" 彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。
そして、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。
人々は彼女に「あなたは気が変になっている」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。"
使徒の働き 12章13~15節
エルサレムの教会の人々は、ペテロの命はほぼ望めないという状況の中で、必死に祈っていました。
そこに突然戸を叩く音がし、応対に出て行った召使いが慌てて戻ってきて、ペテロがそこにいるというのです。
そこで人々が言ったことは「あなたは気が変になっている」・・でした。
そして、それでもペテロだと言い張る彼女に「それはペテロの御使いだ」と言いました。
彼らはペテロの救出を祈っていました。
しかし祈りは聞かれるかもしれないが、あの牢からは絶対に出られないと思っていたのです。
これは日常的に祈るクリスチャンなら、とても身近かに思い当たることなのではないでしょうか。
祈っていながら、それがそのままかなえられるとは思っていない・・。
イエス様は言われました。
「あなたがたは、信じて祈り求めるものは何でも受けることになります。」(マタイ21:22)
それは言うまでもなく「神の御心にかなった祈り」のことです。
神と心をひとつにして、神の栄光がそこに現されることを願い求めるとき、イエス様は「何でも受けることになる」と保証してくださっているのです。
そんな信仰・・与えていただきたいですね。
「信仰」も、祈り求めるべきものなのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)