G-Cafe 聖書のことば #175
【コントロールできない感情】マイナスの出来事シリーズ22
"しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。"
ガラテヤ人への手紙 5章22~24節
今日のテーマは「コントロール出来ない感情」です。
今まで、マイナスの出来事について見てきましたが、そのほとんど全てに伴う「コントロール出来ない感情」・・怒り、憎しみ、蔑み、反発、恐怖、混乱・・それらの感情をコントロール出来ないから、これらの出来事が大きく問題としてのしかかってくるわけです。どんな状況に置かれても、心が全く平静でいられるなら、ほとんどの問題は問題ではなくなるのかもしれません。
今日のみことばは、イエス・キリストを信じる者には聖霊(=御霊/みたま) すなわち神の霊が宿り、その霊の支配下に自分を置くことによって「実」が実り始めるというのです。
「キリスト・イエスにつく者」は、自分の肉を情欲や欲望とともに十字架につけたと言っています。それはどういう意味かというと、キリストに自分を任せるという心の選択をした者は、キリストの十字架と死と復活が自分のうちに実現するのだということです。すなわち古い自分は死ぬのだというのです。(ローマ6:6) これは自分の努力ですることではなくて、信じるということで人の内にそれが実現するというわけです。
でもキリストを信じた者でも「肉の性質」を引きずっていますから、怒ってしまったり、恐怖にとらわれたらということはいくらでもあります。しかしそれでもキリストに目をとめつづける者は、御霊によってそれらの感情から優しく解放されていくんですね。
そしてもう一つの視点・・それは、イエス・キリストを信じていないあなたに、これらのマイナスの感情がもしなくなったら・・、その時にあなたの心には「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」というものが果たしてあるのか・・ということです。
いや、ありますよ・・という声も聞こえてきそうですが、この一つ一つの実に「本当の」という言葉をつけると、ちょっと正直な思いになれるのではないでしょうか。本当の愛、本当の喜び、本当の平安・・がありますか。
人は基本的に罪人(つみびと)なのだと聖書は言っています。罪人とは、神に背を向け、心の中も含めて実際に罪を犯す人です。その本質は自分中心です。自分で自分を守らなければならないと思う心です。そこに本当の平安はないんですね。
今日まで、マイナスの出来事について書いてきました。そしてそれに伴うコントロール出来ない心について書いてきました。でも毎回の結論、それは「解決はイエス・キリストにしかない」ということなんですね。
"この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。" 使徒の働き 4章12節
本当の平安、、それはイエス・キリストのところにあるのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)