"「諸国の民がおまえに仕え、もろもろの国民がおまえを伏し拝むように。おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。おまえを呪う者がのろわれ、おまえを祝福する者が祝福されるように。」"
創世記 27章29節・・前回と同じ箇所です。
祝福ということばには、どういう意味があるのでしょうか。
「神が祝福される」と言う場合、それは大きく捉えるならば、そこに神がご自身を現され、そこに良いことをされ、それを人々が見るようになるということです。
そしてその祝福は、繁栄とか力とか信仰とか・・様々なことの上に表わされるわけです。
では、神ではなく人が人を祝福するというのは、どういうことなのでしょうか。
このイサクのことばの中では、「呪う」と「祝福する」ということばが対比されて出てきます。
簡単に言ってしまえば、呪うとはその人の上に悪いことが起きることを願うことで、祝福するとは、その人の上に良いことが起きることを願うという意味です。
しかし聖書全体を通してその背後にある本質的な意味を考えるならば、のろうとは神から切り離されることを願うことで、祝福とは神が共におられることを願うことだということが見えてきます。
このイサクのことばは、明らかに先のことを語っている預言(神のことば)です。
ならばそれは、現代の私たちの上に置かれているものでもあるわけです。
おまえ=イスラエル・・この民は今でもユダヤ人として、世界中に特別な民として存在しています。
そして私たちはこの民を見るとき、世界の始めから終わりまでを支配され、この先にはっきり計画を持たれる神をそこに認めるべきなんですね。
この民を祝福する・・それはこの終わりに時に際して、神の御心が更に前進することを願うことだと・・その意味が見えてくるのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)