G-Cafe 聖書のことば #176
【キリスト・イエスの始まり】イエス様のことば 1
" しかし、イエスは答えられた。
「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」
そこでヨハネは言われたとおりにした。"
マタイの福音書 3章15節
今日から「イエス様のことば」シリーズを始めたいと思います。四つの福音書を初めから順番に見て行きます。
イエス様はベツレヘムでお生まれになり、そこからは北へ約100㎞のガリラヤ湖近く、ナザレという小さな町で大工の家の子として育ち、イエス様ご自身も大工をされていました。当時約30歳。
このころ、バプテスマのヨハネという人が「悔い改めのバプテスマ」を宣べ伝えていました。それは、もうすぐ「来たるべきお方」キリストが来られる・・、だから悔い改めて、そのキリストを受け入れる備えをせよと民衆に警告し、ヨルダン川の水でバプテスマ(洗礼)を施すというものでした。
そこになんとイエス様が来られ、しかもバブテスマを受けたいと言われたんですね。ヨハネはびっくりしてしまって、とんでもない、私の方こそあなたからバプテスマを受けなければならない者なのに、とイエス様に言うのですが、イエス様は「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」と言われたんですね。そうしてイエス様は、バプテスマのヨハネから洗礼を受けました。これが今日のみことばの箇所です。
今日のテーマは「キリスト・イエスの始まり」です。
イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受けることを「正しいことを実現すること」だと言われました。
神のみもとにおられたキリストは、人の子の姿をとって、赤子として地上に来られ、そして30年かけて成長されるという、人間の姿そのものの形をとってここまで来られたわけです。そしてここでさらにされをはっきりお示しになるために「人」であるヨハネから洗礼を受ける・・。それは神の御子であり、同時に神であるイエス様が、徹底的に「人」のレベルにまでくだって来られたことを示される出来事なんですね。
これが、イエス様の言われる「正しいこと」であったわけです。
キリストは神であるのに、人でなければいけなかったんです。
それは最終的な目標、十字架と復活ということが、人の形の上になされるためだったんですね。しかも神の子なる神がそれをしてくだるというのです。
ここにキリストが人の形をとって来臨されたことの意味があるんですね。すべての人の罪を背負うという、人の体によってしか出来得ないこと・・それを神がしてくださるために・・キリストは人として来なければならなかったというわけです。
そこで起こったことが次の16節に記されています。
" イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊(みたま)が鳩のようにご自分の上に降(くだ)って来られるのをご覧になった。"
ここから御霊に満たされた「人」として来られたキリスト・イエス様の公生涯が始まるんですね。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)