" パウロはミレトスからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼び寄せた。"
使徒の働き 20章17節
パウロはギリシアの南端に近いコリントから、陸路を通ってエルサレムに向かいました。
その際、7人の弟子たちを先に行かせ、あとからパウロはそれを追います。(3-4節)
先に人を送り、そして後から行く・・、それは相当慎重に危険を回避しながらの行動であることをうかがわせます。
パウロはアジア(トルコ)の西海岸トロアスで先発隊と合流し、そこでは7日間滞在して、最後の日に夜中まで話をし、別れを惜しみます。(5-10節)
そしてこのあと、今度はルカたちが先に船でアソスに向けて出発します。
ここでも先発隊を船に乗せ、パウロは陸路で一日の行程を歩いて行ったのです。
そしてアソスでルカたちが乗っている船に乗りこみ、ミレトスというところまで行くのです。
先発隊によって船の安全を確認してから、パウロがその船に乗るようにしたのだと考えられます。(13-16節)
ミレトスはあのエペソから歩いて三日ほどの港町です。パウロはこのミレトスから各地の教会の長老たちを呼び寄せます。そこで話したことがこの17節以降に記されています。それは「遺言説教」とも言うべきものでした。
パウロはこのときすでに、死を覚悟していたんですね。
死の覚悟・・、それは世の人々にとっては終わりを意味します。
しかしパウロにとってそれは「残された時間を主とともに走り抜く」という決意の時であったことが、この後の記事を読んでいくとわかります。
パウロは「終点」をはっきり見据えていたんですね。
それは死ではなく、その先の「天の御国」という具体的な目的地だったのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)