" そして町中が大混乱に陥り、人々はパウロの同行者である、マケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場になだれ込んだ。
パウロはその集まった会衆の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。"
使徒の働き 19章29~30節
当時のエペソのアルテミス神殿は巨大な図書館と劇場を備えていて、その最大のものは5万人を収容できる規模だったそうです。(ウィキペディア)
集会は混乱状態で、大多数の人たちは、なんのために集まったのかさえ知らなかったと記されています。(32節)
パウロに好意的なアジア州の高官たちは、パウロに「劇場に入ってかないように懇願した」とあります。
パウロは、その懇願を無視して入っていくこともできる立場でした。
しかしこの話の流れを読んでいくと、パウロはその説得を受け入れたことが分かります。
それは、すべてを主のなさることにゆだねたたということです。
どうにもならないとき、、。
それは、自分がなんとかしなければという思いを捨てる・・、そのチャンスなのかも知れません。
事実この騒動は、町の賢明な書記官にの言葉によって鎮められ、解散したのです。
そして、パウロはこのことで、次の目的地に旅立つことになったのです。(19:29〜20:1)
すべての出来事の上に、主の御手があるんですね。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)