G-Cafe 聖書のことば #174
【落ち込み】マイナスの出来事シリーズ21
"しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。
ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。"
コリント人への手紙 第二 12章9節
今日のテーマは「落ち込み」です。落ち込むというのは、一言で言えば自分にがっかりするということです。
引き金はいろいろあるのだと思います。自分がやってしまうことが実はやりたくないことだったり、誰にでもできるようなことが自分にはできなかったり・・。
人は状況次第で自分の存在価値が揺れ動くんですね。
パウロという人は、イエス様から直接、イエス・キリストについての真理の掲示を受け取り、神によって福音を述べ伝える器として用いられました。彼はその中で石打ちの刑にあって奇跡的に助かったものの、顔はボコボコだったはずです。また「肉体の棘」と言っている、どうしても取り除いて欲しい何かがあったことが、当人の言葉からもわかります。
パウロがそのトゲを取り除いて欲しいとイエス様に願った時、イエス様は「わたしの恵みはあなたに十分である」と言われた・・。それが今日のみことばです。
私たちは状況の中で落ち込んだりすることもありますが、そんな中でも与えられている恵みを数えるなら、それはこの世に生かされたことをはじめとして、数え切れない大きな恵みをいただいて、こうして生を受けています。
詩篇にはこのようなことばがあります。”わが神主よなんと多いことでしょう。あなたがなさった奇しいみわざと私たちへの計らいは。あなたに並ぶ者はありません。語ろうとしても告げようとしてもそれはあまりに多くて数えきれません。" 詩篇 40篇5節
でも・・、今日のみことばで主が語られたことはそうではなくて、「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と言われたのです。わたしの力とは、神の力、神の栄光、ここに神がおられるという、神ご自身による証言が、その人を通して、しかもそれは弱さのうちに現れる・・と言われたのです。そして「だから、わたしの恵みはあなたに十分だ」と、イエス様はパウロの願いを一蹴されたんですね。
人は、自分の栄光のためにそこに立つのではなくて、神の栄光を表す器としてこの世に置かれた・・。これが神が言われていることなんですね。それも「弱さのうちにそれが実現する」」と。
人が自分の力と意思を用いて神の栄光などを表すことは到底できないことです。そんな「人」は、弱さを覚えることでもなければ、全てを神に預けるなどということはできないのです。
人が神にすべてを預けることができる時に初めて、神はその人を通してご自身をそこに表すことがおできになるんですね。
弱さ・・それは、必要なものなんですね。自分の足りなさや愚かさ、そのほか全て自分についてマイナスに感じること・・それはむしろあなたに必要なことなんだと言うのです。
問題はこの世に立つ目的なんですね。自分の栄光を求めている限り、落ち込んだりすることは当然のこととしてやってきます。しかし神の栄光を表す器として世に立つことを望むなら、「弱さ」・・それは大いなる恵みとなるんですね。
「弱さを誇ることができる」、なんと幸いなことでしょう。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)