fc2ブログ
FC2Blog | RSS1.0 | ログイン | 投稿 

ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています

" そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。
 神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。"
 使徒の働き 17章29~30節

 アテネの人々はギリシヤ神話にどっぶり浸かっている人たちでした。
 パウロはそれを利用して、アテネの人々にも分かるようなことばで注意を引き、そして語り始めたのが今日の箇所です。

 人が手で作ったものを神として、それを拝む・・。
 それをを何の疑問もなく行っているということ自体が、本当はおかしいことなのではありませんか・・という指摘でした。
 
 それをパウロは「無知の時代」と言っています。
 これはまさに、我が日本人に向けて言われている言葉に他なりません。

 神が天地万物と私たちを造られた神なら、他のものを神として拝むことは、神に対する最大の侮辱です。

 ただ心が洗われるような気がするから、あらゆる偶像に手を合わせる・・、そういう「無知」から、まことの神に心の向きを変える・・。

 それこそが 「悔い改め」だというのです。

 新しい年が、日本の多くの人々にとっても、このまことの神との、まことの出会いの年となりますように祈るものです。

 2021年、大晦日

 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

  
2021.12.31.Fri 09:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

"『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。"
 使徒の働き 17章28節

 前回と同じ箇所です。
 パウロは、私たちのいのちは神の御手の中で生かされているのだという話をし、続いて多神教であるギリシヤ詩人のことばまで引用して語っています。

 これは、ギリシヤ人はゼウス神の子孫だという伝承のことを言っているわけで、明らかに非聖書的な考えです。
 しかしパウロはそれをあえて持ち出して、彼らの心をとらえようとしたわけです。

 まったく異なる価値観を持つ人の立ち位置に自分も立って、その心をとらえようとするパウロの熱意には頭が下がります。

 私たちの周りにいる人たちも、その拠って立つ「常識」はそれぞれ実に様々です。
 そしてその「常識」の上に自分も立って考えてみる・・これはなかなかできることではありませんね。

 はやる心を抑えて、人の話を聞く・・。
 できないならば、それは祈るしかありません。

 主よ、人の心を思いやる余裕を、私の心にも与えて下さいと・・。

 自分の内にそんな力はないとしても、主にはそれがおできになるのですから。
 

 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2021.12.30.Thu 07:16 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

"『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。"
 使徒の働き 17章28節

 神について、パウロの弁明の続きです。
「私たちは神の中に生き、動き、存在している」のだとパウロは言いました。

 神が人を造られたときのことが、創世記には次のように記されています。(2章7節)
 " 神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。"

 私たちの「いのち」は、神の息が吹き込まれたことによって成立しているのだと言っているわけです。

 私たちは日常、特に健康に過ごしているときには、まさかそれが自分自身ではない「ある存在」によって生かされているなど、夢にも思わないわけですが、身体について不自由な思いをするときには、自分の力で生きているのではないことに気がつくわけです。

 人のいのちは、天地とそこにあるすべてのいのちの創造主である「神」の御手にあるのです。

 私たちは生きています。
 しかし、それは与えられたもの、すなわち「恵み」の一言に尽きるんですね。

 神こそがいのちなんです。

 先ずは「自分のいのちは神の御手にある」ことを認める・・。
 これは結構なハードルです。

 でもそこから、いのちの探求の旅が始まるのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2021.12.29.Wed 09:22 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
 それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。"
 使徒の働き 17章26~27節

 パウロは「神」について、さらに話を進めます。

「一人の人」とはアダムのことです。そしてこのアダムは神に背き、その罪によってエデンの園すなわち、神と共に平安のうちに住んでいたその地を追われ、汗水流して働き、自分の力で自分を守りながら生きる者とされました。
 そして「あらゆる民」とは、このアダムの子孫であるわけです。

 人々は自分の領土を守らなければなりませんでした。
 そしてその「住まいの境」は、自分を守るための抗争によって、変わっていったのです。
「住まいの境をお定めになりました」というのは、神がその境を決定させたということではなく、その不安定な歴史を見守ってこられたということです。

