G-Cafe 聖書のことば #182
山上の垂訓・第1回
【心の貧しい者】イエス様のことば 7
"心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。"
マタイの福音書 5章3節
ここから「山上の垂訓」と言われている箇所が始まります。これはイエス様が群衆を前にして語られたことのような印象がありますが、よく読んでみると、イエス様が多くの群衆を癒された後に「山に登られた」とあります。そして腰を降ろされたら、そこに弟子たちが来たんですね。そして話し始められたのが「山上の垂訓」です。
この山上の垂訓は民衆に語られたことではなくて、イエス様に従い、イエス様の語られる言葉を聞きたいと思っている人たちに語られたことなんですね。
この話では冒頭に「幸いな者」が九つ挙げられています。
「心の貧しい者」「悲しむ者」「柔和な者」「義に飢え乾く者」「あわれみ深い者」「心のきよい者」「平和をつくる者」「義のために迫害されている者」「イエス様のゆえに悪く言われる者」
弟子たちには様々な人たちがいました。自分のことで悩んでいる者もいれば、世の様を見て義憤を感じている者、そしてそのために実際に人々からあざけられている者、またイエス様に従うというだけで悪く言われる者・・。
実に様々な人がいるけれど、皆イエス様に従っていこうとしている人たち。その人たちにイエス様は、あなたがたは幸いだと言われたんですね。
その筆頭が「心の貧しい者」です。
心が貧しいという言葉は、一般的にはさもしいとか小さな器だとかいうイメージで使われることが多いですよね。しかしそれはイエス様に従おうとする人たちに似合う言葉ではありません。彼らはさもしい心で、また狭量の故に金銭だけを求めるような人たちとは正反対の人たちであることは、ここに書かれていなくても明白です。
心が貧しい人・・、それは自分の心の中にまだ足りないものを感じている人、また満たされる必要があるけれども、それを満たすのは何なのかわからないで探し求めている人。そういう人のことなんですね。
その人たちにイエス様は「幸いです」と言われました。なぜかというと「天の御国はその人のものだから」だというのです。
自分の心が何かで満たされているのなら、心の貧しい人ではありません。心というのは色々なもので満たされたり、それが不足するから求めたりします。しかし何で満たそうとするのか・・それは、人によって様々です。
億万長者になっても、オリンピックで金メダルを取っても、、、それが本当に自分の心を満たすものではないことに気がつく人は多くいます。でも実はそこに「幸い」の入り口があるというのです。
あなたの心を本当に満たすもの。それは、あなたが今まで損なっていた「いのちなる神」という存在以外にはないんですね。
「心の貧しい人」は、求めるから幸いなんです。
あなた、心の渇きを感じているあなたは、天の御国をいただく者になれるんですというのが、今日の神様からのメッセージなんですね。なぜなら「求める者」だからです。
どうしたらそれをいただけるんですか・・。それは自分の罪のために十字架にかかられたイエス・キリストを救いとして信じて、心にお迎えする・・それに尽きるんですね。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)