"さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。
それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。"
使徒の働き 15章1~2節
パウロとバルナバは宣教旅行から帰ってきて報告したことは、神は異邦人にも信仰の門を開いてくださったということでした。
ユダヤ人たちの習慣とは関係なくすべての人が、「信仰だけで」神との関係が回復される・・、このことをパウロたちは、自分たちの目で見て確信して帰ってきたのです。
ところが、帰ってきてみたら、ユダヤから下ってきた人々が「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」ということを教えているのを見て愕然としたというわけです。
教会の中でありながら、激しい対立と論争が生じたのです。
なぜならそれは、神から与えられた恵みの契約の一番大切な部分の理解に関することだったからでした。
そしてそれは教会の拠点であるエルサレムにおいても一致した見解を持つべき大問題でした。
教会の歴史は、福音の一番大切な部分を骨抜きにする「新しい考え」との戦いの歴史でもあります。
教会の始まりを指導した使徒たちは、そのために多くの書簡を残しました。
それが今の新約聖書の「手紙」なんですね。
聖書は、常に信仰がぶれないための羅針盤のようなものです。
そしてこの聖書を読む力は、聖書を読むことで与えられていくんですね。
聖書を読もう!
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)