G-Cafe 聖書のことば #179
【サタンの正体】イエス様のことば 4
" そこでイエスは言われた。
「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」"
マタイの福音書 4章10節
今日のテーマは「サタンの正体」です。悪魔は三つ目の誘惑で、とうとう本性を表します。
"悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」" (8~9節)
悪魔とかサタンとかいうと、私たちはおとぎ話やアニメ、また映画などで今までに刷り込まれた色々な印象があるので、返ってストレートな理解を難しくしているように思います。
聖書は、エデンの園の「蛇」から、世の終わりに火の池に放り込まれるところまで、ずっと悪魔=サタンの存在を認めています。
サタンとは、神に仕える天使が堕落したものだと言われています。預言者イザヤはその預言の中で、このサタンを「明けの明星、暁(あかつき)の子」と呼んでいます。その暁の子に対して「お前はどうして天から落ちたのか」と言っているんです。さらにイザヤはサタンに対して「お前は心の中で言った『私は天に登ろう。〜 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』 だがお前はよみに落とされ、穴の底に落とされる。」と宣告しています。(イザヤ書14章)
サタンは聖書によれば、実在する霊的な存在です、しかも神に敵対し、自らが礼拝されることがその奥底にある願いであるという「究極の勘違い野郎」だというのです。イエス様がサタンと対決したというこのシーンは、おとぎ話や逸話などではないんですね。「本当にあったこと」だし、「本当にあること」なのです。
しかも驚くべきことに、人々はこの世においてサタンの霊的な支配下にあるというのです。(エペソ2:1-3)
自分が賞賛の的になりたい。栄誉を受けたい。羨望の眼差しで見られたい。その感覚・・覚えがありませんか。これがサタンの支配の中に生きる「人」の内にある、秘めた願望なんですね。サタンは。自分が礼拝されることを喜ぶという、現実にある霊的な存在なんですね。
賞賛されるべきは神のみ。すべての栄光は神に帰せられるべきものである。そして、礼拝されるべきはこの天地万物を造られたまことの神、ただおひとりなのだと、聖書は初めから終わりまで叫び続けています。しかしもともとの「人」の中には、この感覚がないんですね。
またサタンは光の子に変装するとも言われています。
" しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。" (コリント人への手紙 第二 11章14節)
サタンは、良い人、良い考え、良い思想、良い組織を装って私たちを騙すことを、パウロはこの時代にすでにしっかりと指摘しています。
『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』というみことばは、ふわふわしたイメージの言葉ではないんですね。
初めはサタンの言葉に答えておられたイエス様は最後には「下がれ、サタン」と、しっかりサタンに立ち向かい、命令をしています。
言うまでもないことですが、イエス・キリストの権威は圧倒的なんですね。
そしてイエス様は「〜と書いてある」と、最後まで聖書の御言葉をもってサタンに立ち向かわれました。これは私たちへのとても大切な教えです。
" すると悪魔はイエスを離れた。" (4章11節)
祈り・・「神様、聖書をもっと知りたいという思いを与えてください。」
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
【サタンの正体】イエス様のことば 4
" そこでイエスは言われた。
「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」"
マタイの福音書 4章10節
今日のテーマは「サタンの正体」です。悪魔は三つ目の誘惑で、とうとう本性を表します。
"悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」" (8~9節)
悪魔とかサタンとかいうと、私たちはおとぎ話やアニメ、また映画などで今までに刷り込まれた色々な印象があるので、返ってストレートな理解を難しくしているように思います。
聖書は、エデンの園の「蛇」から、世の終わりに火の池に放り込まれるところまで、ずっと悪魔=サタンの存在を認めています。
サタンとは、神に仕える天使が堕落したものだと言われています。預言者イザヤはその預言の中で、このサタンを「明けの明星、暁(あかつき)の子」と呼んでいます。その暁の子に対して「お前はどうして天から落ちたのか」と言っているんです。さらにイザヤはサタンに対して「お前は心の中で言った『私は天に登ろう。〜 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』 だがお前はよみに落とされ、穴の底に落とされる。」と宣告しています。(イザヤ書14章)
サタンは聖書によれば、実在する霊的な存在です、しかも神に敵対し、自らが礼拝されることがその奥底にある願いであるという「究極の勘違い野郎」だというのです。イエス様がサタンと対決したというこのシーンは、おとぎ話や逸話などではないんですね。「本当にあったこと」だし、「本当にあること」なのです。
しかも驚くべきことに、人々はこの世においてサタンの霊的な支配下にあるというのです。(エペソ2:1-3)
自分が賞賛の的になりたい。栄誉を受けたい。羨望の眼差しで見られたい。その感覚・・覚えがありませんか。これがサタンの支配の中に生きる「人」の内にある、秘めた願望なんですね。サタンは。自分が礼拝されることを喜ぶという、現実にある霊的な存在なんですね。
賞賛されるべきは神のみ。すべての栄光は神に帰せられるべきものである。そして、礼拝されるべきはこの天地万物を造られたまことの神、ただおひとりなのだと、聖書は初めから終わりまで叫び続けています。しかしもともとの「人」の中には、この感覚がないんですね。
またサタンは光の子に変装するとも言われています。
" しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。" (コリント人への手紙 第二 11章14節)
サタンは、良い人、良い考え、良い思想、良い組織を装って私たちを騙すことを、パウロはこの時代にすでにしっかりと指摘しています。
『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』というみことばは、ふわふわしたイメージの言葉ではないんですね。
初めはサタンの言葉に答えておられたイエス様は最後には「下がれ、サタン」と、しっかりサタンに立ち向かい、命令をしています。
言うまでもないことですが、イエス・キリストの権威は圧倒的なんですね。
そしてイエス様は「〜と書いてある」と、最後まで聖書の御言葉をもってサタンに立ち向かわれました。これは私たちへのとても大切な教えです。
" すると悪魔はイエスを離れた。" (4章11節)
祈り・・「神様、聖書をもっと知りたいという思いを与えてください。」
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)