" さて、レビの家のある人がレビ人の娘を妻に迎えた。
彼女は身ごもって男の子を産み、その子がかわいいのを見て、三か月間その子を隠しておいた。
しかし、それ以上隠しきれなくなり、その子のためにパピルスのかごを取り、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いた。
その子の姉は、その子がどうなるかと思って、離れたところに立っていた。"
出エジプト記 2章1~4節
エジプトの王はイスラエルの民を奴隷としただけでは飽き足らず、生まれてくる男子を殺すように助産婦に命じるのですが、助産婦は言うことを聞かず、イスラエルは増えて非常に強くなった・・とあります。(1章15-21節)
それでエジプトの王ファラオは「生まれた男子はすべてナイル川に投げ込め」という命令を出します。
そして・・というのが、今日の箇所です。
レビの家のある人がレビ人の娘を妻に迎えた・・
それは、彼女が身ごもった男の子が純粋なレビ(ヤコブの三番目の子)の一族であることを言うためでしょうか。
男の子を産んだ・・。いよいよモーセの登場です。
レビ族とは後に祭司の役割を果たす特別な一族です。
そしてその最初の人がモーセだというわけです。
その子の姉とは後に出てくるミリアムのことです。
モーセは「死ななければいけない子」だったんですね。
それが水の中に放たれたことによって、命拾いをするどころか、ここから神の壮大な救いの御業のために用いられる器となるのです。
ここにも人の救いの「型」を見ることができます。
滅びるはずの子、すなわち罪人が、水を通して救い出され、神の器として世に立つ・・。
この場合「水」とは洗礼のことです。
クリスチャンはそのようにして救い出されて、「神の器」として世に立つ者とされているのです。
そのことをいつも忘れないようにしたいものです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)