" ヨセフはファラオに答えた。「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」"
創世記 41章16節
ついにヨセフはエジプトの王ファラオの前に立つことになります。
ファラオはヨセフに言葉をかけました。
「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。おまえは夢を聞いて、それを解き明かすと聞いたのだが。」と。(5節)
そのときにヨセフがファラオに答えたことばが今日の箇所です。
このファラオの問いかけに対して、もし自分だったらどう答えるだろうかと考えると、「はい、そうです」と言ってしまいそうです。しかしヨセフの答えは違いました。
ヨセフの答えは、「私ではありません・・。神が・・」というものでした。
圧倒的な権威を持つ王の前に自分が立ち、その王がなんと「私」に声をかけている・・。
そんな状況で自分を保つのは容易なことではありません。
しかしヨセフは、王を目の前にしているその瞬間、心は主を目の前に置いていたんですね。
私たちの日常生活の中で、急に大変なことが起きた時、また、思いもしないときに自分が脚光を浴びた時・・、私たちはその状況に心を奪われてしまいます。
しかしそのときこそが、主に目を向けなければいけない時なんですね。
" 私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。(詩篇16:8)
それさえできれば、私たちはどのような状況に置かれた時にも、不動の岩である主とともに立つ者となるのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)