" それからすぐに、イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ、その間に群衆を解散させられた。
群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。
夕方になっても一人でそこにおられた。"
マタイの福音書 14章22~23節
群衆を解散させるという仕事は、弟子たちがすることでした。ところがイエス様は弟子たちを先にガリラヤ湖の向こう岸に舟で向かわせました。
「イエス様のことば」シリーズは、イエス様が言われたおことばについて触れるシリーズですが、今回は「おことば」は出てきません。でも、次のことを示されたので記したいと思います。
この前に出てくる五つのパンと二匹の魚の奇跡をされる前にも、イエス様は「自分だけで寂しいところへ行かれた」とあります。
イエス様にも「一人になる」時間が必要だったんですね。
それは、一人になるのではなくて、父と二人の時間を過ごす時間です。それが必要だったんですね。
今日のテーマは「神との同期」です。
五つのパンの奇跡、そして湖を歩いて弟子たちのところに来られるという奇跡も、そのような時間を持たれた後の出来事です。
これらの奇跡は、神の「み力」の完全な表れであって、イエス様が全能の神の御子キリストであることをそこに表されたという出来事です。
それらのことをなさるのにイエス様は、父と向き合う「祈りの時」を必要とされたんですね。
イエス様は、この地上で歩んでいる間は「肉の体」を持たれるという存在でした。
ということは、痛みも感じるし恐れも感じる、また疲れも感じるという「肉の体」の制約の中で地上での働きをされていたということです。
ですからイエス様にとって、父との時間は欠かすことのできない、絶対に必要な時間だったんですね。
そして、父との交わりを持たれた後にこの二つの大きなみわざをされたというわけです。
私たちはイエス・キリストというお方を内にいただいています。神はそれによってご自身を世に表されようとしておられるんですね。しかし誘惑の火矢は絶え間無く飛んできます。
もしクリスチャンであるあなたが、祈りなしで何かできると思っているのでしたら、この話を聞いて目を覚ます必要があります。
イエス様でさえ、その時間が必要だったのです。
悪魔が一番恐れるのは、私たちが祈ることなんですね。
ここに父の栄光が現される扉があるのですから。
祈りとは「神との同期」です。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)