" こうして彼らは教会の人々に送り出され、フェニキアとサマリアを通って行った。道々、異邦人の回心について詳しく伝えたので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。"
使徒の働き 15章3節
異邦人も割礼を受けなければ救われないという教えが広がっていることがパウロとバルナバの知るところとなり、それは大問題だと二人はエルサレムの教会に向かいます。
その道中、彼らは異邦人たちの地を通り、そこでもできる限りのことを語りました。
それは先の宣教旅行において、異邦人もイエスをキリスト(救い主)として信じたら、みな聖霊を受け、しるしと不思議なみわざがすべての地で見られた・・ということでした。
それは「信じる」ということだけで神のものとされるのだということを、神ご自身が示してくださったということです。
そしてその話は、異邦人の兄弟たちに大きな喜びをもたらしたというのです。
喜びをもたらしたということは、それまで喜べない何かがあったということです。
それが「異邦人も割礼を受けなければ救われない」という、誤った教えだったわけです。
救いの条件に余計なものを付け足してしまう・・。
たとえば、どれだけ神に奉仕したかが救いの条件であるというような、余計な要素を付け加えることは、いつの時代にも見られました。
そしてそれらは「異端」と言われる教えとして勢力を持ち始めるのです。
福音は、恵みによって、ふさわしくない者に与えられるのです。
イエス・キリストの十字架はそのためのものなんです。
人はこの恵みを本当に「恵み」として受け取るときに、救われるのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)