" 人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」"
マタイの福音書 26章24節
前回と同じ箇所の後半です。
「そういう人は、生まれてこなければ良かったのです。」・・。このことばになんとなく引っかかるのは私だけでしょうか。
私を生まれさせたのはあなたですよね。・・と言いたくなってしまいます。
神様はただご自分の計画に従って、将棋の駒のように思い通りに人々をこの世に置き、それを展開させ、ご自分があらかじめ選んだ人々を天の御国の民とされるのでしょうか。
そうだとしたら、なんだか空しくなってしまいます。すでに自分の運命は決められてしまっているのですから・・。
人は「神の似姿」につくられたと、創世記1:26には記されています。
神は私たちに、選び取る権利と力・・即ち意思を与えられたんですね。
神からの情報も、それを受け取るのか受け取らないのか・・、それは自らの意思「心の行動」として決められる者として、神は私たちをつくられたのです。
神は全知全能なるお方です。ですから、誰が神のもとに帰ることになるのかということは、天地創造の初めからご存じだということになります。
でもそれは、初めから「決まっている」ということではなくて、「その人が自分の意思をもって決めること」をあらかじめご存じだ・・ということなんですね。
ですから、当人にとっては確定していないことであって、その人には選択するという決定の機会が与えられているのです。
ですから「人の子を裏切るその人はわざわい」なのです。ユダの中にサタンが入った (ルカ22:3) と書かれていますが、それはユダに責任がないということではないんですね。
神は人に「神の方を選ぶ」意思の力を与えられているんです。
人は自分の意思で神を選び、自分の意思で神を拒むのです。
あなたが最終的に神を選び取るかどうか・・、それはあなたが決めることなのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)