" わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し、その地から、広く良い地、乳と蜜の流れる地に、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる場所に、彼らを導き上るためである。"
出エジプト記 3章8節
今日の箇所は、前回に続いて主がモーセに語られたことばです。
それは神がモーセの前に現れた理由・・、すなわち、このときから500年も前に主がアブラハム、イサク、ヤコブに約束した、イスラエルの民にあのカナンの地(現在のイスラエルの国がある地域) を与えるというその約束を、これから成就するためだ・・というのです。
やはり神のなさることの時間の単位は、私たちの想像を遙かに超えた長い物差しの上にあるようです。
モーセは突然、神である主に言われたのです。
そのことをするためにわたしはあなたを立てる・・と。
"「〜 今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」" (10節)
モーセは、500年も前に語られた大きな神のご計画の中に、自分が関与する者として選ばれたなどと言われても、ピンとくるはずがありません。
それでこの後、モーセと主とのやりとりが始まるわけです。
さて、私たちは今、神の壮大なご計画の中の、まさに約束の地すなわち天の御国への旅路に人類が向かおうとしている、そのときを生きているということが、聖書の中の多くのみことばによってわかります。
しかしいくら世界情勢が暗い方向に向かっているとしても、私たちがそのようなタイミングの時代に生かされているなどという話は、ピンと来るわけがありません。
しかし主は、500年前の約束を成就するために、モーセの目の前に突然現れなさったように、世の初めから約束されていた全体計画の成就を、今のこの終わりの時に私たちに語られているんですね。
私たちは目を覚まして、主が来られるのを待ちつつ、今の時を過ごすべきなのです。
" ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。" (マタイ25-13)
God Bless You ! (神様の祝福がありますように)