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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています
G-Cafe 聖書のことば #185

【地を受け継ぐ】イエス様のことば 10

" 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。"
  マタイの福音書 5章5節
 
 この「幸いな者」シリーズを、キリストに従おうとする者への言葉として、その意味を見てきました。

 キリストに従う弟子たちの中には、おそらく柔和な者もいれば、気性の荒い者もいたのだと思います。彼らに向かってイエス様は、「柔和な者は幸いです」と言われました。そしてその理由は、「地を受け継ぐから」だというのです。

 聖書の中で「柔和な者」を探して見ますと、イエス様ご自身が「わたしは心が柔和でへりくだっている」と言われています。
 
 "わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。" マタイの福音書 11章29節

 イエス様は、柔和を「わたしから学びなさい」と言われたわけです。くびきとは家畜の首にはめて家畜をコントロールする横木のことです。ですからイエス様のくびきを負うというのは、イエス様のコントロール下に置かれるということです。そしてそのくびきの本質は「柔和」「へりくだり」だというわけです。

 聖書には「義人はいない。一人もいない」(ローマ3:10) と書かれています。全ての人は神から離れて、心の中は自分を守ろうとすることが最優先の「罪人」だというのです。
 そこに柔和というのはありえないんですね。でも、世の中にはクリスチャンでなくても柔和な人は結構いるように見えるのですが、聖書はそこのところを見抜いているのではないでしょうか。
 でもイエス様のくびきを負うなら「柔和な人」になって、たましいに安らぎが来るというのです。

 そしてここでは「柔和な者」は「地を受け継ぐ」と言っているわけです。

 私はここでハタと思ってしまうのですが、クリスチャンが柔和な者とされ、地を受け継いだという事例は、これまでにあるのでしょうか。それとも将来のことなのでしようか。
 この世はサタンの支配下にあると書かれています。(エペソ2:2) そして教会というのは、サタンの支配から神の支配地として奪回したところです。それはあくまでもその一部を奪い取ったのであって、受け継いだわけではないんですね。
 また、クリスチャンは地上では旅人であり、寄留者である(ヘブル11:13) とあります。これも「地を受け継ぐ」という言葉にはそぐわないことです。

 だったらクリスチャンが地を受け継ぐとはどういうことなのでしょうか。

 そのような出来事を聖書の中に探し求めると、一つだけこんな箇所があります。それは黙示録20章に記されている「千年王国」においてです。
 
" 彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。 " (黙示録20:4)

 ここで「彼ら」というのが全てのクリスチャンであるかどうか、それは私には判断できません。彼らは「イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。」その人たちだというのです。

 千年王国はサタンが縛られてしまって、キリストと共に治める者たちに引き継がれた国です。それならば「地を受け継いだ」と言えるのではないでしょうか。

 ただし・・、私はこのような解釈は聞いたことがありません。ただみことばから与えられたこととしてここし記したいと思います。

 どちらにしても、「柔和な者」となるためにキリストのくびきを負って歩む者は、「地を受け継ぐ」ということがどういうことなのかを知るようになる・・、それだけは確かなことのようです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.07.16.Thu 08:38 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
G-Cafe 聖書のことば #184

【主に従えない悲しみ】イエス様のことば 9

" 悲しむ者は幸いです。
 その人たちは慰められるからです。"
  マタイの福音書 5章4節

 前回と同じ箇所、「悲しむ者」のところです。
 キリストに従う者が世の光となるという流れの中で出会う悲しみ、考えてみれば、それにはもっと個人的なことがありましたね。

 それはキリストに従いたいのに従えないという悲しみです。あるいは従う力がないという絶望・・。

 イエス様が私たちに命じられた二つの大きな命令、それは心と思いと力を尽くして主なる神を愛すること。
 そしてもう一つは、自分を愛するようにあなたの隣人を愛する。

 この両者ともに、私たちの内にはそれを妨げるものがあります。それは「自我」。聖書ではそれを「肉の性質」と呼んでいます。

 神を愛するとは、神が喜ばれることはなんだろうと、いつもそういう思いの中で自分の行動も決まってくる・・そういうことなのだと思うのですが、これがなかなかできない。
 隣人を愛するとは「自分がして欲しいと思うことをその人にもしてあげる (マタイ7:12) 」、すなわち人が何を必要としているのかにいつも心を用い、そのように行動することです。ところがそれもやっていない・・。

