G-Cafe 聖書のことば #178
【絶対的に信頼すべき神】イエス様のことば 3
" イエスは言われた。
「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」"
マタイの福音書 4章7節
今日のテーマは「絶対的に信頼すべき神」です。
今日の聖書の箇所は、イエス様に対する悪魔の二番目の誘惑のところです。
イエス様は最初に、聖書のみことばを使って悪魔の誘惑を封じました。そうしたら次は、悪魔も詩編のみことばをもってこう言ったのです。(詩篇91:10-12参照)
「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
詩編の91編は、主に信頼し、主を賛美して、主への堅い信仰を言い表しているところです。それを悪魔は逆手にとって、それだったら神殿の屋根から飛び降りてみろ・・とイエス様に言ったんですね。
悪魔はみことばをもってしても巧妙な罠を仕掛けてきます。神はどんな時にも信じる者を顧み,守り,支えてくださるお方です。そういう信仰を持つ者に対して、悪魔はこう囁くわけです。「だったらそれが本当かどうか試してみよ」と。本当に信じているんだから、もし屋根から飛び降りても、神のみ使いが足を支えてくれるんだよね、みことばにはそう書いてあるよね・・と。
これに対してイエス様が悪魔に対して言われたみことばは、申命記6:16のみことばでした。
" あなたがたの神である主を試みてはならない。"
荒野の旅をしていたイスラエルの民を、神は水も何もない荒野に導かれます。それを見た民は、自分たちはエジブトで奴隷になっていた方がましだった・・と、モーセをのろい始め、殺そうとまでします。それに対してモーセは「あなた方はなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか。」と答えています。
主を試みるとは、主を信頼しきっていないということ、そこに疑いを持っているということなんですね。民の怒りは神に対する疑いから来ていたわけです。
モーセは主に助けを求め、主はモーセを通して岩から水を流れ出させます。これは不信仰な民に示された、神の哀れみでした。民は確たる信仰をもって、神が何をなされるか待てばよかったのですが、残念なことに民はそれを待つ信仰を持ち合わせていなかったのです。
悪魔の言葉は、私たちの信仰をくじこうとします。思い通りにならなかった時に信仰を失いかける・・。これはよくあることです。悪魔はそこに必ず付け入ってくるのです。ほら、神なんかいないだろう・・。これで神が愛だなんて言えるのか・・と。
神を信じていながら、失敗や、不幸や、絶望に陥った時、私たちはその誘惑の言葉にふらふらと乗っかってしまいます。
私たちの神を試みてはならない・・その意味は、絶対的な信頼を置けということなんですね。イエス様が墓からよみがえられたこと・・そのことを通して、誰もが人生の線引きをする「死」というポイントさえも、主は無意味なものとされたのです。
神殿から飛び降りる・・その行為自体に「神に対する疑い」が入っていることを私たちは見抜けるでしょうか。サタンの誘惑は、本当に巧妙なんですね。
神は絶対に信頼すべきお方なのです。イエス様のお答えは「そんなことする必要は、どこにもないよ。」というものだったわけです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)