" これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である主が、地と天を造られたときのこと。"
創世記 2章4節
ここで初めて「神である主」ということばが出てきて、改めて天地創造の経緯の話が始まります。
新改訳聖書では、この「神である主」ということばにおける「主」は、太字で書かれています。
そしてこの太字で書かれている「主」は、旧約聖書全体を通して登場します。
この太字の「主」というのは、原語ではエホバあるいはヤハウェという、神の名を呼ぼうとする際に使われた、特別なことばです。
そしてこの「主」は、人に直接語りかけ、時には実際に地に降りて人のかたちを取って来られ、人と接触される「主」なんですね。
" 主は、アブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の家へ帰って行った。" (創世記18:33)
こうしてみると、この「主」は「神の御子である神」キリストを想起させます。
新約聖書のイエス様は、赤子として生まれるというかたちを取って登場されたキリストの姿のひとつです。
しかしそのイエス様もペテロとヤコブとヨハネの前で実際に、キリストとしてのその本当のみ姿を垣間見せられています。(マルコ9:2-8)
そして終わりの時には再び来られるお方だというのです。
聖書全体を通してキリストというのは、実に様々な形で登場しているんですね。
どちらにしても神は人に直接語りかけ、また人のことばを受け取られ、人を教え導くという、肌で直接ふれ合うほどの存在であることがわかります。
この2章4節から、この「神である主」と人との関係の中で起きた出来事の話が始まるのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)