 さあ主に従って行こう! と勇んで歩み始めても、自分がそれとは程遠いことを知り、がっかりしてしまう・・。
 しかし、もしあなたが熱意や誠意でそれを行おうとするなら、おそらくその通りになってしまうのだと思います。

 だいたいこの後(マタイの5章)に出てくる、イエス様が言われていること・・。そのほとんどは、私たちがそんなことできるのかなと思うようなことばかりです。それを自分の力で一生懸命にやろうとすると、自分との大きなギャッブを見せつけられて、悲しみと絶望にという結果になるというわけです。

 でもあなたがもしそうなら、あなたは慰められる・・、と今日のみことばは言っているんですね。

 主に従いたいという思いが強ければ強いほどがっかりする・・それは慰めに通じるということになるわけです。それは何故かというと、自分の力や能力に期待することをあきらめる人になるからなんですね。普通の人ならそのまま諦めるしかないわけですが、イエス様を信じて内にいただいている者は、そこで初めて「イエス様の力」に委ねるというところへと導かれるわけです。

 その時に初めて自分の内に、自分を新しくする力をいただいたいるということを目の当たりにするんですね。
 
 逆に言いますと、主に従うことができなくて悲しむ者でなければそこに到達することができない。だからこそ、そうして悲しむ者は慰めを受けると言っているわけです。自分はこんなに無力で、しかも相変わらずのどうしようもない者でも、そのまま主にすべてを開け渡せばいいのだ・・と。それは大きな慰めです。

 主を愛するなら従いたい・・。そこが出発点になり、そこに当然のようにして悲しみと絶望がやってくるわけですが、そのことを通るからこそ、それが慰めに変わるのだというわけです。だから幸いだというのです。

 ですから、そのような意味でこのみことばを受け取る時に、あなたにとって問題はなんでしょうかといえば、それはあなたはそこまで主を愛してますかということになるんですね。

 私たちがまず最初に求めること・・それは、

「主よ、あなたを愛すること・・それを心から願う者とさせてください。」ということになるのかもしれません。
 まずそのスタートがあれば、あなたは主が与えてくださる「幸い」を実際に受け取る者としての歩みが始まる、ということになるわけです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.15.Wed 12:59 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #183

【滅びゆく魂への悲しみ】イエス様のことば 8

" 悲しむ者は幸いです。
 その人たちは慰められるからです。"
  マタイの福音書 5章4節

 イエス様が弟子たちに言われた言葉、「幸いです」の二番目。
 悲しむ者・・。

 この一連の幸いな者・・それは、心の貧しい者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え乾く者、あわれみ深い者、心のきよい者、平和をつくる者、義のために迫害されている者、イエス様のゆえに悪し様に言われる者と続いて、それらの者は幸いであるというのです。
 そして、この話の結論は、それらの者は世の中では光り輝く者となって、人々があなたを見て、天の父をあがめるようになる・・。

 要するに、この話はキリストに従う者たちへのことばなんですね。

 キリストに従う者として、もし悲しみがあるならそれは慰められる・・という文脈になります。

 キリストに従う時に、悲しみがそこにあるのだとしたら、それはどのような悲しみでしょうか。
 その筆頭は、自分の周りにいるほとんどの人たちが、神を知らずに滅びに向かっているところを、自分の声にまったく耳を傾けてくれず、そのまま本当に死の恐怖の中で滅んでいく・・それをただ見ているしかないのだとしたら、これ以上の悲しみはありません。

 私の母は、昨年92歳で天に召されました。イエス様が迎えにきてくださることを信じて、最後の最後までそれをしっかり見届けようと、目を大きく見開きながら、呼吸は荒くなりましたが、すっと召されていきました。
 母との別離は悲しみですが、それは私にとっては大いなる喜びでした。母は確実に神のもとに幸いを得て、今もいることがわかるからです。

 このことは私にとって、大いなる慰めです。

 本当に魂の滅びを悲しむ者は、一人でも多くの魂が神に立ち返り、永遠のいのちをいただき、希望をもって天の父なる神のもとに帰ることが一番の深い願いとなる。そのためにわたし(イエス様) についてくるなら・・