 それは、決して平穏な世界ではなく、恐れと守りの世界でした。

 でも神がそのようにされたのは、「神を求めさせるためです」と、パウロは言ったのです。

 人々は、恐れと不安の状況の中に立たされなければ、神を求めることなどはしないんですね。
 でも、たとえ手探りででも、とにかく求めるならば、あなたは神を見出すというのです。

 神はあなたのすぐ近くにおられるのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2021.12.28.Tue 09:21 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。"
 使徒の働き 17章25節

 パウロの話は「神とは」というところから始まりました。
 今日の箇所はその続きです。

 一般の人々が神に対して持つそのイメージ、それは全くのお門違いですよとパウロは言います。

 人はあくまでも、自分の考えで神を動かそうとします。
 発想が逆なのです。

 自分のいのちも、すべてのものも、神が与えて下さったもの・・。
 私たちは神の前には、ただひれ伏すしかない者なのです。

 そして聖書には、その神が人を造られた「目的」が記されています。
 それは、私たちと相思相愛の関係を持つということです。

 人が神に目を向けるなら、神は手を差しのばされ、そこに神との交流が生まれ、さらに神との平和、愛の関係が生まれる・・。
 神は人をそのような存在として作られたというのです。

 しかし人はなかなか、その神を心から認めようとはしない・・。
 それでも神は、ご自身に背を向けるそのような人々に対して、あなたを愛し、あなたに手を差しのばしておられるというのです。

 人々の想像をはるかに超えた神についての情報が、聖書には書かれているのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2021.12.27.Mon 08:31 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 84.jpg

 メリー・クリスマス!

 ミュージシャンにもわかる聖書の話

 GraceCafeたいむ #84 【 とこしえの王の誕生 】

 アップしました。

 https://www.youtube.com/watch?v=RlZ-odPX9IM

 God Bless You !

  
2021.12.24.Fri 23:07 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。"
 使徒の働き 17章24節

 パウロはアテネのアレオパゴス(法廷あるいは議会)で、話を始めました。
 その話は「神」についてから始まりました。

 神は天地万物の創造主なのだから、人の手で造られた宮などのようなちっぽけなところに住まわれるようなお方ではないのだ・・と。

 しかし神は、イスラエルの民がエジプトを出て荒野の旅をし、約束の地カナンに至るまで、最初は幕屋、そしてエルサレムでは神殿において、ご自身の栄光を現されています。
 でもイエス様が十字架にかかられたとき、その神殿の「至聖所」を仕切る幕は真っ二つに裂けたんですね。

 神はご自身を現すために、イスラエルの民には特別な方法を用いられました。
 しかし、今度はさらに特別な方法を用いて、人々がすべてのところで「礼拝」をささげることができるようにされたのです。

 私たちはイエス・キリストを救い主として信じることで、「インマヌエル」すなわち「神が共におられる」と呼ばれるお方を内にいただいたのです。
 ですから、特別な場所に詣でて礼拝をささげる時代はもう過ぎ去り、本来の形・・すなわちあらゆる場所で人々は礼拝できる時代を、神は用意して下さったというわけです。

 私たちは、イエス・キリストによって、まことの神の礼拝者とされるのです。

 イエス・キリストが私たちの罪を背負って、私たちが神の前に出られるようにしてくださったから、このことが実現したのです。

 私たちは今この場所で、神を礼拝することのできる「真の礼拝者」(ヨハネ4:23 ) とされたのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2021.12.24.Fri 10:16 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。"
 使徒の働き 17章23節

 パウロは片っ端から人を捕まえては論じ合っているうちに、アテネのアレオパゴス(法廷あるいは議会)で、イエス・キリストについての話をすることになります。
 アテネの人々は、新しい話にはとりあえず耳を傾ける人たちだったのです。

