" エサウは四十歳になって、ヒッタイト人ベエリの娘ユディトと、ヒッタイト人エロンの娘バセマテを妻に迎えた。
彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種となった。"
創世記 26章34~35節
さて、ヤコブの兄エサウはヒッタイト人の娘を、それも二人、妻に迎えたという記事が突然出てきます。
そしてこの二人の妻は、イサクとリベカすなわちエサウの両親にとって「悩みの種」となったというのです。
ヒッタイト人とはすなわち異邦人で、地元の民の娘でした。
ですから彼女たちは、自分たちの風習をそのままエサウの家庭に持ち込むことになります。
二人ですから、その影響力は相当に強いものがあったと思われます。
イサクとリベカにとって最も大事なことは、アブラハム以来自分たちを祝福し、導いてこられた主である神を第一とすることでした。
ところがエサウの家には、別の空気が流れていたというわけです。
人がその家で最初にクリスチャンになると、そこには当然のことながら二つの空気が流れ始めます。
しかし私たちの主は、その家族をもその祝福の中に導こうとされるお方です。
それを知った私たちは、それをなんとかしなければと思ってしまいますが、私たち自身には、その場の空気を変える力など、これっぽっちもありません。
私たちができること・・、それはただ主に目をとめていることだけなんですね。
それだけで、主はそこに立って(臨んで)くださるのです。
主に立っていただかなければ、何も起こらないということを、肝に銘じましょう。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)