 その者は慰められるからね・・。
 神のみわざをあなたは見ることになるからね・・。

 そういう意味なんだと、、実は私はこれを書いて初めてそのように受け取りました。

 悲しむ者は神と共にあるなら、神はその人を顧み、神からの具体的な慰めが必ず与えられるという、大きなくくりでの解釈があることはもちろん知っています。
 ですがここで言われている「悲しむ者」、それはこれから「キリストに従って行こうとする者」に対してイエス様が言われたことであると受け止める時、このような捉え方になったんですね。

 キリストに従う者は、必ず大いなる慰めをいただく者となる・・。

 これが私が受けたことです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.14.Tue 09:43 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #182

【心の貧しい者】イエス様のことば 7

"心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。"
 マタイの福音書 5章3節

 ここから「山上の垂訓」と言われている箇所が始まります。これはイエス様が群衆を前にして語られたことのような印象がありますが、よく読んでみると、イエス様が多くの群衆を癒された後に「山に登られた」とあります。そして腰を降ろされたら、そこに弟子たちが来たんですね。そして話し始められたのが「山上の垂訓」です。
 この山上の垂訓は民衆に語られたことではなくて、イエス様に従い、イエス様の語られる言葉を聞きたいと思っている人たちに語られたことなんですね。

 この話では冒頭に「幸いな者」が九つ挙げられています。

 「心の貧しい者」「悲しむ者」「柔和な者」「義に飢え乾く者」「あわれみ深い者」「心のきよい者」「平和をつくる者」「義のために迫害されている者」「イエス様のゆえに悪く言われる者」

 弟子たちには様々な人たちがいました。自分のことで悩んでいる者もいれば、世の様を見て義憤を感じている者、そしてそのために実際に人々からあざけられている者、またイエス様に従うというだけで悪く言われる者・・。
 実に様々な人がいるけれど、皆イエス様に従っていこうとしている人たち。その人たちにイエス様は、あなたがたは幸いだと言われたんですね。

 その筆頭が「心の貧しい者」です。

 心が貧しいという言葉は、一般的にはさもしいとか小さな器だとかいうイメージで使われることが多いですよね。しかしそれはイエス様に従おうとする人たちに似合う言葉ではありません。彼らはさもしい心で、また狭量の故に金銭だけを求めるような人たちとは正反対の人たちであることは、ここに書かれていなくても明白です。

 心が貧しい人・・、それは自分の心の中にまだ足りないものを感じている人、また満たされる必要があるけれども、それを満たすのは何なのかわからないで探し求めている人。そういう人のことなんですね。

 その人たちにイエス様は「幸いです」と言われました。なぜかというと「天の御国はその人のものだから」だというのです。

 自分の心が何かで満たされているのなら、心の貧しい人ではありません。心というのは色々なもので満たされたり、それが不足するから求めたりします。しかし何で満たそうとするのか・・それは、人によって様々です。
 億万長者になっても、オリンピックで金メダルを取っても、、、それが本当に自分の心を満たすものではないことに気がつく人は多くいます。でも実はそこに「幸い」の入り口があるというのです。

 あなたの心を本当に満たすもの。それは、あなたが今まで損なっていた「いのちなる神」という存在以外にはないんですね。

「心の貧しい人」は、求めるから幸いなんです。

 あなた、心の渇きを感じているあなたは、天の御国をいただく者になれるんですというのが、今日の神様からのメッセージなんですね。なぜなら「求める者」だからです。

 どうしたらそれをいただけるんですか・・。それは自分の罪のために十字架にかかられたイエス・キリストを救いとして信じて、心にお迎えする・・それに尽きるんですね。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.13.Mon 09:52 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

たいむサムネイル

GraceCafeたいむ#9 / YouTube

 〜逃げ込め港に〜

ドラマー市原康の「ミュージシャンにもわかる聖書の話」

 お話/市原康、賛美/市原よしみ

アップしました。

https://www.youtube.com/watch?v=EilGzAL3W_8&t=3s

God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.11.Sat 08:10 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
G-Cafe 聖書のことば #181

