" さて、ミディアンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちは父の羊の群れに水を飲ませに来て、水を汲み、水ぶねに満たしていた。
そのとき、羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った。するとモーセは立ち上がって、娘たちを助けてやり、羊の群れに水を飲ませた。"
出エジプト記 2章16~17節
モーセはエジプトのファラオから逃れ、「ミディアンの地に着き、井戸の傍らに座った」とあります。(15節)
ミディアンの地とは、シナイ半島を横断し、さらにその先の地で、エジプトからは300kmほどの距離があります。
モーセはそのくらいの距離をおそらく何も持たずに逃げ切ったのだと思われます。
そこに神の守りがあったのは言うまでもありません。
井戸での出来事・・、それは創世記に始まり、ここまで読んできた私たちには、なんとなく見慣れた光景のように感じます。
それは、アブラハムのしもべが主人の息子イサクのお嫁さん探しのために、アブラハムの兄弟ナホルのいる町でイサクの後の妻リベカに出会ったところ。
そして、ヤコブが兄エサウから逃れてナホルの子ラバンのところへ行ってヤコブの後の妻ラケルと出会ったところ・・。
井戸は、人々が生活のための水を得るために、どうしても集まってくる場所です。そしてこの井戸での出来事が、この後のモーセの40年間を決定付けたというわけです。
神は人との出会いを通して、私たちを新しい歩みへと導かれるようです。
悪い者の集まりに入っていけば悪に染まるし、光のあるところに入っていけば、そこが自分にとって新しい歩みへと導かれる場所となるわけです。
モーセにとってはこのときから、今までには味わったことのない、まったく新しい環境での生活が始まったのです。
そしてそれは、神の壮大な計画の下地が形成されるための新しい生活だったんですね。
ミディアンの祭司・・それは、どういう祭司なのか、明確ではありませんが、神が選ばれた器だったようです。
モーセはその祭司の家に身を寄せたのです。
私たちも光の交わりに積極的に入っていくなら、そこから全く新しい歩みが始まるのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)