" 主はその夜、彼に現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」"
創世記 26章24節
イサクはレホボテと名付けた井戸の所まで来て、やっと平安を得てそこに住みました。(22節)
そしてさらに「彼はそこからベエル・シェバに上った」(23節) とあります。
今日の箇所は、このベエル・シェバに移ったその夜のことです。
主からイサクに、二回目の約束のことばが与えられます。
一回目は、飢饉のために近隣のペリシテ人の地に移り住むように導かれたとき。そしてこの二回目・・。
どちらも移住して新しい生活が始まろうとするそのとき・・それは先が見えず、大きな不安がそこにあるときでした。
しかしながらこれらの約束は、自分が死んだ後の遥(はる)かに先のことです。
この周辺の国々をあなたに与えるとか、そこであなたの子孫を増し加えるとか・・。
それでもイサクは、主が現れて語ってくださったことによって、「今」がこの約束された将来につながっているのだということを確信し、この場所に祭壇を築き、そこに天幕を張ったんですね。
さて、私たちにも約束が与えられています。
それは天の御国と永遠のいのちという、天のすべての霊的祝福の約束です。
しかしこれも確かに「今」ではなく先のことです。
それでも私たちは、この約束によって今の時を歩む者とされているのです。
イサクのように、与えられた約束の上に立ち、主を礼拝しつつ歩む者でありたいものです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)