 そこでパウロは口を開きました。それが今日の箇所です。
 あなたがたは、多くの偶像を拝んでいるようですが、その中に「知られていない神」と刻まれた祭壇まであることを私は知りました・・と。
 結局あなたがたは何を拝んでいるのかも分からずに、ただ「拝むこと」自体に価値を見出しているのではないですか・・と。

 拝む、また祈る・・そのこと自体が自分をきよめるのではないのです。
 何でもいいから拝んだり祈ったりするなら「心が洗われた」気持ちになる・・。
 それは単に気のせいで、実質のないものです。
 
 結婚式はキリスト教式、葬式は仏式、願い事は神社・・。
 相当おかしなことをしていて、それに気付いていないんです。

 40人以上の人を用いて聖書を書かせた神は、このように言われるお方です。

 "地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。" イザヤ書 45章22節

 私たちは、自らをこのようにはっきり言われる方を拝み、祈るべきなのではないでしょうか。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
  
2021.12.23.Thu 08:20 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" アテネ人も、そこに滞在する他国人もみな、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。"
 使徒の働き 17章21節

 アテネの人々は毎日「何か新しいことを話したり聞いたりすることだけ」を目的として過ごしていたので、パウロのいうことにも耳を傾けようとしました。
 彼らにとっては「耳新しい」ということが重要だったんですね。

 18節には、エピクロス派とかストア派とかいう哲学者たちがいたことが記されています。
 彼らは自分の洞察力によりすべての物事を観察し、真理についての理論を構築しようとしていた人たちです。

 しかし聖書に記されている「真理」は、このように人が見出したものとは全く異なるものなんですね。
 実に聖書は、真理は神の内にあると言っているのです。

 世の人々が漠然と思っていることは、真理を見出していくのは人間の洞察力による以外にはないということです。
 しかし聖書が提供するのは、それとは真逆の情報なのです。

 聖書は「神がおられる」と言っているのです。

 しかもその神は、天地万物を創造され、その中のすべての生き物を含むあらゆるものを創造された方だというのです。

 そのことを認めたときに初めて、聖書のことばが開けて見えてくるんですね。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2021.12.22.Wed 09:57 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" それでパウロは、会堂ではユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場ではそこに居合わせた人たちと毎日論じ合った。"
 使徒の働き 17章17節

 パウロとシラスはアテネの町が偶像で一杯なのを見て、心に憤りを感じました。
「そこでパウロは」と続くのが今日の箇所です。

 パウロは、会堂では「ユダヤ人たちや神を敬う人たち」と論じ合い、また広場では手当たり次第に、そこにいた人たちと毎日論じ合ったというのです。

 もし自分がそんなことをしようと・・しかもひとりで・・ということを考えるなら、ちょっと尻込みしてしまいそうですね。
 
 信仰による行動・・それは他から見れば勇気を振り絞って大胆な行動に出るという風に見えるかもしれません。

 しかしパウロはそんな感覚で町に出て行ったのではありませんでした。
 パウロは聖霊によって押し出され、それで気がついたらやっていた・・そのくらいのことだと私は思うんですね。

 自分の「信仰心」の篤(あつ)さに賭ける必要などないのです。
 イエス・キリストを信じたから、その者には聖霊が伴い、そしてすべてのことが聖霊によって導かれるのです。

 順番を間違えないようにしましょう。
「勇気」で行動しようと思わなくていいんですね。

 主はまことに生きておられ、弱い私たちを「その御力によって」主のみわざを行う「器」とされるんです。

 すべては聖霊による働きなのです。

 
 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2021.12.21.Tue 10:29 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