【新しい役割】イエス様のことば 6

" イエスは彼らに言われた。
「わたしについて来なさい。
 人間をとる漁師にしてあげよう。」"
  マタイの福音書 4章19節

 今日のテーマは「新しい役割」です。

 人はこの地上において、それぞれが何らかの役割を果たす者として生きています。その役割が一瞬にして変わった・・。それが今日のみことばの出来事です。

 世の人々は何も知らずにこの世を浮遊するように歩んでいて、どこから来たかもわからず、どこへいくかもわからない。また、おそらく最終到着地点は「死」であろうことは感じつつも、その死を本能的に忘れようとしながら、あるいはそれを目前にした時には必死になってそこへ行くまいとしながら、いろいろなものにすがりながらもその先は結局わからずじまいで、善良な人として、あるいは悪の限りを尽くしながら、人々はその一生を終えるわけです。

 聖書は言っています。人は死の後に「その行いに応じたさばき」があって、すべての人は今のままでは「まことのいのちを失った」ままで、その魂は滅びゆくしかないのだと。そしてそれは、自分が善良と思っている人たちも例外ではないというのです。
 まことのいのちは、まことの神という、いのちの源なる方のもとに立ち返った時に与えられるものだけれど、人と神との間には深い溝ができてしまっているというんですね。それは、人が神を認めないという「罪」からくるもので、父なる神はそのために御子を遣わして、その罪の解決のために、十字架の身代わりの死という、想像を絶する方法をもって人々が神のもとに帰ることができるようにされたのだ。この御子キリストの十字架が自分の罪のためだと信じる者が救われる・・。これが聖書に書いてあることです。

 漁師の仕事は魚を「とる」ことです。魚は何も知らずに湖の中を悠々と泳いでいるわけですが、そこに上からさっと網が降りて来て、気が付いた時には捕らえられて、陸に引き上げられしまうわけです。魚にとっては「一巻の終わり」です。
 人間をとる漁師とは、この世を浮遊していた人生をある意味で「一巻の終わり」にさせ、想像さえしなかった新しいいのちと希望の世界に、さっと引き上げてしまう・・それがその仕事だというんですね。

 イエス様が声をかけられたアンデレとシモンについて、他の福音書を見ると次のことがわかります。アンデレはバプテスマのヨハネの弟子でした。すでにある種の志(こころざし)を持っていた人であることがわかりますね。
 ヨハネは「見よ、神の小羊」と、イエス様を指して言います。それを聞いていたアンデレはイエス様について行き、その日にイエス様のところで一晩過ごします。そして帰って弟を見つけ「キリストに会ったぞ」と言って彼をイエス様のところに連れていったら、イエス様はその弟シモンに向かって「あなたはペテロと呼ばれるようになる」と言われました。(ヨハネ1:35-42)
 イエス様が活動を開始されたのはバプテスマのヨハネが捕らえられた後ですから、今日のみことばの出来事はその後のことであるわけです。
 漁師である彼らはガリラヤで網を打っていました。そこにイエス様が現れたのです。彼らはその時すでにイエス様を知っていたんですね。その時には何か期待感で一杯になったことは容易に想像できます。
 そこでエス様が言われたのです。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
 彼らは喜び勇んで、網を捨ててイエス様に付いて行きました。

 全ての人は、イエス・キリストを信じることで、その罪は赦され、永遠のいのちをいただき、死を通り越した永遠への希望が与えられます。しかし同時に、それらの人はこの地上において「新しい役割」が与えられるんですね。

 それは、「人間をとる漁師になる」ことです。

 
 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2020.07.10.Fri 10:33 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
G-Cafe 聖書のことば #180

【悔い改める】イエス様のことば 5

" この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。"
 マタイの福音書 4章17節

 今日のテーマは「悔い改める」です。

 イエス様は、宣教を開始してまず最初に「悔い改めなさい」と言われました。
 その理由は「天の御国が近づいたから」だというのです。

 天の御国のことを、それはイエス・キリストという救い主を受け入れて実現する「神との歩み」だといった、心の中の出来事のことだと主張する人たちがいます。
 しかしイエス様が言われている「神の国」や「天の御国」のたとえ話は、ほとんどすべてがこの地上での話ではなく、最後のさばきの時から救い出される人によって構成される「新しい神の国」の話ばかりなんですね。

