" それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼らの叫びは神に届いた。"
出エジプト記 2章23節
モーセがエジプトのファラオから逃れ、ミディアンの地で家族を持つようになってから何年も経って・・。それが今日の箇所です。
イスラエルの民は、モーセがエジプトで生まれたときよりも前から、すでに重い労働で苦しんでいました。
神はイスラエルの子らが重い労働でうめいているのをご存じでありながら、一体何年彼らをその状態のままにされておかれたのでしょうか。
どうしてもっと早く、神は彼らを顧(かえり)みられなかったのですか・・と問いたくなります。
ここでは「重い労働による彼らの叫びは届いた」とあります。
そのまま読むと、苦しい状況の中でうめいて、それでも頑張って今まで来て、このときになってはじめて彼らの叫びが神に届いた・・というように受け取れます。
ではそれまで、神は何もなさらなかったということでしょうか?
いえ、神はその遙か以前から・・少なくとも神があの赤子のモーセを水から救い出したときから、神はご自身の計画をもって彼らを顧みておられたということを、私たちは知っています。
イスラエルの民が苦しみのあまり、救いを求めて叫び続けていたそのとき・・、神はすでにその手を打たれていたんですね。
私たちが苦しみ、神に助けを叫び求めるとき、神はすでに手を打ってくださっている・・。
私たちはそのような信仰の目をもって、今の苦しみの時を見るべきなのではないでしょうか。
神は苦しみ叫び求めている私たちを、今すでに顧みてくださっているのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
" モーセは心を決めて、この人のところに住むことにした。そこで、その人は娘のツィポラをモーセに与えた。
彼女は男の子を産んだ。モーセはその子をゲルショムと名づけた。「私は異国にいる寄留者だ」と言ったからである。"
出エジプト記 2章21~22節
娘に良くしてくれた「エジプト人」のことを聞いた父は、その人モーセを家に招きます。
それで・・というのが今日の箇所です。
モーセは「心を決めて、この人のところに住むことにした」とあります。
父はモーセに娘ツィポラを与えました。
そして男の子が生まれるのです。
そしてモーセがその男の子に付けた名ゲルショムの意味は「異国にいる寄留者」だというのです。
モーセには「異国にいる寄留者」という思いがしっかりあったようです。
普通でしたら、このままこの地に骨を埋めよう考えるのが一般的な受け止め方かもしれません。
この状況って、私たちクリスチャンみたいだなと思わされます。
私たちはこの地にあっては寄留者・・本当は天の御国に国籍を持つ者が、この地にあってとりあえずは落ち着いて生活をしているけど・・、あるいはとんでもない状況の中に置かれているけど、それはこのまま続きそうな気がする・・。
しかしどのような状況にあっても言えること・・、それは神はクリスチャンであるあなたの上にご計画をもって「今」が与えられているということなんですね。
そして今の状況は、神のご計画の故に「変わる」のです。
神のご計画がある中で、自分が置かれた思いもしなかったその環境・・それは、無意味なものではないのです。
それはあなたがこの後に導かれる働きにふさわしい器となるため・・。
神はあなたにご計画を持っておられるのです。
今、あなたがどのような状況に置かれていたとしても、そのことは忘れないようにしましょう。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように)