" イエスは彼らに答えられた。
「夕方になると、あなたがたは『夕焼けだから晴れる』と言い、朝には『朝焼けでどんよりしているから、今日は荒れ模様だ』と言います。
空模様を見分けることを知っていながら、時のしるしを見分けることはできないのですか。
悪い、姦淫の時代はしるしを求めます。
しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」こうしてイエスは彼らを残して去って行かれた。"
マタイの福音書 16章2~4節
ユダヤ人を指導する立場にいるパリサイ人やサドカイ人たちは、イエス様に「天からのしるしを見せてほしい」と言いました。その意味は、あなたが神の子キリストであることを主張するなら、そのはっきりした証拠を見せてみろという意味です。
その「天からのしるし」という彼らの言葉に対してイエス様は、天の状況を見て空模様を見分ける話をされます。
それは、夕方に天を見て、それが夕焼けだったら晴れを予想し、朝焼けだったら荒れ模様を予想するという、人々のごく日常的な生活の話です。それなのに「時のしるし」すなわち、来たるべき時がやってきた・・それを見分けることができないのかと、イエス様は嘆かれます。
イエス様は病人をいやし、悪霊を追い出し、自然界をも従わせ、そして神の国を宣べ伝えられました。そしてイエス様を見た者は神を見たのだと、ご自分ではっきり言われました。
これ以上あなた方は、どういうしるしを求めるというのですか・・というわけです。
今日のテーマは「信じない」です。
イエス様はその様子を見て「悪い、姦淫の時代」と言われました。
聖書で多くの場合「姦淫」とは、まことの神以外のものを拝むという、偶像礼拝のことを指しています。それは心を寄せるべき方以外のものに心を奪われるということです。
しかしながらパリサイ人やサドカイ人たちが偶像礼拝をしていたのかというと、そうではありません。それでも彼らは姦淫という言葉を投げかけられてしまいます。
それは、まことの父なる神に心をしっかりと向けず、ほかのものを大切にしようとしていることを指しているんですね。
それは、自分の地位とか名誉とか、自分に属することです。自分ファースト、、それは罪人の姿そのものです。自分ファーストとは自分の利益を優先させるという意味ではなくて、神よりも自分を優先させるという意味です。
イエス様はまことの救いの扉が開かれる以前、すなわちその時代のことを「悪い姦淫の時代」と言われたわけです。そしてその時代に一つだけ「ヨナのしるし」が与えられるけど、それをしるしとして受け取らないならもう、それ以上に与えられるものは他にありません・・と、そう言われたわけです。
ヨナのしるしとは、三日三晩大魚の腹のなかにいて地に吐き出されたという、旧約聖書のヨナ書に書かれている預言者の話です。それはキリストが十字架で死なれ、三日ののちによみがえられる、まさにそのことを指しているわけです。
これが本当のしるしだというわけです。
しかし、その本当のしるしを見てさえ、信じない人は信じなかった・・。
パリサイ人やサドカイ人たちは、「信じない」と決めていたのではないでしょうか。
神に対して心を柔らかくし、神を父として、イエス様を神の御子キリストとして受け止めてみようと、心を変えること・・それが私たちに求められていることなんですね。
これが人類に与えられた、最初で最後のしるしなのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)