" 私自身があの子の保証人となります。私が責任を負います。もしも、お父さんのもとに連れ帰らず、あなたの前にあの子を立たせなかったら、私は一生あなたの前に罪ある者となります。"
創世記 43章9節
七年間続くと預言された飢饉が三年目に入ろうとしている時、ヤコブの家にも食べる物が再び尽きてきました。
それでヤコブは息子たちに、もう一度エジプトに行って食糧を調達してくるように言うのですが、息子たちは弟のベニヤミンを連れていかないことには行けませんと、父ヤコブに詰め寄ります。
ベニヤミンを連れていくことは、エジプトにいるヨセフの絶対命令であると同時に、父ヤコブはベニヤミンだけは連れて行くなと命じていたからです。
そこで最後に決定打を出したのはユダでした。
ユダは「あの子を私と一緒に行かせてください。私たちは行きます。そうすれば私たちは、お父さんも私たちの子どもたちも、生き延びて、死なずにすむでしょう。」と言い、それに続いて言ったのが今日の箇所です。
私自身が保証人となる・・。私が責任を負う・・。ベニヤミンを連れて帰らなかったら、自分が一生罪ある者となる・・。
どこかで聞いたような感じがしませんか。
イエス・キリストは、私たちの罪を全面的に負われ、父なる神の前に完全に保証人となって下さった方です。
そしてイエス様が、私たちの罪の責任をあの十字架の上で永遠に負ってくださったのです。
実にこのことの型でもあるかのように、ユダは自分が保証人になり、自分が一生罪ある者となる・・と、父ヤコブに言ったのです。
不思議なのは、それを言ったのがユダだということです。
来たるべき方、メシヤ=キリストは、このユダ族から出るんですね。
聖書に書かれている出来事・・それは神の計画から一つもブレていないのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)