G-Cafe 聖書のことば #183
山上の垂訓・第2回
【滅びゆく魂への悲しみ】イエス様のことば 8
" 悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるからです。"
マタイの福音書 5章4節
イエス様が弟子たちに言われた言葉、「幸いです」の二番目。
悲しむ者・・。
この一連の幸いな者・・それは、心の貧しい者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え乾く者、あわれみ深い者、心のきよい者、平和をつくる者、義のために迫害されている者、イエス様のゆえに悪し様に言われる者と続いて、それらの者は幸いであるというのです。
そして、この話の結論は、それらの者は世の中では光り輝く者となって、人々があなたを見て、天の父をあがめるようになる・・。
要するに、この話はキリストに従う者たちへのことばなんですね。
キリストに従う者として、もし悲しみがあるならそれは慰められる・・という文脈になります。
キリストに従う時に、悲しみがそこにあるのだとしたら、それはどのような悲しみでしょうか。
その筆頭は、自分の周りにいるほとんどの人たちが、神を知らずに滅びに向かっているところを、自分の声にまったく耳を傾けてくれず、そのまま本当に死の恐怖の中で滅んでいく・・それをただ見ているしかないのだとしたら、これ以上の悲しみはありません。
私の母は、昨年92歳で天に召されました。イエス様が迎えにきてくださることを信じて、最後の最後までそれをしっかり見届けようと、目を大きく見開きながら、呼吸は荒くなりましたが、すっと召されていきました。
母との別離は悲しみですが、それは私にとっては大いなる喜びでした。母は確実に神のもとに幸いを得て、今もいることがわかるからです。
このことは私にとって、大いなる慰めです。
本当に魂の滅びを悲しむ者は、一人でも多くの魂が神に立ち返り、永遠のいのちをいただき、希望をもって天の父なる神のもとに帰ることが一番の深い願いとなる。そのためにわたし(イエス様) についてくるなら・・
その者は慰められるからね・・。
神のみわざをあなたは見ることになるからね・・。
そういう意味なんだと、、実は私はこれを書いて初めてそのように受け取りました。
悲しむ者は神と共にあるなら、神はその人を顧み、神からの具体的な慰めが必ず与えられるという、大きなくくりでの解釈があることはもちろん知っています。
ですがここで言われている「悲しむ者」、それはこれから「キリストに従って行こうとする者」に対してイエス様が言われたことであると受け止める時、このような捉え方になったんですね。
キリストに従う者は、必ず大いなる慰めをいただく者となる・・。
これが私が受けたことです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)