" このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになった。
そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした。"
使徒の働き 19章17~18節
信じてもいないのに「イエスの御名」を使ってみたら、逆に悪霊に襲いかかられた・・。
この事件によって、パウロが宣べ伝えているイエス・キリストがまことの神であることを、人々がますます深く認識することとなりました。
それで人々には、神への恐れの心が生じたというわけです。
私たちは信仰を持っていても、自分の心の奥にあるものについては、どちらかというと本能的にそれを包み隠し、忘れるようにして過ごす傾向があります。
しかし神に対する恐れが来たときには、私たちは神の前に自分をかざっておくことなど、できなくなります。
神が心の奥の、蜘蛛の巣が張ったようなところまで、照らし出されるからです。
信仰に入った人たちは自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした・・とあります。
私たちには、心の奥にしまったまま隠していることがまだまだ、いくらでもありそうです。
主はそれを全部「わたしの前に下ろしてしまいなさい」と言われるのです。
主の前に洗いざらい告白されたそのすべて・・それは、告白したと同時にイエス様の十字架のあがないによる赦しの中に入れられるんですね。
主への恐れ、それで私たちは聖潔へと導かれていくのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)