" 地にはまだ、野の灌木もなく、野の草も生えていなかった。神である主が、地の上に雨を降らせていなかったからである。また、大地を耕す人もまだいなかった。
ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた。"
創世記 2章5~6節
はじめ、天は厚い雲「上にある水」に覆われていたはずですが(1:7)、雨は降っていなかったようです。
そして 「下にある水」は海。
神はこのときすでに、真水と塩水を用意されていたんですね。
しかし上から雨を降らせる以前に、神は「湧き水」で地を潤されていたというのです。
湧き水というのは、雨が降って地中に貯蔵された水が、あふれてくる水のことですが、その前に「湧き水」という状態を神は造られたということになります。
ここにも、ないものからあるものを生じさせるという、科学的な根拠を上回る「創造」という神のわざについての記述があるわけです。
さて、このあとに「神である主」は「人」を造られますが、その時にはすでに多くの木が生い茂る園があって、話は木の実もたくさん実っている「エデンの園」の話に入っていきます。
要するに天地創造の話の4節からは、天地創造の時系列の経緯ではなく、「神である主」と「人」との関わりへと話の焦点が移っていくわけです。
聖書は「人」の歴史とその行く先のことが書かれた書物であり、そこに神はずっと介入されてきたのだということが、綿々と綴られているんですね。
この世の歴史・・、それは神と人との関わりの歴史だというのです。
そしてそれは、終わりのときまで続くのだと・・。
いよいよ神と人の歴史の幕開けです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)