" しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになった。"
出エジプト記 1章12節
イスラエルの民はエジプトにとって貴重な労働力でした。しかしそれがあまりに増えて勢力を増すと、それは脅威となってくるわけです。
それでヨセフのことを知らない新しい王はイスラエルの民を重い労役で苦しめるために彼らを奴隷化してしまおうとします。(7-11節)
しかしこのイスラエルの民は「苦しめれば苦しめるほど、ますます増え広がった」というのです。それが今日の箇所です。
そして人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになった・・。
エジプトの民は、イスラエルの民の内にある何か底知れない力に恐怖を感じたんですね。
弱体化させようと思ってやっているのに、全然効き目がない・・!
この400年の間、イスラエルの民が神を礼拝したその姿勢については、何の記述もありません。
しかし彼らは、自分たちを飢饉から救い出し、エジプトで富む者とされた神の奇跡のみわざのことは、確実にその子孫に伝えていたに違いありません。
彼らは異教のエジプトの中にいたからこそ、その信仰は「自分たちは特別な民である」というはっきりした自覚が保たれていたのではないでしょうか。
そしてそこに、神の力が満ちあふれたというわけです。
彼らは「苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がっていった」というのです。
私たちクリスチャンも、異教の世界の中にあって信仰を保っている者です。
しかし、その信仰の対象はあまりにも明確に違う、はっきりしたものなので、私たちは異教の世界とはきっちり一線を引いて歩んでいけるわけです。
そのとき私たちは、決して理解されない社会・風土にあって、たとえ奴隷のように苦しめられても、私たちはさらに新しい力をいただく者とされているんですね。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)