまおうということになってしまうわけです。
「死」というものが、それまでとは全く別の「単なる通過点」に変わってしまったクリスチャンでさえも、うっかりすると、この「死」につかまり、恐れと不安の中から出られなくなってしまいます。
聖書の中で、常に問われていること、それは「信仰」なんですね。
「神があなたがたのことを心配してくださるからです。」というみことばに、耳を傾ける余裕が自分の中にあるのかを、今問うてみる必要があるかもしれません。
本当に困り果てたときに、頼りになる人がいれば頼もしいですが、それでも人の力には限界があります。
ここでは「神に信頼を置け」と言っているのです。それは多分・・大声です。
それで「身を慎み、目を覚ましていなさい。」というのです。
身を慎みというのは、自分のイメージする世界に、自分の心までも奪われないようにしなさいということです。
目を覚ますとは、我に帰るということです。我に帰れば、そこに主がおられる。そのことに気付く。
そこに立っていなさい、というんですね。
この危機的な状況の中で祈ること、それは、
「主よ。ここにあなたの栄光を現してください。あなたが、私のことを心配してくださっている方であることを、信じることができるように、私を助けて下さい。」
そのように祈ってみませんか。
その時、私たちの目は、自分にではなく、困難と絶望の中にいる人々に向けられ、その人々のために祈り、具体的に助ける人へと変えられて行くのだと思います。
主が聖霊を豊かに注いで、あなたを祝福してくださいますように!
God Bless You !