 ですから、天の御国が近づいたということは、裏を返せばさばきの時が近づいたということになるわけです。近づいた・・これは時間のことなんですね。
 これを逃したら、もう他に救われる手立てがない。だから今悔い改めなさいと言っている・・。
 そして天の御国が近づいたとイエス様が言われたのは、まさにその要であるところのキリストが、いよいよ人々の前に現れたんだよと、ご自分のことを言われているわけです。

 悔い改めなさいとは、ただ引っかかるだけでもいいから、神のことばに心を向けて見なさい・・という風に受け止められてもいいかもしれません。本当は切実な、いのちが関わった話なんですが、多くの人々はそんなこと夢にも思っていないわけです。でも、そのみことばに少しでも引っかかるなら、私たちは神のもとに導かれていくんですね。

 悔い改めなさい・・。それは悪いことをしていないで、もう二度とそんなことをすることのないようにと、心に決めなさいというのとは、ちょっと違うんですね。
 でも普通はそのように受け止めますよね。確かにそのことも悔い改めの結果として心の中に起こる出来事の一つかもしれませんが、私たちはそんなことを心に定めて「良い人」になることなどできないんですね。

 真の意味の悔い改め・・それは、本当にあなたを作られ、あなたを愛する神・・がおられるんだよというメッセージに耳を傾けた時に、「ああ、それなら、その方のもとに帰ってみようかな」と思うところからはじまり、神がそのために用意された「帰り道」、それを知った時に、自分の大きな罪に気がつく・・そのことなんですね。
 その罪とは、父なる神からまったく目を背けていたこと。そして心の暗闇の従って歩み、その結果を白いペンキで何度も何度も上塗りをすることに専念していた自分・・。

 そこから解放されなさい。
 罪から解放されなさい。
 恐れから解放されなさい。
 わたしが救いとなったから・・。

 これがイエス・キリストの叫びなんですね。

 悔い改めなさい。天の御国は、あなたが手を伸ばせば届くところまで近づいているのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.07.09.Thu 10:27 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
G-Cafe 聖書のことば #179

【サタンの正体】イエス様のことば 4

" そこでイエスは言われた。
「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」"
 マタイの福音書 4章10節

 今日のテーマは「サタンの正体」です。悪魔は三つ目の誘惑で、とうとう本性を表します。

"悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」" (8~9節)

 悪魔とかサタンとかいうと、私たちはおとぎ話やアニメ、また映画などで今までに刷り込まれた色々な印象があるので、返ってストレートな理解を難しくしているように思います。
 聖書は、エデンの園の「蛇」から、世の終わりに火の池に放り込まれるところまで、ずっと悪魔=サタンの存在を認めています。

 サタンとは、神に仕える天使が堕落したものだと言われています。預言者イザヤはその預言の中で、このサタンを「明けの明星、暁(あかつき)の子」と呼んでいます。その暁の子に対して「お前はどうして天から落ちたのか」と言っているんです。さらにイザヤはサタンに対して「お前は心の中で言った『私は天に登ろう。〜 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』 だがお前はよみに落とされ、穴の底に落とされる。」と宣告しています。(イザヤ書14章)

 サタンは聖書によれば、実在する霊的な存在です、しかも神に敵対し、自らが礼拝されることがその奥底にある願いであるという「究極の勘違い野郎」だというのです。イエス様がサタンと対決したというこのシーンは、おとぎ話や逸話などではないんですね。「本当にあったこと」だし、「本当にあること」なのです。
 しかも驚くべきことに、人々はこの世においてサタンの霊的な支配下にあるというのです。(エペソ2:1-3)

 自分が賞賛の的になりたい。栄誉を受けたい。羨望の眼差しで見られたい。その感覚・・覚えがありませんか。これがサタンの支配の中に生きる「人」の内にある、秘めた願望なんですね。サタンは。自分が礼拝されることを喜ぶという、現実にある霊的な存在なんですね。
 賞賛されるべきは神のみ。すべての栄光は神に帰せられるべきものである。そして、礼拝されるべきはこの天地万物を造られたまことの神、ただおひとりなのだと、聖書は初めから終わりまで叫び続けています。しかしもともとの「人」の中には、この感覚がないんですね。

 またサタンは光の子に変装するとも言われています。

" しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。" (コリント人への手紙 第二 11章14節)

