" そこで、ファラオも知恵のある者と呪術者を呼び寄せた。これらエジプトの呪法師たちもまた、彼らの秘術を使って同じことをした。
彼らがそれぞれ自分の杖を投げると、それは蛇になった。しかし、アロンの杖は彼らの杖を吞み込んだ。"
出エジプト記 7章11~12節
モーセとアロンは主が言われたとおりにファラオのもとに行きました。
主はモーセとアロンに、「ファラオが『おまえたちの不思議を行え』と言ったら、杖を取ってファラオの前に投げよ」と言われていたので、モーセとアロンはその通りにします。
そしてその杖は、主が言われていた通り、蛇になりました。(9-10節)
そこでファラオも・・というのが今日の箇所です。
なんと、エジプトの呪法師たちも「彼らの秘術を使って同じことをした」というのです。しかしモーセの杖による蛇は、呪法師たちによる蛇を飲み込んでしまった・・。
とは言え、そのようなことを呪術者もすることができるのだということに、少なからず驚きを覚えます。
新約聖書 第二テサロニケ2章9-10節には、こんなことが書かれています。
・・不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。
世の終わりには不法の者が「偽りのしるしと不思議」をもって滅びる者たちに臨むというのです。
まことの神からあなたを引き離そうとする「不思議な力」というのは、今も存在し、この世に働いているんですね。
しかし不思議な力というだけで、私たちはそれに心を開いてはいけないのです。
主イエス・キリストの御名だけが、唯一信頼できる力、私たちが依って立つべき名なのです。
その御名だけが、サタンから来るあらゆる力を飲み込む力があるのです。
私たちクリスチャンは、常に「霊の戦い」の中に置かれているのです。
いつもイエス・キリストの御名を手に取って、悪しき霊の力を見分け、戦いに臨む者となりましょう。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)
" わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエルの子らを彼らのただ中から導き出すとき、エジプトは、わたしが主であることを知る。」"
出エジプト記 7章5節
神である主はモーセに、ファラオは心を頑(かたく)なにしてモーセの言うことを聞かないこと、そしてそのファラオの上に主ご自身が御手を伸ばし、イスラエルの民をエジプトの地から導き出すということを、これまでにも何回か語ってこられました。
今回もまたそのことを語られ、さらに言われたことが今日の箇所です。
エジプトは、わたしが主であることを知る・・。
200万もの民がエジプトから脱出するなら、イスラエルの民はこの方こそ自分たちの父祖の神、今までその話を聞いてきた、まさにその神であることを見せつけられるわけですが、このことで主は、当のイスラエルの民だけではなく、エジプトも「わたしが主であることを知る」ことになるのだと言われたのです。
出エジプトという出来事において、エジプトは裁かれる側です。
その裁かれる側のエジプトの王およびその民にも、神である主はご自身を現され、まさしくこの方こそが、天地万物の創造主である正真正銘の神であることを示されるのだというのです。
このことを見ると、黙示録の中のある箇所を思い出します。
終わりの時に、さらに心を頑なにして神を認めようとしなかった民の叫びの声です。
「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」(ヨハネの黙示録 6:16-17)
神は終わりの時に至って、この出エジプトの出来事のように、心を頑なにする人の上にも主はご自身を現されるというのです。
この出エジプトの時代から、今に至るまで、そして終わりの時に至るまで、神はすべての人にご自身を表される・・、それでこの方こそがまことの神であることを知ることになる・・それが神がなさることなんですね。
主を恐れ、主を信じ、そして私たちに真実を尽くしてくださるこの神である主を信じて、歩んでいこうではありませんか。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)