G-Cafe 聖書のことば #105
【父に重んじられる人】ヨハネの福音書その20
" わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。
わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。
わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」"
ヨハネの福音書 12章26節
主に仕えるということの原則は、「イエス様について行く」ということで、その人を父は重んじてくださる、という話です。
父なる神様に重んじられる人・・。弟子たちはいわばこの世的な感覚で、主なる神様に重んじられる人になりたいと、密かに思っていました。
ヨハネの母がイエス様に、私の息子たちを、天では最も良い位に置いてくださいと願った時に、他の10人の弟子たちはそれに腹を立てたという記事があります。(マタイ20:20:24)
イエス様はそんな弟子達にこの話をされたわけです。
イエス様について行くとは、どういうことなのでしょうか。
イエス様は最後の晩餐の時に、あることを弟子達にして見せられました。
それはたらいの水で、弟子達の足を洗い、タオルで拭くということでした。
" ペテロはイエスに言った。「決して私の足を洗わないでください。」イエスは答えられた。「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります。」" (ヨハネ13:8)
ペテロは、そんなこと、めっそうもない。あなたが私の足を洗うなんて・・と言ったら、イエス様は、「これをしなければ、あなたとわたしのつながりはなくなります」と言われたのです。
キリストが自分の足を洗う???
それは、「キリストはあなたよりも低いところに立つために来られた」ということの証しでした。
このあとイエス様は十字架にかかられたのです。それは、私たちの罪の赦しのために最も低いところに立たれ、苦しみの末に死なれ、さらによみに下るということでした。
・・罪人よりも、どの罪人よりも低くなり、仕える人となられたのです。
父はこのイエス様に、復活という栄光を与えられたんですね。
最も低いところに立たれたイエス様と、そのなされたこと(十字架のあがない)を、受け取らなければ、イエス様との関係はなくなるんですよ・・ということ。それがイエス様がペテロに言われたことだったわけです。
「わたしがいるところ」・・それは、最も低いところ。それが「地に落ちて死ぬ一粒の麦」がいるところであり、「自分のいのちを憎む者」(前回参照) が行こうとするところなんですね。
父はその人を重んじてくださるというのです。
主が聖霊を豊かに注いで、あなたを祝福してくださいますように!
God Bless You !