" イエスはこれらのことばをすべて語り終えると、弟子たちに言われた。
「あなたがたも知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
そのころ、祭司長たちや民の長老たちはカヤパという大祭司の邸宅に集まり、イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。"
マタイの福音書 26章1~4節
イエス様が最後の大事な話をされていたころ、祭司長たちや民の長老たちは、大祭司カヤパの邸宅でイエス殺害の計画を練り始めます。
それらすべての出来事は、あの十字架につながっていました。
最悪の事態、十字架・・。しかし本当はそれで終わりではなく、復活というのが着地点であったことを私たちは知っています。
しかし弟子たちの思いは、十字架までで止まっていました。イエス様が復活されたと聞いたとき、弟子たちは信じることができず、本当によみがえられたイエス様に会ってようやく、イエス様は復活されるという話をされていたことを思い出すのです。
私たちはどうでしょうか。
黙示録を見ると、あの恐ろしい光景に目が止まってしまいます。しかしそれがメインの話ではなくて、その後に完全な悪の滅びと、キリストによる新しい王国の実現があるのだというのが黙示録が言っていることです。
最悪の事態は最悪に通じている・・。その物差しが全てを見えなくしてしまうのです。
世の中の最悪の事態、そして個人的な最悪の事態・・。
でもそれは、その先のことのためにあるのだということをイエス様は身をもって示されたんですね。
すべてのことの上に着々と進められている神の計画・・それは暗闇からのどんでん返しなんですね。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)