" 父イサクは彼に答えた。「見よ。おまえの住む所には地の肥沃がなく、上から天の露もない。
おまえは自分の剣によって生き、自分の弟に仕えることになる。しかし、おまえが奮い立つなら、おまえは自分の首から彼のくびきを解き捨てるだろう。」"
創世記 27章39~40節
「私のためには、祝福を取っておられなかったのですか。」(36節) と、泣いてすがるエサウに、イサクはこれも預言のようなことばを語ります。
それは、エサウは厳しい環境の中で、しかも常に戦いの中を生き抜いていかなければならないというものでした。しかし最後に不思議なことが語られます。
「おまえが奮い立つなら、おまえは自分の首から彼のくびきを解き捨てる」・・
それはヤコブとの関係から解放されるという意味です。
それでエサウはヤコブに対する殺意に燃えます。(41節)
しかしヤコブを殺すことで、エサウの心は本当に解放されるのでしょうか。
結局この話は人間関係の縛りから解放される・・という話です。
長い時の流れが過ぎ、ヤコブが本当にへりくだった者として帰ってきたとき、やっとエサウにもヤコブを赦す心が与えられました。この時エサウは初めて、ヤコブのくびきから解放されたんですね。(33章)
奮い立つ・・、それは力を振り絞って自分の道を切り開くという意味ではなく、時間がかかったとしても心と力を尽くして「平和の神」というところに立ち続ける、という意味なのではないでしょうか。
力は主イエス・キリストにあるのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)