" さらに仰せられた。「わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは顔を隠した。神を仰ぎ見るのを恐れたからである。"
出エジプト記 3章6節
モーセは燃える芝を横切って芝の茂みに立ち入ろうとしたとき、神である主はモーセに「ここに近付いてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」と言われました。(5節)
そして続けて言われたのが今日の箇所です。
主はモーセに、ご自分がどのような方であるかを語られます。
わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である・・と。
モーセが幼い頃、おそらく父母から聞かされていたであろうその神が、実際に自分の前に現れたのです。
そしてモーセは、顔を隠しました。
預言者イザヤも、「高く上げられた御座についておられる主」を見たとき、このように言いました。
「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。」と。(イザヤ6:1-5)
「唇の汚れた者の間に住んでいる」とは、自分自身がそのような者であるということです。そしてその自分が万軍の主である王、すなわち「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主」(イザヤ6:3) を、そのような汚れた者が見たということです。
モーセもそのような恐れをもって、始めは興味本位に燃える芝に足を踏み入れましたが、そこに立っている主の使い・・それは実は主ご自身でした・・が語られるのを見たとき、そこに恐れを感じたのです。
私たち(クリスチャン)は日常的に「神様」「神様」と主を呼び、その名を口にしていますが、その神は「聖なる、聖なる、聖なる、まことの神」なんですね。
私たちの心に今求められていること・・それは神に対する恐れなのかも知れません。
"主を恐れる人はだれか。主はその人に選ぶべき道をお教えになる。" (詩篇25:12)
God Bless You ! (神様の祝福がありますように)