 サタンは、良い人、良い考え、良い思想、良い組織を装って私たちを騙すことを、パウロはこの時代にすでにしっかりと指摘しています。
『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』というみことばは、ふわふわしたイメージの言葉ではないんですね。

 初めはサタンの言葉に答えておられたイエス様は最後には「下がれ、サタン」と、しっかりサタンに立ち向かい、命令をしています。
 言うまでもないことですが、イエス・キリストの権威は圧倒的なんですね。
 そしてイエス様は「〜と書いてある」と、最後まで聖書の御言葉をもってサタンに立ち向かわれました。これは私たちへのとても大切な教えです。

" すると悪魔はイエスを離れた。" (4章11節)

 祈り・・「神様、聖書をもっと知りたいという思いを与えてください。」


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.07.08.Wed 10:14 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

G-Cafe 聖書のことば #178

【絶対的に信頼すべき神】イエス様のことば 3

" イエスは言われた。
「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」"
  マタイの福音書 4章7節

 今日のテーマは「絶対的に信頼すべき神」です。

 今日の聖書の箇所は、イエス様に対する悪魔の二番目の誘惑のところです。
 イエス様は最初に、聖書のみことばを使って悪魔の誘惑を封じました。そうしたら次は、悪魔も詩編のみことばをもってこう言ったのです。(詩篇91:10-12参照)

「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」

 詩編の91編は、主に信頼し、主を賛美して、主への堅い信仰を言い表しているところです。それを悪魔は逆手にとって、それだったら神殿の屋根から飛び降りてみろ・・とイエス様に言ったんですね。

 悪魔はみことばをもってしても巧妙な罠を仕掛けてきます。神はどんな時にも信じる者を顧み,守り,支えてくださるお方です。そういう信仰を持つ者に対して、悪魔はこう囁くわけです。「だったらそれが本当かどうか試してみよ」と。本当に信じているんだから、もし屋根から飛び降りても、神のみ使いが足を支えてくれるんだよね、みことばにはそう書いてあるよね・・と。

 これに対してイエス様が悪魔に対して言われたみことばは、申命記6:16のみことばでした。
" あなたがたの神である主を試みてはならない。"

 荒野の旅をしていたイスラエルの民を、神は水も何もない荒野に導かれます。それを見た民は、自分たちはエジブトで奴隷になっていた方がましだった・・と、モーセをのろい始め、殺そうとまでします。それに対してモーセは「あなた方はなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか。」と答えています。

 主を試みるとは、主を信頼しきっていないということ、そこに疑いを持っているということなんですね。民の怒りは神に対する疑いから来ていたわけです。
 モーセは主に助けを求め、主はモーセを通して岩から水を流れ出させます。これは不信仰な民に示された、神の哀れみでした。民は確たる信仰をもって、神が何をなされるか待てばよかったのですが、残念なことに民はそれを待つ信仰を持ち合わせていなかったのです。

 悪魔の言葉は、私たちの信仰をくじこうとします。思い通りにならなかった時に信仰を失いかける・・。これはよくあることです。悪魔はそこに必ず付け入ってくるのです。ほら、神なんかいないだろう・・。これで神が愛だなんて言えるのか・・と。
 神を信じていながら、失敗や、不幸や、絶望に陥った時、私たちはその誘惑の言葉にふらふらと乗っかってしまいます。

 私たちの神を試みてはならない・・その意味は、絶対的な信頼を置けということなんですね。イエス様が墓からよみがえられたこと・・そのことを通して、誰もが人生の線引きをする「死」というポイントさえも、主は無意味なものとされたのです。

 神殿から飛び降りる・・その行為自体に「神に対する疑い」が入っていることを私たちは見抜けるでしょうか。サタンの誘惑は、本当に巧妙なんですね。

 神は絶対に信頼すべきお方なのです。イエス様のお答えは「そんなことする必要は、どこにもないよ。」というものだったわけです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.07.07.Tue 10:32 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
G-Cafe 聖書のことば #177

【霊の食事】イエス様のことば 2

" すると、試みる者が近づいて来て言った。
「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
 イエスは答えられた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」"
 マタイの福音書 4章3~4節

 イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受け、「天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。」(マタイ 3:16) ということがありました。今日の箇所は、その後イエス様が聖霊に導かれて荒野に出て行って悪魔の試みを受けたという話で、その悪魔との三つの問答のひとつ目です。

 悪魔の試みを受けるというのは、人ならば必ず通るところ・・そこをイエス様も先ず最初に通られたんですね。

 イエス様は「神の子である神」が、徹底的に「人の形」になって来られた方です。悪魔は「人の形で来られた」というキリストの第一目的を、とにかく台無しにしたかったんですね。ですから、悪魔は三つの誘惑の中のふたつは「あなたが神の子なら・・」というところから切り込んでくるわけです。
 キリストとしてのイエス様は、五つのパンと二匹の魚を五千人分の食料にすることができるお方なんですが、この時のイエス様の答えは徹底して「人」としての答えだったわけです。サタンは、これで一敗となります。
 そしてイエス様は、このサタンへのことばを通して、人である私たちが受け取るべき真理を語ってくださっているんですね。

 今日のテーマは「霊の食事」です。

 肉体のための食料は誰に言われなくても欲しくなりますが、「神の口から出る一つ一つの言葉」について、私たちは毎日いただかなくても平気でいたりします。
 神の口から出る一つ一つの言葉、それは聖書から受け取るみことばのことなんですね。
 そのみことばは生きる上で欠かせない「霊の食事」だというのです。

 あの分厚い聖書を読むのは至難の技ですが、神の助けを得て読み続けることができます。しかしあの全部を一回読んだだけでは、とてもその概要は分かるものではありません。毎週の礼拝説教や、教会での学びの時間、またいろいろな参考書物に助けられながら自分で読むことを通して、なんとなく全体像が見えて来ます。
 ところが「神が与えてくださるみことば」は、初めての人でも読んでいく中で個人的に与えられるものなんですね。聖書全体を知ってから初めて分かるというものではないのです。
 聖書は何度読んでも、いつも初めて読んだ人のようなんですね。常に神は新しいことばを聖書を通して私たちに与えてくださるのです。

 今日の箇所をよく見てください。イエス様は「〜と書いてある」と言われているのです。聖書が神の言葉なんですね。

 神の口から出る一つ一つの言葉・・、忘れないで、しっかり霊の健康体を維持したいものです。

 
 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

 
2020.07.06.Mon 10:18 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






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いっちー
ドラマー市原康です。
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G-Cafe 聖書のことば #185【地を受け継ぐ】イエス様のことば 10(07/16)
G-Cafe 聖書のことば #184【主に従えない悲しみ】イエス様のことば 9(07/15)
G-Cafe 聖書のことば #183【滅びゆく魂への悲しみ】イエス様のことば 8(07/14)
G-Cafe 聖書のことば #182【心の貧しい者】イエス様のことば 7(07/13)
GraceCafeたいむ#9 / YouTube 「逃げ込め港に」・・アップしました。(07/11)
G-Cafe 聖書のことば #181【新しい役割】イエス様のことば 6(07/10)
G-Cafe 聖書のことば #180【悔い改める】イエス様のことば 5(07/09)
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G-Cafe 聖書のことば #177【霊の食事】イエス様のことば 2(07/06)
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G-Cafe 聖書のことば #176【キリスト・イエスの始まり】イエス様のことば 1(07/03)
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G-Cafe 聖書のことば #174【落ち込み】マイナスの出来事シリーズ21(07/01)
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G-Cafe 聖書のことば #171【劣等感】マイナスの出来事シリーズ18(06/26)
G-Cafe 聖書のことば #170【嫌な先生・上司】マイナスの出来事シリーズ17(06/25)
G-Cafe 聖書のことば #169【失敗】マイナスの出来事シリーズ16(06/24)
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G-Cafe 聖書のことば #167【妬み】マイナスの出来事シリーズ14(06/22)
GraceCafeたいむ #6 「変えられていく」をアップしました。(06/20)
G-Cafe 聖書のことば #166【不遇】マイナスの出来事シリーズ13(06/19)
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G-Cafe 聖書のことば #164【戦争】マイナスの出来事シリーズ11(06/17)
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G-Cafe 聖書のことば #161【猜疑心】マイナスの出来事シリーズ8(06/12)
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G-Cafe 聖書のことば #157【治らない病】日常の悩みシリーズ 4(06/08)
GraceCafeたいむ #4 〜十字架は神の愛のしるし〜(06/06)
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