PROFILE

いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
ライブスケジュール
そしてキリスト教談義・・
・・再開です。
http://i-produce.net
http://twitter.com/ichiharayasushi
<< 2021.12 >>
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
ENTRIES
G-Cafe 聖書のことば #936 【今と永遠とはつながっている】 創世記274(06/06)
G-Cafe 聖書のことば #935 【神の全計画を知っていたヤコブ】 創世記273(06/05)
お詫び(06/03)
GraceCafeたいむ #159【今も待っておられる主】(06/03)
G-Cafe 聖書のことば #934 【カギは主の祝福】 創世記272(06/02)
G-Cafe 聖書のことば #933 【神の霊によって】 創世記271(06/01)
G-Cafe 聖書のことば #932 【救いの型】 創世記270(05/31)
G-Cafe 聖書のことば #931 【はい、ここにおります】 創世記269(05/30)
G-Cafe 聖書のことば #930 【御国への道を歩み始めている今】 創世記268(05/29)
G-Cafe 聖書のことば #929【愚かさの上にもおられる主】 創世記267(05/26)
G-Cafe 聖書のことば #928【最良のものが約束されている】 創世記266(05/25)
G-Cafe 聖書のことば #927 【自分を低くする】 創世記265(05/24)
G-Cafe 聖書のことば #926 【晴れる直前】 創世記264(05/23)
G-Cafe 聖書のことば #925 【主は見ておられる】 創世記263(05/22)
G-Cafe 聖書のことば #924 【信頼関係】 創世記262(05/19)
G-Cafe 聖書のことば #923 【信仰に立つ】 創世記261(05/18)
G-Cafe 聖書のことば #922 【真実を尽くしてくださるお方】 創世記260(05/17)
G-Cafe 聖書のことば #921 【1ミリもブレない聖書】 創世記259(05/16)
G-Cafe 聖書のことば #920 【希望を持ち続ける】 創世記258(05/15)
G-Cafe 聖書のことば #919 【完全保証の主】 創世記257(05/12)
G-Cafe 聖書のことば #918 【まぼろしを実際に見る時】 創世記256(05/11)
G-Cafe 聖書のことば #917 【不思議は神から】 創世記255(05/10)
G-Cafe 聖書のことば #916【確かに希望がある】 創世記254(05/09)
G-Cafe 聖書のことば #915【王である祭司】 創世記253(05/08)
G-Cafe 聖書のことば #914【信仰の「型」】 創世記252(05/05)
G-Cafe 聖書のことば #913【人々の心にかなった者】 創世記251(05/04)
G-Cafe 聖書のことば #912 【不動の岩の上に立つ時】 創世記250(05/03)
G-Cafe 聖書のことば #911 【扉が開かれた時】 創世記249(05/02)
G-Cafe 聖書のことば #910【たとえ時間が長くても】 創世記248(05/01)
G-Cafe 聖書のことば  #909【神のタイミング】 創世記247(05/01)
GraceCafeたいむ #154 【知恵と愛の神】(04/29)
G-Cafe 聖書のことば  #909【神のタイミング】 創世記247(04/28)
G-Cafe 聖書のことば  #908【能力を発揮する時】 創世記246(04/27)
G-Cafe 聖書のことば  #907【どこにいても共におられる主】 創世記245(04/26)
G-Cafe 聖書のことば  #906 【最悪の事態の上に】 創世記244(04/25)
G-Cafe 聖書のことば  #905【全財産を任せるほどの信頼】 創世記243(04/24)
G-Cafe 聖書のことば  #904 【主に栄光を帰す】 創世記242(04/24)
GraceCafeたいむ #153 【闇から差し込む光】(04/22)
G-Cafe 聖書のことば  #904 【主に栄光を帰す】 創世記242(04/21)
G-Cafe 聖書のことば  #903【あわれみの選び】 創世記241(04/20)
G-Cafe 聖書のことば  #902 【死ぬなら豊かな実を結ぶ】 創世記240(04/19)
G-Cafe 聖書のことば  #901 【主の訓練】 創世記239(04/18)
G-Cafe 聖書のことば  #900【必ず成る】 創世記238(04/17)
G-Cafe 聖書のことば  #899 【苦しみの上にある神の御手】 創世記237(04/14)
