" 神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。"
創世記 2章2~3節
モーセは十戒において「安息日(あんそくにち)」を守るように、神から仰せつかりました。
神は六日間働かれて七日目に休まれ、この七日目を祝福されたのだから、その日を覚えて聖なる日とせよというのがその理由です。
それでイスラエルの民は土曜日を安息日として、労働はせずに神を礼拝するようになりました。
ですからイエス様が安息日に病人をいやされたりすると、パリサイ人や律法学者という、律法を守ることだけに終始していた人たちは目くじらを立てて、それをイエス様を訴える口実にしたわけです。
イエス様は安息日にいやしの奇跡を行われました。
目の見えない人が見えるようになり、生まれつき足の不自由な人がいやされる・・、それは神の御子が父なる神の栄光を現されたみわざそのものです。
ですから人々はこのイエス様を見て、神を礼拝すべきであったのに、イエスは神に敵対する者だという、大きな勘違いをしてしまったわけです。
キリスト教会では、基本的には週の初めの日の日曜日を聖日として、礼拝をする日としています。
それはキリストが十字架にかかられ、死なれて、最後によみがえられて、その救いのみわざを「完成させられた」その日だからです。
ですからこの日は仕事を休んで、神を礼拝する日なのです。
七日のうちの一日を神へのささげ物とするんです。
それは、神との関係を堅いものとするために欠かせない「聖なる日」なんですね。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)