" 彼らはあなたの声に聞き従う。あなたはイスラエルの長老たちと一緒にエジプトの王のところに行き、彼にこう言え。『ヘブル人の神、主が私たちにお会いくださいました。今、どうか私たちに荒野へ三日の道のりを行かせ、私たちの神、主にいけにえを献げさせてください。』
しかし、エジプトの王は強いられなければあなたがたを行かせないことを、わたしはよく知っている。"
出エジプト記 3章18~19節
主はモーセに、このあとに起きることを明確に伝えられました。
イスラエルの長老たちはあなたの声に聞き従うから心配するな・・と。
そして彼らとともにエジプトの王のところへ行って言え・・と。
そしてその言うべきことばも、主はモーセに具体的に示されました。
さらに主は、モーセが王のところに行って、言われたとおりに王に告げたとしても、その通りにはならないということまで言われたのです。(19節)
結局モーセは、エジプトの王が神の奇跡の連続を見ながらも、その心をかたくなにするという場面を何度も見させられることになるのです。
なぜ神はこのようなステップを踏まれたのでしょうか。
それは19節にあるとおり、エジプトの王はどうしようもなくなって、とうとうモーセたちの言うことを聞かざるを得ないという状況に追い込まれるまで、絶対に言うことを聞かないということを、主は知っておられたからです。
ですからモーセにしてみれば、何度も何度も主のことばに従うのですが、一向に事態は良い方向に向かわないことが、いつまでも続くということになるわけです。
私たちが主から何かせよと言われたとき、それを実行して、しかもそれが思わしくない結果となったときには、やはりこれは自分の勝手な思いでやってしまったのかななどと考えてしまいがちですが、主は目の前に起きる出来事よりも遙かに大きなスケールで物事を進めて行かれる方であるということを、ここでは学ばされます。
仮に事態の展開が思わしくなかったとしても、大事なポイントは、私たちがひとつひとつのことに関して主に耳を傾け、それに従っているかどうかということなのです。
私たちの歩みは「主によって」確かにされるのです。(詩篇37:23参照)
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)