G-Cafe 聖書のことば #177
【霊の食事】イエス様のことば 2
" すると、試みる者が近づいて来て言った。
「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
イエスは答えられた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」"
マタイの福音書 4章3~4節
イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受け、「天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。」(マタイ 3:16) ということがありました。今日の箇所は、その後イエス様が聖霊に導かれて荒野に出て行って悪魔の試みを受けたという話で、その悪魔との三つの問答のひとつ目です。
悪魔の試みを受けるというのは、人ならば必ず通るところ・・そこをイエス様も先ず最初に通られたんですね。
イエス様は「神の子である神」が、徹底的に「人の形」になって来られた方です。悪魔は「人の形で来られた」というキリストの第一目的を、とにかく台無しにしたかったんですね。ですから、悪魔は三つの誘惑の中のふたつは「あなたが神の子なら・・」というところから切り込んでくるわけです。
キリストとしてのイエス様は、五つのパンと二匹の魚を五千人分の食料にすることができるお方なんですが、この時のイエス様の答えは徹底して「人」としての答えだったわけです。サタンは、これで一敗となります。
そしてイエス様は、このサタンへのことばを通して、人である私たちが受け取るべき真理を語ってくださっているんですね。
今日のテーマは「霊の食事」です。
肉体のための食料は誰に言われなくても欲しくなりますが、「神の口から出る一つ一つの言葉」について、私たちは毎日いただかなくても平気でいたりします。
神の口から出る一つ一つの言葉、それは聖書から受け取るみことばのことなんですね。
そのみことばは生きる上で欠かせない「霊の食事」だというのです。
あの分厚い聖書を読むのは至難の技ですが、神の助けを得て読み続けることができます。しかしあの全部を一回読んだだけでは、とてもその概要は分かるものではありません。毎週の礼拝説教や、教会での学びの時間、またいろいろな参考書物に助けられながら自分で読むことを通して、なんとなく全体像が見えて来ます。
ところが「神が与えてくださるみことば」は、初めての人でも読んでいく中で個人的に与えられるものなんですね。聖書全体を知ってから初めて分かるというものではないのです。
聖書は何度読んでも、いつも初めて読んだ人のようなんですね。常に神は新しいことばを聖書を通して私たちに与えてくださるのです。
今日の箇所をよく見てください。イエス様は「〜と書いてある」と言われているのです。聖書が神の言葉なんですね。
神の口から出る一つ一つの言葉・・、忘れないで、しっかり霊の健康体を維持したいものです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
【霊の食事】イエス様のことば 2
" すると、試みる者が近づいて来て言った。
「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
イエスは答えられた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」"
マタイの福音書 4章3~4節
イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受け、「天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。」(マタイ 3:16) ということがありました。今日の箇所は、その後イエス様が聖霊に導かれて荒野に出て行って悪魔の試みを受けたという話で、その悪魔との三つの問答のひとつ目です。
悪魔の試みを受けるというのは、人ならば必ず通るところ・・そこをイエス様も先ず最初に通られたんですね。
イエス様は「神の子である神」が、徹底的に「人の形」になって来られた方です。悪魔は「人の形で来られた」というキリストの第一目的を、とにかく台無しにしたかったんですね。ですから、悪魔は三つの誘惑の中のふたつは「あなたが神の子なら・・」というところから切り込んでくるわけです。
キリストとしてのイエス様は、五つのパンと二匹の魚を五千人分の食料にすることができるお方なんですが、この時のイエス様の答えは徹底して「人」としての答えだったわけです。サタンは、これで一敗となります。
そしてイエス様は、このサタンへのことばを通して、人である私たちが受け取るべき真理を語ってくださっているんですね。
今日のテーマは「霊の食事」です。
肉体のための食料は誰に言われなくても欲しくなりますが、「神の口から出る一つ一つの言葉」について、私たちは毎日いただかなくても平気でいたりします。
神の口から出る一つ一つの言葉、それは聖書から受け取るみことばのことなんですね。
そのみことばは生きる上で欠かせない「霊の食事」だというのです。
あの分厚い聖書を読むのは至難の技ですが、神の助けを得て読み続けることができます。しかしあの全部を一回読んだだけでは、とてもその概要は分かるものではありません。毎週の礼拝説教や、教会での学びの時間、またいろいろな参考書物に助けられながら自分で読むことを通して、なんとなく全体像が見えて来ます。
ところが「神が与えてくださるみことば」は、初めての人でも読んでいく中で個人的に与えられるものなんですね。聖書全体を知ってから初めて分かるというものではないのです。
聖書は何度読んでも、いつも初めて読んだ人のようなんですね。常に神は新しいことばを聖書を通して私たちに与えてくださるのです。
今日の箇所をよく見てください。イエス様は「〜と書いてある」と言われているのです。聖書が神の言葉なんですね。
神の口から出る一つ一つの言葉・・、忘れないで、しっかり霊の健康体を維持したいものです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)