G-Cafe 聖書のことば  #898 【「恵み」のひと言】 創世記236(04/13)
G-Cafe 聖書のことば  #897 【内なる十字架】 創世記235(04/12)
G-Cafe 聖書のことば  #896 【いつものパターン】 創世記234(04/11)
G-Cafe 聖書のことば  #895 【4000年をかけて】 創世記233(04/11)
G-Cafe 聖書のことば  #894 【完了した】 (04/07)
G-Cafe 聖書のことば  #893 【最後の晩餐】 (04/06)
COMMENTS
CATEGORY
ARCHIVES
2023年06月(6)
2023年05月(24)
2023年04月(23)
2023年03月(23)
2023年02月(19)
2023年01月(22)
2022年12月(28)
2022年11月(27)
2022年10月(26)
2022年09月(24)
2022年08月(27)
2022年07月(24)
2022年06月(26)
2022年05月(26)
2022年04月(25)
2022年03月(28)
2022年02月(24)
2022年01月(27)
2021年12月(27)
2021年11月(26)
2021年10月(27)
2021年09月(26)
2021年08月(26)
2021年07月(27)
2021年06月(26)
2021年05月(26)
2021年04月(28)
2021年03月(26)
2021年02月(24)
2021年01月(25)
2020年12月(27)
2020年11月(24)
2020年10月(27)
2020年09月(26)
2020年08月(26)
2020年07月(27)
2020年06月(26)
2020年05月(27)
2020年04月(27)
2020年03月(28)
2020年02月(26)
2020年01月(25)
2019年12月(30)
2019年11月(21)
2019年10月(2)
2019年08月(3)
2019年06月(2)
2019年05月(1)
2019年04月(2)
2019年02月(1)
2019年01月(2)
2018年12月(1)
2018年10月(2)
2018年09月(3)
2018年08月(1)
2018年06月(1)
2018年04月(1)
2018年03月(1)
2018年02月(1)
2017年12月(1)
2017年11月(1)
2017年10月(1)
2017年08月(2)
2017年06月(1)
2017年05月(1)
2017年04月(2)
2017年02月(1)
2017年01月(2)
2016年12月(2)
2016年11月(2)
2016年09月(3)
2016年08月(1)
2016年07月(3)
2016年06月(1)
2016年05月(4)
2016年04月(2)
2016年03月(1)
2016年02月(1)
2016年01月(3)
2015年10月(1)
2015年09月(2)
2015年07月(1)
2015年05月(1)
2015年04月(1)
2015年03月(2)
2015年02月(1)
2015年01月(3)
2014年11月(3)
2014年09月(2)
2014年08月(2)
2014年07月(1)
2014年05月(1)
2014年04月(1)
2014年03月(3)
2014年02月(1)
2014年01月(4)
2013年12月(1)
2013年11月(1)
2013年09月(1)
2013年08月(4)
2013年06月(2)
2013年05月(2)
2013年03月(3)
2013年02月(2)
2013年01月(2)
2012年12月(1)
2012年11月(1)
2012年10月(1)
2012年09月(1)
2012年08月(1)
2012年07月(2)
2012年06月(3)
2012年05月(1)
2012年04月(2)
2012年03月(3)
2012年02月(1)
2012年01月(2)
2011年11月(8)
2011年10月(3)
2011年09月(1)
2011年08月(3)
2011年07月(1)
2011年06月(3)
2011年05月(1)
2011年04月(16)
2011年03月(4)
2011年02月(1)
2011年01月(2)
2010年12月(1)
2010年11月(3)
2010年10月(2)
2010年09月(2)
2010年08月(2)
2010年07月(2)
2010年06月(2)
2010年05月(4)
2010年04月(8)
2010年03月(6)
2010年02月(9)
2010年01月(5)
2009年12月(8)
2009年11月(15)
2009年10月(5)
2009年09月(7)
2009年08月(18)
2009年07月(11)
TRACKBACKS
LINKS