" その子が大きくなったとき、母はその子をファラオの娘のもとに連れて行き、その子は王女の息子になった。王女はその子をモーセと名づけた。彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。"
出エジプト記 2章10節
その子が大きくなったとき・・、それが何歳くらいかは記されていません。
乳母としての母の役割が終わるのはそれほど長い期間だとは思えませんが、少なくとも心の基礎ができあがる1歳から3歳までは実の父母の元で育ったのではないでしょうか。
そして幼い子供であったこの期間に、この子は自分がイスラエルの民であることの自覚が芽生えて行ったのだと思われます。(11節以降参照)
そして王女のもとに連れてこられて、王女の息子となった・・。
王女はこの子をモーセと名付けました。
モーセという名は「引き出す」という言葉の語源からの派生語だそうです。
死ぬはずのこの子を水の中から救い出したという意味で、王女はこの子をモーセと名付けたわけです。
しかし神はこの王女の命名の上にも、その御手を働かせておられたんですね。ました。
後にモーセは、奴隷となったイスラエルの民を、紅海の水を通して救い出し、そこから約束の地へと導く器とされるのです。
そしてさらに、その名には「人類の救いの型」までもが示されていたのです。
私たちは、ただ神が用意された救いの道を、イエス・キリストによって導かれ、「水」すなわち洗礼を通して新しい約束の地「天の御国」に向かってこの世から「引き出された」者とされているのです。
神の奇跡によってエジプトの王女の息子となったモーセ・・、それは神の奇跡によってエジプトのファラオに次ぐ権力者となったヨセフのことを想起させますが、モーセの場合はヨセフのようにその地位を用いて大きな働きをするという筋書きのようには行かなかったようです。
神はまずこのモーセを、これから起きる神の偉大な御業を代行する器として、徹底的に訓練される・・、
これが神の筋書きであったようです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
" その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」"
出エジプト記 2章7節
ナイル川の葦(あし)の茂みの中に置かれたパピルスのかごがどうなるか、姉のミリアムは離れたところから見守っていました。
そのとき、ファラオの娘が水浴びをするために川に降りてきました。そして侍女がそのかごを見つけるのです。
この子を見たファラオの娘はかわいそうに思い、「これはヘブル人の子どもです」と言った(6節)・・それは、王の命令によって川に投げ捨てられるべき子が、かごの中に入れられて流されたのだということがわかったということです。
そのときその子の姉がファラオの娘のところに近づいて言った・・、それが今日の箇所です。
あなた様に変わって、その子に乳を飲ませる乳母(うば)がいます・・と言って、この姉はファラオの娘がこの子を引き取るように促すんですね。
そしてその乳母とは他でもない、この子の実の母であったわけです。
それですぐにこの姉は母をファラオの娘のところに連れてきます。
するとなんと、ファラオの娘はその子をこの母に預け、乳母としての賃金まで払うと約束したのです。(9節)
そしてその子が大きくなるまで、実の母がこの子を育て、その後にこの子は「ファラオの娘の子」となるのです。
実の母は、この子が大きくなるまで自分の元に置いて育てることができました。
それはこの子にイスラエルの民であることと、イスラエルを今まで導いてこられた神のことをしっかり教えるのに、十分な時間があったということです。
神がなさることのきめ細かさをここでも見ることができます。
最悪の事態の中に、神のご計画がある・・。
そしてその事態の中で、神はご自身を信じる者をしっかりと支え、守り、導かれるんですね。
主は主を求めるあなたをご存じで、そのあなたの上に本当に働かれる、生ける主なのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)